第9話『教会』
毎週月、金曜日の20時投稿予定です。
白か黒かで全部決まれば、こっちだって苦労はしない。
レオンがため息交じりに漏らした言葉は、その後もしばらくデュオの頭に残っていた。
だからといって、大層なことを考えながら教会へ来たわけではない。仕事柄ここへ出入りすることは珍しくなく、今日も入口を抜ければ顔を知っている者が何人かいた。書類を抱えた兵士が職員へ何かを渡し、その脇を食料の入った籠が運ばれていく。奥からは子どもの声まで聞こえていた。
「なあ、ちょっといいか?」
近くにいた顔見知りへ声をかけると、相手は手元の紙から顔を上げた。
「今度は何です?」
「今度はってなんだよ。俺がいつも面倒持ってくるみたいに言うな」
「違うんですか?」
「……それは置いといて」
反論しかけたものの、あまり強くは言い返せない。デュオは片手を振って話を変えた。
「昔見たやつ探してんだよ。ほら、魔物のこととか、英雄の話とか載ってるやつ」
「それだけで分かると思います?」
「なんかあるだろ。子どもの頃にも読むようなやつ」
「それなら何冊もありますよ」
「じゃあ適当にそれっぽいの頼む」
「調査担当の人とは思えない頼み方ですね」
呆れられながらも断られはしなかった。相手は少し考え、置いてある本の方へ向かおうとする。
その前に、別の声が飛んできた。
「デュオ!」
嫌な予感がして振り向くと、案の定、何人かの子どもがこちらへ駆けてくるところだった。デュオは逃げるでもなく、その場で肩を落とす。
「お前ら、今日も元気だな」
「本読んで!」
「人の話を聞けよ」
一人がすでに本を抱えている。最初から選択肢などなかったらしい。
「今ちょっと用事があるんだよ」
「一冊だけ!」
「その一冊が長いやつだろ」
「これ短いよ!」
差し出された本を受け取ってみれば、見覚えのある表紙だった。何度かここで読まされたこともある。デュオは資料を探してくれている相手へ目を向けたが、助け舟どころか笑っているだけだった。
「……一冊だけな」
歓声が上がる。子どもたちが集まる場所へ連れていかれ、空いていた椅子へ座る。デュオが本を開くと、何人かは近くまで寄り、残りもそれぞれ好きな場所へ腰を下ろした。ページの中にいるのは、聖女ステラだった。
困っている人々へ手を差し伸べ、魔物の脅威から人を守った聖女。デュオ自身も昔から聞いてきた物語で、細かい文言まで覚えてはいないが、流れは知っている。
「そこ、そこ!」
まだ大して読んでいないうちから、一人が先のページを指した。
「先読むな。順番ってもんがあるだろ」
「魔物のところ!」
「はいはい、そこ好きだな、お前ら」
読み進めていけば、聖女が人々を守り、魔物を討つ場面へ辿り着く。子どもたちは分かっていたところでも楽しそうに聞き、魔物が退けられるくだりでは小さく歓声まで上がった。
物語の終わりには、討たれた魔物もまた神のもとへ還るのだと記されている。それも昔から聞いてきた言葉だった。
「魔物も神さまのところ行くんだよね?」
子どもの一人が尋ねる。
「ああ。そういう話だな」
「じゃあ聖女さま、どっちも助けたの?」
デュオは本へ目を落とした。
「そういうことだな」
それで子どもは納得したらしい。すぐ別のページへ興味を移し、隣にいた子とどこが一番好きかで言い合い始める。
デュオにとっても、別におかしな答えではなかった。自分だって魔物と戦ったことはある。襲われている人間がいれば武器を抜くし、その判断を疑ったこともない。
本を読み終えると、予想通り「もう一冊」が始まった。
「一冊って言っただろ」
「もう一冊だけ!」
「それを許したら次も一冊だけになるんだよ」
「けち!」
「そういう言葉、誰に教わった?」
子どもたちを追い払いながら立ち上がると、今度は別のところから声をかけられた。
「デュオ、ちょうどよかった。これ運ぶの手伝ってください」
見ると、食事に使うものが入った箱がいくつか置かれている。
「俺、本探しに来たんだけど」
「手は空いてますよね」
「こういう時だけ兵士みたいに扱うなよ。俺、調べる方だからな」
「教会の人間でしょう」
「雑だなぁ、その括り」
口では文句を言いながら、一箱持ち上げる。運んだ先では食事の準備が進んでおり、すでに何人かが慌ただしく動いていた。足りない食器を数える者がいれば、配る分を分けている者もいる。さっきまで本をせがんでいた子どもの一人が手を出そうとして、危ないから向こうへ行けと追い返されていた。
箱を置いて戻る途中では、治療を受けている町人の姿も見えた。傷へ新しい布を巻かれながら、動くなと叱られている。
いつもの光景だった。兵士が報告を持ち込み、怪我人が治療を受け、食事が必要な者には飯が用意される。親のいない子どもたちはここで暮らしているし、困り事を抱えた町人が教会を頼って来るのも珍しくない。
デュオ自身、それを特別立派なことだと考えたことはあまりなかった。あるのが当たり前だったからだ。
「見つけましたよ」
先ほどの職員が何冊か抱えて戻ってきた。
「お、助かる」
「こっちは一般向け。こっちは魔物についての記録が少し多いものです。古いものも見ます?」
「いいの?」
「何がです?」
あまりに普通に返され、デュオの方が一瞬詰まった。
「いや、別に。見られるなら見る」
「戻す場所だけ間違えないでくださいね」
「信用ないなぁ」
「前に違う棚へ戻したでしょう」
覚えがあったので黙るしかなかった。
空いたところへ腰を下ろし、渡されたものを順に開いていく。確かめたかったのは、自分が以前どんなふうに魔物について教わっていたか、それだけだった。
内容は、ほとんど覚えていた通りだった。魔物は人を襲う危険がある。遭遇すれば警戒し、必要なら討つ。人を守ることは善であり、討たれた魔物を神のもとへ還すことも救済である。
聖女の物語も同じだった。祈り、人々を支え、脅威から守る。その中に魔物討伐だけが異質なものとして置かれているわけではなく、困っている者へ手を差し伸べることと同じ流れの中にある。
デュオは頁をめくりながら、さっき見てきた光景を思い返した。子どもに本を読んでいる者がいる。食事を作っている者がいる。怪我人を診ている者がいる。資料を見たいと言えば、理由を細かく聞くこともなく棚から出してくれた。改めて見ても、教会はデュオが昔から知っている教会のままだった。
「……だよなぁ」
思わず声に出る。
「何がです?」
近くにいた職員が振り向いた。
「いや、こっちの話」
「探してたものはありました?」
「あった。たぶん」
「たぶん?」
デュオは開いていた本を閉じた。
知りたかったことは、書いてある。覚えていたことも、だいたい合っている。
それでも崖道で人を掴み、その身体を道へ戻した竜人を思い出すと、そこだけがどうにも同じ場所へ収まらなかった。




