第四十二話
神殿に辿り着いたのは、日が暮れる頃だった。
以前来た時とは様子が打って変わり、神殿には人が溢れ、中に入り切れない人々が、神殿の外に天幕を張って野営までしていた。
「この人達は?」
「メンティア領から避難してきた住民の一部です。ただ、神殿では面倒が見切れないほど人が多いので、順次シューエバッフ領や直轄領など、避難民の受け入れをしている場所に向かってもらっているんです」
グロムウェルの言葉を聞き、晴也は神殿に来るまでに何度かすれ違った馬車のことを思い出した。かなり速度を出して馬車を走らせていたが、きっと避難民の移動をしていたのだろう。
神殿から人が溢れている様子を見て、晴也はグリムシャニスの街のことを思い出した。まっすぐ進むことも難しいくらいに人が溢れた街。まるで、そこの人が全員この場所に集まったかのような人口密度。
これだけの人が神殿に来たということは、それだけ危機感を抱いたということだろう。無理もない。街のど真ん中でいきなり赤雷が走り、その近くで戦いが始まったのだ。
「信頼されてるんですね、神殿は」
多くの人が神殿に避難してきたということは、それだけ神殿が安全だと信頼されている証拠だった。
「ありがたいことです。しかし、悲しいことに我々は全ての人の面倒をみられる訳ではありません」
そう語ったグロムウェルは、どこか悲しそうな顔をしていた。
救いを求める者を全て救いたい。そう考えているのだろうか。これだけの信頼を受ければ、それに応えたいと考えるのは至極当然のことだろう。そして、それに応えられないことへ感じる悲痛さも、また当然のことだった。
求められることができない辛さ。それに晴也は共感を覚えた。一方で、自分はそれを放棄したのだと責める自分がいた。仕方なくできないのではなく、恐ろしくなって放棄した晴也に、それを共感する資格などない。
「どうかなさいましたか?」
「……いや、何でもないです」
心配そうに訊ねるグロムウェルに対して、晴也はそう返して神殿の中へ入ろうとする。
そんな晴也に、一人の男が掴みかかった。突然のことに、晴也はその手を払いのけようとしたが、男の顔を見たらそれはできなかった。何せ男は泣いていたのだ。
「お前っ、何後から来て神殿の中に入ろうとしてんだよ! 俺達、ずっと待ってるのに入れないんだぞ!」
男は泣きながらそう叫んだ。グロムウェルは慌てて男を晴也から引き剥がそうとするが、男の力は強く、弾き飛ばされたグロムウェルは地面に倒れてしまった。
「その格好、お前貴族だな!? お前らみたいな奴がいるから、俺達平民は神殿の外で過ごすことになったんだ! お前らがいなければッ、子供達は屋根のある場所でゆっくり休むことができるのに……どうして、お前らみたいな奴のために、子供達が辛い思いをしなくちゃいけないんだ!!」
衣服を強く引っ張られ、晴也と男の距離が縮まる。そんな男の後ろに、女性と子供が見えた。男の家族だろうか。子供は病を患っているのか、母親の腕の中でぐったりしている。
それを見た晴也には、男を引き剥がすことができなかった。何度も晴也に向けて罵声を浴びせる男は、家族のために全てを擲つ覚悟が宿っていた。そんな男を、晴也のような人間が否定することなどできるはずがない。
「――何をしている!」
一足先に神殿の中に入っていたジルバが、その様子を見て慌てて駆け寄った。
晴也に掴みかかった男をジルバは無理やり引き剥がす。尻餅をついた男に、女性が慌てて駆け寄る。
「お前ら、何をやっているのか理解しているのか」
脅すような低い声音を発しながら、ジルバは腰の剣に手をあてがって威嚇する。そんなジルバの様子に、女性が地面に座り込んで頼み込んだ。
「お願いします、せめて聖水だけでもいただけませんか? この子、昨日から熱病で魘されているんです」
女性の腕に抱かれる子供の顔色は赤く、視線もどこか虚ろだった。明らかに普通の状態ではない。それを見れば些かジルバとてたじろがずにはいかなかったが、それに答えたのは腰を抑えながら立ち上がったグロムウェルだった。
「……申し訳ありません。今、神殿には誰かに施せるほどの聖水がないのです」
「そんな」
「ふざけるなよッ。どうせ貴族達が自分達のために占有してるんだろ!? そんなことがまかり通っていいのかよ!」
そう叫ぶ男に対して、グロムウェルは酷く悲しそうに首を横に振る。
「戦時下において、神殿はある分だけの聖水を全て騎士団に提供しなくてはならないのです。ですので、現在は誰かに施せるだけの聖水が残っていないのです」
グロムウェルのその言葉を聞いた男は、それが真実であることを悟って項垂れた。女性も抱いた子供をあやす様に強く抱きしめ、涙を堪えるように俯く。
そんな様子の家族にジルバは近寄る。
「理由はどうあれ、暴力を働き自らの意見を相手にぶつけることは褒められた行為ではない。今回は貴様らの処断は見逃してやろう。次の馬車が来るまで、静かに過ごしていることだ」
そう言いながらジルバはしゃがみ込み、母親に抱かれた子供の懐に隠すように、聖水の入ったガラス瓶を入れた。
「誰にも見られないところで使え。特例は争いを生む」
「――ありがとうございますっ」
密やかにそんなやり取りが交わされ、家族一同はそそくさとその場を駆け去った。
そんな様子を眺めていた晴也を、ジルバは一瞥して告げた。
「いつまで呆けているんだ、中に入るぞ」
腰を抑えるグロムウェルに肩を貸しながら、ジルバは神殿の中へと入っていった。
強い人だ。エルノアという大切な人を失い、先の件であれほどまで消耗しながら、誰かのために行動することができる。エルノアの死とその責任、そして後悔に押しつぶされそうになる晴也には決してない強さだ。
羨ましい。そんな醜い感情が沸き上がるのを感じながら、晴也はジルバの後を追った。
*
神殿から自由に使って良いと、晴也が以前借りた部屋を再び借りることになった。
窓の外には神殿の中に入れず、野営をする人々が溢れている。だというのに、晴也は何もせずに神殿に、部屋まで借り受けている。
自分以上にこの部屋が必要な人はいるはずだ。そんな義憤がある一方で、この部屋を手放すことを躊躇っている自分がいた。
ベッドに倒れ込みながら、晴也は深い溜息を吐く。
一人になれる空間が欲しかった。自分の中で考えを整理できる場所が、今の晴也には必要だった。そう言う意味では、部屋が与えられたのはありがたかった。
自分を求めてくれたエルノアを死なせ、聖剣にすら拒まれ、それでも敵はエルダフィートに攻め入らんとしている。都合よく別の担い手が現れればいい。けど、きっとそうはならない。
体を起こした晴也は、再び聖剣に触れんとする。しかし、柄に指先が僅かに触れただけでも、その熱さに思わず手を引いてしまう。
「……何が原因なんだ」
明らかに聖剣から拒まれている。その事実に、晴也は思わずそう口にした。
潮田晴也という人間の特異性は、確かに聖剣を抜くに能うかもしれない。しかし、実際のところ晴也は勇者というには明らかに平凡すぎる。そう言う意味では、端から聖剣に認められるだけの資質がなかった。つまり、正常な反応をしていると言われればそれまでだ。
では、どうして今まで聖剣を扱うことができたのか。そんな疑問が新たに生まれる。
エルメリアとグロムウェルは、神殿内の資料を集めて原因を探ろうと画策しているらしい。
「……俺なんかで良いのかな」
再度吐いた溜息に混じらせながら、そんなことを零す。
自分が勇者に相応しくないことを晴也は何よりも自覚している。それ故に、そう思わずにはいられなかった。どうあれ時間も余裕もない現状では、晴也以外に候補となる人間を挙げることも難しいのは事実だ。それでも晴也は、できることならば勇者という責を他の誰かに託したかった。この国を救うことのできる、強く立派な人に、聖剣を担ってほしかった。
本当に皮肉だ。あれほどまでに聖剣の力を引き出さんと努力していた晴也が、今は聖剣を手放すことばかり考えている。
聖剣は晴也の価値そのものだ。しかし、そんな自己中心的な理由で聖剣を担うよりも、もっと国のために――あるいは誰かのために、身を投げ出せるような人間が担うべきなのだ。
考えれば考えるほどに、晴也は自責という沼に沈んでいく。着地するための地面を探して足をばたつかせるが、どれだけ考え探っても着地点は見つからない。どんどん深みへとはまっていく。
いっそのこと、国王に死刑でも言い渡されれば楽だったのかもしれない。それくらいの罰を誰かに課せられたほうが、どれほど楽なことか。
罪に対する責任の取り方――自らの罰し方がわからないことほど、苦痛なことはない。
思考する晴也は現実に浮かぶことなく、沈み埋まるように自らを責める。そうしている内に、夕日に染まっていた空にはいつの間にか星の明かりが煌めき出していた。
窓から肌寒い夜の風が入り込むのと同じ頃に、晴也のいた部屋の扉がノックされた。
「ジルバだ。少しいいか」
扉越しにそう言われ、晴也はベッドから立ち上がり扉を開けた。
そこにいたジルバは、着ていた黒袖の上着を脱ぎ、白襟に黒穿きという薄手の格好だった。そして、その手には二振りの木剣が握られていた。
「グロムウェル殿から借りてきた。少し、相手をしてくれないか」
「今からか? だがもう遅いし、体も冷えるぞ?」
「いいから、少し付き合え。腕が鈍ってないか見てやる」
そう言うとジルバは晴也に木剣の一振りを押し付けると、そのまま外へと歩き出した。
いきなりのことに断ることもできなかった晴也は、押し付けられた木剣の柄を握る。聖剣よりも軽い木剣の重さに、少し懐かしさを覚える。思えば、そんな木剣ですら最初は満足に振ることができなかったのだ。それが今や、鉄でできた剣や聖剣であれ、数回であればしっかり振るうことができるようになった。進歩と言ってもいいだろう。
「……仕方ないか」
ベッドの上に置いた聖剣を見る。今は少しだけ、聖剣から距離を置きたい。そう感じた晴也は、木剣を手に部屋の外に出た。
ジルバに着いていくと、神殿の裏手から外に出た。そのまま並木道をまっすぐ進んでいくと、見覚えのある建造物が見えた。
「塩の柱? それじゃあここは、エルンティカか」
「神殿からはエルンティカまでは真っ直ぐ道が伸びてるんだ。もっとも、普段は神聖な場だからとか言って通してくれないがな。こんな非常時で、監視の目が緩んでいる今くらいしか使えないさ」
そんな道を使っていたのかと、途端に悪いことをしている気になった晴也は、少しだけ歩幅が小さくなった。一方のジルバは、そんなこと気にもせずに先に進んでいく。徐々にジルバとの距離が離れて行くことに不安感を覚えた晴也は、駆け寄るようにジルバの後を追う。
「……ここでするのか?」
エルンティカのほとりにまで来ると、ジルバは木剣を片手に肩を動かし始めた。
「折角やるなら、少しいい場所でやりたいと思うのはおかしなことじゃないだろ」
呼吸を整え、全身の余分な緊張をほぐしてから、ジルバは木剣を構えた。それに応えるように、晴也も呼吸を整え、構える。
合図はない。互いの視線が絡み合うと、ふとジルバが仕掛けてくる瞬間を察することができる。それを把握すると、ジルバは踏み込んで剣を振るい、晴也はそれを受けの構えで待つ。
力強く木剣の刀身が衝突する。消耗しているはずのジルバだが、しかし叩きつけられたその一撃は、稽古をつけていたときよりも幾分も重いものだった。
想定以上の力に、晴也は思わず木剣を落としてしまう。そんな隙だらけになった晴也の体に、ジルバは木剣の切っ先を叩き込む。
強烈な一撃に、声の無い叫びを吐き出して倒れ込む。何度か咳き込み、突かれた箇所を擦りながら晴也はジルバを睨む。
「い、いきなり何すんだよっ」
「集中しないのが悪い。実戦だったら今ので死んでたぞ」
冷たく言い放つジルバの態度が晴也の癇に障った。すぐに立ち上がって晴也は、再び構えを取る。今度は決して落とさないように力強く柄を握る。
「来いっ」
晴也のその言葉に応え、ジルバは再び踏み込み、斬りかかる。それを木剣で受けて防いだ晴也は、間髪入れずにジルバへと斬りかかる。その攻撃は容易に弾かれ、再びジルバが斬りかかる。
三合、四合とその応酬が続くと、次第に晴也が押され始める。ジルバの攻撃を受けて対処する晴也は、攻撃の衝撃を全て受け止めてしまう。そのため、消耗が大きくなる。一方のジルバは、晴也の太刀筋を見切り、その勢いを受け止めるのではなく、受け流す様に木剣を弾いていた。攻撃の衝撃をなるべく受けないようにと立ち回るジルバは、晴也に比べて消耗が少ない。
七合目。振りかぶった晴也の攻撃に隙を見たジルバは、木剣を振るい、迫りくる晴也の木剣を高く弾き上げた。落とさないようにと木剣を強く握っていたため、落とすということはしなかったが、力強い衝撃に構えを崩され、隙だらけとなった晴也の胴体をジルバは力強く木剣を叩きつけた。
骨身を揺さぶるほどの猛烈な痛みに、思わず蹲ってしまう。
「どうした。全く集中できていないぞ」
「容赦……ないな、クソッ」
何時だったかの稽古のことを思い出しながら口の中の血を吐き出す。
晴也にはこの稽古が何を意味するのかわからない。それでも、先ほどまで頭の中を埋め尽くして沈み込んでいた気持ちが、今は目の前のジルバに向いて浮かび上がっているのがわかった。
どのようにしてジルバに一太刀浴びせることができるか。そんな考えが思考を加速させ、晴也に泥のようにまとわりつく重い自責のことを忘れることができていた。
「もう一度!」
再び構え直し、今度は晴也からジルバに斬りかかる。
一合、また一合と剣を交える度に、ジルバは晴也の成長を感じ取っていた。素人に毛が生えた程度の技術だ。称賛するようなことではない。それでも、ついこの間まで剣を握ったことすらない人間と思えば、晴也の太刀筋は考えられないほど鋭いものだった。
だからこそ許せなかった。何もせずに、恐怖と責務から逃げ出した晴也のことが。その癖、自分が被害者であるかのように苦しむ晴也のことが。
鋭く振るわれた晴也の突きを紙一重でかわす。そのまま一歩踏み込み、肘鉄を晴也の顔面に叩き込む。上体を起こした晴也の足元を払いそのまま地面に倒れさせる。
晴也が起き上がろうとしたときには、ジルバが目の前に木剣を突きつけていた。
あれから二本、三本と同じことを繰り返す。その全てにおいて、晴也はジルバから攻撃を受けていた。全身がジンジンと痛み、消耗を表すかのように全身が汗まみれになり、呼吸はひたすらに荒れていた。
一方のジルバも、消耗し始めたことを表す様に呼吸が目立ち始めていた。それでも、ジルバは自分から止めようと口にすることはなかった。
これはいわば八つ当たりなのだ。何もしなかった晴也への八つ当たり。エルノアを守ることができなかった自分への八つ当たり。残された者のことを考えずに逝ってしまったエルノアへの八つ当たり。
そんなことを、幾度とジルバの太刀を浴びた晴也は何となく理解していた。それ故に、晴也からも止めようと口に出すこともない。ジルバの怒りは正当なもので、それを受けるのは当然のことだった。しかし、だからこそ気に入らない。目の前にいる自分を見ずに、自分を見通した己の内側を叩きのめさんとするジルバに、晴也は苛立ちを覚えていた。
七度目の立ち合い。ジルバが先手を取る。
最初ほど鋭い太刀筋ではない。それでも、消耗している晴也には十分早いものだった。それを受けの構えで待っていた晴也は、どうにかジルバの攻撃を防ぐ。そして、連続してジルバが木剣を振るう。それを再び晴也が防ぐ。それが数度繰り返したところで、晴也が合間を縫ってジルバへと突進する。
突然のことに対処できなかったジルバは、晴也と共に地面に転がりながら、再び距離を取り、木剣を構える。
「――ラァッ」
叫びながら晴也が木剣を振るう。力強く振るわれたそれは、斬撃としては二流の鈍いものだった。しかし、勢いという意味では消耗していたジルバには十分効果的で、ジルバの手から木剣を落とさせた。
「これでどうだッ!」
木剣を失くしたジルバに対して、晴也が木剣を振り下ろす。全力で振り下ろされるそれを見切ったジルバは、紙一重で間合いの外に出てかわす。そして、斬撃を空ぶった晴也の顔面に回し蹴りを打ち込む。
強烈な一撃に叩き込まれた晴也は、そのまま宙を舞い、地面に倒れ込みしばらく動けなかった。
晴也からは確かな成長を感じ取れた。少なくともついこの間までの晴也では、消耗しているジルバの木剣すら叩き落とすことができなかっただろう。今はそれができるくらいには成長し、躊躇いを失くしていた。
人を攻撃する躊躇い。晴也を最初に苦しめていたのはそれだった。それを脱した今の晴也は、最初の頃よりも幾分も逞しくみえた。
「――何故だッ」
だからこそ、叫ばずにはいられない。
「今のお前は、ここまでできた! なのになんで、あの時何もしなかったんだ!」
例えジルバに勝てたとしても、聖槍の担い手アースターやグライダムに勝てる訳ではない。しかし、それでも立ち向かうことはできたはずだ。今の晴也に聖剣を合わせれば、間違いなくそれはできた。
ジルバの叫びに、晴也は答えない。答えられないというのが事実だが、例えそうでなくても、ジルバが納得するだけの答えを晴也は出せなかっただろう。
晴也はアースターに感じたのは紛れもない恐怖だ。死を確定させるほどの圧倒的な力。それを自在に振るうことを認められたという事実。それらが晴也を絶望させた。腕を下ろさせ、足を折らせた。
「お前があそこで立ち向かっていればっ、エルノア様は死ななかった! お前が臆病風に吹かれなければ!」
もはや晴也は戦えない人間ではない。剣を持ち、振るうことのできる人間なのだ。ならばこそ、それができる人間の責務として、そうでないエルノアを守らなくてはならなかった。
いや、そんな建前などジルバにはどうでもいい。力を持ち、選ばれた晴也がへたっていたことがジルバは気に食わないのだ。あの場で、少なくとも自分の力で立ち、聖槍の力を聖剣で散らしているだけでも、結果は変わったはずなのだ。それを怠った晴也が、ジルバは嫌でしょうがなかった。
「第一! 私はお前のことが最初から気に食わなかった! 勇者というにはあまりに平凡で、そんな男が異世界から来ただと? 笑わせるなよっ。そんなこと、誰も信じやしない。お前はエルノア様がいたからここまでやってこれたんだ! お前はそんな大事な人を見捨てた!」
ジルバのその叫びは、紛れもない本心だった。
彼女は最初から、晴也の言葉を何一つとして信じていない。ジルバが晴也を信じたのは、エルノアが晴也を信じたからだった。しかし、そんな信頼を裏切った。そのことが許せなかった。例え、エルノアが死ぬまで晴也のことを信じていようと、そのことだけは許し難い。
晴也の心を突き刺すそれらの叫びは、次第に晴也から冷静さを奪い取っていった。
「好き勝手言いやがって……っ」
ジルバの怒りはもっともだ。しかし、それを全て受け止められるほど、晴也の懐は大きくない。
ふらつく頭を押さえながら立ち上がり、ジルバに応じるように晴也も叫ぶ。
「ああそうだよ! 俺は勇者に相応しくない凡人だ。だからこそ、あいつは恐ろしいんだよ! 人を一瞬でかき消すような力を目の前で突きつけられて、怯えない訳ないだろ!? 俺は普通の人なんだよ! 勇者なんて肩書が見合うような男じゃないんだ!」
目の前で拳銃を突きつけられれば、晴也は冷静でいられないだろう。だというのに、目の前で戦闘ヘリが砲身を回転運動させて待ち構えていれば、絶望して立ち尽くすのは当然の反応だ。
それくらい普通の人間だ。そんな人間に、聖剣に選ばれたから勇者としての責務を果たせとは、無責任な物言いが過ぎる。例え聖剣に選ばれ、力を得て勇者と認められようと、晴也はどこまで行っても普通の高校生に過ぎない。
「それでも、エルノア様はお前を選び、聖剣はお前を認めていたんだ!」
叫びながらジルバが斬りかかる。
「勝手な事ばかり言うなよ! どれだけ誰かに認められたって、俺にできることなんてたかが知れてるんだ!」
ジルバの木剣を防ぎながら、晴也が叫び返す。
そこから先の戦いは、もはや立ち合いというにはあまりに泥臭い、喧嘩だった。
エルノアが選んだのだから責務を果たせと訴えるジルバ。どれだけ求められようと凡人であるために無理だと説く晴也。二人の意見は平行線だった。
そんな主張とは裏腹に、ジルバは何も出来なかった自分に。晴也は責務から逃げ出した自分を相手に投影し、木剣を振るい合っていた。
お互いが自分の意見を通さんとしている訳ではない。ただ、互いに自分の考えを共有し、その着地点を泥沼の中から見つけ出そうともがいているだけだった。
「――そうだよっ、俺は逃げ出したんだ! どうしようもなく怖い相手を前にすることが、俺には重すぎるって思って逃げ出したんだ!」
晴也が逃げ出したことを認める。勇者として聖人と相対するということの重さは、晴也には耐えられなかったから放り出した。そのためにエルノアは死んだ。
「あの時、私は何も出来なかった! だけど対策はできたはずだった! 危険な場所に、エルノア様を連れて行かないことだってできたのに……っ」
ジルバは自らに怠慢があったと口にする。あの場で何もできなかった自らの力不足以前に、エルノアを危険な場所に連れて行ったことが間違いだった。近衛騎士であるのなら、そう言う場所に連れて行かないことこそが、最善の選択だったというのに。
無茶苦茶に木剣を振るい合っていた二人は、何時しか木剣も握れないほどに疲弊していた。地面に落とした木剣を拾うことなく、二人はまるで鏡合わせのように、同じタイミングで地面に倒れた。
冷ややかな土の感触が、熱を怯える体を冷やしていく。
既に空は夜に染まり、満天の星空がかすかな明かりを瞬かせていた。いつかエルノアと見た星空を思い出した晴也は、ジルバに声をかけた。
「なあ、聞いていいか」
「……なんだ」
「お前、エルノアさんが俺を勇者に選んだって言っただろ。それ、どういう意味なんだ」
ジルバの口から何度か聞こえたその言葉の意味を、晴也は正確に理解できていなかった。晴也が勇者になったのは聖剣を引き抜いた結果論だ。そこにエルノアの意図が介在する余地はなかったはずだ。
そんな晴也に質問に、ジルバは呆れたように溜息を吐く。
「お前、わかってなかったのか」
「……悪かったな」
酷く疲れたような声のジルバは、無理に笑って見せた。なんとも愚鈍な男だ。こんな男、本当に選んだ価値があるのかと、ジルバは亡き主に訊ねたくなった。
「確かに、お前が勇者になったのは、聖剣を引き抜いた結果論だ。だが、結果論で語る勇者は、エルダフィートとしてのものだ」
「はあ」
本当に鈍い男だ。ここまで言えばわかるであろうに。
全てを説明する気恥ずかしさを呑み込みながら、ジルバは説明する。
「エルノア様はお前を本当に頼りにしていたんだ。王女としてではなく、少女としてのエルノアを見続け、そんな素の彼女の力になりたいと語るお前に、あの人は惹かれたんだ。だから、エルノア様にとってお前は勇者様なんだ。自分を助けてくれる勇者。自分が助けたいと思える勇者」
晴也が見上げる星空は、いつの間にか歪み滲んでいた。
自分は選ばれていた。聖剣を引き抜いたから勇者になったのではなく、晴也だからこそ、勇者に選ばれた。勇者の晴也が必要なのではなく、晴也自身を必要としてくれた。
そのことがとても嬉しく、そしてそれを理解していなかったことが悔しかった。
聖剣に選ばれた勇者なんて責務などよりももっと重い。それでも、その責務以上に、自分が背負い、果たさなくてはいけないものだった。
晴也の口からは嗚咽と誰かに向けた謝罪の言葉が漏れていた。何度も繰り返されるそれは、夜の闇に掻き消える。その想いを届けることは、もはや決して叶わない。
第四十二話を読んでいただきありがとうございます。
次話もよろしくお願いします。




