5・憧憬
ライオネス視点。次話から主人公に戻ります。
幼き時分より我が心を揺さぶるものがあった。
それは英雄譚。憧れたる《冒険王》の物語。
物心ついて間もない頃から、夜毎父上に聞きたいとせがんだものだ。
私を撥ねつければその日の安眠が妨げられる――それがわかっている父上は、仕方ないといった表情で英雄譚を語り聞かせてくれる。
いつも始めは渋々と口を動かすが、少し経てば口調は熱を帯びてきて、やがて雄弁に物語るのがお決まりだった。父上にとって唯一無二の友の話でもあるからだ。
父上は常に《冒険王》の隣を歩んできた。だからこそ語りは真に迫っており、かの英雄に没入する私を高揚させる。
夜は幾度も訪れ、その度に私は英雄に耽溺した――。
――《冒険王》ユーゼス=アルスタ。
その性格は豪放磊落。行く道を真っ直ぐに突き進む様は聞いていて快い。
その力は一騎当千。敵対する諸部族を腕一本でかしずかせ、亜大陸から侵攻してきた闇の軍勢をも打ち払う。後に我が父上を王に導き、ハイダルマリク建国の立役者となった。冒険者ギルドを創設し、世に広めたのも彼の英雄の偉業だ。
口にはしないが、私は心の中でこう呼んでいる。
ユーゼス様!
驚くべきことに、ライオネスという私の名、名づけ親はユーゼス様であると聞かされている。左様な経緯があれば、興味と親しみを覚えてしまうのは必然である。
父上の口からユーゼス様の一番の関心がトントロポロロンズにあると聞いて以来、私もまた傾倒したものだ。実際、これ以上ないほど私好みの食べ物だった。
しかしながらこのトントロポロロンズ。秘密裏に侍従に手配させなければ手に入らぬ物でもあった。あろうことかハイダルマリクでは禁制品扱いされていたのだ。
それはひとえに、父上に原因があった。
トントロポロロンズの手配を断る侍従を、普段どおり家族を人質に従わせ、普段どおり手に入れたある日のこと。
ふとトントロポロロンズを無性に自慢したくなり父上に見せつけてやったのだ。
『父上、トントロポロロンズだ!』
『の、ノォーー?!』
父上はトントロポロロンズに強烈な忌避感を抱いていたらしい。いつもは泰然としていた父上が、まるでトントロポロロンズのようにプルプルと震えだし、狂乱に陥り、それから何日か床に伏せる事態となったのである。
忌避感の理由は聞けずじまいだが、いずれにせよ、父上とは決して理解し合えないのだと悟った。
ああ、トントロポロロンズ。
初めて口にした時からあのプルンとした食感が私を魅了してやまない。
だというのに、ハイダルマリクでは父上のせいで手に入れることすら難儀する。
臣民は王を、「この世の全てを統べる」だのと称えるが、トントロポロロンズを統べていないことを無視していた。
トントロポロロンズが禁じられたその場所は、私にとって苦痛でしかない。
しかし、そんな私にも希望はあった。
獅子王の仔は皆、成人した暁に国が一つ与えられる。王になれるのだ。
王になれば、そこでトントロポロロンズを存分に味わい尽くすことが可能……‼
私は大いにその時を楽しみにしていた。
しかしある時、希望は潰えることとなる。
『女は王に向かん。この国、ひいてはお前自身のため、かの部族の子息と夫婦になり、尽くせ』
『よろしくぶひい』
豚を殴り倒してやると、その晩、泣き明かした。
なぜこんなことに、と思った。
悪辣な執政で民を苦しめている愚兄も数多くいるというのに、女の身に生まれただけでなぜこうも残酷な運命を強いられなければならぬのか。
こんな時、英雄ならば不条理をただ嘆くだけでいるだろうか。
そんなはずは無い。もしユーゼス様であれば己の意志を徹すであろう。
そんな考えが脳裏を過ぎると、心に沸と力が湧きあがった。
『私は私の意志のままに生きる』
そう父上に突き付けてやると、父上は獰猛な笑みを浮かばせて言った。
『猫の国では、獅子は仔を谷へ落とし、這い上がってこられるかを試すという。そこでだ、お前にも試練を課すことにした。喜べ、試練を果たせばハイダルマリクの全てをお前に明け渡してやる。試練は単純にして明快、方法は問わない。これを手に入れて見せろ』
父上はこれ見よがしに左手を前にやった。
左手に巻き付いている金鎖。異界の知識の源泉にして王権の象徴。
要は金鎖を奪って見せよと言っているのだ。
奪えるか否かで今後が決まる、そんな状況。
相手は父上。その猛き戦いぶりから、猫の国の生物である"獅子"と謳われた者。
ユーゼス様と共に並び立った父上もまた英雄。
華奢な自分では、否、如何な豪傑が束でかかろうと敵うはずがない。
落とされた谷は深く、這い上がるには険しすぎた。
ゆえに私は、別の道を行くことにした。
『父上よ、奪わずとも手に入れて見せよう』
そう告げてその場を去ると、隊長不在でいつも暇そうにしている九十九騎士の一隊に護衛を申し付け、すぐさまハイダルマリクを発った。
過日の思い出、父上の語った英雄譚の一節より見出した、別の解を信じて。
その一節は、賢者の岩内部での死闘、その結末――。
『遂にユーゼスは万化の槍で捉え、貫き、そいつを黄金の鎖へと変えて見せた。長く垂れた鎖になったがあまりにも長かったんで、奴はその鎖を一部だけ断ち切ると、またそれを二つに断ち、一つを自分の物に、もう一つを俺に握らせた。それがこの……金鎖というわけだ』
――賢者の岩には金鎖が残されている。
ならば、そこへ赴けばハイダルマリクは我が手中となる。
善は急げと、私は護衛を引き連れて向かったのだった。
実際に見た賢者の岩は、岩と言うには途轍もない大きさをしていて、また人工的な形をしていた。一角には精緻な細工が施されたプレートが露出しており、近づくとそこから奇妙な声がするのである。
『智者に我らが知識を託さん――』
今では異界の文明によってもたらされた遺跡であることが判明しているが、昔の人々はそうとは知らず、人語を話す岩としてこれを『賢者の岩』と呼んだ。
その呼び名は今でもそのまま使われているという訳である。
『――智者よ、智を以ってこれに答えよ さすれば招き入れん』
岩は近づくものに問いかけ、答えられれば内部に招き入れてくれるという。
『第一問 タイカイシュにおけるタイシュの名を全て挙げよ』
だが、意味の分からぬ問いには誰も答えられない。
一応と適当な名を挙げ続けても、無機質な声で同じ問いを告げるだけ。
これまで解けた者はユーゼス様を除き皆無であるのも頷けた。
ならば強行突破すればいいと、供だっていた護衛騎士の一人、ローエン卿に任せてみるが……。
『姫よ、見ての通り傷一つ付けられんようだ』
卿の持つ魔剣に断てぬものは無いはずだったが、よもや不可能とは思いもよらなかった。
こうなれば残された手は、解を知るユーゼス様に導いてもらう他ない。
悪い手ではなかった。
私は王位に就き次第、金鎖を以って、トント種に囲まれた楽園を創造する。
ユーゼス様ならばこの想いに共感し、協力していただけるはず。
しかしそれには彼を見つけ出す必要があった。
そして開始した捜索であったが、事態は難航。
如何なる方法をとっても見つからぬ。見つけられぬ。
最初はみなぎっていた気力も、日が経つごとに滅入る一方。
さようなこともあり気を晴らそうとした私は、前々から気になっていた冒険者になった。
騎士たちには情報をより得やすくするためと嘯いたが、本当は冒険という言葉に胸の内をくすぐられたからであった。
――冒険者生活は楽しかった。
ハイダルマリクで教養や武を積ませられてはいたが、狩りや探索、採集、隊商の護衛など初めての事ばかりで新鮮味に溢れていた……。
何をするにも胸が高揚した。戦っている時など己にユーゼス様を重ね合わせ、英雄たる己の姿を夢想したりもした。
そんな冒険者生活も、一筋縄ではいかなくなってきてから徐々に楽しさが薄れていき、遂には全てを護衛任せにする始末。
ユーゼス様に会えず、ユーゼス様のように活躍もできない。
胸に募る苛立ち。虚無感は広がっていく一方であった。
そんな時である……私が彼と出会ったのは。
獅子王の娘というやんごとなき我が身に、何の躊躇いもなく攻撃を放った冒険者――マロゾロンド。
傷物にされた腹いせに、黒衣の内を露わにしてやろうと呼び出した私の罪業を許すばかりか、「味方になる」と言い出す彼を初めは信じられなかった。
しかし。
『俺の体を見ろォオオーーー!!!!』
彼が自ら黒衣を脱ぎ去り、その正体を露わにしたとき、私は思わず叫ぶほどの衝撃を受けた。
その御姿はトント種の奇跡としか言いようがなかった。
私が愛するトント種の……。
『きっとこれは運命だ』
彼の言葉に私の心は震えた。
そう、それはまるで、トントロポロロンズのように。
私は運命の存在を確信した。
今までの日々は全て、この出会いのための序章に過ぎなかったのだ。
込み上げるものがあって、私は泣いた。
この日、私は唯一無二の友を得た。
そして翌々日、凄まじい速度で行動を起こす彼は、何というべきか……そう、球になって帰ってきた。
彼の正体について多少の衝突が起きたが、所詮は護衛、私に逆らえるはずもなく結局は収まった。
が、彼の一言でまた事態は混乱する。
『何か天空竜さんが言ってたんだけど、俺がユーゼス=アルスタだとさ』
父上から聞いたユーゼス様に似ている節があるとは思っていたが、竜がその人であると断言するとは。
これはもしやと思い、私は彼に賢者の問いを投げかけた。
『タイカイシュにおけるタイシュの名を全て挙げよ』
『お、おい、今、胎界主って言ったか?』
言葉を理解している様子に、心の臓が跳ねる。
『答えを知っているのか、知らないのか、どちらだ。マロゾロンド』
『知ってるさ。ルキフグ、ベリアル、ベールだよ。でも何で胎界主知ってんの』
私はやはり、運命に導かれている。
この御方がいれば、栄光のトントロードは自ずと開かれていくのだ。




