第四十四話
赤い稲妻が王城に落ちて少し経ってから、王国全体に爆発したような強烈な音が響き渡った。
「城が、燃えてる……っ」
エルンティカでその様子を眺めていたジルバは、その光景に目を見開いていた。
ジルバにとって王城は、エルノアとの思い出が沢山ある場所だった。幼い頃から共に生活し、従者としてはあるまじきことだが、本当の姉妹のように育った。良き思い出も嫌な思い出も溢れんばかりにある。その全てが、ジルバの目の前で焚かれていた。
「アースター・ヴァイン!」
王城に落ちた赤い稲妻は、明らかに自然的なものではない。何らかの方法で、聖槍の担い手が落としたのは間違いなかった。
エルノアのみならず、この国の象徴にすら手をかける。その所業は晴也とて許容できるものではなかった。
そのすぐあと、今度は南の他ら何かが割れるような音が地響きと共に響き渡る。
「一体何なんだ!」
状況を把握し切れないジルバはそんな泣き言を吐き出し、二人は急いで神殿へと戻った。
神殿の中は混乱が渦巻いていた。本格的に戦争が始まったと泣き出す人、ここは安心なのかと神官に詰め寄る人、もう終わりだと絶望し泣き叫ぶ人。それぞれの喧騒が絡まり合い、不安が混濁していた。
「ああ、勇者様。ジルバ殿。お戻りになられましたか」
二人の姿を見つけたグロムウェルが、慌てたように人の波を掻き分けて近寄ってくる。
「グロムウェル殿、何がどうなっているんだ?」
「神威です。王城と南の山壁に、それぞれ別々のエルレイクスの力を振るったのです。エルダフィートには、二人の担い手がいたのです!」
その言葉に、晴也は軽い眩暈を覚えた。
アースターを目の前にした絶望感は、死を確定させられたかのように全身の神経が休眠し、体が凍てついたようだった。そんなアースターとほぼ同列の存在が、もう一人エルダフィートにいる。その事実に、凍てつく晴也の体は砕けんばかりだ。
「城は燃えている。山壁はどうなっているんだ」
「恐らく、大地を創ったとされる聖鎚の神威でしょう。山が割れたんです」
その言葉は晴也には到底大きすぎる話で、それだけでは理解することができなかった。
「山が、割れた? こう、パカンと?」
間抜けな顔を晒しながら、合わせた掌を左右に割ってみせる。それを見たグロムウェルは、興奮に荒れた呼吸を整えながら首を縦に振った。
「エルレイクスは、それほどまでの力を振るえるのか……」
片や城を一撃で燃やし、片や山を二つに割るほどの力。あまりにも人の常識の埒外にあるその威力に、今度はジルバがふらつき倒れ込みそうになる。
「でも、なんで南の山を割るんだ?」
「隧道だ。建設こそ中断されたが、山が割れたとなれば、その運用は同じだろう。……攻め込んでくるぞ、南からガグランダが」
南から敵が奇襲するとなれば、当然のこと正面からの侵攻は始まるだろう。
王城を一撃で落とし、それを合図に西と南からの同時攻撃。まさに電撃的な速攻だ
「もう一刻の猶予もないと言ったところか」
腰に佩いた剣を強く握ったジルバは、晴也を見る。覚悟を決めたジルバを見れば、晴也とてその意図を察することができる。了承を意味して、晴也は首を縦に振った。
「グロムウェル殿、私と勇者シオタは、これから聖人の元へ向かいます。あなた方は避難を」
「お待ちくださいっ! 相手が聖人一人ならいざ知らず、敵には聖鎚の担い手である英雄ルーフィドまでいるのですよ!? 無謀です!」
「――無謀だとしても」
二人を止めようとするグロムウェルに、晴也が告げる。
「俺はエルノアさんに選ばれた勇者だから。その責任を取るだけだ」
エルノアの心根からの望みは、この国を守ることだ。ならば、彼女に選ばれた勇者として、晴也はそれを果たさなくてはならなかった。そして、護国こそが誰もが勇者に望んだ役割でもある。
聖剣を抜いた日のことをグロムウェルは思い出していた。晴也はそのとき、何ができるかわからないがと言いながら、協力すると口にした。そのときはありがたいと思いながら、どこか頼りなさを感じていた。しかし、今の晴也には確かな決意が見えた。この国を守るために戦う。そんな強い意思が見受けられた。
彼は自分達の望みを叶えんとしている。それを止められるほど、グロムウェルは無責任にはなれなかった。
グロムウェルが止めるのを諦め、二人はそのまま神殿の外に出た。
「……やっぱり来た」
外で待ち構えていたのはエルメリアだった。
彼女がエルディンを起こし、臨戦態勢であることをジルバは明確に感じ取っていた。
「エルメリアさんも俺達を止めるのか?」
「当然でしょ。現状、エルダフィートがガグランダに敵うことはない。城のあの様子を見るに、お父さまもきっと……」
遠くで夜の闇を削り取らんと燃えている王城を覗き、エルメリアは思わず俯く。涙が出そうになるのを堪え、大きく深呼吸をして、晴也とジルバを貫くような鋭い視線で睨みつける。
「父と姉の死を以て、エルダフィート王国の王位は、エルガンダの次女であるエルメリアが引き継ぐことになる。つまり、今からアタシは、エルダフィートの女王、エルメリア・エルダフィートよ」
それはつまり、エルメリアの幼く小さな背中で、エルダフィートを守るという責任を負うという意味だ。それはあまりにも残酷だ。しかし、そんな過酷な道行きを思わせないほどに、エルメリアの表情は涼やかだ。
「エルダフィートの女王として、勇者シオタとファーディン・マグラーンに命じます。アタシと共に国の外に来なさい」
「それは……この国を捨てるということですか」
必死に怒りを抑え込みながら、ジルバがそう訊ねる。しかし、エルメリアはその問いに対して首を横に振る。
「アタシがアタシの国を捨てるなんてことはあり得ない。エルダフィートは既にアタシの血肉だから。だけど、心の臓さえ守れば、エルダフィートは生き続ける。生き続ければ、いつかこの戦争に勝つことだってできる」
「それはつまり、あなたさえいれば、そこがエルダフィートだと言う訳ですか」
締めくくるように言ったジルバの言葉に、エルメリアは首を縦に振った。
「ふざけるな!」
エルメリアの考えを、晴也が否定する。
王とは国の象徴なのだろう。あるいは王がいなくては、国は成り立たない。すなわち楔なのだ。それ故に、王さえ生き残れば国は続く。ああ、確かにその通りかもしれない。だが、国とは王だけで成り立つものではない。
「国って言うのは、人が寄り集まってできるものだろ!? だけど今のエルメリアさんの言い草だと、ここにいる人を見捨てるみたいだ」
「その通りです。アタシとあなた。それからファーディン・マグラーンとグロムウェル司教。そして、ハーロゥ所長。この五人なら、国の外に出ることもできるでしょう。五人さえいれば、新生エルダフィート王国として、国を再建することも夢じゃない。違う?」
「全然違う!」
平然とそんなことを語るエルメリアに、晴也は声を大にして否定する。
確かにその五人がいれば、新生エルダフィート王国を打ち立てることもできるのかもしれない。だが、それは決して、今のエルダフィート王国とは違う。全く別の国なのだ。今までこの国を支えていた民達を全て捨てて作りだしたその国が、同じ国であるはずがない。
「もはや事態は感情論で動く段階じゃないの。それがわからないの?」
「そうだよ! 感情論で動く場合じゃない。だけど、王様を名乗るなら、人の心を一番重視しなくちゃダメだろ!?」
どれだけエルメリアが正しいことを言っていようと、いの一番に諦めて民を捨てる選択をする王に、一体誰がついて行こうというのだろうか。
確かにエルメリアという少女には、王に相応しい才覚があるのかもしれない。しかし、才覚だけで人は動かない。より人を動かす求心力は、才能以上に人に寄り添う優しさだと晴也は思っている。
「今のエルメリアさんには誰もついて行かない。どれだけ君が正しいことを言っていようと、自分だけ助かろうとする人に、人は信頼を預けない」
「――あなたがッ」
晴也のその言葉は、エルメリアには聞き捨てならなかった。
エルメリアの言っていることは正しいのかもしれない。それと同じくらいに晴也の言葉も事実だ。しかし、その事実を晴也の口から聞くことだけは許せなかった。何より、自分だけ助かろうとする人、などという言葉を、晴也の口からだけは聞きたくなかった。
「あなたがそれを言うの!? お姉さまを犠牲にして、助かったあなたが……怖くなって逃げ出したあなたが!」
「そうだ。そんな俺だから言うんだ。逃げ出しても、自分が辛くなるだけだから」
エルメリアにはそんな後悔をさせたくなかった。それがどれだけ辛いか実感したということもある。何より、エルノアが愛していた妹だからこそ、そんな辛い方向に行ってほしくなかった。
晴也の言葉に、エルメリアのエルディンが昂っているのがジルバには感じ取れていた。
冷や汗が背筋を伝う。ジルバは剣の柄に手を伸ばしながら、最悪の事態に備える。
「……ええ、わかった。そう言うこと。どれだけ言ってもアタシに従う気はないってことね」
そう言うとエルメリアは、その手に炎を灯す。フィグマの魔法だ。
「なら、力づくで従わせるまで」
告げると、エルメリアは掌に灯した炎を球体のように形状で放つ。ジルバは晴也を後ろに下げながら剣を引き抜き、水をまとわせる。技術としてかなり拙い魔法剣だ。それを以て迫って来た炎球の最初の一撃を魔法剣で両断し、後に続く炎球を水の鞭で掻き消す。
「冷静になってください、エルメリア殿下!」
「私は殿下じゃない! この国の女王だ!」
ジルバの呼びかけにそう叫ぶ。火に油だったと歯噛みしながら、ジルバはエルメリアが作っている特大の炎球をどう対処するか必死に頭を回転させた。
エルメリアが作る炎の塊は、さながら小さな太陽のような熱量と濃密なまでのエルディンが宿っていた。恐らく、自身のエルディンのほとんどを使っているのだろう。だというのに欠乏時の症状の一つである顔色の変化が出ないのは、余程興奮しているということだろう。
このまま魔法を使われれば、それこそ命に関わる。どうすればエルメリアが止まるのか。今のジルバにはその答えを導き出すことができなかった。
「――ジルバ、少しだけ剣を貸してくれ」
そんな晴也の言葉に、非常時でありながらジルバは呆け、思わず晴也のほうを向いてしまった。
「お前、この剣は聖剣じゃないんだぞ!? お前が振るって、魔法は塩にならない」
「いいからっ、時間がないんだ!」
エルメリアは既に、小さな太陽を放っていた。
ジルバから強引に剣を奪い取った晴也は、幾度か深呼吸をして全身の力を抜き、程よい脱力をしてから構える。
ここにきて、晴也の脳裏にはあの声が再び響いていた。もはやそれが空耳なのか、実際に聞こえている声なのかなど晴也にはどうでもよかった。
「――示せ。貴様がそれを担うだけの証を」
繰り返されるその言葉がどういう意味なのか晴也にはわからない。それでも、ジルバの後ろで何もしないのは、自分の決意に反する。
迫りくる小さな太陽に何ができるのかなど知らない。だが、晴也はそれを試金石にすることとした。
自分が、聖剣を担うだけの価値があるのか。
もしその価値があるのだと聖剣が――あるいは大いなる者が認めたのであれば、それこそ聖剣が、晴也にその証を示すだろう。
眼前に太陽が迫る。晴也はそれに向けて、剣を振り上げ、まっすぐに振り下ろした。
剣の刀身が太陽に触れた瞬間、そこからゆっくりと炎が塩へ変わっていく。大地の水分がゆっくりと乾いていくように、炎の塊が塩の塊へと変わっていき、大地を白く染める。
「聖剣の力? でもなんで……」
うわ言のようにそう呟くジルバに対して、晴也は確かな実感を覚えていた。
できると確信していた訳ではない。それでも、聖剣が晴也のことを認めていればできると考えていた。何せ聖槍の担い手であるアースターは、手元に聖槍がなくとも、その能力である赤雷を自在に起こしていたのだ。なら、エルディンを塩に変える能力を、聖剣を持たずとも使えたとておかしなことはない。
博打であったが、それに勝つことができた。そのことに安堵の息を吐く。
自らの最大級の攻撃を凌がれたエルメリアは、続けて魔法を放たんと掌に炎を起こす。しかし、そんなエルメリアに晴也は首を横に振る。
「もうやめようよ、エルメリアさん」
「何を――ッ」
「わからないのか。感情論で動くべきじゃないって言ったエルメリアさんが、一番感情的になってるんだ」
晴也のその言葉に、掌に起こした炎が掻き消えた。
王としてエルダフィート王国にできる最善手を選んできたつもりだ。そして現状は、感情論を語らず、必要な人員を連れて王国外へ逃げることが、エルダフィート王国の未来のためになる。故に、エルメリアは感情を殺そうと必死だった。だが、そんな努力も裏腹に、自分が制御できなくなるほどに、エルメリアは感情的になってしまっていた。
その事実に愕然とし、思わずその場に崩れる。膝に泥が付くことを厭うことなく、両手まで地面に着き、涙を流す。
そんなエルメリアの頭を晴也は撫でる。
「わかってる。エルメリアさんがどれだけこの国を想ってるのか。どれだけこの国のことを大切にしてるのか、わかってるから」
そうでなかったら、ここまで暴れるなんてことはしないだろう。そうでなくては、こんなにも涙を流すなんてことはしないだろう。
少しだけ、晴也は勇者としてやるべきことが見えてきた。
勇者とはすなわち、こういった悲しみを失くすために必要な者なのだ。そんな大役を自分が果たせるのか、甚だ疑問ではある。それでも、晴也は選ばれたのだ。ならば、せめて彼女の望みは叶えなくてはならない。
「俺は俺なりにこの国を守る。だからエルメリアさんは、エルメリアさんができる方法でこの国を守ってくれ。きっと、俺達を連れて逃げ出すって方法以外にできる選択肢があるはずだろ」
無作法と思いながら、晴也はエルメリアの綺麗な金髪を少しだけ乱暴に撫でる。まるで子供をあやすようなその仕草に、エルメリアは少しだけ懐かしさを覚えていた。全く似ていないというのに、その撫で方はまるで父のようだった。
その父には、二度と会うことはできない。そんな事実が、再びエルメリアの胸を打つ。
とめどなく溢れる涙と嗚咽が、エルメリアから女王の責務を洗い流していく。
これ以上、誰かを泣かしてはならない。晴也の手は無意識に聖剣の柄に伸びていた。聖剣は晴也の手を拒むことなく、ただ静かに彼の手を受け入れていた。
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