第40話 異変
──ズシンッ! と、大地が揺れた。
身を押し潰すほどの重圧に、私、エリスは思わず膝をついた。
「『我が身に加護を与えたまえ』」
これは魔の類いのものだ。
一度魔族と戦ったことのある私は、すぐそれに気づき、魔を打ち払う加護をこの身に宿した。
……これで、どうにか動けるまでになった。
「陛下!」
「俺は大丈夫だ! それより、一体どうしたと言うんだ!?」
陛下は重圧にどうにか対抗しながら、状況を整理しようと動き出す。
「何だあれは!」
外で何が起きているのか。
それを確認しようと窓に歩み寄った陛下は、次にそんな驚愕した声を発した。
緊急時ではいつも冷静に状況を判断する彼には珍しく、目を見開いて明らかに混乱している様子だった。
……一体、どうしたのだ。
「なっ、あ、あれは……!」
私もすぐに窓辺へ近づき、そして同じような声をあげた。
そこから見えたのは、深紅色をした酷く大きなドーム状の何かだった。
それは城下街の一部を覆い、心臓が脈動するかのようにドクンッドクンッと動いている。ドーム状の何かはこうしている内にも、全てを呑み込もうと規模を拡大させている。
──中に呑み込まれた者達の安否はどうなっている。
──どうして急にあれが現れた。
──あれは、何だ。
いくつもの疑問が脳裏に浮かぶ。
「おい待て。あそこ……学園と病院のある場所だぞ!」
「──っ!」
すぐさま脳裏に描いた地図との照合をする。
陛下の言う通り、ドーム状の中心にあるのは病院だ。そして少し離れたところに学園があったはず。
そして学園にはカガミが、病院には療養中のレティシア様が……!
「本当にどうなってやがる!? おい、他の兵はどうした!」
陛下が廊下に呼びかけるも、応答は無しだ。
私は警戒心を最大に引き上げ、剣に手を添えながら廊下へ飛び出す。
「……くそっ!」
扉の前を守っていた兵士も、巡回していた兵士も、全てが等しく気絶して地に倒れ伏していた。死んでいないのが幸いだが、酷い有様だった。
理由は考えるまでもなく、今も続いている重圧が原因だろう。
私でも耐えられずに膝を折ったのだ。魔族と戦ったことがない者や加護の魔法を知らぬ者は、何が起こっているのか理解出来ず、混乱しながら意識を手放したのだろう。
今も気絶している者の全てが、悪夢でも見ているかのように苦渋に顔を歪めている。
今はまだそれだけで済んでいるが、時間が経てば危ないかもしれない。
王城だけではない。この重圧は、王都全体に広がっていることだろう。
兵士はまだ鍛えられているから、耐えられている。では、平民は?
どんな馬鹿でも理解出来るほど、この国は危機的状況に陥っていた。
たった一瞬の出来事だ。
たった一瞬、あのドームが現れただけで、この国は瀕死になっている。
あれをどうにかしない限り、この悪夢は終わらない。
だが、護衛を任されている身として、ここで陛下を置いていくわけにはいかない。
連れて行くなんて以ての外だ。おそらくあそこは敵の中枢部。そんな危険な場所に連れて行くなど、絶対に出来るはずがなかった。
「エリス隊長!」
そこで私を呼ぶ声がした。
バッと振り返ると、一人の騎士がこちらに向かって駆けて来ていた。
「バーゲスト!」
バーゲスト。私が王国騎士隊の『総隊長』を務め、彼はその補助として『副総隊長』を務めてくれている。部下の中で一番信頼している者だ。
常に冷静沈着な彼は、顔中に汗を浮かべ、息も絶え絶えに肩を揺らしている。
かなり珍しいことだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「バーゲスト。他の者は?」
「ダメです。分隊長達はどうにか持ち堪えていますが、他は、全て……」
「…………そう、か」
分隊長は六人。
バーゲストや私、陛下を含めると、無事なのはたったの八人。
他の七星騎士は、皆出払ってしまっている。
なんてタイミングの悪い話だ。……だが、そこで俯いている場合ではない。今は、死力を尽くしてこの状況を打開するべきだろう。
「あいつらは今、何をしている」
「半数は他に無事な者が居ないか探しています。その半数は城の警備に」
「そうか。わかった」
分隊長は頭の回る奴らだ。
城の警備は彼らに任せれば、一先ずは問題ない。
「あれは……何ですか?」
「私にもわからない。だが、あれが原因だということだけは、わかる」
「…………隊長、行ってください」
「なっ……! だ、だが、私には……」
「隊長しかいません。この状況をどうにか出来るのは、あなただけです」
「…………しかし……」
陛下を置いていけない。
あのドームは何者が引き起こしたものなのかわからないが、これだけ我が国を危機に晒しているのだ。明確な悪意があると見ていいだろう。だからこそ、陛下を護衛しなければ危険だ。
「行け、エリス」
「──っ、陛下!」
「バーゲストの言う通りだ。……今、冒険者ギルドから連絡が入った。無事な冒険者達が向かってくれているらしい。お前も、行ってくれ」
「ですが……くっ、わかりました……!」
私は陛下から与えられた鎧を身に纏い、バーゲストに頭を下げる。
「陛下を、頼む」
「お任せください。必ず守り抜くと誓います」
私はその場から駆け出した。
目指すはドームの中心。
これを引き起こしているのは一体何者なのか。
それはまだ不明だが、以前戦った魔族以上の凶悪さを持っていると見て覚悟を決める。
「カガミ……!」
そして私の内心をざわめかせているのは、あの子のことだった。
きっとあの子は、今もその元凶と戦っているのだろう。カガミの実力は知っている。だが、それでも無謀な戦いを強いられているに違いない。
……もしかしたら、もう。
「何を弱気になっているのだ!」
私は、己の頬を強く叩く。
あの子は利口だ。
勝てないとわかれば、すぐに何か別の方法を探して対処する。
「すぐに行くぞ、カガミ!」
私は屋根を伝い、加速する。
ドームの端が目前に迫り、躊躇ったのは一瞬。深紅の膜を突き破る。
中は想像していたよりも損害はなかった。……だが、不気味なことに人の気配を全く感じられない。
……何か、嫌な予感がする。
そんな不安に駆られた私は、更に速度を上げようとして────
「ぐぅっ……!」
体に襲いかかる重圧が、より一層強くなった。
膝を折りかけたが、どうにか気合いで持ち堪える。
あの子が待っている。
ただそれだけを信じて。
「もうすぐで病院のあった場所だ……」
すぐ臨戦態勢になれるよう、走りながら抜刀。
自己強化の魔法を紡ぎ、準備を整える。
「ウフフ、アハハッ」
崩壊した病院の中心。
そこに──それは居た。
頭部からは禍々しい二本の角が生え、僅かに見える肌には黒い痣のようなものが怪しく脈動している。そんな彼女の手には、同じように怪しく脈動する『漆黒の剣』が握られていた。
奴の周囲には何人もの冒険者と、王立レヴィナント学園の制服を着た生徒が倒れ伏し、そこからおびただしい量の血液が流れ、鉄の臭いを辺りに充満させている。
その血の泉に立つように、それはくるくると舞い、からからと笑う。
──私は、心臓を掴まれたかのように、息が出来なくなった。
「……ん? あっ、エリスだぁ。フフッ……来てくれたのぉ……?」
艶やかな黒髪にはいくつもの赤い線が入り、黒き瞳は深紅に染められている。
それは少女の形をしていた。
私の、よく知っている姿をした『何か』は、私を見て愉快な笑い声を上げた。
その少女の名は────
「かがみ……?」




