10-1.昔話
ルリとコクフウはカロンの背に乗り夜明けとともにウィンドランドを発った。
昼のうちに西にあるセントラルランドへ飛び、夜になったら適当な場所で寝る。ウィンドランドとセントラルランドの国境を越えたのは出発してから五日目だった。地上に青の混血児トーリュウを見つけたのは、それからさらに三日後の夕方のことだった。
「ねえ……」
声をかけてはみたものの、その状況の凄まじさにルリは言葉が続かなかった。腕がないとか足がないとかそういった理由ではない。
彼はただうつろな目をして血だまりの中に膝をついていた。その隣には血の出どころ、首を失った獣の身体がある。たくましい四肢を投げ出し、大きな翼が千切れているのが無残だった。
「なにが……なにがあったの?」
風が血生ぐさくてむせそうだった。問いかけても返事を寄こさないトーリュウは心ここにあらずといった様子で表情がない。
「ルリさん、この黒い獣の死体、トーリュウさんがいつも連れて歩いてたグリフォンじゃないですか? 首はありませんけど、大きさといい前足の形といい」
「襲われたのかしら。ティーナがいないわ。一緒だと思ったのに」
青の混血児に王城へ送ってもらうのだと彼女は言っていた。だがティーナの頼っていたトーリュウは王城までの翼をなくしてこのような場所にいる。道中で襲われてティーナは連れ去られたというのが一番近いだろう。
トーリュウの夕日に輝く銀髪に付着した血はまだ乾いていない。事が起きてからそれほど時間はたっていないようだ。
「……ねえ、しっかりして」
触れがたいその肩を揺すると、ようやく彼は眠りから覚めるように自己を取り戻した。暗く重い空気を背負っているのは変わらない。青い目には力がなかった。なにがあったのか尋ねてみるもトーリュウは答えてくれない。
彼はゆっくりあたりを見回して誰もいないことを確認し立ち上がる。病人のようなふらふらした足取りで進もうとするのをルリはとめなければならなかった。
「どこに行くつもり?」
引きとめるルリに今しがた気づいたとでもいうようにトーリュウは振り返る。その視線はルリ、コクフウと移っていき最後に血臭に興奮気味のカロンで釘付けになった。
「……王城につれていってくれないか? おれにはもう城へ行く手段がない。頼む」
これほど弱気になった青の混血児をルリは初めて見た。ファイアーランドでなにも得られなかったとき以上だ。すでに彼は膝をついてルリの手を握っている。ここでルリが断れば頭も下げるかもしれないが、そうする必要はない。
「かまわないわ。あたしたちも王城に行くつもりだったんだもの」
頼まれずとも城への足を失った彼を見つけた時点で一緒に行こうと思っていた。同行を許したにもかかわらずトーリュウが頭を地面につけたことにルリは申しわけなさを感じた。
木の枝を立てたり小さな花を手向けたりとできる範囲でトーリュウの相棒を弔った後、三人はカロンに騎乗して墓を去った。とはいえあの巨体を納められるだけの穴など掘ることはできず今でも野ざらしなのが心残りだった。簡単で即席の、本当にできる範囲で作った墓だった。
かなり参っていた様子のトーリュウはグリフォンを弔ううちに落ちついてきた。すっかり暗くなった空を再び行くころには、ぽつりぽつりとではあったもののなにが起きたのか話してくれた。
「おれはティーナを王城に送る約束をしていた。リューズエニアからここまで飛んできたところで、ティーナは偽王自ら迎えにきてつれていかれた。抵抗してヴェルの首にしがみついてたんだ。そうしたら首ごとつれていかれた」
淡々とした語りが逆に恐ろしさを表していた。彼の話では目の前で愛獣の首を斬られたことになる。ルリが彼を見つけたときに自失していたのも当然だ。空での攻防だっただろうに無傷なのは運がいい。
「目的地はもともと王城だったんでしょう? だったら城で待ってればよかったのに、どうしてわざわざ迎えにきたのかしら」
「余計なことをしゃべらせまいとつれていったんだろう。娘が裏切ったことを奴は知っているはずだ。だがおれはティーナから全部聞いた後だった」
関わってはいけないことのような気がしてルリは黙って前を向いた。リューズエニア付近で彼らを船から降ろして以来、トーリュウとティーナはそれなりの時間を共有している。きっと信頼の上での話なのだ。しかし後ろの彼はルリの肩に手を置いた。
「おまえも知っておいたほうがいい」
「……あたしが聞いてもいいものなの?」
ああ、とうなずいた青の混血児は記憶をたどるかのように目を閉じた。
「ティーナは、自分は本物の娘ではないと言っていた。それから……」
「ちょっと待って。本物の娘じゃない?」
「偽王とは親子関係でもなんでもなかったってことだ」
ティーナは王女ではないと判明し、親は本当の親ではないと知り、状況はやや異なるがその境遇はまるで自身を見ているようだとルリは思った。もっとも、彼女は聞くまでもなく一部はすでに知っていたようだが。
「自分がどこの生まれで親はなにをしていたのかは本人もわからないらしい。小さいころの記憶はなく、ふと気がついたら城で王女をしていたと。偽王の生まれた時代はずいぶん昔のことなんだ、あんな若いのが実の娘なはずがない。大切に扱われているのはたしかみたいだがな」
「ティーナが本物じゃないなら、本物の娘は?」
「父のすることは間違っていると言って秘宝を盗んでファイアーランドに隠れた。そいつがファイアーランド領主の祖母らしい。あの女が今でも若いのは、父親の反逆に抗議したから持ち出した秘宝が力を貸したのかもしれない。……そんなことはどうでもいい、話を進めさせてくれ。たいして長い話じゃないんだ」
トーリュウは頭の中で言葉をまとめるためかしばらく無言になった。長い話でないとはいうものの少しばかり込み入った内容になりそうだった。
「今玉座にいる偽者の王は数代前の女王の弟にあたる。名前をデルダスという」
名を告げられた途端、これまで我関せずというさまを作っていたコクフウが肩を揺らした。
「魔物というのはそんなに生きるものですか? 彼はもう三百年以上も前の人のはずです」
「王族は特別に長命らしい。ファイアーランド領主の祖母にあたる女を見ただろう。あれは秘宝の力で生かされていたわけじゃない。若く見せていただけだ」
コクフウはそれで納得したようだった。彼でも知らないことがあるのだ。
「それで、奴は女が王になることを嫌がって姉を殺そうとした。これが娘に愛想を尽かされた原因だな。当然失敗して牢獄行きだ」
それがコクフウが言うには三百年前のことだということを念頭に置いてルリはじっと耳を傾けていた。ルリの知らない昔に起きたことがこの事態を引き起こしている。
「だが計画は着々と進んでいった。牢に放りこまれたデルダスは三百年だったか、それほどたった今でもまだ生きていたからだ。奴は脱獄し、機を待ち、今の王の時代に行動を起こした。奴に王城が乗っ取られる寸前、神獣に託された赤ん坊がおまえだ」
「神獣に託された……?」
「当代は神獣との関わりが深かったんだと」
赤子のときのこととはいえ、それではクロウとは洞窟でのことが初対面ではなかったのだ。頭の中ではわかっていても彼は神獣なのだという実感はまだない。ルリにとって子供でしかないクロウが赤子のころのルリを知っているというのはどこか奇妙な感じがする。
「あたしが生まれたときからそれじゃ、あたしが秘宝を集めてたのは偽王のためだっていうの?」
「違う。秘宝を集めるようにという王命はどこかで生きてた本物の魔王が、紅の混血児を殺せというのはそれを妨害するために偽者が出したものだ。本物の王も王女も生きてるとは思わなかったんだろう」
異なる人物からの命令ではどうりで態度も違うはずだ。本物が生きていることを関知した偽者がすることといえば一つしかないのではないだろうか。
「で、城が乗っ取られてからのことは知ってのとおりだ。ティーナを王女に仕立て上げたデルダスは、おまえの年齢分だけ玉座をあたためている」
トーリュウはそう締めくくった。たしかに長くはなかったが思考のとまるような呆然とする話だった。ティーナは誰の子かわからず、偽王デルダスは三百年も昔の人物で、姉が王になるのが気に食わず殺そうとして失敗、長い年月を牢の中でじっと耐えてやっと望んでいた玉座にいる。本来そこにあるべき者の生死はわからない。
「今の話、全部ティーナから?」
「ああ。ファイアーランドで王女でないことを認めたときに思い出したそうだ。思い出すというより、改めて考えてみるとすでに知っていた、というほうが近いとかなんとか」
その感覚にはさすがに共感できなかった。コクフウは理解に苦しむのを笑顔に紛らしている。
「王城が機能しなくなるまであっという間だったらしい。騒乱のうちに王妃は死んだ。おまえの本当の母親だ」
顔も見たことがない母が王妃。実の父が魔王なのだから当然といえば当然だが、そのことにルリは初めて気づいた。魔王については光り輝く金色の髪などといった少しの情報はあるものの、王妃の、本当の母の姿かたちをルリはまったく知らなかった。
「王城内部はひどい混乱だったろうに、セントラルランド民は王城でのことにまったく気づいていなかった。以前おれが城に行ったときものんきに城を眺めてるだけだった。領主でさえ知らなかったのもいるからな。最初から知っててずっと黙ってたのもいる」
「知ってて黙ってた人が神獣に裁かれる……」
「裁かれる? なんの話だ」
「領主は神獣に見張られていて、王のためにならないと判断されたら神獣に裁かれるって、そういう話。フォレストランド領主やファイアーランド領主が亡くなったのは審判の結果だって」
トーリュウは苦々しい顔をした。彼も神獣に踊らされていたと、特にフォレストランドでのことは考えられないこともない。
ルリは神獣の手を経てウィンドランド領主の子供となった。なぜ神獣が、なぜ王女が、と父母は疑問に思ったに違いない。そして神獣は王城でなにが起こったのか説明したに違いない。となれば、父はすべて知っていながらなにもしなかったことになる。父の生存は絶望的ではないか。
なにもしなかったのは罪かもしれないが、あまりにも理不尽ではないだろうか。そのとき神獣が詳細を話さなければ父はなにも知ることはなかった。すべて把握していた神獣が事態を収めればいいにもかかわらず、事情を話したのになにもしなかったと父を裁くのはおかしい。まるで子供のようだ。
いや、子供だった。神獣には、大人びた表情をしたクロウにはどこか子供の残虐性があった。
「そういえば、もう一人子供がいただろう。そいつはどうした」
「……あたしも話さなきゃいけないことがあるの」
問われた以上ルリも答えなければならなかった。彼はティーナから聞いたことだけでなくルリとの合流前に襲撃があったことも話してくれたのだ。
「あの子は、クロウは神獣だったの。それからウィンドランドの母様の話だと、秘宝は六つで、七つ目は神獣自身なんですって。もともとセントラルランドに秘宝はないの」
ルリ自身まだ整理がつけられていないのもあって半分まくし立てるように話した。トーリュウはその様子に面食らったようだが話の内容については落ちついて聞いていた。
「もともとセントラルランドにはない、か。偽物をつかまされるはずだ」
まだお互いを詳しく知らないころ、青の混血児が王城を襲って秘宝を強奪したとリューズエニアで耳にした。あのときは今のように行動をともにすることになるとは考えもしなかっただろう。
これがウィンドランドの、とルリはクロウから受け取った秘宝の片方を差し出す。いぶし銀の美しさをもつそれは小ぶりの石を輝かせ、礼を述べるトーリュウの手に収まった。
「ファイアーランドで見つからなかったぶんはどう?」
「リューズエニアの大宿で見つかった。……その、リューズエニアがウィンドランドにしたことなんだが」
事件を知っていることに驚きつつ、気にしないで、と言おうとした口はしかし動かなかった。
「ウィンドランドの味方にはなれなかった。おれはとめなかった。リューズエニアで暮らすのは、つらい。どこもかしこも水だらけで、領主もウィンドランド行きを奨励して」
「……一緒になってこっちに入ってこなかっただけありがたいわ」
やっと絞り出したのがそれだった。リューズエニアでは各地で家々が水没している。領主が奨励するほどとは以前訪れたときより状況は悪化しているのだろう。陸地を求めて逃げようとするのはわからないでもない。
「ウィンドランドはどうなった?」
「クロウが味方になってくれたわ。神獣が。村一つが犠牲になったけど。リューズエニアとウィンドランドが分断されたみたいだった」
そうか、と言ってトーリュウは後方、ウィンドランドとリューズエニアの境あたりを見た。日暮れ時であれば赤い大地に真っ黒な谷を見つけることができたかもしれないが、今は夜だ。
セントラルランドの夜風は冷たかった。