10-2.割れた窓
青の混血児トーリュウを拾って五日の朝。恐れていた襲撃などもなく、すでに王城は目前だった。
偽王が治めていることをセントラルランドの民は知らない。ともなれば城下大都はさぞ活気に溢れているだろうと予想していたがそこはいやに静かだった。夜の街のように誰もがまだ眠っているように思える反面、住人すべてが逃げ出した後のようにも見える。
「セントラルランド人はのんきに王城を見上げてたって、本当?」
「おれが行ったときはな。あれからもうけっこうな時間がたってる。今はどうだか」
空からでは人影もよく見えないのかもしれないにしても、朝であるにもかかわらずこの静けさは妙だ。セントラルランドに入ってこれまで上空から見てきた町には人気があり、大都のみに外出禁止令が出ているとは考えられなかった。
絵に描いたようにおそろしく区画の整った家々が一段上の城を取り囲んでいる。あれこそが王の住まう城だ。朝日に輝く丸屋根の隙間には木が覆い茂り、そこから廃墟じみた塔が頭を出す。城壁は宝石を砕いて散りばめたかのようにきらきらしている。他の六大国の城が入り混じったような景観だ。
「もうすぐ王城よ。行ってなにするつもり?」
「おまえこそなにしに来たんだ」
「あたしは……あなたが王城に行くだろうと思ったから。それに陛下のご命令があったもの。この大戦を終わらせるため、秘宝すべてを集めたらセントラルランドに来いって」
青い目にわずかな侮蔑が宿り、ルリは目をそらした。おまえ自身の考えはないのかとその目は言っていた。
「あたし、なにも知らなかった。秘宝にはこの世界を好きにできる力があるってことは知ってたけど、じゃあ具体的にどうすればいいかなんて、なにも」
「……おれもなにをすればいいのかは知らない。神獣がなんとかしてくれるんじゃないかと思ってた」
「でも、それはたしかなはずよ。神獣は六つの秘宝を持つ者をセントラルランドで待っているって聞いたもの」
王城に行ってみないことにはなにも進まない。それが現時点での結論だった。城は近い。城壁の向こう、透明な丸屋根が朝の日差しを反射している。
白い翼を羽ばたかせてカロンは一直線に飛んだ。正門をくぐって入城するか乱入するかで悩んだが、それを決める前にカロンは地上になにか見つけたようで下降した。
出迎えてくれたのはティーナだ。無事であることに安堵したが、自ら王女でないことを認めて父を諌めると言っていた彼女は、ルリたちがカロンから降りるなりこちらのことを拒むように腕を前に突き出した。
「お願い、帰って」
「ティーナ? あたしたちはここに用があって……」
「いいから早く逃げて! お父様が」
顔を蒼白にして震えるティーナの腕をトーリュウがつかむ。
「いったいなにがあったんだ、ちゃんと話せ」
尋常ではない。ようやくそれを悟ったルリは同時にそれに気づくのが遅かったことも悟った。
落下していく感覚があり、冷たい空気がぬるいものに変わっていくのを肌で感じ取ることができた。もがこうとしたところでルリはこれを以前にも体験したことがあることを思い出した。ゴーストランドで目覚める前、まったく同じではないにしろ似たような感覚があった。
虚無。それは夢、なにもない夢だ。定義づけることは難しい。虚無は頭の中で起こっていることでもあり、まったく別の場所で起こっていることでもある。
肩を揺すられたルリは固く閉じていた目を開けた。先ほどまで外にいたはずだがそこに広がっていたのはきらびやかな王城の内部である。外からでしか見ることができなかった透明な天井は今やルリの頭上にあり、朝日を取りこんで赤い絨毯の敷かれた廊下を照らしていた。
肩に置かれた手をたどると揺り起こしてくれたのはトーリュウのようだった。あたりを見回してみるもルリのほかには彼しかいない。
「……コクフウ君は?」
「もう一人のことなら悪いがわからない。別の場所に飛ばされたのかもしれない。スフィンクスもいなくなってた」
「あなたは本物なの?」
「おれからすればおまえこそ本物なのか知りたいくらいだ。こればっかりは本当にわからない」
虚無は幻であり、夢と現実の、あるいはこちらとゴーストランドとの狭間だった。狭間というからには誰かと会うこともあり、しかしそれは本人でないこともある。夢に出てくる人物が本人でないことは子供でも知っている。
ルリとトーリュウの意識が同じ場所にあるのか、それとも今まで一緒にいたという思いこみからルリが彼の幻を作り出したのか。だが疑り深い彼の様子を見ておそらく本物だろうと見当をつけた。トーリュウの性格を少しは理解したつもりだがここまでとは知らなかった。
トーリュウはまだこちらを疑っているようだったが、ルリの存在を彼の意識が作ったのなら害はないし本物ならなおさらだと弁明して前に進むことを同意させた。幻であることを疑って動けないでいるのではどうしようもない。
赤い絨毯。曲がりくねった廊下。透明な結晶の屋根が外の光を集めては拡散させ、木漏れ日のような明かりを落とす。誰もいない。
「この廊下、あたし知ってるわ。廊下だけだけど……そう、あそこの窓が割れてて」
自分で言いながら信じられなかったがそこを横目で見ながら通ると窓は本当に割れていた。足元から天井まで続く窓は枠のみが残されて清涼な風が吹きこむ。そこに引っかかっていた赤い布がはためくのを見ていると、王城でなにが起こっているのか、不安を含めて一瞬すべてを忘れかけた。
「誰かに追いかけられて走ってたのよ」
ルリは自分のものではないような記憶を頼りに走った。そもそもなぜここが王城の中だと気づいたのかもわからない。そこからしてすでに他人の記憶だ。だが右も左もわからない王城を行くのに頼りにできるのはそれしかない。
足を踏み出すたびに床の抜けるような恐怖を感じながらルリはずっと走り、行きどまりの扉に二人は立ちどまった。この扉はルリの中の記憶にはなかったがここまできたのだからとルリは扉を押し開けた。
大広間だ。ファイアーランドにもあったがその倍はある。滑りやすい真っ白な床には鳥やら草木やら獣やらの繊細そうな彫りが浮かび上がり、中央には大きくグリフォンの図柄が横たわっている。図案自体は魔王直紋にあったものとまったく同じだった。
「それで、ここになにかあるのか?」
「……知らない。初めて見るわ」
広間の奥に目ざとくなにかを見つけたトーリュウがルリの手を引く。
上段に見知らぬ男が二人。真っ赤な服に太陽のようにまぶしい金髪の男は椅子に腰掛け、光の色合いを宿す髪を持つ男がその横に控えていた。佇む彼の目は紫色、髪は腰に届くほど長い。
立っている男の姿にルリは目を疑った。落ちついた風貌の彼はルリがこれまで毎日見てきた色を身につけている。
「……クロウ?」
「来るだろうと思った」
彼はルリの後ろに目を向けてなにか探すそぶりを見せた。残念ながらコクフウとカロンはここにはいない。トーリュウよりもコクフウたちのほうがともに行動していた時間は長いのに彼らが一緒でないのは不思議な感じがした。
クロウとはウィンドランドで別れた。見慣れた姿でない彼はクロウとは違う。だが彼はクロウなのだという先入観が邪魔をして真正面から神獣と捉えることは難しかった。
あの子供ではない。面影はあるがまったくの別人。かといって神獣とはまた違う。ではなんなのだと言われるとしかし神獣と答えるしかない。そう、彼はなによりも尊い神獣だ。神獣は秘宝を手にした者をセントラルランドで待つとはいうがここは心弱き者が囚われる虚無、神獣がいていい場所ではない。
「なんでこんなところに……」
「ここにいてはいけないのか?」
「神獣が虚無に? 決してなににも縛られることのない神獣が?」
「私の意思でここにいる」
短く淡々と答える彼の表情は仮面のようにまったく動かなかった。クロウは表情に乏しかったがこちらはその上を行く。同一人物のはずなのに。
椅子に座ったままの男はこのやりとりをどこか楽しそうに眺め、トーリュウはこれが神獣なのかと一歩引いたところで検分している。彼らに急いだ様子がないのをたしかめてルリは話を続けた。
「血の契約であたしに引っ張られたからじゃなくて? そういえば一緒にゴーストランドに行ったこともあるわよね。神獣も死ぬの?」
クロウは血の契約によってルリに引っ張られて虚無に落ち、その末にルリとともにゴーストランドまで来たことがある。ゴーストランドへ足を踏み入れるということはすなわち死ぬということだ。あのときは彼の正体を知らなかったため悪いことをしたという程度にしか思わなかったが、神獣を殺したとなれば話は別だ。
「血の契約をしたのはクロウで、ゴーストランドに行ったのもクロウだ」
「でもクロウは神獣だったんでしょう?」
「姿を借りたと言えばわかるか? 契約に縛られたのはあの子供であって神獣ではない。おまえはどこに行くかわからないから一緒にいるにはそうする他になかった」
「じゃ、本当に自分の意思でここにいるのね? あたしがここに来たからじゃないのね?」
ルリが念押しするように確認を取ると先日までクロウを名乗っていた青年はうなずいた。
「もう契約のことを気にする必要はない。クロウは消えた。神獣はなにものにも縛られない」
「……クロウと神獣は完全に別の存在ってこと?」
「そう取ってくれてかまわない」
なにをどう信じればいいか迷うところだったが彼自身にそう言われてはそれで納得するしかなかった。姿を借りていただの別人だの、聞かされても一度で噛み砕けない漠然とした言いかたばかりだ。
こうして穏やかに話していると彼はクロウなのだと思った。けれどもどこか違う。そっけない態度にも適当な答えにもそこに含まれる信頼が読み取れたのに、今ではどうだ。簡単に察知できたそれは覆い隠されたかのようで、あまりにもよそよそしく感じる。
結局、クロウという子供はいったいなんだったのだろう。彼の言いようではまるで王のために動かす神獣の駒ではないか。大切な友人を失ってしまったような、そんな気がした。
ルリの話が終わったのを察したトーリュウはおそるおそるといった様子で声を発する。
「おまえ、本物か?」
はっとしてルリは目の前の二人の男を見た。ここが虚無という場所で現実ではない以上、なにもかも疑ってかかるのは当然のことだ。彼らが本物でなければ先ほどの説明も嘘になるのだと希望が出てきたものの、それはありえないだろうと自分でその考えを打ち消した。
「神獣を騙る勇気のある者はさすがにいない。私たちを除き、ここにいるのはあの日逃げることができなかった者たちだけだ」
「あの日?」
「偽者だという男が城を襲ったときのことだ。城の者全員が巻きこまれた」
長くなりそうな話をトーリュウは遮る。
「そんなことはどうでもいい、おまえが本物の神獣ならすることは一つだ。神獣は秘宝を持つ者を待っているんだったな? ここに六つの絶望と希望がある」
「虚無の中でそれをするのか? 城の最上階にその部屋がある。そこで」
やはり神獣はどこでなにをすればいいかすべて知っているのだ。だが彼の言うようにここは虚無の中である。最上階に部屋があるにしても夢の中ですることに意味はない。
「ねぇ、ここを抜けるにはどうしたらいいの?」
今までずっと黙って事の成り行きを見守っていた男がやっと答えられる質問がきたとばかりに立ち上がった。赤い裾を引きずりながら段をゆっくり下りる男の姿は煙のように揺らいでいる。
「廊下に割れた窓があったろう。そこから外に出られる」
この男をルリは知っている、そう思った。大人の男を警戒することも忘れ、初対面のはずなのに懐かしいと感じられる声は駄々をこねる子供をあやすように優しい。輝く金髪に青い目、落ちつき払った空気、貴人とは彼のことをいうのだろう。これまで見てきた領主とはまた違う。
彼はこちらの目の前まで来るとその大きな手をそっとルリの頭に置いた。やはり懐かしい。
「つらい思いをさせてすまなかった。さあ、急ぎなさい」
「あなたは?」
「いい。私は戻っても仕方がない」
早く、と彼はルリの背を押した。新しいことに挑戦しようとする子を親が後押しするような手つきである。それに従ってルリはトーリュウとともに踵を返す。
ルリがちらと後ろに目をやると二人はじっとこちらを見ていた。もしや、あの男は。
「どうした?」
「……なんでもないわ」
「早くここを抜けるぞ。現実でどうなってるか心配だ」
滑りやすい広間を抜けると同時に二人は割れた窓のあった場所まで走った。




