第2話『違和感』
前線へ着いた時には、すでに戦いが始まっていた。
怒号と金属音が重なり、土を蹴る音が絶え間なく響いている。複数の魔物が押し寄せ、前線の兵士たちはどうにか陣形を保っているものの、ところどころで綻びが生じていた。
レオンは走りながら戦況を見渡す。
「前へ出すぎるな! 崩れた場所を埋めろ!」
到着した兵士たちが、それぞれ持ち場へ散っていく。
その横を、一人だけ迷いなく抜けていく影があった。
「待て、アルト――」
声をかけた時には、もう遅い。アルトはそのまま前線へ飛び込んでいく。
「また勝手に……!」
舌打ちしかけながら、レオンも剣を抜いた。
アルトの向かった先では、一人の兵士が体勢を崩している。正面から迫る魔物へ剣を向けてはいるが、足元が定まっていない。
その間へアルトが滑り込み、振り下ろされた攻撃へ剣を斜めに当てた。正面から受け止めるのではなく、力の向きだけをずらし、その勢いを逃がす。同時に身体を差し込み、よろめいていた兵士を後ろへ押し戻した。
「下がって」
「お、おい――」
短く言い残すと、アルトの視線はもう次へ向いている。
魔物が向きを変え、それに合わせてアルトも動く。
速い。
そう思いかけて、レオンは眉を寄せた。
違う。
アルト自身の動きが、特別速いわけではない。
踏み込みも剣を振る速度も、レオンが見てきた高位の兵士たちには及ばない。身体能力だけを見れば、むしろ登録されている数値の方が正しいとすら思える。
レベル一。
最低値。
レオンは部隊を預かる立場として、その程度の情報は把握している。
だからこそ、おかしかった。
アルトは魔物が動いてから避けているのではない。動く前に、もうそこにいる。
攻撃が向かう場所へ先に入り、最小限の動きで軌道をずらす。崩れそうな兵士がいれば、本人が声を上げるより早く近くにいる。
まるで、次に何が起こるのかを知っているような――。
そこまで考え、レオンはすぐに打ち消す。
そんなはずはない。
「右だ!」
迫ってきた魔物を退け、そのまま前線へ指示を飛ばす。戦っている最中に、一人の兵士だけを見続ける余裕など本来はない。
それでも気づけば、視界の端でアルトを探している。
勝手に飛び出した以上、何をしているか把握しておく必要がある。そういう理由だったはずだ。
アルトが一体の魔物の懐へ潜り込む。剣が走り、魔物の体勢が大きく崩れた。
追撃すれば仕留められる。少なくとも、レオンにはそう見えた。
だが、アルトは剣を振らない。一瞬だけ魔物を見たあと、背を向けた。
「何を――」
その先では、別の兵士が二体の魔物に囲まれかけている。
アルトは迷わずそちらへ向かい、一体の攻撃を受け流すと、そのままもう一体との間へ身体を差し込んだ。兵士が立て直すだけの空間を作り、間髪を入れず次の危険へ移っていく。
仕留められなかったのではない。
仕留めなかった。
レオンは、そう見えた自分の判断をすぐには信じられなかった。
戦場では敵を倒す。倒さなければ、また襲ってくる。当たり前のことだ。
それなのに、アルトの剣は妙だった。
攻撃を止め、押し返し、逸らす。味方へ届くはずだった攻撃を遮り、兵士が動ける場所を作る。
そればかりだ。
魔物へ剣を向けているはずなのに、その一撃一撃が討伐ではなく、兵士を生かすためだけに使われているように見える。
「アルト!」
レオンが呼んだ時、少し離れた場所で一人の兵士が足を取られた。倒れた兵士へ、魔物が迫る。
アルトが振り向く。
その距離では間に合わない。少なくとも、自分の安全まで考えるなら。
アルトは踏み込んだ。
「待て!」
レオンの声とほぼ同時に、兵士の前へ滑り込む。
剣で攻撃を逸らしたものの、完全には捌ききれない。一撃がアルトを掠め、服が裂けた。血が滲む。
それでも止まらず、倒れた兵士を立たせて背を押す。
「行って」
「お前、血が――」
「大丈夫」
即答だった。
自分の傷を確かめることすらせず、もう前を向いている。
レオンは思わず目を細めた。
大丈夫なわけがない。
傷自体は深くなさそうに見える。動けている以上、今すぐ戦線を離れなければならないほどでもない。
問題は、そこではなかった。
避けられなかったのか。
それとも、避けるつもりがなかったのか。
再び迫る魔物が、考える時間を奪う。
レオンも剣を振るい、攻撃を受け、返しながら兵士たちへ指示を飛ばした。増援が加わったことで、押されていた場所も少しずつ埋まり、前線は徐々に持ち直していく。
やがて、魔物側の勢いにも変化が見え始めた。一体が距離を取り、続いてもう一体。それまで押し寄せていた流れが鈍り、少しずつ後方へ引いていく。
「下がっていくぞ!」
誰かの声が上がった。
魔物たちは先ほどまでの勢いを失い、明らかに前線から離れ始めている。兵士たちの間から安堵の声が漏れた。
レオンも周囲を確認しながら息を整える。
大きく崩された場所はない。負傷者は出ているが、前線そのものは保たれていた。
一通り確認したところで、視線がまたアルトへ向く。
少し離れた場所に立ち、裂けた服から血を滲ませたまま、撤退していく魔物を眺めている。傷を見る様子も、追う様子もない。
レベル一。
その事実が、今見たものとどうにも噛み合わなかった。
強かった。だが、単純に強いという言葉では違う。
力で押し切ったわけではない。速さで圧倒したわけでもない。それなのに、戦場のどこが危険になるのかを知っているように動いていた。
そして、倒せる敵を倒さなかった。
自分が傷つくことには、あまりにも無頓着だった。
軍で問題視されるのも分かる。命令を待たず、勝手に動く。今日だけでも、それは変わっていない。
なのに――。
レオンは眉間に皺を寄せる。
何かが、おかしい。
「逃がすな!」
前線から声が上がった。
撤退する魔物を見て、何人かの兵士が剣を構え直す。
「追え!」
張り詰めていた空気が、一気に前へ動く。
レオンもそちらへ顔を向けた。
「待て、隊列を――」
最後まで言えなかった。
風が爆ぜた。
そう感じるほど突然、視界を大きな影が横切る。地面を蹴るような衝撃とともに土煙が巻き上がり、追撃へ踏み出していた兵士たちが反射的に足を止めた。
次の瞬間、咆哮が前線を震わせる。
空気そのものを叩きつけるような声に、兵士たちが身構えた。
レオンは剣を握り直す。
影は、退いていく魔物たちと兵士の間に立っている。追う者と、逃げる者。その間を塞ぐように。
アルトへ向いていた思考が、そこで途切れた。
レオンは目の前に現れた存在を見据える。
考えるべき相手が、変わった。




