時間が経っても人は変わらないよ
黒と黄の彩りを、じっと見下ろしていた。その場所は音のしない無駄に広い空間、21階建ての立物の屋上である。時計の針がちょうど真上で重なるこの時間、貯水タンクと電波の測定機材など点検以外には訪れる必要のないこの場所に、この真夜中わざわざ登ってくる人間はいない。
そこにいたのは人間ではなく、人間のような姿をした異様な何かだった。
黒くツバが広いシルクハット、その下には奇妙に動く白い顔無しの仮面。華奢というにはあまりにも細すぎるウエストの上から纏うはまるでサーカス衣装のように下になるにつれ枝分かれして広がる黒コートである。
ーー……。
腹部と同じく腕にしてはやけに細すぎる腕の先で先端の尖った茶のステッキをクルクルと回しながらその先端は角張った黒のローファーの先を突いている。その横を首元から長く伸びたマフラーのような物質が風に揺れるのをもう片手で抑え、その異様な物体は光る街をただ見下ろしていた。それは無数に走る車の流れか、はたまたその真横を悠々と歩く人の波か、もしくはそれらが彩る光の粒か。異様な物体はじっとそれらを見つめ続け、
その中の一点、人混みに紛れる1人の人間へ腕を伸ばし、ふっと心綺楼のように体を揺らめかせ姿を消したーー。
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『時代は、動画革命へと移り変わりました』
それは冬の冷たい風が、薄い学生服には厳しい晴天の日だった。この時間は、帰宅中の社会人や放課後を満喫する学生達が道を埋め尽くし、見渡せば人が視界を行き来するほどに賑わっている。店外カフェも、ビルの中も、横断歩道の信号が変わるのを待つ場所も。どこもかしこも人の目線が飛び交うこの時間に、事は起こった。
「助けて、助けてくれよ!」
青空の下、心地の良い景色を吹き消すかのように立ち昇る黒い煙。3階建てのマンションの周囲には携帯を片手に窓から手を伸ばし泣き叫ぶ短躯肥満な男性を携帯越しに見守るだけの野次馬。彼らは何も、彼の醜態を自身で見返すために撮っているわけではなかった。
「だれか、だれか!! 見てないで助けてくれぇ!!」
彼の助けに耳を貸すものはいない、彼らのカメラ越しの目には自分には関係ないとでも言わんばかりの無があった。
『動画革命時代。スマートフォンの普及から早四年が経ち、老若男女関係なく一人一台を必ず所持している時代に変わりました。それに伴い発展したのが動画による収益です』
「くそが! そんなんで金が稼げるから俺が困ってんだよ!」
室内の煙に咳き込みながら、肥満の男は自身の携帯で再生されている『日本動画の変化』という動画に難をつける。開けたまま放置してしまい乾燥したスナック菓子が散乱し、事の拍子に床に落ちてしまった炭酸飲料が漫画を濡らしている中で、彼は自身の携帯を手に取った。
『事実、動画投稿による収入だけで生活する人も増加しており、人々は世間がもっとも興味のあるジャンルを模索しはじめました』
男の声は平坦に単調に話す動画には届くはずもなく。開けられない扉の内側で、彼は携帯をタップする。裏動画投稿サイトのHPのトップには、情けなく窓から助けを懇願する男の姿が公開されていた。
稼ぐーー人間の本質とも言える、金を得る行為が他人の不幸を撮る行為と等しいことに意を唱える者は少ない。
「クソッ、日本のサイバー組織はどうなってんだよ!! こんな動画でお金が稼げるのがおかしいんだ!!」
彼の動画には投稿者に向けた支援金の額が表示されている。投稿者とはもちろん彼のことでは無い、彼はただ映像を撮られただけなのだ。
そう、これが動画革命時代。政府の目の届かないところで動画再生数を稼ぐため犯罪が多発する時代ーーそんな時代に嫌気がさし、携帯を怒り任せに床に叩き落とそうとしたーー。
『いいえ。動画革命時代によって発展したのは犯罪組織ではなく……
ボランティアーー通称、ティアです」
バコッッッッ!!
その時だった。大きな破壊音は、男の手元からではなく男の部屋へ通じる扉からだった。反動で倒れたパソコンの下敷きになった彼を見たのは、
「いたな」
上げた足を下ろすスーツ姿の青年である。といってもしっかりとした正装をしているというわけではなく、真面目な印象を与える淡い青色のシャツとチノパンに対し、髪はセンターパートに分けた茶髪に加え鋭い目、褐色肌と見た目だけ言えば新卒採用で慌てて服装だけ用意した大学生と言ったところである。
「き、来た、キタキタキタキタ!! お前ティアだよな! 助けに来たんだんだよな、は、早く僕を助けてくれ!!」
そんな見た目から近寄りがたい彼だが、この状況下では全く変わる。待ちに待ったと言わんばかりに駆け寄ってくる肥満男。突然現れた一般人に対して全く疑問を持たず、泣きつくように青年の足にしがみつく。それは現在の常識もあれば、扉を窓外まで蹴り飛ばしたその実力も兼ね備えてのことだろう。自分助かったのだ、そう思い安心しきった男を、
青年は壁に叩きつけた。
80kgはある男の体を足一つで軽々と持ち上げた青年は、男の助け声も聞かず、むしろその声をかき消すように煙の舞う部屋の壁に叩きつけた。肉の塊は情けない悲鳴と共に床に倒れる男の首根っこを青年は掴み上げる。
「な、何するんだよぉぉ……! お、お前ティアだろ!? 人気が欲しくて助けに来ただけのくせに、こんなことして、みんなに拡散してやるからーーむぎゅっ!?」
「ふざけんな」
青年は、お腹を抑え涙ながらに言う男の頬を摘む。170cmの彼を持ち上げても頭一つ背の高い青年はもがく男に鋭い目を向け、
「俺は奉仕者じゃない、助けてやるから少し黙ってろ」
青年が初めて男にかけた声は、優しさなど微塵もない。明らかに自らが助けに来たという風ではなく、その目を合わせた途端、男は今まで饒舌に話していた口を閉じ目を細め体から力を抜いた。まるで弱肉強食の世界で萎縮した動物のように大人しくなった男を担ぎ上げ、青年は彼の自室を出て、発火場所であるリビングを避け男の部屋からは反対側にある窓を開け飛び降りた。
「おぶっ!? な、なんで投げるんだよぉぉ」
「重い」
火災現場とその前を走る鉄道とを遮るフェンスの間の小さな隙間に肉を挟めながらも放漫な男は救われたのである。青年は担いでいた男をゴミの溜まり場へ投げ捨てた。
「いいからとっとと無事なこと伝えてこい。お前が助かったと伝わらないと、俺が困るんだ」
「やっ、やっぱり僕を助けて人気者になりたかったんじゃないか! どうせお前も人気取りなだけだろ、お前も社会も僕なんか見ていないんだ!!」
「……。」
終いにはわんわんと泣き出してしまった男。動く気配のない情けない男に、青年は後ろ頭をかきながら大きく息をはいた。
「お前のことなんざどうでもいいんだが……お前のことを見ている人間はいるんじゃないか」
「え?」と振り向く男に青年は自身のガラケーを取り出し、とある映像を見せる。そこには、彼が窓から声を荒げ助けを呼ぶ映像の後の出来事が生放送されており、その燃え盛る室内に見えたのは年老いた女性であった。
「母親か? 発火場所のリビングからテメェの部屋に行こうとして閉じ込められたんだとよ」
最も火の周りの早い室内で出口となる窓の反対側にある扉を開けようとしていた。窓から出られなくなっていることも理由の一つではあるだろうが、彼女は「あの子を助けて」と声が外まで聞こえている。
「は? いや、ありえないじゃん。俺なんかのために、だっていつも迷惑かけてて、仕事もしてないし……」
「俺が知るかよ。いいからとっとと出てーー」
「ティアさん! お願いしますっ、かぁちゃんを、俺なんかのために、危険なとこに閉じ込められちゃったかぁちゃんを助けてください! お金はいくらでも払いますから!!」
ようやく泣き止んだと思えば、男は青年の足にしがみつきただ懇願した。泣きじゃくるのは不安からか、罪悪感からか。ようやく母の愛を知った男だったが無論、青年には関係のないことだと他所を向く。頼りどころが彼しかいない男はそれでもとしがみ付いた。
「お、お、お願いします! 助けてくれたら貴方のティアの名前を拡散して有名にします、お金もあげます、みんなから人気者になれるんだから、それでもお金もいっぱい貰えるでしょ、だからーー」
「何度言えば分かる。俺は、ティアじゃない」
男を再びゴミ箱に叩き込む。そ、そんな……と自身の家へ目を向け、母親の名を叫ぶ男。轟々と燃える木製の建物は一際大きな音を発てる。今にも崩れそうな建物に、男は向かって走り出そうとする。
「おい待て、行くなよ」
「うるさい、お前なんかを頼った俺がバカだった! お前なんかに頼らなくても俺が母ちゃんを助けてーー」
「それだと意味がないだろ。それに、そんなことしなくてもすぐに助かるだろうよ」
え? 男が彼に理由を尋ねようとしたその時だった。
ガシャァァァ!! 突如、激しい破壊音が響く。ついに建物が崩壊したかと、驚きの顔で振り向く男のめに最初に映ったのはーー
「本物のボランティアが助けに向かったからな」
「あちゃぁぁぁぁああああああああああ!!」
体を火で包み、叫び声をあげながら飛び出してきた人である。いや、その風貌を一般人と同じ括りで説明していいのだろうか。2mを越す巨体(異質)と昔から変わらない筋肉質の体(異質)、その上に丸々とした特注服を身にまとい年齢に似合わず髪をマッシュカットを2段重ねにしている(超異質)と、一目見ればもう二度と忘れることが無いような奇抜な格好をした老婆である。
髪型に関して尋ねると「あたしをシークレットにしても一目で分かるだろう」とよくわからないことを言うような言動も見た目も変人の女性である。
「だぁぁあああ! 全く、暑いったらありゃしないね! 本当に今冬の季節かい? 私だけ日焼けしちゃたりしてな、なんてな、ぶはははははは!!」
自分で勝手に話し始め勝手に大爆笑している老婆、彼女の大きな腕と体の間には男の母親が荷物のようにぶら下がっていた。おぉぉお! と、周囲の野次馬が老婆へとカメラを向け録画を我先にと撮り始め、何人かが彼女の元へ駆けだした。
「あのバカが……自分から人前に出てどうすんだ」
青年は彼女の頭の悪さに深くため息をつく。あっと老婆が気づいた時には遅く、周囲を取り囲まれ揉みくちゃにされている。取り巻きに彼女の異質を嫌がる者は居らず、むしろ好気的な目を向けられていた。サインを求める者、握手を求める者、写真を求める者と多種多様だがその扱いはまさに有名人といったようで、
「やってしまったねこりゃ……あんねあんたら、あたしゃ芸能人でも何でも無いんだよ。困ってるんなら話を聞いてやりゃせど、サインとかは無いのさ。もし相談があればあたしの店にーーぅおッ」
彼女の言葉を野次馬は聞いてもいなかった。「この動画は売れる!」だ「初めて見た、すげー!」だのと好き勝手に盛り上がり始めている。むしろ人が増え始めている始末だ。
「帰るか」と本気で思い始めたのは老婆と同じく火事で逃げ遅れた男を助けた青年である。面倒事は避けたい青年が回れ右をする中、
「あ、あれって……あんた、知り合いなのか?」
「不本意だがな」
「旅は道連れ、世は情けというだろ。あたしの買い物に付き合わせてたのさ、ぶはははは!」
「……なにさらっと会話に混じってんだおい」
その影に隠れた場所で話していた青年の元にいつの間にか老婆がいた。その巨体では狭い裏路地には入れないのかドアに挟まれる時のように、体の入れられる部分だけを突っ込んだ状態で青年へ話しかけている。そのあまりに大きな体に、男がひっと尻餅をつく中青年は老婆に一歩迫ると睨みつけた。
「情けかけ過ぎなんだよバカが、事件が起こればすっ飛びやがって! これだからテメェの買い物に付き合うのは嫌なんだクソババァ!」
「失礼な、今日の朝は快便だったさね!」
「老人の排泄事情なんざ誰も聞いちゃいねぇんだよ!?……ほら見ろ、見つかったぞ!」
子供の口喧嘩もほどほどに、老婆の元に集まっていた目線がそのまま青年の元まで届いていた。バタバタと大勢の人間がこちらに我先にと向かって来る光景は、もう何度目かであるが少し恐ろしい。
「行くぞばぁば、もう面倒はもう懲り懲りだ」
「ぶはははは、クソガキに面倒見てもらったことはないね! あたしゃこう見てもピチピチの五十八歳だよ!」
「黙っとけや七十五歳!!」
「あんた達は一体、何者なんだ……!?」
男はただ思ったことを口にしてしまったようで、言った後すぐに口元を抑えた。老婆ーーばぁばは昔馴染みの背中を彼に向け、
「あたしたちはボランティアさ。助けを望むならまた呼びな」
「ばぁばだけだ、俺を混ぜるな」
いつもながら、恒例のセリフを言うのである。
「クソっ、結局こうなる。こうなるからばぁばの買い物に付き合うのはごめんなんだ!」
「ぶはははは!謝られてもドンマイとしか返せんわ、別に構わんよ!」
「日本語勉強しろクソババァ!」
これが、彼 黒木 十一郎 二十一歳の日常である。
二章始まります。名前の表示に少し工夫をしております。どぞ。




