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時を刻む紅  作者: 榊原
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9-5.神獣

 カロンに乗って城を出た翌日の夕方、それを目の前にしたルリは絶句した。ウィンドランド南部、リューズエニアと山で接しているアゾ区の様子はルリの想像を超えていた。

 村がリューズエニア人に襲われ、彼らはそこを拠点に略奪をはたらいていると聞いた。だがそこにあるのはどうだ、逃げ惑う人も村もなく、ただの渓谷だ。地面が赤いのは夕日のせいで血の一滴も流れておらず、裂けた大地は影になっていて下方がまったく見えない。

「地割れ……? いったいなにが」

「ルリさん、あそこに兵士のみなさんがいます」

 コクフウの指差す方向にカロンを向かわせ、その背を降りる。

 誰もこちらを見ず、兵士たちはルリよりも深い谷のほうが気になるようだった。馬が一頭、それから背伸びして覗きこもうとする者、なにかを待つかのようにじっと裂け目を見つめる者が多数。数人が真剣な面持ちで谷底へ続く縄を握っている。

 ルリは隊列の後ろにいる兵士に声をかけた。

「ここでなにがあったの? あたしは母様に、領主の奥方に頼まれて来たんだけど」

「我々にもわかりません。突然地面が移動するように……」

「村は? 誰でもいいわ、生存者とか」

「隊長が谷底を調べに行ったところです。それをこうして待っている次第で」

 彼が帰ってこないことには状況ははっきりしないというわけだ。ここで翼のあるカロンに頼るのは簡単だが、一人で下を調べに行った彼のことを考えてルリは思いとどまる。

 完全に日が沈んだころ、命綱を握る兵たちに反応があった。その波が周囲に伝わり全体が期待に高まる。谷底から縄を手に、一人の男が顔を出した。

「生存者はいなかった」

 落胆、沈んだため息がこの場に満ちた。来た意味を失った彼らは肩を落として視線を交わす。

「私はこのことを領主に報告しなければならない。下にある遺体を頼む」

 表情のないまま男は待機させていた馬にまたがり、どうやらただの馬ではないらしく渓谷をやすやすと跳び越えて城のほうへ向かった。残された兵士は綱を用意して身体にそれを巻きつける。日の隠れた今、谷はますます深い闇となっていた。

「……あたしたちも帰りましょう。クロウが待ってる」

 二人は再びカロンに身を任せた。

 上空から改めて見ると地割れの大きさがよくわかる。地面はリューズエニアとの国境である山に沿うような形で裂けていた。まるでリューズエニアの侵入をこれ以上許さないという意思を大地が持っているようだった。その証拠に、国が分裂するほどの地割れにもかかわらず村は一つしか犠牲になっていない。

 城へまっすぐに飛んでいたカロンが突然進路を変えた。向かう先に目を凝らせばそこは岩場、先端がかすかに光っている。風さえしのげればウィンドランドは寒い国ではなく、これまで日が暮れたときには適当な場所で休んでいたため今夜もそうだろうとカロンなりに考えたのかもしれない。

 カロンが着地し、浮遊感から解放されるとともに身体の重さが増す。何度経験してもこれには慣れなかった。ルリたちを降ろすやいなやカロンは待ちきれないといった様子で淡く光るそれに駆け寄る。

 かがり火かなにかだと思っていたルリはまたも言葉を失った。夜の中でも燐光を放っていたのは目を見張るほど美しい青年で、彼は近づいてきたカロンの牙や爪を恐れもせずその頭を撫でていた。

「秘宝」

 開口一番に飛び出してきた言葉はただの単語で、しかし重要な意味を持つそれにルリは困惑した。ルリの戸惑いを知ろうともせず彼は細工物を差し出す。

 その二つの宝飾は青年の発する光を取り入れて自ら輝いていた。一方は翼を広げた鳥を模した艶のある銀の土台、割れた鏡のように光をあちこちに散らせる大ぶりの石。もう一方はいぶし銀でこれもやはり鳥の形、こちらの石は小さいがいくつもはめこまれている。両者に共通する透明のような銀色の石は見たことがない。

「これを探していたんだろう」

 カロンを少し遠ざけた彼はルリの手を取ってその二つの秘宝、希望と絶望を握らせる。ぬるい手の感触に背筋が寒くなった。

「……どうして秘宝のことを知ってるの? あなた、誰?」

「わからないのか」

 やや冷静さを失った男だったが次の瞬間には一人で納得し、彼は次々と姿を変える。顔の造形は異なるそれが重なるように緩やかに変わり、服は水面のように揺らめいて違うものに変化していく。父に、母に、ルリ自身に、そして次に現れたのは見慣れた子供だった。

「これでどうだ」

 紫の瞳、金色とも銀色ともいえない美しい髪、白皙、なによりその子供らしからぬ態度。目まぐるしく変わっていく姿の終わりにそこにいたのは、城で母のことを任せたはずのクロウに間違いなかった。

 ますますルリはわけがわからなくなった。視線でコクフウに助けを求めるが、いつもの落ちつきはなく彼の表情は凍りついていた。

「神獣」

 領主を裁き王族にのみ肩入れをする神獣。世界の創造主であり、初代魔王を助けたといわれている神獣という言葉がずっと一緒だった子供に対して使われた。

 神獣が領主を裁く。領主たちの悪い報せを聞いたのはルリが七大国をめぐった順番に等しかった。最初にサンドランドの大飢饉からはじまり、七席盟約後に倒れたアイスランド領主、脱走者に苦心するゴーストランド、混血の計画で殺されたフォレストランド領主、父に討ち取られたファイアーランド領主、そしてその父はどうなったのかわからない。

 ルリのそばにはクロウがいた。神獣の視点で領主を品定めしていたとすればその順番であってもおかしくない。

「そんな……クロウが、そんな」

 すくんだ足で無理やりルリは後退り、認めたくなくて頭を振る。領主殺しのときですらこれほど緊張はしなかったのに、これまで一緒だった仲間に対して怯える日が来ようとは。その背中をコクフウがぎこちなく叩いてくれた。

「神獣はあらゆる姿をもっている。違いますか?」

「だとしたらどうする。這いつくばって助けでも求めるのか?」

 否定もせず肯定もせず、その言いようはまさしくクロウだった。常からあまり動かぬ顔に大きな感情はない。

 ウィンドランド城に置いてきたはずなのにどうしてこれほど早く、と思うと同時に、神獣ならばこの程度の距離を移動するのに半日もかからないと答えが出る。カロンとの親しさ、大人びた態度や動揺することのないその姿など、神獣だという前提があれば日ごろからの疑問もするすると解けていった。

「ずっとここに……?」

「気になって、さっき。おまえの母親に頼まれたからというのもある」

「じゃ、あそこの地割れを見た?」

「あれをやったのは私だ」

 なるべくいつもどおりに接しようという意気を簡単にへし折られ、半ば予想していた答えをあっさり口にされ、ルリは天をあおいだ。クロウとして接するべきなのか神獣として接するべきなのかわからない。

 意思があるかのようにうまく地面が裂けているはずだ。自分の造ったものなのだから壊すのに罪悪感はなかっただろう。壊すのは最低限の箇所で、神獣だというのならなおさら。

「リューズエニア人に荒らされた村は、それは酷いものだった。おまえ一人で収拾をつけられたか?」

 責められているわけではなかったが黙るしかなかった。仕事をするのは兵士の役目だ。ルリはせいぜい士気をあげること、城へ早く報告することくらいしかできない。

 そこにいる子供はたしかに神の目をしているが、話しているうちに神獣といえどルリにとってクロウでしかないことがわかった。最初は戸惑いもしたが彼の口調も態度も城を離れる前となんら変わらないではないか。

「どうして今まで黙ってたの? 神獣だって知ってれば、もっと早く……」

「もっと早く秘宝を集められたとでも? 神獣にすがるだけでいいとでも?」

「違う、あたしは」

「違わないだろう」

 否定はしたものの、クロウの言うとおりかもしれなかった。これまでにそろえた秘宝にルリ自身の力で手に入れたものはないといっても過言ではない。いつも秘宝のほうからこちらに転がりこんできたのだ。そのほとんどに青の混血児が関わっている。

「黙っていなければならなかった。癒しの術や子供らしくない言動など、むしろ私は気づかれるように努力した」

「納得しようすればできたわ。おかしいとは思ったけど、いつの間にかそれがあたりまえになってたもの」

 普通と認識してしまったことを異常だと気づくのは難しい。クロウは小さくため息をついた。 

「初めて会ったときのことを覚えているか?」

 話が変わったことを奇妙に思いながらルリはうなずく。

 城を出てから国境村を後にしてしばらく、雨宿りに洞窟へ駆けこんだところ先客がいたのだ。そのときクロウは、今思えばあれは偽者だったのかもしれないが、魔王に目をつけられていた。それからリューズエニアへ向かうことになり、しかしその道中で王城に侵入したという理由でウィンドランドの兵士に捕まった。

「たしかに私は王城に忍びこんだ。そこで聞いたのは、なにも言わずおまえのそばにいろという陛下のお言葉だ。ひとしきり話して、警備に見つかって逃げた。すでに王城は偽王のものになっていた」

「……そして、逃げた先はあたしのいるウィンドランドだった。そういうこと?」

「よくおわかりで」

 珍しく長く話したクロウの口ぶりに嘘はなかった。魔王はつまりルリの実の父で、父がルリにクロウを寄こしたと考えると妙だった。魔王が父という時点で違和感しかない。

「秘宝は六つそろった。おまえたちはどうする?」

 クロウの口から唐突に発せられたのは城で先延ばしにした問いだった。

「今ここで決めなきゃだめ?」

「答えを聞くのは私が来た理由でもある」

 母に頼まれてここまでやってきたクロウは、事態の収拾とルリの様子を見るだけが役目ならもう帰っていてもよかったはずだ。ルリが決断するまで一歩も動かないだろう。

 母から聞いた話では、七つある秘宝のうち一つは神獣自身だということだった。秘宝を持つ者をセントラルランドで待っていると、そう言っていた。最後の秘宝はルリの目の前にいる。秘宝がすべてそろった今、選べる道はこのままウィンドランドという安全な場所で時を過ごすか、セントラルランドに行って行動を起こすかの二つだ。

 秘宝を集めていた理由は、秘宝さえあればこの戦を終わらせることができるという趣旨の王命があったからだ。しかしその王は偽者だと判明した。つまり従わなくてもいい。けれども、それでは戦が終わることはない。かといって偽王に従っても戦の終わる保障はない。

「……セントラルランドに行きましょう」

 結論を出すとともにルリはコクフウを振り返った。

「待ってください、ルリさん。陛下は偽者なのに、セントラルランドに行ってなにになるんです」

「わからない。でも青の混血児はセントラルランドに行くはずよ。ティーナが送ってもらうって言ってたもの。ウィンドランド城に隠れてたって、あたしは長生きできるわけじゃないし」

「クロウさんはどうするんですか? 一緒に行きますよね?」

「ウィンドランド城に事のあらましを報告しに行かなければならない。言っただろう、頼まれたと」

 言われてコクフウは目を伏せた。ここまで沈んだ様子は珍しい。

「それじゃ、これでお別れになるのかしら。……母様によろしく伝えてくれる?」

 小さな子供はわかったとうなずいて、そしてその姿が消えた途端に光が城の方角へ走っていった。

 もうクロウと会うことはない。漠然とそう思った。クロウという子供は神獣の見せた幻で、次に会うときは彼の中にクロウは存在しない。ルリの旅に最初に加わったのはクロウで、最初に抜けるのもまた彼なのだ。

 永遠のものであるはずの別れはいとも簡単に、うなずき一つで終わってしまった。

 カロンは光を見つめて耳を伏せていた。追いかけたくともそれをするのは無駄だと明らかな速さはまさしく神速で、加えてカロンはルリたちを置いて行くこともできなかった。ルリはたてがみに覆われた首を労わるように優しく叩く。

「コクフウ君は、この後は?」

「もちろんご一緒します。帰る場所はもうありませんし」

「ごめんね、巻きこんじゃって」

「いえ、サンドランドでのお礼がぜんぜん済んでいませんから。それからもずっとお世話になりっぱなしで」

 無理をしているようだがコクフウの気遣いはありがたく、ルリの罪悪感を薄れさせてくれた。コクフウはルリの旅には直接関係がない。サンドランドからアイスランドへ向かうときコクフウが一緒に来てしまったのは偶然だった。サンドランドで襲われることがなければ彼を危ないことにつきあわせることはなかっただろうに。

 腹這いになったカロンにルリは寄りかかった。

「セントラルランドへは日が昇ってからにしましょう」

 暗いうちに行動するのはコクフウが人間であることを考えると避けたほうがいい。夜では足手まといになることを自覚してかコクフウも同意する。

「……クロウがいなくなるだけで、ずいぶんさみしくなるものね」

 特に会話が弾んだ記憶はなく、近くにいながら一定の距離があった。けれどもなにかあれば黙って寄りそってくれ、父のような安心感を与えてくれた。そのクロウが神獣だということはそう簡単には認められず、しかし一方では当然のこととして受け入れることができたルリがいる。

 あの神速ではもうウィンドランド城に到着し、母に仔細を話しているころだろうか。

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