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ルーツ~魂のすむところ  作者: 木柚 智弥
それが僕の心の在りか
8/14

癒しの手

 アトリエのベランダの窓から、(おぼろ)な月の光が差し込んでくる。

 リビングの脇に置かれたソファーからこの窓を見上げると、庭の木と空が、まるで絵画のようなバランスの良さで目に映る。

 寝支度を済ませ、ソファーに体を預けていた僕はふと、自分の首にかかる極細のチェーンに手をやった。アトリエの鍵とともに送られた、俊くんの二連チェーンの片割れ。

 鍵をもらってから、今年で四年が経つ。

 受け取った当時は、ここに来て絵を見ながら自由に過ごせることがただ嬉しかった。(とし)くんの大事なものを受け取った、とは思ったものの、その意味を深く考えることはあえてしなかった。

 それをしたら、身がすくんでしまうかもしれない――彼の態度に時折(にじ)む深い想い――それを漠然と感じ取っていたからだ。

 自分の中で今、何かが動こうとしている。

 そんな予感を覚えながら、目線を上げ、薄暗くした部屋の照明の中で月の夜空を眺めていると、後ろから声がかかった。

和巳(かずみ)、ここにいたのか」

「ああ、俊くん……」

 首を巡らした僕は、ぼんやりとしたまま応えた。女装を解き、シャワーを浴びた俊くんは、大きめのシャツを羽織っただけのラフな姿に戻っていた。


 あのあと、俊くんは真嶋(まじま)さんを電話で呼び出すと、拓巳(たくみ)くんを控え室に残し、僕とともに(りょう)先輩をビルの裏口まで送った。

 誰もいない通路に出たところで、俊くんが浜田凱斗(はまだがいと)の人となりについて尋ねると、彼女ははっきりと答えた。

「彼は、くだらない嫌がらせやいじめが目的なのではないと思います」

「なぜそう言い切れる」

 アーモンド型の黒目勝ちの目が、少し高い位置にある稜先輩の薄茶の瞳を見据える。すると先輩も臆することなく目力を強めた。

「あまりにもそぐいません。人を見る目は、先生にも負けないつもりです」

「自信がありそうだな」

「和巳君の身に及ぶ事柄ですから」

 二人の熱を帯びた眼差しが交錯する。やがて先に目線を外したのは稜先輩だった。

「私も、深く知っているわけではありませんが……春に転校してきた生徒ですので」

 ドラム奏者としての評判など、僕が聞き知った話を伝えると、俊くんは少し考え込み、再び顔を上げて先輩に告げた。

「いずれにしろ、学校内のことについては、私たちはお手上げだ。引き続き警戒してもらえるとありがたい」

 稜先輩は目元を緩めて会釈し、僕に微笑みかけてから帰っていった。

 その後まもなく真嶋さんが到着した。待ち受けていた廊下で僕は頭を下げ、俊くんが説明した。

「和巳の先輩からかなりなダメージを食らったから、拓巳はちょっと厄介かも」

 彼はうっすらと笑みを浮かべ、そりゃ困ったな、と苦笑しながら控え室に迎えに行ってくれたのだった。


 俊くんは僕の隣に座ると、両手に持っていたグラスの片方を差し出した。冷たいミネラルウォーターだ。

「ありがとう」

 僕は受け取って一口飲んだ。よく冷えた液体が(のど)を滑り落ちていくのが心地いい。

 飲み干したグラスをローテーブルに置くと、俊くんが複雑そうな表情で聞いてきた。

「おまえの先輩は一体ナニもんなんだ?」

「どうして?」

「いくら、おまえのことしか眼中にないからって、拓巳相手にあの啖呵(たんか)! ホントに高校生か?」

 そ、そういえば。〈衝撃の美貌〉も先輩の前ではかたなしだ。

「拓巳のツラを正面から受け止めて、ちょっと揺れただけ……どういう育ちだよ」

 っていうか、拓巳くんの顔ってナンのバロメーターにされてるんだ?

「和巳」

 グラスを置いた俊くんが、ふいに気配を変えた。

「辛かったな」

 気遣わしげな眼差しを受け、僕はローテーブルの木目に目線を泳がせた。

 正直、あと二日で家に戻れるのか自信がない。でもこれ以上は拓巳くんが無理だ。その葛藤が気力を奪う。

 目を戻すと、まだ湿り気の残る俊くんの前髪が目の上に一房落ちかかっていた。考えるより先に手が伸び、それを指に絡めて上によけた。すると、俊くんが指先をつかんだ。

「俊くん……?」

 アーモンド型の瞳に、いつにない熱がこもっている。

「彼女は、いつもあんな風におまえといるのか」

「あんな風って?」

「他のことはどうでもいい、自分には和巳だけ、みたいな」

 まさしくそのとおりだ。

 僕が赤面して(うつむ)くと、俊くんのもう片方の手が顎を軽くつかんで戻した。見ると、眉根が切なげに寄せられている。

「……妬ける」

「えっ?」

「あのとき、おまえがあの子の名を呼んだ声」

(稜さん――)

「深くて、気持ちのこもった呼びかけ」

 俊くんは、ゆっくりと僕の指先を自分の口元へ持っていった。柔らかい唇が指先に触れる。

「あんな風に、おれの名前も呼んでくれよ……」

 唇が指先をなぞった。すると、指先から腕、そして背筋に震えが走り抜けた。

「……っ 」

 僕の目線が彼の唇を通り過ぎ、頬の奥に覗く首筋に吸い寄せられた。さっきまで(あら)わになっていた、僕と対のチェーンが煌めく首筋。

 ――そのときの自分をどう捉えればいいんだろう。

 後々考えれば、やはり〈慰め〉られたかったんだろう。

 突き刺さった杭の痛み、拓巳くんの姿、稜先輩の言葉……そのあとにもたらされたアトリエの安心感と、昼間の美しい人と同じ、綺麗なアーモンド型の瞳。

 目の前に映る、なめらかそうな首筋がそれらを一瞬にして溶かし、気づいたとき、目の前にそれがあった。

 僕の空いた手が襟足の髪をかき上げ、唇が触れようとしている。

「!」

 何をしているんだ、僕は――っ!

 慌てて離れようとした瞬間、俊くんの手が肩をつかみ、引っ張るようにして自分ごと後ろに倒れた。

「と、俊――」

「いいから……」

 うつ伏せになった僕の腕の中に、美しいあの人がいる。

 内側に沸き起こった抗い難い力に押され、僕は誘うような艶を放つ唇に自分のそれを重ねた。

 最初は触れるように。次は探るように。そしてさらに深く――。

 すると反応が返ってきた。

 背筋に稲妻が走り、痺れが全身を駆け巡る。

「……っ」

 目眩にも似た酩酊(めいてい)感に襲われて腕から力が抜けると、彼は唇をそっと外し、一気に体をずらして僕を逆に組伏せた。

 目を向けた先に、黒目勝ちの瞳を潤ませ、頬を上気させた姿がある。

 それは見たこともないような、なまめかしく艶やかな表情だった。

 ああ、綺麗だな――。

 個展会場での美しい姿が完全に重なる。

(そう)()先生……」

 腕を伸ばして肩を寄せると、「(まさ)(とし)だ……」とささやきが返り、さらに深みへと導くように唇が落とされた。

「―――」

 頭の中で、星の輝きが飛び跳ねるように乱舞する。たまらずその肩にしがみついた僕は、導かれるままに翻弄(ほんろう)され、意識を手放した――。



 目覚めると、そこはアトリエの二階にある自分のベッドだった。

「……?」

 ぼんやりとして頭が働かない。時計に目をやると、朝の八時を少し回っている。斜向かいに置かれたもうひとつのベッドはすでに空だ。

 体に残る気だるさとは逆に、昨日まで重くのしかかっていた心の(おり)がなぜか軽くなっている。あの悪夢の影響で久しく熟睡から遠ざかっていたにもかかわらず、どうやら気を失ったように深く眠っていたらしい。

 体を起こして首を捻っていると、聞き慣れた声が背後からかかった。

「起きたか」

 振り向くと、そこにはすでに支度を終えた美しい人――小倉(おぐら)(そう)()が立っていた。

「――っ!」

 ま、まぶしい!

 今日はまた、一段と華やかな姿だった。

 髪型は昨日と変わらないけれど、シンプルなワンピースがごく淡い紫だ。それがいつものダークな色合いよりいっそう肌の色を輝かせているようで、服に合わせて色をのせた目元も艶を増して見える。

 魂を飛ばされたように放心していると、ツカツカと歩み寄ってきた蒼雅先生が美しいネイルの指先で僕の顎をそっと仰向かせ、俊くんの声で(しゃべ)った。

「うん、だいぶ元気が戻ったか。もう一晩かければギリギリ大丈夫かな」

 もうヒトバン?

 目を見開くと、俊くんは華やかな顔で苦笑した。

「ちょっと刺激が強すぎたか? 悪いな。久々に嫉妬心を刺激されたんで、つい自制が利かなくなって」

 そして僕を胸に抱くと、頭の上でこう言った。

「慰めるだけのつもりだったのに、止まらなくて……」

 その台詞と胸の温もりを感知した瞬間、昨夜の記憶の断片が次々と脳裏に浮かび上がり、心臓が跳ねた。

 僕、この人とナニしちゃったんだ――っっ?

 すると頭上の声が笑いを含んだ。

「安心しろ。おまえを手に入れたとか自惚(うぬぼ)れるつもりはないから。これはいわば、治療の一環だからな」

「ち、治療……?」

 思わず仰向くと、美しい微笑みが目に飛び込んできた。

「おまえは何も取られてないし、おれから奪ってもいない」

 僕は俊くんに抱かれたまま困惑した。

「えーと……だって」

「辛い時や苦しい時、男は体を慰められて心が楽になることがある」

「ああ――」

 そうか。そういうことか。

「おれにはその技がある。だから安心して(ゆだ)ねてろ。おまえは自分が元気になることだけ考えればいい。相手がおれだからな」

 女性をそんなことに巻き込んじゃダメだぞ、と彼は笑った。

「えっ……でも……」

 僕はますます困惑した。

 だって俊くんは――昨夜のアレは……?

 言葉に詰まっていると、俊くんがさらりと言った。

「いいんだ。おれは慣れている。色々な経験を積み重ねてきたから。おまえが気味悪く思うのなら別だが」

「そんなことっ」

 思わず声を上げると、俊くんは笑みを深くした。

「そう言ってくれるなら十分だ。時間だからおれは行く。おまえは無理しなくていい。ゆっくり支度してから来い。でも、昼前までには来てくれよ?」

 早く来てくれればなお嬉しいけどな、と軽く僕の唇をついばむと、俊くんは行ってしまった。

 その気遣いには感謝しながらも、僕は新たに自分を席巻しつつある別の予感に思わず震えた。

 俊くん! いくら効果があっても、これじゃ本末転倒じゃないの――っ?

 目に焼きついた昨夜の(あで)やかな姿のせいで、当分まともに眠れそうにナイ……。



 俊くんの要望に応え、十時頃にたどりついた僕は、昨日にも増して大勢の人が訪れている会場で、スタッフの一員として過ごした。

 なにしろ〈T-ショック〉の影響で土日は若いファンが多い。みんなも慣れてきているので騒ぎにはならないが、パンフレットを補充したり、人溜まりができないように誘導したり、作品に触れないようフロアを巡回したりとなかなかに忙しい。

 俊くんは小倉蒼雅として、昨日にもまして美しく彼……イヤ、彼女の作品のバイヤーである、スーツ姿の年配者やギャラリーの関係者たちをもてなしていた。そんな彼女を、Gプロから派遣されてきているスタッフはこう噂した。

「今日の蒼雅先生、なんだか張り切ってない?」

「そうそう、いつにも増して輝いているっていうか」

 僕は赤面がバレないように俯きつつ、隅に外れて作業した。

 夜になると、再び夢の一夜が繰り返された。

「あの、お先に失礼します……」

 委ねろ、と言われて「はい、よろしく」などと思えるはずもなく、僕は早々にリビングを下がった。けど寝室が同じなのだからシャレにならない。

 なにしろ僕自身がまだ事態を消化し切れておらず、先にベッドに就いても、明日に迫る期限と刺さった杭の重み、そして昨夜の情景がぐるぐると交錯して眠れない。そんなところに、蒼雅の気配を色濃くまとった俊くんが、湯上がりの肌にシャツを引っかけただけで来るのだ。

 小さな明かりの点る部屋の中、背を向けて横になる僕の背後に忍び寄り、

「和巳……」

 と耳元で甘くささやきながら首筋に指先を這わせてくるのに、どうやったら抗えるというのか。

「……あっ」

 柔らかい感触に耳の縁を()まれた途端、全身がカッと熱くなり、昨夜よりもさらに敏感に反応した僕は、あっという間にその夜も持っていかれてしまった――。


 かくして次の日の夕方、個展会場の控え室に足を踏み入れた拓巳くんは、荷物をまとめ、蒼雅姿の俊くんと並び立つ僕を見るなり、その美貌に納まる二重切れ長の目を見張ることになった。

「和巳――っ?」

 そして次の瞬間、俊くんにつかみかかった。

「キサマ……ッ! 和巳になんてコトするんだ!」

 ナゼわかるんだろう……?

「礼を言うのが先だろ?」

 拓巳くんに対峙した俊くんは、一瞬にして〈T-ショック〉のマースになった。相変わらず器用だ。

「おれはおれのやり方で和巳を癒した。その結果、おまえのもとに帰るだけの気力を補ってやれたんだ。モンクあるか」

「嘘をつけ! 自分が充電したくてムリやり持ってったんだろう……!」

「その原因を作ったのもテメーだろうがっ! だいたい自分こそが散々おれの世話になってきたくせに、そんなこと言えたタマか?」

 彼が胸を反らすと、拓巳くんは「うっ……」と喉を詰まらせて手を離した。

「もとはといえばテメーの根性が足りないせいだ。本当ならあと三日は欲しいところなんだぞ。感謝しろ!」

 俊くんは拓巳くんを黙らせると、赤面する僕の肩を抱き寄せ、小倉蒼雅に戻って言った。

「和巳。今言ったように、おまえの受けた傷を考えれば到底時間が足らない。だからもし、この先も辛い日があったら、土曜日以外でも遠慮なく連絡を寄こせ。おまえのためなら、予定バックレてでも夜を空けてやるから……」

 僕は心だけありがたく受け取り、沖田さんの心臓と自分の理性のためにそんな日が来ないよう祈った。

「ありがとう、俊くん。……あの、色々とおセワになりました」

「それじゃ別れの挨拶みたいだ。他の言葉をくれよ……」

 その表情が本当に切なく寂しげだったので、ほだされた僕はつい、「じゃあ、また来週お願いします」と、いつもの挨拶を言ってしまい、血相を変えた拓巳くんに抱えられるようにして連れ出されてしまった。帰り道を運転する拓巳くんのバンドルさばきが怪しかったのは、気のせいじゃないと思う。


 稜先輩とは、俊くんのもとから戻った二日後、美術準備室で二人きりになる機会があった。

 背景ボードが山と立てかけられた中、何を感じ取っていたのか、稜先輩も拓巳くんと同じく血相を変え、がばと僕の顔を両で挟んでこうこぼした。

「……く、悔しいわ……」

 どうしてバレるんだろう……?

 僕としてはヘタに誤魔化して色々追求されたあげく、さらに逆上されるのもコワいので、「悔しいから」と、人目がないことを確認した稜先輩が抱きしめてくるのを、黙って受け止めるしかなかった。



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