第四十一話
ヴァーテインが放った魔法剣は、晴也達とは全く別の方向へと放たれた。
助かったことへの安堵と、不可解な事態への混乱が晴也を襲い、少しの間だけ呆けてしまった。
「大丈夫? 勇者様」
放たれた魔法剣によって痛いほど荒れた風の中、少女の声が響いた。
「エルメリアさんと、グロムウェルさん?」
そこにいたのはエルノアの妹であるエルメリアと、神殿の司教であるグロムウェルだった。
「お久しぶりです、勇者様。突然のことで戸惑われるかもしれませんが、わたくし共はあなた様の味方でございます」
「味方?」
「そう。アタシ達はあなたの味方。詳しく説明したいけど、ごめんなさい。流石にゆっくりしていられるほど、アタシも魔法を維持してられない」
そう言いながらエルメリアの顔には汗が浮いていた。脂汗だ。余程無理をしてヴァーテインに攻撃を外させたのだろう。
咄嗟にそれができるほどの技能と行動力。確かに、彼女は晴也が思っていた以上に優秀な人間らしい。
「ジルバ、行けるか」
「……ああ、エルディンの巡りも少しはマシになった。戦闘は無理だが、歩くくらいならいける」
晴也の横で地面に座り込んでいたジルバが立ち上がる。ふらついた様子を見るに、やはり水の階の行使はかなり無理があったのだろう。晴也は自分の肩を貸し、ジルバを支えながら歩き始めた。
「すまない」
「別に。弱ってる奴を見逃せるほど、冷徹なつもりはない……」
自分の言った言葉が、晴也はなんとも白々しく聞こえた。
一番自分を頼ってくれたエルノアの力になれず、守るべきときにそれを放棄した自分が口にする言葉とは思えなかった。
ヴァーテインに気付かれないようにその場を去り、しばらく進むと、そこには馬車と御者台に乗ったハーロゥがいた。
「勇者シオタ。ちょっと目を離した隙に随分な目に遭ってるようだな」
晴也に向けて片手を挙げると、ハーロゥはそんな軽口を叩いた。軽く責めるようなその言葉は、自罰的な晴也の心理を少しだけ和らげるようだった。
「ハーロゥ殿、行ってください」
全員が馬車に乗り込むとグロムウェルがそう告げる。するとハーロゥは手綱を握り、馬を進め始めた。
痛いほど強く吹き付けていた風が、次第に止んでいく。これほどまで自然に大きな影響を与えることを、魔法を用いれば個人で行うことができる。人一人の意思で自在に行使できるそれを、しかし晴也は怯えなかった。
確かに、ヴァーテインが使った魔法剣は恐ろしい。晴也の知っている個人の力を超越していると言ってもいい。しかし、晴也が真に恐ろしいと感じるのは、神の力を与えられた個人のほうだった。
突きつけられた赤い稲妻は、晴也の肉体や精神と言ったものを焼き焦がし、魂までも消し去る。そんな幻視を晴也に与えるほどに鮮烈で、その力を前に自分が如何に矮小な存在かを思い知らされた。
あれは人が立ち向かうようなものではない。あれを振るうことを許されるなど人の世にあってはならない。
晴也が感じたアースターとの差。神器の名を知るか否かとはすなわち、神の名代として、神の力を人の身で振るう許しを得たか否かだ。その名を呼び、神器を振るえば、それは人の行いではなく神の所業とみなされる。その差が、晴也を絶望させた。
物語の主人公であれば、危機に応じるように覚醒を果たすだろう。しかし、晴也は物語の主人公などではない。聖剣の使い方を知ったときのような偶然は、決して起きないのだ。
「それで、エルメリア殿下とグロムウェル殿。それから、ハーロゥ所長は、どうして我々の味方をするのですか?」
ひと時の平穏を得たジルバが、肩の力を抜くついでにと三人にそう訊ねた。それに答えたのはエルメリアだった。
「……お姉さまのこと、聞いたよ」
ポツリと呟いたエルメリアの言葉は、晴也の心に重く暗いモノを叩きつけた。
肉親の死。晴也は未だそれを経験したことがないが、少なくともエルメリアのような少女が経験するようなことでもない。ましては、姉の死など経験するのはまだ先のことのはずだった。
それも自分のせいだ。晴也は沼のように重く澱んだ後悔が心を沈めていく。
「姉の死に思うことは色々あるけど、今はそんなことに割けるだけの余裕がエルダフィートにはない」
「そんなこと? エルメリアさんは、お姉さんの死をそんなことって言うのか!?」
そう反応してから、晴也は自分が過敏な反応をしていると自覚した。エルメリアの言うことも冷静に考えれば当然のことなのだ。個人の死を悼んでいる余裕など、戦争を目前とした現状ある訳がない。ここで気を緩めれば、その瞬間もっと大勢の人が傷つくのだ。そんなこと、エルノアが許すはずがない。
「……ごめん」
掴みかかりかけた晴也は、出しかけた手を引っ込めながらそう述べる。
「エルダフィートには個人を悼んでいる余裕すらない。それはつまり、個人の感覚を優先している余裕がないってこと。そんな状況下で、お父さまは父親であることを優先してしまった。王としてあるまじきことにね」
「別に、間違ったことじゃない」
「間違いでないことが、正しい訳じゃない。エルダフィートがガグランダと戦う上で、聖剣を担う勇者は必要不可欠。勇者として確かに運用できるシオタさんがいるのに、わざわざあなたから聖剣を取り上げる必要なんてないの。そもそも、別の担い手を探しているだけの余裕だってない」
エルメリアの言葉は、どこまでエルダフィート王国という国家を守るための意見だった。
彼女の言葉を聞いていくと、次第にかつてエルノアが言ったことが晴也に染み渡る。確かに彼女は、王として生まれた人間なのかもしれない。エルノアには感じなかった、エルガンダと同じ人並外れた超然とした雰囲気が、今のエルメリアには宿っていた。
「アタシはこの国のために、勇者シオタの味方をする。それが、この国のためにアタシができる最善手だから」
彼女の言葉は、どこまでもそうすべきだからという機械的なものだった。しかし、その声に滲むものには、紛れもない覚悟があった。何せ彼女のこの行動は、偉大な父の言葉に背き、たもとを分かつことを意味している。
大きすぎる。幼く小さなエルメリアが背負うには、あまりにも大きく重すぎる覚悟だ。
自分よりも年下のエルメリアがそれほどのものを背負おうとしているのに、自分の背中には、一体どれほどのものがあるのか。晴也には思わず目を閉じてしまった。
「なるほど、事情はわかりました。……それで、我々は今どこに向かっているのでしょうか?」
ジルバは馬車の進む先を訊ねる。自分のしたことは王国への反逆であることをジルバは把握している。それ故に、どこに行こうと追われる身なのは明らかだった。しかし、ハーロゥが進める馬車は、まるで端から目的があるかのように一直線にひた走っていた。
「神殿ですよ、ジルバ殿」
答えたのはグロムウェルだった。
「神殿? そんな重要施設、すぐに向こうに抑えられるんじゃ……」
ジルバのその言葉にグロムウェルは首を横に振り否定してから答える。
「確かに、王国にとって神殿は重要施設です。それ故に、避難先の一つとして開放されています。そのため今の神殿は、メンティア領から避難してきた住民の多くがいます。そんな場所で騒ぎを起こして、民を不安がらせることなどしないでしょう」
「黒は陰に溶ける。昔の人もそう言ってるしね」
エルダフィートのことわざを持ち出しながら、エルメリアはそう付け足した。木を隠すなら、と言ったことわざと同じような意味だろうと晴也は思いながら、閉じていた瞳を開けた。
「……少しいいか」
「何だよ」
ジルバに話しかけられ、晴也は彼女のほうを見る。
「いや、さっきのことだ。クレイメンティ――ヴァーテインが来た時、お前聖剣を抜こうとして抜かなかっただろう。その理由が知りたかったんだ」
そう言われて、晴也は手に抱えていた聖剣を見た。
晴也にとって聖剣は、他の剣と同じような感覚で触れることができた。しかし、あの瞬間、聖剣を引き抜こうと柄に触れた瞬間、燃えるような熱に思わず手を放してしまった。
試しに、晴也はもう一度聖剣の柄に触れてみる。
「――っ」
しかし、先ほどと同じように猛烈な熱によって触れることはできない。そんな晴也の態度を見て、全員が驚く。
「もしかして、握れないのか。聖剣を」
ジルバのその言葉に、晴也は頷いてみせた。それを見たグロムウェルは「信じられない」と口にしてから続ける。
「まさか。エルレイクスが一度担い手として認めた人間を拒むなど……」
「俺は、本当に聖剣に認められたのかな」
グロムウェルの言葉に、思わず晴也はそう口にしてしまった。
「どういうことだ?」
「いや、聖槍の担い手と戦ったとき、あいつ聖槍の名前を呼んでたんだ。グレングルムって言ってたかな。選ばれると、たぶんエルレイクスの名前がわかるようになるんだと思う。けど、俺は聖剣の名前を知らない」
それはつまり、聖剣に選ばれていないということではないのか。晴也はそう考えていた。事実、今の晴也は聖剣を握ることもできなくなっている。
「いや、そうだとしても、この前まで聖剣の力を使うことができただろう。選ばれたのは確かなはずだ」
「そうです。他の者には触れる事すらできなかった聖剣を、塩の柱から引き抜いた。シオタ様こそ、聖剣に選ばれた勇者なのです」
ジルバとグロムウェルがそう口にする。しかし、それを認めるには些か理由が弱かった。どうして自分が聖剣に選ばれたのか。選ばれていないとしたら、それなのにどうして聖剣を引き抜け、力が使えたのか。そんな疑問が、晴也の中に残る。
「いや、そんなことよりも重要なことがあるだろ」
御者台のハーロゥの言葉に続けて、エルメリアが口にする。
「どうすれば、再びシオタさんが聖剣を使えるようになるのか。目下、それが我々の最大の課題です」
馬車の中は、重苦しい沈黙に埋め尽くされていた。
自分が求められている。それは少し前の晴也が求めていたことのはずだった。だというのに、今はそんな期待が重かった。
*
住民の避難が完了したグリムシャニスは、都市としての機能を停止し、現在では騎士達の前線基地として機能していた。
街の中に本部として設営された天幕の中に、第三騎士団団長のノイエルは苛立ちを隠さずにいた。
「何故奴らは攻めてこないッ」
彼が苛立っているのは、ただそれだけが理由だった。
グリムシャニスより打ちあがった赤雷。それによって混乱したメンティア領をどうにか治め、避難誘導を果たした彼の次の仕事は、騎士として攻め入ってくる敵を食い止めることだった。
意気軒昂。腰に佩いた剣の鋭さは今すぐに鞘滑りを起こして彼の剣技の冴えを表さんばかりだった。しかし、ガグランダの手勢は国境を越えようとせず、ギリギリのところで隊列をなして立ち止まっていた。
さながら王国に対して威嚇しているかのような様子が、ノイエルをより苛立たせていた。
「いっそのこと、大規模の破壊魔法を放ってしまえれば早いのだが……」
「それはいけない、クーラレーン・クロローシュ。そうすれば、ガグランダ側に大義名分ができてしまう」
ノイエルしかいなかった天幕の中に、別の誰かの声が響いた。出入り口のほうを見ると、そこには第五騎士団長のノルートルの姿があった。
「貴様か、クーラレーン・ヴァイシア。何の用だ」
彼の持ち場は西部監視塔として、王都防衛の最前線であったはずだ。そんな彼がこの場に現れたことに、ノイエルは疑問と苛立ちを覚えた。
ノイエルにとって最前線はエルガンダによって与えられた誉れある仕事だ。それを、目の前の男に邪魔されることなど、あってはならないことなのだ。
「緊急の伝令だ」
「伝令? そんなもの、下っ端の騎士を使わせればいいだけの話だろう」
ますますおかしな話だ。怪訝に表情を歪めたノイエルだが、ノルートルの表情を見れば、ただ事でないことが伺えた。
「……緊急というぐらいだ。早く内容を話せ」
そう急かすと、ノルートルは僅かに躊躇うように口元を強張らせた。そんな緊張を呑み込むように一度唾を呑み込むと、彼はノイエルに告げた。
「第二騎士団団長、グライダム・バルトスと財務大臣のザーリィ・エルドーンが裏切り者と判明した。現在、ザーリィは王城地下の牢獄に拘束している。グライダムは、王国内部に潜伏していた聖人、アースター・ヴァインと共に姿をくらましている」
グライダムの裏切りは、半ば想像できていたことだった。故に、そのことにノイエルは一切の驚きはなかった。驚いたのは、財務大臣のザーリィが裏切っていたことだった。誠実とは言い難い男で、金銭に関わることに関しては真摯に打ち込む、言い方は悪いが変人だ。しかし、そう言った偏りのある人間であったために、裏切りはないという信用のようなものがノイエルの中にあった。そんな男が裏切っていた。その事実に、ノイエルは思わず天を仰ぐ。
「それだけじゃない。エルガンダ陛下によると、どうやらオーセム・スーリロム侯爵にも、裏切りに加担している可能性があると口にしていた」
「スーリロム侯爵が? ありえんだろう」
南部監視塔騎士が起こした隧道建設。それによって最も被害を受けるのはスーリロム領だ。過激派と噂される彼だが、実際は犯罪率の少ない領地運営ができるほどの手腕を有している。そこまでの土地を育てた彼が、自らの土地を外国に土足で踏み荒らされるような真似をするとはノイエルには思えなかった。
「しかし、先の騒動で、侯爵の中で唯一オーセムだけが初期対応に応じなかった。その日、グリムシャニスで他の侯爵と会談をしていたにも関わらずだ。その上、今彼の動向は掴めていない」
確かに、疑うだけの要素はある。信じ難いとノイエルは何度も口にしながら、机の上に手をついた。
「現在、各騎士団に両名に対する捕縛命令が出されている」
そこまでの命令を出すということは、エルガンダが半ば確信していることをノイエルは察する。そこまでの命令が出されているというのなら、もはや自分が煩悶することではないと、呼吸を整えて返答する。
「了解した。他にはこちらから伝えよう。他には? 何かあるか」
そう訊ねると、ノルートルが少しだけ黙る。そして、ノイエルに耳打ちするような小さな声で告げた。
「エルノア殿下が戦死した」
「――はっ?」
ノイエルの中で、未だ戦争は始まってはいなかった。ガグランダの手勢は国境のギリギリで隊列を組みエルダフィートを牽制するばかり。王国内にいる聖人や裏切り者は、グリムシャニスで起きた赤雷以外に大々的な動きを見せていない。
だというのに、戦士した。しかも、王族であるエルノアが。
告げられた事実と認識している現実が噛み合わず、ノイエルの頭はごちゃごちゃと混濁し始めていた。
「グリムシャニスで起こった赤雷。あれは、聖人と勇者シオタとの戦闘であったことが確認された。そこで、勇者は聖人の力に倒れ、代わりにエルノア殿下が無理をおして聖剣を担い、どうにか聖人を撃退。……結果、エルノア殿下は命を落とされた」
「なんてことだ」
ふらりと倒れそうになるノイエル。まさか先の赤雷が、そのような事態を招いていたとは露ほども思わなかった。
「それで、勇者はどうなんだ? 無事なんだろうな?」
エルノアの死はノイエルを揺さぶるほどの強い衝撃を与えた。しかし、騎士団長としての剛健なる精神がすぐに思考を調律し冷静さを取り戻させていた。
聖人との戦闘で倒れたとしても、それは勇者であったためだ。もし、その場に勇者がいなければ、倒れたなどという言葉は使えず、消滅や消息不明という言葉で片付けるしかなくなってしまう。
「……現在、エルガンダ陛下は勇者シオタから聖剣を返還させた。その後、エルノア殿下の近衛騎士ジルバによって強奪され、勇者シオタ共に逃亡している。恐らく、エルメリア殿下が関わっていると考えられる」
「ちょっと待て、事態が動き過ぎてついていけない。勇者から聖剣を返還させた? それを近衛騎士が強奪? あまつさえエルメリア殿下が共謀してる? 意味がわからない……」
何より意味がわからないのは、この段階で勇者から聖剣を取り上げたエルガンダの考えだった。ノイエルから見ても晴也は勇者としての資質を感じられない平凡な男に見えた。それでも、聖剣を塩の柱から引き抜き、聖剣の力すらも引き出した功績は紛れもなく勇者と言えるだろう。そんな男から聖剣を取り上げ、次の担い手を探す余裕が、戦時下のエルダフィートにある訳がないことくらい、誰が考えても理解できることだ。そんな無理筋を、エルガンダが選択したことがわからなかった。
そう言う意味では、ジルバの判断は正しい。しかし、それを報告したノルートルを見るに、恐らくそれは、反逆と捉えられているのだろう。
「彼らへの捕縛命令も出ている、ということか」
ノイエルの言葉に、ノルートルは首肯した。
ガグランダとの戦いが控えているというのに、王国も奇妙な事態になっているとノイエルは思わず溜息をついてしまった。
「……それと、このことは他の騎士には内密に頼む」
「当然だ。こんなことを今伝えたら、士気の低下に繋がりかねん」
王女の死と、勇者の反逆。未だガグランダと戦ってもいないのに、エルダフィートは次第に敗戦へと近づいているように感じた。
次第に響く滅亡への足音は、ノイエルとノルートルの背筋を凍らせるのだった。
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