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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第四章 水平線に望む
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第三十九話

 グライダムが目を覚ましたのは、森の中に建てられた小屋だった。

 硬い寝台の感触とは裏腹に、体にかけられた布団は随分と質の良い物なのか、滑らかな感触はずっと触っていたいと思わせるものだった。

 体を起こすと、色々な違和感に気づいた。最初に感じたのは、視界の狭さだ。右側がほとんど見えていない。顔の右側に手をあてがうと、そこには布が巻かれていた。布越しに触れてみるが、感触は鈍い。そのまま眼球の位置を探ってみるが、その位置は陥没したように空虚な感触だけが指先から感じ取れた。

 どうやら、右目はもうないらしい。

 次に、半分だけの視界から見えた自分の下半身の違和感に気づく。かけられた布団は、下半身の形を象るように盛り上がっている。しかし、あるべき左脚だけがなかった。

 左脚を動かそうにも、存在しないそれは動くはずはなく、あるはずの物がないという事態に頭が混乱し、異常なまでの疲労感を感じた。

「聖剣とは、かく恐ろしきものだな」

 その力で、体をここまで削られるとは思いもしていなかったグライダムは、改めてエルレイクスという物が常識から外れた力を有しているのかを実感した。

 そんな折、部屋の扉が開かれる。そこから入って来たのはアースターだった。

「ああ、目覚めましたか。グライダム。いや、今は味方なのだから、グライダム殿というべきか」

「アースター殿」

 法衣をまとった彼の姿は、先の戦闘の疲労を感じさせないほど清々しい表情をしていた。流石聖人、と口から出そうになったところを、グライダムは慌てて噤んだ。

 法衣の裾や襟の隙間から見える、痛々しく巻かれた包帯。治癒の魔法が施されたそれらを見れば、彼の傷が未だ完治していないことが伺えた。

 気遣ったのだろう。自分よりも重症なグライダムに、傷病人と言った風体で会うのは失礼だと。

 そう言った態度もまた、彼を聖人足らしめているのだろう。そんな彼だからこそ、神も選んだのだ。

 では、晴也は。あの少年のどこを、神は気に入ったのか。どこにでもいる純朴の少年の何が、神の琴線に触れたのか。グライダムにはわからなかった。

「グライダム殿? やはり、まだご加減が優れませんか?」

「……いや、先の戦いのことを思い出していただけだ」

 グライダムの言葉に、アースターはなるほどと口にした。

 どうして神は晴也を選んだのか。そんな疑問をグライダムに与えたのと同じように、先の戦いはアースターにもあるものを与えていた。人の願いの美しさだ。

 神が答えるほどの美しい願い。人のために自らを犠牲にできるほどの強い想い。グライダムはそれに打たれていた。司教として活動し、人の願いや悩みを聞いていても、それほどまでの尊く強い想い抱き、命を懸けるほどに願った人物は見たことがなかった。

 命を懸けたから美しいのか。命を懸ける価値があるほど美しかったのか。どちらにしろ、エルノアがそれを見出した晴也という男を、アースターは理解できなかった。

 あるいは、それを理解した先には、エルノアと同じものを抱けるかもしれない。選ばれぬ身でありながらも、神を唸らせるだけの美しさを宿せるかもしれない。

 これは憧憬だ。あるいは嫉妬に転じるかもしれないほど強い熱量。あの戦い、エルノアの姿は、それをアースターに与えた。

「すまない、アースター殿。ここは何処だ? 誰がこの傷を治療したんだ?」

 グライダムの質問に、アースターは胸裏に秘めた熱から目を離して答えた。

「此処はエルダフィート西部の森にある小屋です。元々ヴァストンが用意させていた隠れ家だったらしいですよ。それで、我々のあの傷を癒してくれたのは、オーセム殿が連れていた従士です。元々神殿勤めだったらしく、幾つか持っていた聖水を使っていただいたのです」

「オーセム……スーリロム卿が、あなた方の前に現れたのか」

 グライダムを含む、エルダフィート内部にいる裏切り者を指揮していたのは、誰であろうオーセムだ。ガグランダの価値基準としては、貴族側のオーセム。騎士側のグライダム。そして為政側のザーリィとは等価値であったろうが、実際はオーセムが全体をまとめ上げていた。

 彼はなるべく、自らが動かないように工作してきた。自分の息のかかったイーブラム商会にガグランダとの連絡役を任せるために、ザーリィを動かして推薦を勝ち取った。ガグランダ侵攻の計画に使う人員確保のために、グライダムを動かし南部監視塔を掌握させた。二つの大きな仕事に、彼自身が大きな働きをするということをしなかった。

 無論、グライダムの知らないところで様々な暗躍をしているだろうとは想像できる。しかし、そのどちらが露呈したとしても、彼は自分への危険が少ない形で工作してきたのだ。そんな彼が、この時機にガグランダ側と直接接触し、あまつさえ協力するということは、事態は終局に向かっているということだろう。

 あるいは、自らの手で終わらせようと画策しているのだろうか。

「スーリロム卿は、今どこに?」

「現在は、計画を次の段階に進める準備をしています。オーセム殿はマーケリィ殿と共に、儀式場の建設に向かっていますよ」

「次の計画? 儀式場?」

 グライダムは計画の全容をほとんど教えられていなかった。隧道を建設し、そこから兵を通してエルダフィートを挟み撃ちにする。それだけしか教えてもらっていない。

 聖剣対策に聖人や英雄といった担い手を投入する理由は理解できるが、アースターをそれだけのために使うというのも、グライダムには納得いかなかった。

「……何をするんだ」

 恐る恐るとグライダムがそう訊ねる。

「我々の目的はエルダフィートの滅亡。そのためには、まずは象徴を砕く必要があります」

 左手に聖槍の赤い稲妻を瞬かせる。それを見て、聖槍で何かをするのだとグライダムは悟った。

 聖槍を用いた計画。エルレイクスという神の力までも利用し、エルダフィートを滅ぼさんとするガグランダの勢いが、如何に本気であるかグライダムは改めて思い知った。

 つまり、とアースターはこう締めくくった。

「聖槍でエルダフィート王城を破壊します」


    *


 改めて、マーケリィはエルダフィートという国が既に腐りきっていることを実感した。

 オーセムが連れてきた人員は、その全てがオーセムの私兵という訳ではない。魔法使いの多くは魔法研究所に勤めていた優秀な人間で、複雑な魔法をいとも容易く操っている。サクサクと舞台を組み立てている女性の多くは、神殿に務めている神官だ。そして、空を眺めて何かを話し合っている女性達は、同じく神殿に勤める巫女だ。

 東には薄く王城が見ることができる。ここから、聖槍の神威を以て城を穿つ。なんとも大層な計画だ。決して人の力では成すことはできないだろう。

「マーケリィさん」

 作業をしている人達を眺めているマーケリィの背後から、オーセムが声をかける。

「何ですかい、侯爵様」

「侯爵だなんて、もはやわたしはエルダフィートを裏切った身。単なるオーセムですよ」

 白々しい男だとマーケリィは感じた。確かに、彼の侯爵位はエルダフィートのもので、国を裏切った彼には相応しいものではないだろう。しかし、彼はこの戦争が終われば、ガグランダで相応の地位を得るだろう。そんな人間が、侯爵ではないなどと口にされればそう思わずにはいられなかった。

 オーセムが一つ咳払いをすると、謝辞を口にした。

「ありがとうございます。マーケリィさんのおかげで、儀式に必要な物資が揃いました」

「そう仕向けたのはあんたでしょう。それに、結構ギリギリだ。まさか帰ってきてすぐにこんな事態になるとは思いませんでしたからね。割と間に合わせの物が多い」

 より儀式の精度を上げるのなら、儀式場に用いる材木は、聖水を浸し浄化しなくてはならない。舞を踊る巫女もそうだ。体を聖水に浸し、全身の不浄を清めてから舞を踊るのが通常だ。しかし、それほどの量の聖水を用意することができなかった。

「それに、間に合わせでどうにか儀式を成せるだけの人員を用意した侯爵様のほうが、よっぽどすごいと思いますけどね」

 作業している人達の様子に再び視線を向ける。

 儀式場となる舞台は、もはや半日で組み終わりかけていた。聖水による材木の浄化ができない代わりに、神官達は儀式場を拡大させることで儀式の精度を補わんとしている。そのために、地面の石を拾い集め、何かを描くように儀式場の周りに配置していた。巫女もそうだ。青い空が塞いでいる星の位置を必死に読み解き、どういった舞を踊れば最も高い効果を得られるか、知恵を出し合っている。それができるほど柔軟な人員が、ここには揃っていた。

 そんな人間をこちら側に引き込めるオーセムという男が、マーケリィは怖かった。

「そんなことはありませんよ。この国の人間は、少なからず国に対しての不満があるのです。エルシェ教に対して反意を持つ者。周辺諸国との対立に不安を抱く者。貴族制度に対して不満を持つ者。この国は平穏ではありますが、それはあらゆる不満を無視し、国民がその不満を呑み込んで出来上がったものです。わたしはね、そんな抑えを、少しばかり外しているだけなんですよ。それだけで、これだけの人間がわたしについて来てくれた」

 確かに、この国は見かけ上は平和だ。しかし、田舎に行けば処理されないヴォンターの影に怯える生活をしている人々は多い。下級貴族は国政に関われず不満を抱き、騎士達は周囲を敵に囲まれている事実に押しつぶされる。辛うじて保てている平和は、そう言ったものを人々が我慢して成り立っているものだ。

 ここにいる者は、その我慢が途切れてしまった者ということだろう。あるいは、オーセムによって切られた者達だ。

「一つ聞いてもいいですかい?」

「どうぞ、何なりと」

 そう言ったオーセムに、マーケリィは遠慮なくと口にしてから訊ねた。

「あんたはどうして、ガグランダの側につこうって思ったんだ? エルダフィートで貴族最上位の侯爵。しかも領地を下賜されたとありゃ、不満なんてないでしょうに」

 その運営は些か過激であると噂されていることをマーケリィは知っているが、噂の正体が犯罪率の低さから来るものであることも把握している。つまり、領地運営は上手くいっているということだ。そんな人間がエルダフィートという国に不満を抱くとは思えなかった。

「そんなことはないんですよ、マーケリィさん」

 最初にオーセムは否定を口にした。

 オーセムにとってスーリロム家が得た侯爵位というのは、自分が得たものではなく継承したものだった。親から与えられた爵位。親の功績を称えられて下賜された領地。あるいはそれで満足する者もいるだろう。しかし、オーセムはそれで満足できなかった。それまでの如何に、自分が何ら評価されていないことが堪らなく不満だった。

「わたしはね、マーケリィさん。自分の力で何かを成したいと思っているのです。親の功績に乗っかるのではなく、その全てを一度捨て、わたし自らが立身する」

 しかし、そのためにエルダフィート王国は邪魔だった。エルダフィートにはどうしても先代のスーリロムの評価が、オーセムへの評価に介在してしまう。地位ある家に生まれることもまた才能であると誰かは言うかもしれない。しかし、それは才能ではなく劣等だ。自らの努力を怠らせる毒なのだと、オーセムは声を大にして述べる。

「わたしがわたしの力で、わたしだけを評価させる。そのために、わたしはガグランダ公国に協力するのです」

 震えた。身の毛がよだつとはまさにこのことを言うのだとマーケリィは悟った。

 飽くなき渇望。あるいは溢れ出んばかりの承認欲求。自らがなした行いを評価させるためだけに、一国を裏切る。いや、もっと言えば国に尽くしてきた自分の先祖や家族すら裏切るということだ。

 果てしない自己満足が、裏切りの根底にある。何かの利益のためでもなければ、今よりも高い地位を求めている訳でもない。ただ自分を認めさせたいだけ。

 狂っている。常人であればそう吐き捨ててしまいそうなほどに、その考えは破綻的だ。しかし、実際にここまでのことを成した。それだけの才覚が、オーセムという男にあったということだ。

「……怖いお方だ、あんたは」

「この行いでそう評価されることも、わたしにとっては快感なのですよ」

 心底嬉しそうな笑みを浮かべたオーセムは、遠く東に見える王城を望んだ。

 あと少しで、最大の功績をオーセムは得ることができる。エルダフィート王たるエルガンダの殺害を果たすことができる。

 果たしてそれを成した自分を、世界はどう評価を下すのか。それを想像するだけで、全身が興奮しているのがわかった。


第三十九話を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。


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