8-9.掌握
ウィンドランド領主とゴーストランド領主代行は闇に包まれ隠された下り階段を行く。
「この先に……まあ、いろいろある。宝物庫もね」
ミカラゼルは言葉を濁した。いくらごまかしても最奥につけばなにがあるかわかるというのに、わざわざそうする理由がわからない。
「なぜそこまでしてくれるんだ」
「お嬢さんが王女様だからさ。それに、ぼくもあの女には言っておきたいことがある」
ちょうど階段を下りきり、知っていたのかと口を挟む機会を失った。ここまでくると通路入り口からの光はもう届かず、魔物の目にも暗い。道がどれほど狭いのかもどのように分岐しているのかもわからない。
真っ暗闇であるにもかかわらずミカラゼルは足取り軽く進んでいく。暗さに困惑することがないのはゴーストランドで生活しているためか、あるいはここが彼の城だったためか。どうやら横幅はそれなりにあるらしかったが、ヴェリオンは二人で並ぶことはせずミカラゼルに先導を任せた。
彼から少しばかり離れてみると、ミカラゼルは全身から燐光を放っているように見えた。顔や手など肌の露出している部分は、女のように白いというわけではないのに闇の中に浮き上がって見える。こちらの世界のものではないという証だろうか。
「ここだ。ちょっと待って」
その手が壁の中に埋まったときはヴェリオンは瞠目した。壁の向こうからじゃらじゃらと鎖の音がして、その手が埋まったのは彼の意思によるものだと理解する。やがて向こう側で錠前の落ちるような音がした。
それがすむとミカラゼルは扉を開いた。壁と思いこんでいたのは扉だったようだ。
視界に飛びこんできたのは黄金の光だった。通路の暗さに慣れきった目にはきついまばゆい光は金細工のもの、それを支えるのは宝石の輝きだ。宝物庫なのだから当然だが、宝の山である。
ヴェリオンは光源を探したがなにもなく、かわりに一人の若い女が眠っているのを見つけた。
金銀に囲まれて目を閉じる女、豊かに波打つ茶髪が黄金の上に広がっている。まるで眠り姫でも気取っているようだ。胸元にはひときわ大きな赤い石が飾られ、彼女はそれを抱いて横になっている。その宝玉が光源となっていた。炎を蜜で固めたような石が明かりの役目を果たしている。
「もしや、彼女が?」
「そう、我らがおばあ様だ」
彼女の姿には見覚えがある。ファイアーランド領主に代わって七席盟約に出席していた女だ。しかしおばあ様と呼ぶには若すぎる。これがファイアーランド城に巣食う化け物の正体というわけだ。
胸にある飾りこそ、娘が求めている秘宝だろう。秘宝は一つ一つが甚大な力を有している。胸に抱いているとはいえ、眠った女からをそれを取り上げるのは簡単なことだ。抵抗したとしてもこちらには武器がある。なんの心配もいらない。
けれどもそれは彼女の所有物、そうでないにしてもファイアーランドのものだ。ヴェリオンはミカラゼルに目で伺いを立てた。彼はファイアーランド領主ではないがそれに近い存在である。
「ああ、取っていいよ。取って、ルリちゃんに渡してあげて」
許可を得たヴェリオンは秘宝に手を伸ばした。首にかかる金の鎖を力任せに引きちぎるところで彼女が目覚めてその細い手に拒まれるかと思いきや、そのようなことはなく、すぐヴェリオンの手に渡った。
「なんだ、拍子抜けだね。抵抗すると思ってたのに」
「ああ……私もそう思った」
秘宝を奪われた女は途端に老いていった。まず大地の色をした髪が艶をなくし、色褪せ、一部がごっそりと抜け落ちた。みずみずしい唇は次第にかさつき、目は窪み、なめらかな白い肌はしみのあるしわだらけのものになっていく。
美しかった祖母が醜い姿になっていくのを見てミカラゼルは吐き捨てる。
「女って、どうしてこうも若さにこだわるんだろう」
変わり果てた姿になってしまったのを彼女は感じたのだろうか。真っ白になった頭が動いたのは、皮のたるんだ手が動いたのは、ちょうど老いが一段落ついたときだった。
黄金の寝台で老女はゆっくり身体を起こす。つるりとした金の腕輪に己の姿を見つけた彼女は、あああ、としゃがれた悲鳴をあげた。胸元を飾っていた宝玉がないことにも気づいたはずだ。
舌打ちしたミカラゼルは己の祖母とヴェリオンとのあいだに身を滑らせ、声を潜めて言った。
「早く城から出るんだ。持って行ったのが誰か知れたら面倒なことになる」
「代行殿は」
「ゴーストランドだけ順番が回ってこないのはおかしいだろう? あ、剣を置いていってくれると嬉しい」
老婆は端が裂けると思うほどに目を見開く。ぎょろついた黄色い目玉は化け物のようだ。
ミカラゼルの請願を受けてヴェリオンは鞘ごと引き抜いた剣を彼に手渡す。ありがとうと言われても礼を言われた気がしない。
「ゴーストランドの者が二度死ぬということはありえるのか?」
「さあ、どうだろう。やってみないことには」
代行はヴェリオンを宝物庫入り口のほうへ押しやった。一歩そこから出てしまうと扉は彼によって閉められ、鍵もかけられ、再び入ることは不可能だった。
ヴェリオンが手にしている赤い秘宝はいまだ光を放っている。しかし黄金の部屋にあったときと比べてその光は弱く、赤い玉も澱んでいた。とはいえ明かりとして使えないことはない。
記憶をたどって元来た道を歩き、階段を上ってやっと大広間に戻った。ファイアーランド領主の死体はそのままになっている。変わっていることといえば、血が清められ、死体のまわりに人が集まっているところだ。
領主を失ってなお歯向かう兵士はいない。ウィンドランド領主の姿を見つけると彼らは頭を垂れた。ファイアーランド領主が死に、そこにウィンドランド領主が現れれば彼らが取る態度は一つしかない。この国はウィンドランドのものになったのだ。
「東海岸の部隊には撤収を命じました」
「死傷者の数は定かではありませんが、今のところウィンドランド軍は……」
「後でいい」
ヴェリオンは彼らの報告を遮った。膝をつき頭を下げているのがファイアーランド軍だと思うと違和感がある。
「ご息女様が庭でお待ちです」
そう告げてきた老兵にヴェリオンは庭まで案内させた。
柱につながれた炎馬は見慣れぬ光景に地面を掻いている。その主は回廊のすぐ近くでウィンドランド領主が現れるのを待っていた。
焼け焦げた木のそばでルリもまた父を待っていた。クロウたちも一緒だが気を遣ってか距離を取っていて、トーリュウたちはさらに離れたところにいる。城を引っ掻き回して逃げたこちらに兵士たちが気づかないわけがないのに咎められないということは、支配者が変わったのだ。
ファイアーランド城を守る兵士たちは、火をつけたのはあのかたではないかと口々に言いながら消火を終えた。城壁は黒ずみ庭は焼けてしまったものの、一国の城が落とされたにしては損傷があまりにも小さかった。
回廊の向こうから倒れた柱に気をつけつつ人影がやってくる。ここから逃げるためにルリたちが壊していったものだ。城が落とされるときに受けた被害よりそちらのほうが大きいのではないだろうか。
「ファイアーランド掌握、お見事でした」
「おまえたちのおかげだ。よく働いてくれた。それで娘は?」
あちらに、と手差ししてルリたちをここまで連れてきた男が言った。方向を示されて回廊から足を踏み出したウィンドランド領主は喜色と困惑の色を同時に浮かべていた。
「久しぶりだな。無事だったか?」
「父様」
駆け寄ることはせず、ルリはただ近づいてきてくれるのを待った。まぎれもなく父と慕ってきた男の姿だ。
しかし、ルリにとって念願だったはずの再会は気まずかった。魔王の髪は金色、そしてルリが王女という話が本当なら、目の前にいる父は父ではない。王がウィンドランドの領主など兼任しているわけがなく、頭頂でルリと同じようにくくってある髪は群青色だ。
けれども父は父以外の何者でもない。ルリは戸惑いを隠して再び父様と呼んだ。
「父様、どうしてファイアーランドに?」
「秘宝が集まれば大戦も終わると聞いてな。ルリの助けになろうと」
「そうじゃなくて、どうして兵士を引き連れて?」
「今がどんな時代か忘れたわけじゃないだろう、ルリ」
サンドランドとゴーストランドを除いて、大戦の最中である。それはルリとて重々承知している。けれども時代が時代だからという理由でファイアーランドに兵をよこすものだろうか。
納得していないことを読み取ったらしいヴェリオンは言葉をつけくわえる。
「サンドランドと同じように膝を抱えて戦が終わるのを待つのか、と言われてはじっとしているわけにもいかない」
「母様を一人残してきたってことでしょう?」
「あれは今までだって仕事をこなしてきた。それほど心配することでもない」
ルリは視線をさまよわせる。父の左手が拳を握っているのに気がついた。それは、と左手を指してルリは尋ねた。
「……ああ、秘宝だ」
ヴェリオンはぎっちりと握り締めていた左手をルリの前で開いた。血のようとも炎のようともいえる丸い石、金を溶かしたような色の細工がその周囲を飾っている。大広間にあった床の模様のようだ。きつく握っていたせいで父の手のひらには跡がついてしまっている。
「この国にあったものだ。ファイアーランド領主の祖母にあたる女が持っていた。おまえでは奪い取るのは無理だろう?」
そう言って彼はルリに希望を渡す。ヴェリオンが今まで握っていたためか、元々そういうものなのか、命のようにあたかい。中央に配置された赤い宝玉が鮮血のように澄み、炎のごとく明るくなった。
「たしかに奪い取るのは無理かもしれないけど、わざわざ軍を連れてここまでしなくたって……」
「必要なことだった。わかってくれ、領主の役目を」
「領主の役目?」
「陛下を絶対として道を正す、そういう役割がある。本当にこんなことが起こるとは思わなかったが」
「こんなことって?」
父はルリの質問にはすべて答えてくれる。今回もヴェリオンは言葉を選びながら答えてくれた。
「領主は常に神獣に見張られている。役目を果たした領主にはなにもないが、役目を無視した領主には死が与えられるという。現に魔王が偽者だと知っていながらなにもしなかったファイアーランド領主は死に、国の利益を追い求めたフォレストランド領主も死んだ」
「それは違うわ。フォレストランド領主は……」
口を挟んだものの、なんと言っていいかわからなかった。すべて話そうとすれば長くなる。あの場にルリがいて、たしかにルリはなにもしていないが、やめさせようとすらしなかったことも話さなくてはならない。
それ以上言葉を発することができなくなったルリを見て、ヴェリオンは微笑んだ。
「知っている。混血児たちがしたことも、そこにおまえも混じっていたことも。混血に後れを取る領主などいない。死んだのは神獣の審判の結果だ。誰のせいでもない」
「じゃあ、どうして神獣は偽者の魔王を裁かないの? すべての原因はその偽者なのに、そんなのおかしいじゃない」
「……神獣にもなにか目的があるか、あるいはそれができないか、とにかく理由があるんだろう」
父は目を伏せた。自信なさげな姿はルリにとって初めてだ。
「ルリ、ウィンドランドに送ってやる。詳しいことはセリナに、母様に尋ねてくれ」
ヴェリオンはルリと目をあわせようとしなかった。顔はルリのほうを向いていても視線は別の場所にある。このようなことは一度だってなかったのに。注意を払っているにしても、そばに国一番の戦士がいるのだからそれほど警戒すべきものはないはずだ。
ルリは父に頭を撫でられる。ルリの背が母と同じくらいになったここ数年なかったことで、恥ずかしさと嬉しさがこみあげてきた。同時に、ごまかしの手だと思った。久しぶりのせいもあるだろうが手の動きがぎこちない。
「あたし、やっぱりウィンドランド軍と一緒に帰るわ。だから先に転移術で母様のところに帰ってあげて。父様、今日はおかしい」
「……では、おまえの言うとおりにしよう。イーガン、娘を頼む。そのままウィンドランドに向かうか船のある場所まで連れて行ってくれ」
一歩下がったところにいた赤髪の男は頭を低くした。領主の手前、彼はルリにも丁寧な言葉で空へ導こうとする。しかしヴェリオンはウィンドランドに戻ろうとしない。ルリは父を見つめた。
「ファイアーランドは領主を失った。私はまだここにいなければならない」
毅然として言うさまは序列の上位に食いこむ領主のものだ。けれもどルリは不安そうな顔でもしていたのだろうか、ふと彼の表情が和らぐ。
「大丈夫だ、ちゃんとウィンドランド城で母様と二人で出迎えるから」
本当に、という問いかけをルリは飲みこんだ。おそらく父は戦いで気が立っている。念押しは余計だ。
「じゃあ、またウィンドランドで」
「ああ、待っている」
炎馬の導きでカロンが、そしてグリフォンが空へ飛び立つ。ルリは父の姿が見えなくなるまで地上を見下ろしていた。