真相の行方
「あの記事にあるとおり、優花の母親は俺と芳弘に嫉妬したんだ」
真嶋さんの隣に腰かけた拓巳くんは語りだした。
「彼女がそんな考えに取り憑かれていたのを、俺も芳弘も気がつかなかった」
だから、気づいた時には溝が深くなってしまっていた、と拓巳くんは目を伏せた。
「口論になって、芳弘が家を出る形で別居して……彼女はそれが俺のせいだと逆恨みした」
説明が進むごとに、真嶋さんが蒼白になっていく。
「そこを、前から俺を狙っていた男に付け入られた。協力を唆され、彼女が俺の行動情報を渡した結果、俺はそいつに捕まり、暴行を受けた。優花の母親が直接暴行に加わったわけじゃない」
そうだったんだ……。
想像より関わりが薄そうなことにホッとしていると、少し考え込んだ健吾が拓巳くんに顔を向けた。
「でも、それだけで起訴されるなんて変です。奥さんとして、夫婦の不仲の原因に浮気を挙げてるんだから、普通はその分を差し引かれるんじゃないんですか?」
拓巳くんの顔が一瞬、曇った。真嶋さんの顔色は蒼白を通り越して真っ白に見える。
まだ、何かあるんだ。
「お願いです。正確に教えてください。知らされない事実があとから次々出てきたら、優花はどんなことになるか……!」
拓巳くんはしばらく躊躇した後、真嶋さんに顔を寄せ、硬直したように動かない頭に手を添えてささやいた。
「芳弘……健吾でさえ推測できるんだ。いつか優花には知れてしまうだろう……せめてその前に俺たちから伝えよう。な?」
真嶋さんは頭を揺らし、肩を震わせ……そして頷いた。拓巳くんが再び説明しだした。
「優花の母親は、情報と引き換えにとある違法薬物を手に入れた。それはとても危険な麻薬との合成品で、下手に使えば命に関わる。自分の目的のためにそれを取り引きしたから、罪に問われたんだ」
健吾が食い下がった。
「拓巳さん。はっきり言ってください。つまり、優花の母親は拓巳さんを恨むあまり、その男から危険な薬物を手に入れて、あなたを害そうとした。だから起訴されたというわけですね?」
つまりは殺人未遂じゃないか……!
健吾の顔がしかめられ、僕も思わず手で口を塞いだ。
確かに、それなら罪に問われたのも頷ける。だからこそ、過去に触れる話にも関わらず、拓巳くんは自分が話すと言ったのだ。
すると、真嶋さんが身じろいだ。
「違う」
「えっ?」
「拓巳に手を下そうとしたんじゃない。……僕に使うために手に入れたんだ」
「自分の旦那さんを、違法薬物で害そうとしたんですか?」
聞き返した健吾も僕も、さらに驚いた。
「芳弘、よせっ」
拓巳くんが横から遮った。けれども真嶋さんは続けた。
「いいんだよ、自業自得なんだから……。仕方ないんだ。僕たちはお互いに理解しあえずに終わったから」
僕にも、彼女をそこまで追いやった責任がある――真嶋さんがそう結ぶと、拓巳くんは労わるように背中を支え、少し表情を改めて言い添えた。
「……だから、俺への罪状としては、この犯人の男の罪――拉致監禁暴行罪に対する幇助(手助け)、ということになってるはずだ」
「違法薬物については……?」
「使われたのが離婚協議中の夫に対して、ということで、芳弘が被害届けを出さなかったから、薬物所持法違反にしか問われてない」
拓巳くんの顔が僅かに悔しげに歪んだのを僕は目の端に捉えた。
「これが罪の全容だ。離婚のことはでたらめだ。それは前から協議していたことで、事件とはもともと関係ない」
当時は似たようなゴシップ記事が他にもたくさんあったから、その中のひとつとして特に注目も浴びずに済んだんだ、と言って彼は立ち上がった。
「拓巳くん。ちょっといい?」
寝仕度を済ませた僕は、ソファーに寝転んで目を閉じている拓巳くんにそっと声をかけた。
彼は長い睫毛を震わせると、ゆっくりと瞼を上げた。優花と話して疲れたのか、僕を見上げる眼差しが陰っているように見えた。
あのあと、健吾を伴って優花の部屋に赴いた拓巳くんは、まずは健吾にドアの前で呼びかけさせた。必死の呼び声が効いたのか、しばらくすると鍵の開く音がして泣き濡れた優花が顔を出した。その隙を捉え、ドアノブをつかんだ拓巳くんは、驚いて怯む優花にこう告げた。
「優花。おまえには俺から事情を話す。だから恐れるな。俺たちは、おまえが俺に対して気兼ねしたり、まして罪の意識にとらわれたりすることを望まない」
そして拓巳くんは優花の目を見据えると、健吾とともに部屋の中へ入っていった。閉じられたドアの向こうから、時折優花の嗚咽が漏れてきたけれど、しばらくして三人で出てきたときは、なんとか踏みこたえているようだった。
「優花……!」
真嶋さんがソファーから立ち上がって呼びかけると、優花も走り寄った。
「お父さんっ」
真嶋さんの腕に飛び込んだ優花の姿を確認したところで、僕たちは真嶋家をあとにしたのだった。
「疲れてるところをごめんね」
僕はソファー歩み寄り、拓巳くんの顔を覗き込んだ。
さっきの話の中で、僕にはどうしても引っかかることがあった。
「優花は、本当に真嶋さんの子なの……?」
おそるおそる口にすると、拓巳くんの肩が一瞬、震えた。
「なんでそんなことを聞く」
「だって……さっきの事件の話って、その背中の傷の事件だよね?」
「……そうだ」
「僕はそれが、僕の生まれる前の年の秋に起きたことだった、って聞いたことがあるよ」
寒い季節を迎える頃、拓巳くんの背中は痛み出す。
初めて説明を受けた五歳のとき、真嶋さんが言ったのだ。この秋で六年か、と。
じゃあ、あの傷は僕より年上なの? と聞くと、そうだよと教えてくれた。でもそうするとおかしいのだ。
「事件の前から別居してた、って言ってたでしょう? 事件の頃は薬を盛られるほど仲がこじれてて、その後は離婚して……そんな状況で、次の年の八月に優花が生まれるなんて、その……」
さすがに言いにくい。でも真嶋さんにはそぐわなすぎる。もしかしてそのお母さんが別の人と……つい、そんな想像をしてまって落ち着かない。
「……察しの良さも時と場合によるな」
拓巳くんがため息混じりに言った。
「やっぱり……!」
僕が息を呑むと、拓巳くんは首を横に揺らした。
「違う。優花は正真正銘、芳弘の子だ。だいたい、あんなに似てる親子もそうはいないだろ?」
「それは、そうだけど」
ないとも言えないかも知れない、そう考えたのだけど……あれ?
「でも今、察しがいいって……」
「まあ、とにかく座れ」
拓巳くんは僕の手を引っ張ると、自分も起き上がって隣に僕を座らせた。そのまま肩に腕が回される。
「薬のせいなんだ」
「薬って、さっきの話の?」
僕が横を見上げると、拓巳くんは頷いた。
「催淫剤、ってわかるか?」
僕は拓巳くんを見つめたままその言葉を吟味し――意味を理解して咄嗟に俯いた。
つまり、その……。
「そう、飲んだ人をその気にさせる薬だな。特に男をな」
顔を火照らせた僕に構わず、拓巳くんは淡々と続けた。
「芳弘は騙されて、それを飲まされたんだ。あの女――美奈子に」
えっ……⁉
拓巳くんを見上げると、その目に何を映しているのか、氷の気配が漂っていた。
「美奈子は俺を恨むあまり、当時、俺を手に入れたがっていた、夜の裏社会を牛耳る男に協力した。俺さえいなくなれば芳弘を取り戻せると考えたんだ。だから思いつきで男に相談し、勧められて薬に手を出した」
拓巳くんの眉根が辛そうに寄せられた。
「男は俺の後見人である芳弘が邪魔だったから、そういう薬の中で、最も危険で強烈な薬を美奈子に渡した」
「じゃあ……!」
「そうとは知らなかった美奈子は、軽い気持ちで所定の量より多めに使った。その結果、芳弘は正気を奪われて、美奈子に乱暴することになったんだ……」
苦しそうに拓巳くんは胸を押さえた。僕が慌てて背中をさすると、彼は僕の肩に頭をつけ、痛みをやり過ごすような仕草で続けた。
「それが発覚して、すぐに芳弘の離婚は成立した。……あの女はそのときに優花を授かり、俺たちの知らないうちに産んで、しかも捨てたんだ」
捨てた……!
「だから芳弘が引き取りに……」
予想外の内容に言葉を失っていると、背中に添えた手のひらに震えが伝わってきた。
「拓巳くん?」
肩に伏せられた顔を覗くと、すでに蒼白になっている。彼はそのまま僕の腕をすり抜け、ソファーに倒れ込んだ。
しまった、話をしすぎた!
「拓巳くん!」
「ああ……ヤバい……」
うつ伏せの背中をさすろうと手を当て……その硬さに心臓が跳ねた。
後遺症――フラッシュバックだ!
痙攣と過呼吸が始まる!
彼はソファーにうずくまり、浅い息で喘ぎはじめた。
「待ってて! 今、真嶋さんを」
言いかけて、ふと思い止まった。
いつも、これが起きるとまずは真嶋さんを呼ぶ。
拓巳くんがパニックを起こすので病院には行けない。真嶋さんが状態を判断し、軽ければ僕に指示を、悪ければ自分が看病する。俊くんを呼ぶこともあるけれど、どの段階だったかわからない。いずれにしても、対処を決めるのは真嶋さんだ。でも、優花のことはついさっき起きた出来事なのだ。
どうしよう……っ!
途方にくれて背中をさすっていると、拓巳くんが呻いた。
「……和巳、雅俊を、呼んでくれ」
「俊くんを?」
「ああ……あいつなら、全部、わかってるから……」
拓巳くんはそう言ったきり、動かなくなった。
運よく山手のアトリエにいた俊くんは、すぐに車で飛んできてくれた。
「和巳」
「俊くん!」
「どうなんだ、拓巳は」
「それが……」
リビングに入ってきた俊くんは、ソファーの上で身を縮めたまま小刻みに震える拓巳くんを見た途端、険しい顔で僕に向き直った。
「フラッシュバックだ。何があったんだ」
「ごめんなさい、僕が……」
優花のことや拓巳くんとの会話をかいつまんで話すと、俊くんの眉が跳ね上がった。
「あの記事が今頃……!」
そして苦い表情になった。
「それじゃ、芳さんところはそっとしておいてやりたいよな……」
彼は肩を落とし、拓巳くんのそばにしゃがんだ。
「拓巳、しっかりしろ」
「………」
拓巳くんの眉根が辛そうに寄る。俊くんはため息をつくと僕を振り返った。
「和巳。こいつをベッドに運ぶのを手伝ってくれ」
「はい」
拓巳くんの体を二人で支えながら、なんとか寝室のベッドに横たえさせると、俊くんがやるせなさそうな表情で僕を抱きしめてきた。
「あとは心配するな。拓巳は大丈夫だから……おまえは部屋へ下がれ。今日はもう遅い」
「俊くん?」
「いくらおれでも、このシチュエーションはダメージきつそうだ」
「えっ?」
「なんでもない」
俊くんは僕を廊下へと連れ出し、「しっかり寝ろよ」と言って拓巳くんの部屋へ戻っていった。
鍵のかかる音が、なぜだか僕の心に切なく響いた――。
翌朝、早朝に目が覚め、拓巳くんの寝室に駆けつけると、ちょうど手前のバスルームから出てきた彼とハチ合わせた。
「拓巳くん!」
バスローブを羽織り、タオルで頭を拭いていた拓巳くんは、すぐに手を止め、僕の顔を見下ろした。
「心配かけたな」
「もう大丈夫なの?」
「ああ。……雅俊のお陰でな」
拓巳くんは、けれども浮かない表情で、
「この借りは、さぞかしタカくつくぞ……」
とブツブツこぼしながらリビングへと僕を誘った。
「俊くんは帰ったんだね?」
ソファーの背にもたれる拓巳くんの長い髪を後ろから拭きながら確認すると、「ああ――多分」と返事が返ってきた。まだかなりだるそうな様子だ。
しばらく無言で髪を拭き、水分が取れたところでタオルを外すと、拓巳くんがポツリとこぼした。
「和巳、昨日の話は――」
「もちろん、優花には絶対言わないよ。健吾にも」
「ああ……頼むな」
僕が頷くと、ようやく拓巳くんは薄く笑ったのだった――。
翌日の放課後、中庭の隅にしゃがんだ僕と健吾は頭を突き合わせた。
「優花の様子はどう?」
文化祭の準備に沸く慌ただしい気配もここまでは届いてこない。
「今のところ大丈夫だ。まあ、元気、ってわけには行かないけどな。まったく、昔の記事なんかサイトに載せやがって、いい迷惑だぜ」
脇に鞄を放り出し、コンクリートテラスに座り込んだ健吾は苦い顔で毒づいた。僕は宥めるように言った。
「それで? 優花は部活にも行ったの?」
「ああ、ひとまずは」
昨日、真島家を出るとき、優花は明日の学校を休むと言い、真嶋さんも頷こうとした。それを健吾が止めた。
「これで一日でも休んだら、このことが頭から離れなくなる。普通にしているんだ」
「でも……」
「もし、あれを見た誰かが何か言ってきても、デタラメだ、って言って堂々としてるんだ。普段の優花なら絶対そうするだろ? 今回だって同じだ。優花はなんにも悪くないんだから、いつものようにしたほうがいい」
姿勢を正し、粘り強く説得する姿には思わず感動を覚えたものだ。
「そうはいっても疲れただろうから、早めに迎えに行こうと思うんだ」
「軽音部は大丈夫なの? 先輩に何か言われない?」
「やることはやってる。ずっと居なくても問題はないさ」
「そっか」
じゃあ、とそこで健吾とは別れた。
中庭を横切ろうと通路に入ると、向こうからやってくる長身の姿が目に映った。
浜田凱斗だ。
今さら道を変えるわけにもいかず、よけるために立ち止まると、彼も僕の一歩手前で足を止めた。開いた襟に緩くネクタイを締めた姿はどこか殺伐として、それでいて惹きつけられるものがあった。
「高橋、和巳……か」
頭上から見下ろす眼差しが暗く光る。我知らず身震いしながら、僕は頭を下げて脇に寄った。
すると彼は少し背を屈め、僕の顔をまじまじと見つめた。
「本当に、おまえがあのタクミの息子なのか」
「はい」
答えると、凱斗はさらに聞いてきた。
「『命の期限を切られたため、先に結婚し、一子をもうけた』って、あのときの子どもか」
詳しいな……。
つい、警戒心が頭をもたげた。
彼からは、よく健吾に見るような〈T-ショック〉への興味や憧れといったニュアンスをまったく感じない。にもかかわらずこの詳しさはどういった理由からなのか。
先日の奇妙な言葉といい……。
「……そのはずです」
硬い声で返すと、凱斗は探るような眼差しで言った。
「あれはGプロが作ったんだよな。事実を隠すために」
「えっ?」
驚いて顔を上げると、なぜか凱斗の気配が急に重たくなった。
「まさか、何も知らねえのかよ」
「あの、それはどういう……」
「いくら、スタッフが口止めされてるからって、知らなすぎだろ?」
「どうしてそれを……!」
拓巳くんに関わるGプロスタッフは、過去の話題には触れないよう注意を受けている。拓巳くんが不安定になるからだ。
すると凱斗が嘲笑うような笑みを浮かべた。
「昨日、〈T-ショック〉のファンサイトにおもしろい記事が出てたよな」
思わず肩が震えた。
「見たんですか?」
まあな、と凱斗は背筋を元に戻した。
「案外、あれもその昔、おまえを守るためにわざと放置したんじゃねえのか?」
「えっ?」
「おまえの出生にかかわる記事は公式サイトの情報以外、一切シャットアウト。Gプロの方針だったはずだ。専属スタイリストの元妻がやらかした事件なんてどうでもいい、ってわけだ」
「そんな……」
あれほどの事件が、僕の出生のことより軽いとでもいうのか。
「あなたが、なぜそんなことを知っているんですか!」
「さあ……どうしてだろうな」
さも焦らすように凱斗は笑い、おもむろに手を伸ばすと、僕の顎をつかんで上向かせた。
「知りたくもねぇことが入ってくる環境……だったからかもな」
凱斗は再び身を屈めると、吹き込むようにこう告げた。
「おまえはな、親の命を奪って生まれてきたんだぜ……」
――っ⁉
「それでタクミが正気を手放しちまって、〈T-ショック〉は半年も活動を休止したんだ」
「なっ……」
ふいに写真の中のあの人が思い浮かんだ。
何の違和感もなく着こなされた男物のスーツ。
口を閉ざす俊くん。
なかなか話せない拓巳くん……!
「おまえ、どんだけ自分が守られてきたか知らねぇだろ」
(親の命を奪って生まれた)
衝撃が許容範囲を越え、一瞬、膝から力が抜けそうになった。すると。
「和巳君!」
ふらついた僕の肩を、稜先輩の腕が支えていた。
「稜先輩……!」
いつのまに来ていたのか、彼女は僕の胴に腕を回すと凱斗から離すように後ろへ一歩下がった。
「す、すみません、先輩」
慌てて自分で立とうとすると、彼女は僕の肩に手を添え、凱斗に向き直った。
「聞かせていただいたわ。ずいぶんな内容ね。なぜあなたにそんなことが言えるのかしら」
「別に嘘はついちゃいないぜ。俺は少なくとも今のそいつよりは知ってるんだ。そいつの生まれた事情、ってやつをな」
悪びれもせずに彼は嗤った。すると先輩は僕を後ろへ軽く押しやり、自分が一歩前に出た。
「あなたの言葉が本当だという証拠がどこにあるの」
「俺が嘘をついて何の得があるんだよ。」
凱斗は素っ気なく答えた。
「おまえは武道の師範なんだろ? 相手の心情くらい見抜いたらどうだ?」
自分を晒すように向き直る凱斗に、稜先輩の眼差しが突き刺さった。
「…………」
息の詰まるような沈黙のあと、彼女は小さく息を吐いた。
「……そうね、嘘ではないようね。あなたはくだらない嘘で愉しむタイプじゃないわ。やるならもっと手段を選ばないわね」
「そりゃ、ホメ言葉ってやつかな」
凱斗は笑い声を上げた。
「人を見る目のある女は好きだぜ」
「あらそう。誉め言葉と取っておくわ」
稜先輩が切り返す。すると次の瞬間、凱斗の手が稜先輩の肩をつかみ、驚いた彼女の顎を捉えて引き寄せた。
「やめろっ!」
間を割ろうとした僕を、稜先輩の片手が制した。見ると、もう片方の手が凱斗の顔の手前で止まり、Vの字に突き出した人差し指と中指が両目にあと五ミリだ。
「やるじゃねえか」
凱斗はよけるでなく、口の端で笑った
怒りを宿した彼女の瞳が凱斗を睨みつける。それを見た凱斗はますます愉しそうな顔になった。
「そんなに熱い目で見るなよ。そそられちまうぜ?」
「……っ!」
稜先輩の頬に血の色が差す。
この……っ。
僕は先輩の前に体をねじ込んで彼の腕をつかんだ。
「先輩を離せ!」
凱斗はうるさそうにしていたが、しつこく「離せ!」と食い下がるとようやく顎から手を離し、僕に目線をよこした。
「おまえはこの女と付き合ってんのか?」
「……っ。そうじゃ、ありませんけど」
「だったら須藤と俺のやり取りに割り込むなよ。おまえにゃカンケーねぇだろ」
「なっ……」
嘲るような口調で言われ、全身がカッと熱くなった。
「それより、おまえはもっと自分に関心を持ったほうがいいんじゃねえの?」
「……っ!」
凱斗は鋭い双眸を細めるようにして見下ろしてきた。
「何があったか知りたいか」
「………」
無言のまま目線を合わせていると、彼は一歩下がった。
「知る勇気があるなら、いつでも聞きにくるがいいさ」
じゃあな、と凱斗はスラックスのポケットに手を突っ込み、その場を離れていった。




