第3話『衝突』
連日投稿はここまで、次回から月金20時投稿になります。
咆哮の余韻が、前線に残っていた。
追撃へ踏み出しかけていた兵士たちは足を止め、突然現れた影を見据えている。レオンも剣を構えたまま、その姿を確認した。
人の形をしている。だが、人ではない。
兵士を見下ろせるほどの大柄な体躯。その表面を覆う鱗。頭部には角が伸び、背には大きな翼が畳まれている。地面近くでは長い尾がゆっくりと揺れていた。
何より、顔が違う。人の輪郭を残していない、竜そのものを思わせる顔。その鋭い瞳が、追撃しようとしていた兵士たちへ向けられている。
ただ立っているだけだった。それなのに、前へ出れば押し潰される。そんな錯覚を覚えるほどの圧があった。
荒れ狂う獣とは違う。むしろ、戦場の真ん中に一人の武人が立っているような――。
「構えろ!」
レオンの声で兵士たちが我に返る。
魔物はまだ後方へ退いている。その間に立つ竜人が、わずかに身体を沈めた。
次の瞬間、姿が消えた。
「っ!」
風が横殴りに吹きつける。追撃へ出ていた兵士の一人が宙を舞い、地面へ転がった。
「ぐっ……!」
別の兵士が助け起こそうとしたところへ、竜人が踏み込む。拳が振るわれ、兵士は咄嗟に盾を構えた。
衝撃音。
盾ごと身体が後方へ吹き飛び、地面を滑って止まる。
「下がれ!」
レオンが前へ出る。
竜人はこちらへ追ってこなかった。代わりに、大きな腕が近くの防御柵へ振るわれる。
木材が弾けた。破片が飛び、積まれていた武器が地面へ散乱する。続けて翼が大きく開き、巻き起こった風がその場の兵士たちを押し返した。
「拠点を……!」
一人が声を上げる。
追撃に必要な足場も、武器も、次々と壊されていく。その間にも、撤退する魔物たちとの距離は開いていた。
偶然ではない。少なくとも、レオンにはそう見えた。
あれは、こちらの戦力を削いでいる。
「全員下がれ!」
兵士たちへ命じ、レオンは一歩前へ出る。
「俺がやる」
「ですが――」
「追うな。負傷者を下げろ」
返事を待たず、剣を構える。
目の前の存在がどれほど強いかは、今の数撃だけでも分かった。それでも放置はできない。兵士を負傷させ、前線を破壊している。このまま退かせれば、次は何をするか分からない。
竜人の視線がレオンへ向く。その瞳を真正面から受け、剣の柄を握る指に力を込めた。
「来い」
言葉が通じるかは分からない。だが、意味は伝わったらしい。
竜人が地面を蹴った。
速い。
今度は迷わず横へ跳ぶ。直後、レオンがいた場所へ拳が落ち、地面が抉れた。
まともに受ければ終わる。
レオンは着地と同時に踏み込み、腕を振り切った直後の脇へ剣を走らせた。刃が鱗を掠める。
浅い。
竜人が振り返るより先に距離を取り、そのまま次の動きを読む。
腕も、翼も、尾も、一つ一つが武器だ。大柄な体格から想像するより動きも速い。
だが、隙がないわけではない。
レオンは尾を避け、懐へ潜って剣を振るう。竜人の腕が入り、刃を弾いた。
手が痺れる。力では勝てない。
ならば当てる場所を選ぶ。
もう一度踏み込み、肩口へ刃を滑らせてすぐに離れる。追ってきた拳を紙一重で避け、返す。
一撃、二撃、三撃。
少しずつだが、届いている。
背後から兵士たちの声が聞こえた。誰も加勢には来ない。
それでいい。この相手に数で近づけば、むしろ被害が増える。
レオンは息を整え、再び正面へ向き直った。
人間側でこの相手と戦えるのは、自分だ。ならば、自分が倒す。
剣を握り直す。竜人もこちらを見ていた。
再び両者が動く。今度はレオンから入った。
大きく振られた腕の内側へ潜り込み、脇を抜ける。振り向くより先に背へ回り、剣を振り下ろした。
翼が動く。
風圧に身体を押され、刃が逸れた。そこへ尾が薙ぎ払われ、レオンは剣を立てる。
重い。
受け流しきれず、足が地面を削った。
「くっ……!」
まだ止まれる。
レオンは踏みとどまり、迫る竜人へ再び剣を向けた。
強い。それは認めるしかない。だが、届かないわけではない。
そう思っていた。
攻防が続くほど、その考えは削られていった。レオンの剣は少しずつ鈍るのに、目の前の竜人から力が落ちたようには見えない。
腕を避け、尾を受け流し、翼の風に耐える。一つならできる。二つでも捌ける。
だが、それが続く。
呼吸が乱れ始め、腕が重くなる。一歩退くたび、次に踏み込むまでがわずかに遅くなった。
竜人が距離を詰める。拳を避け、尾を剣で流す。
次が早い。
「っ――」
肩へ衝撃を受け、レオンの身体が大きく揺れた。なんとか倒れずに踏みとどまるが、視界の端が一瞬だけ霞む。
まずい。
分かっていても、身体がついてこない。
竜人が迫り、大きな腕が持ち上がる。受ける――いや、今の腕では受けきれない。
レオンは剣を上げた。
その瞬間、横から人影が滑り込む。
金属音が響いた。振り下ろされた一撃へ剣が斜めに触れ、軌道がわずかに外れる。拳が地面へ落ち、土が弾けた。
その向こうに、アルトがいた。
「お前……」
前線で負った傷はまだ残っている。裂けた服にも血が滲んだままだ。
それでも、アルトはレオンと竜人の間に立っていた。
「下がって」
「何を言ってる。お前は――」
返事を待たず、アルトが動く。
竜人の腕が振るわれる。アルトは受けない。一歩だけ踏み込み、剣を添えるように当てて軌道を変える。
続く尾をしゃがんでかわし、そのまま横へ抜けた。竜人が追い、アルトも動く。
レオンは目を見開いた。
前線で見た時と、同じだ。
速いわけではない。力があるわけでもない。
なのに、当たらない。
いや、違う。
当たる場所にいない。
竜人が動く瞬間には、その攻撃が通る場所からもう身体を外している。それだけではなく、完全に避けるのではなく、必要な時だけ剣を当て、力の向きを変えていた。
真正面からぶつかれば、アルトの身体では耐えられない。だから、ぶつからない。
「何なんだ……」
思わず声が漏れた。
自分が全力で戦い、押し切られた相手だ。それをレベル一の兵士が引き受けている。
互角ではない。むしろ、力だけなら比べることすらできない。それなのに戦闘が成立していた。
アルトは攻めない。竜人の拳を逸らし、尾をかわし、翼が開けば風の外へ抜ける。一撃を入れられるように見える瞬間にも、剣を深く振り込まない。
まただ。
レオンの眉が寄る。
こいつは、ここでも倒そうとしていない。
「アルト! 何をしている!」
返事はない。その間にも攻防は続く。
やがて竜人の動きが変わった。アルトだけを追うように身体の向きを変え、視線も外さなくなる。
一瞬、レオンから見て背が開いた。
好機。
考えるより先に身体が動く。疲労している。それでも、この距離なら届く。
レオンは地面を蹴り、剣を両手で握り直した。
ここで終わらせる。
竜人はまだアルトを見ている。
間に合う。
刃を振り下ろす。
その瞬間だった。
アルトが振り返る。レオンは目を見開いた。
気づいた。
それだけではない。アルトは竜人から離れるのではなく、こちらへ踏み込んできた。
「な――」
剣がぶつかる。
レオンの刃を、アルトの剣が横から受けた。軌道が逸れ、討ち取るはずだった一撃が竜人の横を抜けて空を斬る。
レオンは着地し、アルトを睨んだ。
「何をしている!」
アルトは答えない。レオンと竜人の間に立ったまま、剣を下げることもしなかった。
背後で、大きな気配が止まっている。
レオンの視線がアルトへ向く。
同時に、竜のような瞳もまた、アルトを見ていた。
戦場の真ん中で、人間と魔物、双方の視線が一人の兵士へ集まっていた。




