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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第四章 水平線に望む
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第四十三話

 そこがいつか見た夢の海だと晴也は気づいた。

 くるぶしほどの浅い海が、波に揺られて脛にぶつかる。潮騒は少しだけ心を穏やかにする。

 この海が何なのか、晴也にはわからなかった。それでも、引き返そうだとか、逃げ出そうだとかは考えなかった。前へ進む。どういう訳か晴也の頭には、そのことだが頭に浮かんでいた。

 前へ進んでいくと、次第に深くなっていく。くるぶしにあった水面はいつの間にか腰の辺りを沈め、進むのが困難になっていた。

「……やっぱり、いた」

 しばらく進むと、そこにはいつかの夢と同じ女性がいた。長く美しい金髪は、エルノアの姿と重なって見える。今回も彼女は涙を流し、滴ったその雫は海に大きな波紋を作っていた。

 どうして涙を流しているのか。晴也はそれを訊ねようと再び足を前へ出す。

 そんな晴也の肩を、誰かが掴んで止めた。

 誰かに触れられたことに晴也は驚きながら振り向く。しかし、そこには誰もいなかった。ただ、遠くの空には夕空を覆い尽くす曇天と、轟く遠雷の音。そして、瞬く赤雷が見えていた。

 遠雷の音に混じって、誰かの声が聞こえる。否、問いかける。進んでいいのかと。

 何者かはわからない。空耳かもしれない。それでも、まるで自分に向けられているかのような問いを無視することはできず、晴也は問うた。

「どういう意味だ」

 遠く、弾けたような雷の音に混じり、誰かは答える。「そこにいるのは、全ての元凶である」と。

「全ての、元凶?」

 誰かの言葉に、晴也は再び女性のほうを見る。

 女性は先ほどよりも一層泣いていた。零れる涙を抑えるように目元を拭い、悲しみに沈むように水面に上に座り込んだ。

 そんな彼女に慌てて近寄ろうとした晴也を責めるように、近くに赤雷が瞬いた。

「何なんだよッ。理解してほしいなら、もっと具体的に答えろよ!」

 苛立つように空へと叫ぶ晴也。本能的に、声の主がどこにいるのか晴也は理解していた。

「短絡的だ」と声は告げる。それにより苛立ちを露にする晴也だが、それを吐き出すよりも先に声は続けた。「異邦人たる貴様がここにいる原因。貴様が神の器に触れられた理由。そして、かの巫女を死なせた元凶」。淡々と声は語る。目の前にいる女性が、それら全ての正体であるとでも言わんばかりに。

「巫女? 巫女ってエルノアさんのことか。エルノアさんを死なせた元凶ってどういう意味だよ!」

 晴也の叫びに呼応するかのように、海が荒れ始める。白波を立たせ海がねじれるように流れる。足の接地感が無くなり、何時の間にか晴也の体は海に漂うになっていた。

 引きずり込まれるような沈没感は、夢から覚める合図だ。晴也はそれに必死に抗いながら、声の主に問う。

「答えろ! お前は何者だ!」

 大量の海が晴也の口の中に入り込む。そのまま晴也は海の底へと引きずり込まれていく。黒々と荒れ狂う海の中は、その見た目とは裏腹に、とても静かなものだった。そんな海の底、静寂を破り捨てるような地響きと共に、声は自らの名を告げる。その名は――


    *


 気が付くと晴也はベッドの上にいた。

 体を起こそうと力を入れると、全身が嫌な痛みに苛まれた。思えば、ジルバに木剣で滅多打ちにされたのだったと思い出した。

「……なんでベッドの上にいるんだ」

 晴也が覚えているのは、星空を仰ぎながら倒れて大泣きした辺りまでだった。そこから先は、気を失ってしまったのか覚えていない。

「ジルバが、運んでくれたのか?」

 体の痛みを堪えながら、晴也はどうにか体を起こす。部屋の中を見渡すと、そこが自分に貸し与えられた部屋ではないことに気づいた。ベッドが等間隔に設置されている様子は、病院の大きな病室に似ていた。

 隣のベッドを見ると、そこにはジルバが横たわっていた。目立った傷は見受けられないが、顔が青ざめている。エルディンを使い過ぎたときに見られる症状だ。

「……無理、させたんだな」

 聖剣の奪取と、王城からの脱出。その上に晴也との立ち合い。その消耗は計り知れないものだった。

 あの立ち合いは晴也にも、何よりジルバ自身にも必要なことだったのだと晴也は感じている。しかし、少なくとも自分がもっとしっかりしていれば、彼女がここまで消耗することもなかったのだと晴也は悔いる。

 ベッドから降りた晴也は、サイドテーブルに畳まれた黒袖(スーツ)を羽織ろうと手を伸ばして、その横に置かれていた小さな箱を手に持った。それを開くと、中には翡翠海洋石が飾られたイヤリングがあった。

 エルノアへの感謝の印。二度と送ることのできないプレゼント。こんなものを買ったというのに、結局は自分の行い一つで破綻させてしまった。

 本当に情けないものだ。箱を閉じながら、晴也は後悔に沈む。しかし、もはや後悔をしている訳にはいかない。エルノアに選ばれた勇者としての責務を――犯してしまった罪を償わなければならない。

 晴也が黒袖を羽織ると、部屋の扉が開かれた。入って来たのはグロムウェルだった。

「ああ、勇者様。お気づきになられたのですね」

 晴也を見たグロムウェルが、安心したように表情を緩ませて晴也に近寄る。

「えと、すみません。なんか、面倒かけたみたいで」

「滅相もございません。確かに、エルンティカでジルバ殿と倒れているのを見たときは驚いたものですが……」

 そこで一度言葉を止め、晴也の表情を見る。そして、嬉しそうにグロムウェルは笑みを浮かべた。

「昨日よりも随分とお顔が明るくなっていらっしゃる。きっと、とても大切なことをしたのでしょう」

 彼も聖職者ということだろうか。まるで全てを見透かしたかのように告げたその言葉は、しかし気味の悪さは一切感じず、釣られて笑みを浮かべてしまうものだった。

「それで、勇者様。今は大丈夫でしょう?」

「何か用事があるんですか?」

「はい。聖剣に関する資料を見つけたので、一緒に見ていただこうかと」

 聖剣。その言葉に晴也は先ほど見た夢のことを思い出した。そこで、語り掛けてくる声が告げた名前に、晴也は思わず表情を顰める。無論、夢のことと捨て置くことは容易だ。だが、単なる夢のことと言うには、あまりにも明瞭に記憶し、また体感が鮮明に残っていた。

 何より、あの海でいつも泣いているあの女性が何なのか。どうしてあの女性が、エルノアの死の元凶となるのか。そのことが気になっていた。

「わかりました、行きます。……その前に、良いですか?」

「はい、何でしょう?」

 少し言い難そうにする晴也に対して、グロムウェルは訝しそうに首を傾げた。

「えと、タオルと水を貰えますか? 体中汗とか泥でまだ汚れてて」

 照れくさそうにそう言うと、グロムウェルは納得して答えた。

「すぐにお持ちします。……勇者様は男性であらせられるのに、とても綺麗好きなのですね」

 そう言ってグロムウェルはそのまま部屋の外に出ていった。

 最後に言われたその言葉が、晴也には何となく気恥ずかしく思えて、思わずベッドに倒れ込んだ。


    *


 体を拭いて汚れを落とした晴也は、グロムウェルに連れられて神殿の地下に作られた部屋に来ていた。

 あまり熱心に掃除をしていないのか、机の上などは埃が被っており、晴也は思わず咳き込んでしまった。

「不潔な場所で申し訳ありません。しかし、ここは神殿の中でも最上級の神官と司教であるわたくししか入ることのできない場所。その上、入るのにも王族の許可がいる場所故、中々手入れもできず、このような有様です」

 申し訳なさそうに頭を下げるグロムウェルに対して、晴也は気にしないように告げた。

 王族の許可がなければグロムウェルでも出入りできないような場所。きっとその許可はエルメリアが出したのだろう。しかし、そんな場所にある資料とは果たしてどんなものなのだろうか。

 地下に作られたその部屋には明かりがなく、ただ一つ、机の上に置かれた照明(ランプ)の明かりだけがその部屋を照らしていた。

「来たね、勇者シオタ」

 その明かりの横の机で、何かを読み耽っていたエルメリアとハーロゥが振り返る。エルメリアは掛けていた眼鏡を外し、目頭を押さえる仕種は酷く疲れているように見えた。凝り固まった首筋をほぐす様に肩に手をあてがいながら彼女は晴也へと近づく。

「まさか、こんな状況下でジルバと喧嘩するなんて思いもしなかったわ」

「喧嘩というか……まあ、必要なことだったですよ。俺にも、ジルバにも」

「殿方であるあなたはともかく、ジルバまで? ……やっぱり、騎士ってわからないわ」

 晴也の言葉にエルメリアは理解し難いと言わんばかりに表情を顰めた。

 エルメリアが一つ咳払いをする。すると、ハーロゥは先ほどまで読んでいた本を手に持ち、それを晴也に渡した。

「これは?」

 そんな質問に答えたのはグロムウェルだった。

「手記です。……亡き、ジェーン先代司教の」

「あのジェーンの悲劇で亡くなった方だよ。勇者様も知ってるでしょ?」

 さも当然のようにそう言われ、晴也は首を振った。そのことに「信じられない」と口に出し、呆れたようなエルメリアを余所に、グロムウェルが説明する。

「ジェーン司教は、わたくしがまだ見習いの神官だった頃から司教を務めていたお方です。それは良きお方で、病に苦しむ方のために寝ずの看護をし、悪夢に怯える子のためにいつも子守唄を口ずさむようなお方でした」

 ジェーンの様子を語るグロムウェルの様子はとても嬉しそうで、それを見ているだけで、ジェーンという人間が余程いい人だったのが伺えた。

「当時はエルシェ教とロジェンカ教の意見交換という名目で、実質的にエルダフィートと諸外国との交流がなされていました。その日も、ジェーン司教は意見交換のために、騎士と魔法使いを引き連れ、開催国へ向かっていたのです。しかし……」

 その先は、長い間を開けてもグロムウェルには口にできなかった。慕っている相手の死を口にするのは確かに辛いものだ。晴也はそれを、エルノアの死で理解した。それを理解してか否か、ハーロゥが続きを答えた。

「開催国に向かう道中、ジェーン司教と護衛の騎士と魔法使いが、何者かによって殺害されたんだ」

「調査した開催国は、事故と断定したみたいだけどね」

「穏やかじゃないな」

 開催国の調査で事故とされながら、ハーロゥは明確に殺害と口にした。それを、エルメリアは否定しなかった。それどころか、まるで開催国が下手人かのような物言いだ。

「その国が、殺したんですか?」

 そう訊ねるが、エルメリアは首を振った。

「不明。誰が、何故、どのようにして殺したのか、全くわからないの」

「だけど、誰かに殺されたと考えている?」

 その質問にはハーロゥが答えた。

「魔法の痕跡があったからね。我々の魔法技術は余所よりも高い。だから、余所がどれだけ隠蔽しようと、それを洗い出すことができる」

 そう語る彼は、酷く忌々し気だった。そこまで卓越した技術を持っていながら、殺害方法がわからなかったということは、彼にとっては敗北と同義なのかもしれない。例えそれが、自分の携わっていないことだったとしても。一方で、ジェーンの殺害はそれほど周到なものだったということに他ならない。

「その、ジェーンの悲劇っているのはわかった。けど、その人の手記と聖剣が、どう関係するんですか?」

「読めばわかるよ」

「……俺、文字読めない」

 そう口にすると、今度はグロムウェルまでもが信じられないとばかりに目を見開き驚いてみせた。

「……失礼しました。いや、普段から丁寧な言葉使いなので、しっかり教養のなされた方とばかり思っていたので」

 晴也にとって、自分が喋っている言葉は日本語だ。だというのに、それを聞いたこの世界の人間は、どういう訳かこの世界の言葉として聞こえるらしい。

 同じ音声言語で、文字だけが違うというのも考えたが、エルノアに少しだけ文字を教えてもらおうとしたとき、その文法がどちらかと言えば英語のようで、すぐに逃げ出したのを覚えている。

 何らかの力が、晴也の言葉をこの世界の言葉に翻訳しているということだろう。

「この手記は往年のもので、たぶん意見交流の際にジェーン司教が言おうとしていた考えが書かれてる」

 そう言いながら晴也の手から手記を手に持ったエルメリアは、それを開き何ページ目かを読み始めた。

「エルシェ教とロジェンカ教が信奉する神の差異。恐らくジェーン司教は、これについて往年は考えていた」

「あれ? でも、エルシェ教とロジェンカ教って、同じ神を信仰してるんじゃなかったっけ? 経典の翻訳で名前が違ってたりして、それが諍いの原因って聞ような……」

 聖剣を引き抜いたとき、エルノアから聞かされたことを必死に思い出しながらそう口にした。

「その通りです。我々エルシェ教は、経典に記載された神をエルシェンディカと訳したのです。一方で、ロジェンカ教の面々はその神を、ロジェンカと訳した」

「だが、ジェーン司教はその前提が違っていたって考えたようだ」

 前提が間違っている。そう口にされて、晴也はすぐにその答えを導き出した。そもそも晴也は物に神が宿るという八百万信仰が根付く日本社会で過ごしてきた。そのため、一神教よりも多神教のほうがより身近に感じ取れた。

「神が二人いるってこと?」

「鋭いね。ジェーン司教は、エルシェ教とロジェンカ教が同じ神を別の名前で信奉していたと考えるのを止め、それぞれが別々の神を信奉していたって考えたらしいの」

 確かにそれならば、神の名前をそれぞれが別々に翻訳した理由にもなる。しかし、二柱いる神のことを、翻訳者は一柱だけだと誤って翻訳したというのも、なんとも奇妙な話だ。

「最初にこれを見たとき、考えられないと思いましたよ。まさか、ジェーン司教がこんなことを考えていたなんて」

「まあ、閲覧を規制するのは当然だな。妄言としても異教とみなされかねなければ、事実だとしたらエルシェ教どころか、ロジェンカ教を土台に栄えた国の根幹が崩れることになる」

 そんなハーロゥの言葉から、どことなく手記に書かれていることが事実ではないと考えているのが滲んでいた。いや、ハーロゥだけではない。エルメリアもグロムウェルも、そこに書かれていることは間違っていると考えているのだろう。

 神はエルシェンディカただ一柱。生まれたときからそう教わり、信じ続けた彼らとっては、神がもう一柱いるという事実は、どうにも呑み込めないものらしい。

 一方の晴也は、手記に書かれていることを事実と認識していた。多神教の文化が根付いていた日本で育ったというのもあるが、それ以外にも晴也は明確な確信が晴也にはあった。

 一方で、やはり聞いてもそれが聖剣とどのように関わってくるのかはわからなかった。そんな晴也が抱く疑問を察したのか、本題に入らんとエルメリアが口を開いた。

「この手記には、聖剣が生まれた理由とその必然性について考察も書かれてたの。どうもジェーン司教は、神が二柱いないと聖剣は誕生し得なかったって考えてたみたい」

 聖剣が誕生しなかった。その言葉の意味を、晴也なりに考える。

 晴也が知る聖剣の力は、エルディンを塩に変換するというものだった。エルディンというのは神の力の一端。世界を創った神の力を、その御業の再現である魔法を使うために再利用している。

 神自身が、自らの力を打ち消すための力を作り上げた。そして、神は二柱いる。もう片方の神が同等同質の力を有していたとすれば、それに勝つために、剣を作ることはおかしなことではない。

「……戦うために、聖剣を作った?」

 凶悪とも言える能力が聖剣に宿っている理由が、それならば説明がつく。神を殺すためであるとすれば、それほどまでの能力を宿したエルレイクスを作った理由も納得がいく。世界を創るための道具ではなく、純粋なまでに殺す道具。聖剣というには物騒過ぎる代物だ。

 しかし、晴也のそんな考えとは裏腹に、ハーロゥが驚いてみせた。

「ああ、確かに聖剣の能力を鑑みれば、対神用の武器として鋳造されたとも考えられる。神が戦いとは盲点だったな」

「そうじゃないんですか?」

 晴也の中で神様というのは、様々な種類のものがある。その中には、戦争を司る神や、そもそも競い合うというもっと広義的な争いを司る神もいたように思える。しかし、一神教としては、神は全能であるが、それ故に争うという行為が結びつかないのだろう。歯向かう者はその全知全能性故に争いに至らない。全知により戦争は回避され、全能故に外敵は戦わずに潰すことができてしまう。彼らの中で神とは、そう言う存在だった。

「ジェーン司教のお考えはもっと穏やかです。神とその力を封じるための楔。それが聖剣であると考えたようです」

 殺すのではなく、動かないようにするための道具。しかし、そのどちらにしても、神がもう一柱の神に向ける兵器だということだ。

「まあ、長くなっちゃったけど、つまりジェーン司教の手記から読み取れるのはこう」

 そう言い一拍置いてから、エルメリアが自分達の考えを告げた。

「今の勇者様が聖剣を使えないのは、聖剣という物に対する認識があやふやになったからだと思うの」

「聖剣の認識?」

「そう! 今まで、すごい武器程度に聖剣のことを考えてたけど、聖槍の担い手と戦って、単なる武器以上の、それこそ神の如き力を振るうことができる物って認識に変わった。そこの具体性がなくなったから、聖剣が使えなくなったんじゃないかって考えたの」

 エルメリアの言っていることは、半分ほど正しかった。確かに、アースターと相対するまで、晴也の聖剣に対する認識は、すごい武器程度の物だった。言葉の上で、兵器として機能する武器という認識はあったが、それでも、実際にその様子を見せられると実感してしまう。聖槍は、その力を以て数万人という人間を一瞬で殺すことができる。恐らく、自分が握る聖剣も、似た力を有している。そんな風に、今までの認識が歪んだ。それは事実だ。

 一方で、その程度は歪んだというよりも、正されたというほうが正しいだろう。であれば、晴也が聖剣に触れられなくなった理由にはなり得ない。では何故、聖剣は晴也を拒んでいるのか。それこそ恐らく、晴也の認識の中にあるのだと感じていた。

「何はともあれ、一度聖剣を使った実験をしないことには、確認のしようもない。勇者シオタは、ひとまず聖剣が戦うための武器なのか、封印のための道具なのかだけは考えておけ。認識が重要なら、意味を強く理解すれば、また聖剣も使えるようになるはずだ」

 そんなハーロゥの言葉に全員が賛同すると、一同は地下室から出ていった。


    *


 神を殺す武器や神を封じる道具として認識しても、聖剣は晴也を認めなかった。

 単に晴也の認識力が甘いだけなのか、あるいはもっと別の要素が存在するのか。もしくは、エルメリア達の認識のように、神は一柱しかいないということなのか。

 空が夕暮れに染まる頃。その日はそれで終わった。

 一人、エルンティカに残った晴也は、湖の中心にそびえる塩の柱を眺めていた。

 そもそも、あの塩の柱は何なのか。聖剣の力によって生み出されたものだとすれば、柱になるほど濃密なエルディンを塩に変えたということだ。では、湖の底にはそれだけのものがあったということに他ならない。

 それだけのものを、聖剣が封じていた。もしくは、それだけのものを斬り殺し、その残骸が沈んでいるということか。どう考えたにしろ、聖剣は晴也を認めない。

「この下には、一体何がいるんだ」

 投げかけた言葉に返す者はいない。それでも、晴也の内側には確かな答えが返って来た。夢の中で聞こえた声だ。

「その下には、災厄の主が沈んでいる」

「災厄の、主?」

 物騒なものだ。晴也はエルンティカの底を覗き込むように顔を前に出す。しかし、夜にふけ始める空の明るさでは底を見ることは叶わず、蓋をしたような深淵の黒だけが広がっている。

「蓋というのは正しい。我が力を以て、その湖の底にアレを封じた。故に、常人に底を見通すことなどできはしない」

 声に出していない晴也の考えにすら反応する答えに、いい加減自分の頭がおかしくなったのではないかと混乱し始める。

 しかし、その声は紛れもなく晴也が今欲しい答えを告げる。それが夢か幻かは関係なかった。ただ一つ、その真相を訊ねた。

「どうして、今の俺に聖剣は使えない。聖剣は俺の何を認めないんだ」

 その問いに、声は即座に答える。

「どちらも貴様の問題だろう」

「俺の? それはどういう……」

 しかし、その問いに声が答えることはなかった。まるで夢から覚めたような冷ややかさに、晴也は思わず恥ずかしくなる。何を幻聴の言葉を真に受けているのか。それを誤魔化すように、地面に転がっていた意思をエルンティカへと蹴り飛ばす。

「足癖が悪いな」

 ふと、背後から声をかけられる。振り向くとそこにいるのはジルバだった。

「お前、もう大丈夫なのか?」

「流石に一日寝込めば、エルディンも十分に戻るさ」

 そう言いながら、ジルバは晴也の横にまで移動し、真似をするように足元に転がる石をエルンティカへと蹴り飛ばす。

「お前、人のこと言えんのかよ……」

「感傷に浸るくらい許せ。もう少しだけ、悼んでいたいんだ」

 そう言うと、ジルバは懐からあるものを取り出した。金色の糸で編まれた装飾品だった。宝石のようなものや動物の歯牙が通されたそれを見て、晴也は思わず言葉を零した。

「遺髪品」

 晴也の口からその単語が出たことにジルバは驚きながら、それを晴也へと見せる。

「知っていたのか。そう、エルノア様の遺髪から作った形見だ」

 グロムウェルに頼み、少ない物資の中から選りすぐりの物を選び仕立てて貰ったものだった。迷惑だろうとは思っていたが、それでも亡き主に対して、今できる最上のことをしてあげたかった。

「……お前はこれからどうするんだ」

 遺髪品を眺めながら、ジルバがそう訊ねる。遺髪品を通して空虚を望む瞳は、どこか虚ろに見えた。

「わからない。今の俺に何ができるのか、全くわからないんだ。だけど、やるべきことはわかってる」

「やるべきこと? それは?」

「勇者として、罪を償うことだ」

 それは、自らの過ちを許してもらうための償いではない。むしろ、愚かな自分を罰するための覚悟であった。

 晴也の瞳に灯る明かりは未だ小さい。しかし、彼の黒い瞳に移り込むその小さな明かりは、やがて大火とならんと確かに燃えていた。

 先日とは別人のようだ。単純だとジルバは笑いながらも、その単純さが少し羨ましかった。

「どうやって償うつもりなんだ」

「この国を守る。方法はわかんないし、できるかもわからない。だけど、エルノアさんに選ばれた勇者として、俺ができることはそれだけだ。エルノアさんを死なせてしまった俺ができる償いは、エルノアさんが望んでいたことを叶えることだけだと思うから」

「……そうか」

 立ち向かうことを決めた。今の晴也の言葉を聞けば、そのことが十分に伝わった。

 ならば、ジルバも立ち向かう必要がある。エルノアの死の罪は、決して晴也だけのものではない。

「なら、私はこの事態を招いた奴を探すとしよう」

「えっ?」

「エルノア様の死は確かに私達の罪だ。だが、その原因を作ったのはグライダムを含む王国を裏切った連中だ。そいつらを見つけ出す。私にはこの国を守れるだけの力がないからな。だから、エルノア様が守りたかった国を裏切り、犯した連中を捕まえる。それを、エルノア様への弔いにしよう」

 湖の向こうに幻視した死後の世界から目を離したジルバは、晴也のほうを見る。その瞳にも、覚悟の火が灯っていた。

 すると、ジルバは手に持っていた遺髪品を晴也に渡した。

「いいのか?」

「きっとお前が持っていたほうが、エルノア様も喜ぶだろう。だが、次は必ず守れ」

 念を押して晴也に遺髪品を手渡す。それを受け取った晴也は、それにエルノア様の影を見る。守りたいと思った少女の姿。自分を守った大切な人の勇姿。

 今度は、自分が守らなくてはいけない。晴也の覚悟の火はより大きくなり始めた。

「わかった。必ず守り、お前に返そう」

 そう言い、晴也は懐に遺髪品をしまい込む。そこで、自分の懐にエルノアへの贈り物があるのを思い出し、それを取り出した。

「……代わりと言っちゃなんだけど、これをお前に渡しとく」

 晴也の手からプレゼントの箱を受け取ったジルバは、それを開けて中身を見る。

「これは、海洋石の耳飾りか?」

「本当はエルノアさんにプレゼントするつもりだったんだ。けど、その前にああなったから渡せなくて……だからって訳じゃないけど、お前に持ってて欲しいんだ。これを返す時に、ちゃんとエルノアさんに渡せるように」

 晴也は遺髪品を見ながらそう語る。それと耳飾りを見たジルバは、耳飾りを付けているエルノアの姿を思い浮かべる。瞳の色に似た翡翠の海洋石を耳に付けたエルノアの姿に、思わずジルバは鼻の奥が痛んだ。

「見てみたかったものだ」

 嗚咽を堪えながら、ジルバは耳飾りを強く握った。


第四十三話を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。


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