第四十話
謁見の間を後にしたジルバは、その後聖剣がどこに保管されるのかを探っていた。
聖剣はエルレイクス――神器なのだ。単なる武具として収納されるのではなく、最上の宝物として保管されることはわかりきっていた。となれば、単に国庫に入れるのではなく、もっと別の場所に安置するだろうとジルバは考えていた。
その考えは正しく、カーマルは聖剣を国庫に入れることはせず、別の場所へと向かっていった。向かった先は地下だ。城の地下にあるのは、重罪人を繋いでおくための牢獄だけではなく、王族や大臣が避難するための隠し通路や、魔法研究所が設立される前に使われていた古い研究施設があった。
カーマルが向かったのは、その古い研究施設の一角だった。
封鎖されたはずの研究施設は、しかししっかりと手入れがなされ、埃一つない状態が維持されていた。魔法によるものかとも考えたが、エルディンの起こりや術式が施されている気配はない。人の手によって手入れされている。
通路をしばらく道なりに進んでいくと、現状な錠が掛けられた扉があった。カーマルはその錠を、物理的な鍵と魔法によって開錠し、扉を開ける。
そこは旧研究班が、研究資材を保管しておくために使っていた保管庫だった。危険物の取扱もあったらしく、この部屋は異様に頑丈に作られているらしい。
確かに、ここなら生半可な攻撃で損壊しない上、侵入することも難しい。聖剣のような最重要物の保管にはうってつけの場所だろう。
部屋の奥の棚の中に、聖水に浸した布に包まれた聖剣を収めたカーマルは、そのまま部屋を後にしようとする。
今回は場所の把握だけに留めようと思っていたジルバだが、場所がこことなるとそうはいかない。外部から侵入するのはかなり難しいここから、聖剣を奪取するとなれば、今しか時機はなかった。
ジルバが物陰から現れる。その姿を見たカーマルは目を細めるようにして確かめる。
「ファーディン・マグラーン。何故ここにいる」
落ち着いた声音だが、揺れる瞳が動揺を表していた。
カーマルの言葉に答えることなく、ジルバは姿勢を低くして近寄る。目にもとまらぬ速さで接近されたカーマルは、離れるように後ずさろうとしたが、それよりも早く、ジルバの掌底がカーマルの鳩尾に突き刺さる。
「――ッ」
声にならない声を上げたカーマルは、そのままジルバにもたれかかるように倒れる。
「……すみません、カーマル閣下」
意識の無いカーマルにそう耳打ちしたジルバは、カーマルをその場に横たわらせる。そして、聖剣がしまわれている棚を開き、そこから聖剣を取り出す。
今、この時機に聖剣が晴也から離れるのはエルダフィートとしても事態を悪化させるだろう。何より、晴也の手から聖剣が無くなることは、エルノアが望まない。
ジルバは自分が愚かなことをしている自覚があった。しかし、愚かな行為に走らなければ、ジルバは亡き主への忠義すら果たせなくなってしまう。
腰の帯に聖剣を括り、ジルバはそのままその場を後にする。地下から出てきたジルバは、晴也の元へと走る。
「――ジルバ」
そんなとき、目の前に現れたのはシャーンだった。
目の前に立ちふさがるように現れたシャーンに、ジルバは舌打ちを一つ打ってから足を止めた。
「なんだ、シャーン。私は今急いでいるんだが」
「アタシも忙しいよ。だけど、あなたには聞かなくちゃいけないことがあるから」
剣呑とした雰囲気のシャーンに、ジルバは警戒する。まるで今すぐにでも殴り掛かってきそうな雰囲気に、普段のシャーンとは明らかに違っていた。
「団長が……グライダム団長が、裏切っていたっていうのはホント?」
彼女にそれを訊ねられるのは当然であった。何せグライダムは、彼女の直属の上司なのだ。そんな人間が裏切っていたという事実を、当事者とも言えるジルバに確認したくなるのは、当然の心理だった。
「……その通りだ。グライダムはエルダフィート内に潜入していた聖人、アースターと結託し、勇者シオタを追い詰め、そしてエルノア様を亡き者にした」
その事実をシャーンに告げるのは辛かった。何せ、彼女がグライダムを慕っていることをジルバは良く知っていた。尊敬する相手が裏切っていたなどという事実、信じられないだろう。
「そう、そうなの。……そういう、こと」
俯いたシャーンは、延々と「そう」と繰り返していた。その様子は不気味で、普段の華やかなシャーンの印象とは正反対の、陰惨とした印象を与えた。
「シャーン、大丈夫か?」
慰めようとシャーンの肩に手を伸ばしたところに、強烈な熱が熾る。炎だ。まるで花が咲いたかのように燃える炎が、ジルバの手を焦がす。
「――ッ」
唐突なことに、ジルバの行動は一歩遅れた。慌てて後方に下がり、自らの手を焦がす炎を、魔法の水によって消化する。
今の炎はシャーンの魔法だった。相手に植えつけるようにフィグマを起こす。誰が言ったか花炎の女騎士。
「何のつもりだ、シャーン」
シャーンがジルバに対して魔法を放った。それは明らかな敵対行為であった。その事実に、ジルバはエルディンを起こし、何時でも戦えるよう準備を始めた。
「ジルバ。あなたは本物の騎士だと思ってた。エルノア様の近衛騎士として、立派に務めを果たしていると思ってた。……なのに、あなたも騎士としての役目を放棄したんだ」
そう語るシャーンの様子は、明らかに普通ではなかった。まるで、何者かに操られているかのように譫言を口にし、あまつさえ剣すら抜いてみせた。
「やめろシャーン! 正気に戻れ!」
同じように腰から剣を抜きそう呼びかけるジルバ。しかし、シャーンの頭は冷ややかなほど冷静だった。どうやってグライダムを裏切り者扱いし、主であるエルノアすら死なせたジルバの首を落とすか、ただただ冷徹に思考していた。
シャーンは何者にも操られていない。ただ、思考の偏りがこのような暴走を起こしているだけだった。
振るうシャーンの太刀を、ジルバは正面から受ける。しかし、あまりシャーンに近づけば、先ほどと同じようにフィグマを植えつけられる。いくらジルバが水の魔法が得意でも、ゼロ距離で魔法を放たれれば、どうしても傷を負ってしまう。
その上、剣技においてシャーンはジルバよりも高い技量を誇っている。二合、三合と剣を打ち合うが、次第にシャーンの剣の鋭さに自分が守らされていることにジルバは気づく。
後方に退避し、ウォンテルで水を素早く放つ。シャーンはそれを紙一重でかわし、すぐさんまジルバとの距離を詰める。
ジルバがシャーンより勝っているのは、得意な魔法の元素と遠間から放つ魔法だけだった。つまり、シャーンを抑えるには、遠間から魔法で制圧する以外にない。
しかし、この段階で大きな騒ぎを起こしたくはなかった。ジルバは自分が聖剣を奪取したという事実を、なるべく長く隠しておきたかった。
魔法を放ってシャーンを抑えたとしても、その余波で城がどうなるかはわからない。しかし、明らかに騒ぎを聞きつけて騎士が来るだろう。そうなればもはや言い逃れはできない。
つまるところジルバは、シャーンを相手に接近戦で制圧しなくてはならないということだった。
「ふざけてるな」
空元気に笑って見せ、接近してくるシャーンにジルバは剣を振るった。
ジルバの剣をシャーンは受け止めた。そう見せかけて、ジルバの剣を受けたシャーンは、その剣の角度を傾け、ジルバの剣を滑らせる。
刀身を滑らされ、体勢を崩したジルバに、シャーンは剣を振り下ろす。その剣をかわすために、ジルバは風を用い、自らの体を無理やり押し出してシャーンの攻撃を回避する。
廊下に体を打ち付けるようにしながら減速したジルバは、再び剣を構え、今度は自分からシャーンへと飛び込む。
斬りかかるために剣を振り上げたジルバに対して、シャーンは剣を前に突き出す。その剣に向けてジルバが剣を振るう。自分の剣を下に弾かれたシャーンは、一度剣から手を放し、左手で握り締めた拳をジルバへと放つ。
「――っ」
ギリギリのところで拳を回避するが、それが囮であることをジルバは悟る。腰の入っていない拳を開いたシャーンは、そこに炎を起こす。
「フリム・フィグマ」
それは炎を植えつける魔法。掌で炭が弾けるような音が鳴ると、すぐ近くのジルバの肩に炎の花が咲く。
「ウォンテル!」
炎が肉を焼くよりも早く、ジルバは自分自身に水をかけることで植えつけられた炎を鎮火する。そのまま水を操り鞭のようにしてシャーンへと攻撃する。それをかわしながらシャーンは剣を回収し後退する。
やはり、接近戦でシャーンを制圧することは困難だ。そう実感したジルバは、荒れる呼吸を整えつつ思考する。
今のシャーンにはジルバの声が届くことはないだろう。ではやはり、武力を以て制圧する以外にここを切り抜ける方法はない。しかし、シャーンに勝つ方法を選べば、今度はジルバが聖剣を持ち出したことが露見する。それが避けなくてはならなかった。
避けなくてはならない。そう考えたとき、ジルバは違和感を覚えた。何故避けなくてはいけないのか。確かにカーマルを襲い、聖剣を奪取したのが露見することは好ましい事態ではない。しかし、それはいつか気づかれることであるのも事実だ。
遅いか早いかの差だ。この場合、遅いほうが好ましいのは事実だが、早かろうがジルバのやることは変わらない。
「……時間との戦いになるか」
しかし、それを選択する以外に、ジルバがシャーンを制圧することはできない。
呼吸を整えると、ジルバはウォンテルの魔法を唱え、自身の周囲に水を浮かばせる。
「すまない、シャーン。今はお前の相手をしている暇はないんだ」
「逃げるの? 騎士の誇りを捨て、その上敵であるアタシからも」
「逃げるんじゃない。他にやるべきことがあるだけだ」
そう告げ、ジルバは水を放つ。ジルバの全開とも言えるエルディンの全てが水へと変換され、洪水の如き量の水が一気にシャーンへと押し寄せた。
*
奇妙な地響きに、気を失っていた晴也が目を覚ました。
晴也がいたのは、自分にあてがわれた城の中の自室だった。柔らかな寝台の感触はまるで自分の体を離すまいと誘惑するが、それに打ち勝って晴也は体を起こす。
「いてっ」
口の中が血の味がする。無理もない。二度も殴られたのだ。切れている口内を気にしながら、晴也は寝台から降りる。
聖剣を腰に佩こうとしたところで、もはや自分の元に聖剣がないことに気づく。
平穏に暮らすために必要だった、晴也の価値を示していた聖剣。まさかそれを、こうも容易く手放す羽目になるとは思いもしなかった。
「……しょうがないよな。だって、俺には相応しくないんだから」
エルノアの力になれず、あまつさえエルノアを守ることすらできなかった。そんな人間が、聖剣を担い、国を守ることなどできるはずがない。
思わず拳を握り締める。そんな行動が不可解だった。諦めたのは自分なのに、どうして悔いるように拳を握ったのか、晴也はわからなかった。
再び地響きが鳴る。足元から揺さぶられる体に、晴也は怪訝そうに眉を顰めた。
「何なんだ、一体」
外の様子を確かめるために外に出ようと扉へと近づく。そんな扉を、蹴破らん如き勢いで開かれる。そこにいたのはびしょ濡れのジルバだった。
「……起きてたか」
荒れる呼吸をどうにか整えながら部屋の中に入ったジルバは、腰に佩いていた剣を一振り晴也へと投げ渡す。
辛くもそれを受け取った晴也は、触れた瞬間にそれが何か把握した。
「じ、ジルバ、これって……」
「聖剣だ。やはり選ばれたお前が持っているべきだ」
「ちょっと待てよッ! なんでお前がこれを……というか、外はどうなってるんだ? さっき前すごい揺れてたけど」
矢継ぎ早にジルバに問いただす晴也を無視して、ジルバは窓から外の様子を確かめる。自分の質問に答えられないことに苛立ちを覚えた晴也が、ジルバと同じように城の外の様子を眺める。
「なんだ、これ。騎士達の様子が」
現在、城の中にいるのは王都防衛に務めている騎士達だ。そんな彼らが騒がしいとなると、敵が攻め入ったということだろうか。
「私が騒ぎを起こしたからな。今は血眼になって私を探している」
「お前が!? なんでそんなこと」
そこまで口にして合点がいった。今、晴也が手にしている聖剣。それをどうしてジルバが持っているのか。嫌な想像が晴也の脳裏を過る。
「お前、一体何したんだよ」
「何、カーマル閣下を昏倒させて、シャーンを少しばかりいじめてやっただけだ」
軽口を叩くようにそう言うジルバだが、彼女の風体はそう容易に事が進んでいないことを示していた。焦げた左肩。首筋に走る血の裂創。全身が濡れているのは自身の魔法の余波だろうか。ともあれ、ジルバが苦戦を強いられる戦闘が行われたということだ。
「これからどうするんだよ。カーマルさんを昏倒させたって、つまり聖剣を奪ったってことだろ。そんなことしたら、捕まって牢屋に入れられるぞ」
思い浮かんだのは城の地下にある牢獄だった。晴也が最初に城に入ったとき、有無を言わさずそこに入れられた。残飯のような食事を出され、排泄すら人並にさせてもらえず、全身を鎖で縛られた上に目まで塞がれる。大よそあそこは、人のいるような場所ではない。
そんなところにジルバが入るのを、晴也は想像したくはなかった。
「シオタ」
ジルバは晴也を呼ぶ。思えば、面と向かってそう呼ばれるのは初めてのように思えた。
「私と一緒に来い」
彼女からそんな言葉を聞けるとは思えなかった。ここ最近は最初ほどの棘はないし、嫌悪するような感覚もない。それでも、そんな言葉を掛けられるほど信用されているとは思っていなかった。
いや、その言葉が信じるという感慨から最も遠いところから発せられているのは晴也にも理解できた。彼女は晴也に償うことを望んでいる。しかし、だからこそ晴也は、聖剣を手放したのだ。
「お前が俺に償うことを望んでいるのはわかる。だからこそッ、聖剣は俺の手にないほうがいいんだ! なんでそれがわかんないんだよ!」
聖剣の担い手、勇者として晴也は相応しくない。それは、エルノアの死を以て証明されたことだった。いざというとき、剣を担い立ち上がることのできない臆病者に、この国の希望を掲げる資格はない。
「……やっぱり、わかってないな」
小さく呟いたジルバは、彼の襟首を掴む。エルディンで強化したのか、ジルバの細腕で掴まれた晴也の両足は、地面から僅かに浮かび上がっていた。
「お前が聖剣を手放したとしても、それは償いにはならない。単なる逃避だ。一度背負った責任と、向けられた期待から逃げているだけだ」
「――っ」
晴也の表情が歪む。それは息苦しさからではなく、胸を突き刺すような痛みからだった。
それを見てジルバは、晴也の首を離す。何度か咳き込んだ晴也を傍目に、ジルバは部屋の窓を開ける。時間は昼過ぎ。明るすぎる屋外は逃げるには目立つが、それでもここから逃げ出す以外にジルバには道がなかった。
「悪いが、もうお前に選ばせている猶予はない。無理やりにでも連れていくぞ」
そう言うとジルバは、水の魔法を起こす。生み出された水は晴也の周りで鎖のような形状に変わり、晴也の体をきつく締めあげた。
「じ、ジルバッ」
「お前に拒否権はないんだよ、シオタ。何せお前は、エルノア様が選んだ勇者なんだから」
その言葉は晴也の胸に重くのしかかる。勇者という責務は自分には重い。だというのに、エルノアに選ばれたという言葉が、どういう訳か胸に沸き立つものを感じずにはいられなかった。
そんな懊悩をさせる猶予を与えることなく、ジルバは晴也のことを担ぐ。いきなりのことに暴れ出そうとする晴也を、水の鎖の締め付けを強めることで黙らせる。
「よしっ、行くぞ」
準備を整えたジルバは、開けた窓枠に足を駆け、そのまま外へと飛び出した。
落下の勢いに叫び出しそうになった晴也だが、すぐに落下が終わり、横方向へと滑らかに移動を始めた。よく見ると、ジルバが魔法で作った水の道の上を、滑るように移動し、宙を駆けていた。
水の魔法が扱える騎士が教わる、水の架け橋と呼ばれる魔法だ。本来は点と点を結ぶように扱う魔法だが、ジルバはそれを連続して行使し、橋同士をつなぎ合わせるようにして空中を移動していた。
いうなれば、水の階。エルディンの消費量を度外視し、空中移動を可能にした魔法だった。
そんなジルバの姿はすぐに騎士達に見つかり、騎士達がざわめき立つ。しかし、手を出すことも困難なほど高い位置にまで登っていたジルバは、あぐねている騎士達の様子に嘲るように嗤った。
城壁を超え、城下の上空を駆ける。エルディンの消耗が想像以上に激しく、ジルバの顔が青くなっているのが目に見えてわかった。
「ジルバ、大丈夫か」
「少し黙っていろ。集中力が途切れて落ちるぞ」
そう言われれば黙っているしかなく、晴也は渋々口を噤んだ。
しばらく移動すると、ようやく城下町の外に出た。そこでジルバは水の階を地表に向けて伸ばし始め、ゆっくりと地面との距離を縮めていく。
無事に王都を抜け出たことに、ジルバの警戒心が僅かに解れた。まるでそんな間隙を縫うかのように、彼は襲い掛かって来た。
無防備となっていたジルバの脇腹を殴りつけるかのように、塊となった暴風が叩き込まれる。唐突な衝撃に意識を失ったジルバは、行使していた水の階も晴也を縛っていた水の鎖も消え、二人はそのまま地面へと落下した。
空中に投げ出され、地面へと吸い込まれていく晴也は、落下の浮遊感に叫ぶ。ちらりとジルバのほうを見ると、意識を失った彼女は地面に頭を向けて。このまま落下すれば二人とも無事では済まない。しかし、頭から落ちれば希望すら失われる。晴也はどうにか空中で体勢を操り、ジルバの体を自分に引き寄せ、彼女の体を抱きかかえる。
地表との距離が縮まっていく最中、晴也の腕の中で辛うじて意識を取り戻したジルバは、落下の衝撃を殺すために水を生み出し、緩衝材代わりにする。二人の体は幾重に生み出された水の壁を突き抜け、最後の水の壁を突き抜けた頃には、どうにか落下の勢いを殺し切り、無事に地面に落下した。
幾度と水の中を突き抜け、水を飲んでしまった晴也とジルバは咳き込んで水を吐き出す。そんな二人の頭上から男の声が響いた。
「大したもんだ。確実に意識を刈り取れたと思ったんだがな」
見上げると、そこには一人の騎士が宙を浮いていた。その男はヴァーテイン・イディオン。騎士総長を務める歴戦の騎士だ。
彼が宙に浮いているのは、エマータの基礎とも言える浮き風という魔法の極みだった。ジルバとて浮き風を使えば上下運動くらいはできるし、左右への動きも無理やりすることもできる。しかし、それを同時に行い、尚且つ宙を浮き続けるとなると、卓越した技量が必要となる。
それを、表情を変えずに行使する目の前の男の実力は、推し量るまでもなくジルバよりも高い。
魔法を止めて着地したヴァーテインは、腰から剣を引き抜き、だらりと脱力状態を維持して問うた。
「まず、ファーディン・マグラーン。お前、自分が何をしているのかわかっているのか?」
宰相に暴行を働き、且つ至宝とも言える聖剣を強奪。騎士長であるシャーンに傷を負わせた。ここまですれば、私刑を突きつけられるほどの罪であることをジルバは理解していた。
「わかっています。それでも、やらなくてはいけないのです。我が主のために」
「忠義を語るか。……まあ、エルノア殿下への忠誠を俺が語ることはできん。そこは何も言うまい。だが、お前の行いは陛下への裏切りだ。エルダフィートの民たるもの、陛下への忠誠を裏切ることは許されない。故に、俺はお前を断じよう」
次にヴァーテインは晴也のほうを見た。
「次に勇者だ。まあ、ファーディン・マグラーンに巻き込まれたって考えるのが妥当なんだろうが……お前はどうするんだ」
「どう、するって」
「ジルバについていくのか、ここでこっちに戻るのか。戻ってくれば、この件の罪は問うまい」
元より晴也は聖剣を担うつもりなどなかった。故に、ここでジルバから離れヴァーテインに聖剣を返すべきだ。
しかし、晴也はジルバを見る。晴也の心はそれを望んではいなかった。エルノアを死なせてしまった後悔がある。だからこそ、二度と同じようなことはしたくなかった。自分が逃げ出して、むざむざジルバを死なせてしまうようなことは、したくなかった。
「……そうか、わかった」
怯えながらもヴァーテインに対して敵意を向けた晴也に、ヴァーテインはそう口にした。
エルノアを死なせたことへの怒りがヴァーテインにもあった。しかし、今の晴也の選択は、ヴァーテインにとっては好ましいものだった。
しかし、その選択はエルガンダへの裏切りだ。故に、クレイメンティであるヴァーテインは、ここで二人を処断しなくてはならなかった。
「悪いが手加減はしてやらん。一太刀だ。俺はお前らの首を、一太刀だけで分断する」
剣の切っ先を二人へと向ける。刹那、剣から嵐の如く暴風が巻き起こる。それは、何ら素人である晴也にもわかる。振り抜かれれば確実に自分達の首が落ちる。それほどの一撃が、ヴァーテインが放たんとしていると。
剣を媒介として放つ魔法。それが魔法剣という難度の高い技術であることを晴也は知識の上で知っていた。然らば、聖剣の力でかき消すことができるはず。
聖剣を包んでいた布を外し、晴也は鞘から聖剣を引き抜こうとする。
「――熱っ」
しかし、柄に触れた瞬間に感じた猛烈な熱に、晴也は思わず柄から手を放してしまう。
手を離せば、感じた熱はその余韻すらも残らぬほど消え失せる。それは、エルノアやジルバ――に選ばれなかった者が、聖剣に触れたときの現象と同じだった。
「そんな……」
聖剣が晴也を拒んだ。そのことに、晴也が愕然とする。
ヴァーテインが地面を抉るほど強く踏み込む。剣がまとう暴風が、周囲の風を吸い寄せるように集う。
人間二人の首を一撃で分断する、暴風の刃。ヴァーテインが全ての騎士団を総べるに相応しいとエルガンダに認めさせた究極の魔法剣。
その剣が、猛り狂う嵐が、晴也とジルバの首を別つために振るわれた。
肌を突き刺すように弾けた空気。力強い衝撃は、風が塵を吹き上げるように大地の破片を上空に巻き上げ、同じように断ち切られた二人の首が宙を舞った。
「……逃げたか」
首を斬り分けたときの空虚な感触を思い出しながら、ヴァーテインはそう口にした。
第四十話を読んでいただきありがとうございます。
次話もよろしくお願いします。




