8-8.領主たちの宴
スフィンクスとグリフォンは懸命に四肢と翼を動かしてくれているが、追っ手との距離はなかなか広がらない。それどころか逆に短くなっている気さえする。
どちらが先に体力がなくなるかで決まるのか、と思ったそのときだった。二頭が切るものではない風が頬を掠めた。目で追いきれなかった影が後方へ行く。速度の緩まないカロンの背でルリは振り返る。
「カロン、とまって」
追っ手の影はおもしろいほど容易く次々に蹴散らされていった。騎獣と人が地面に落ちていく。最初に首が地上へ向かい、胴体が後を追い、主を失った獣は逃げるようにその場を離れる。空を支配するのは炎をまとった六本脚の馬、その手綱を取るのは重くならないよう最小限の防具をつけた男だった。
あの馬、どこかで見たことがある。六本脚の馬などそうそうお目にかかれない。なかなか答えの見つからないルリにクロウは答えを提示する。
「ウィンドランドの、司令部の」
思い出した。クロウと行動をともにするようになってすぐのことだ。リューズエニアに向かおうとしたとき、理由は忘れたが連行された。そこにあの馬と男はいた。たしか大将軍という地位にあったはずだ。最後になってルリたちを逃がしてくれたことを覚えている。父とは、ウィンドランド領主とは懇意にしていると言っていた。
槍を持った赤い髪の男は彼の仕事が終わるとこちらに並んだ。少し離れたところでトーリュウたちが警戒するようににらんでいるのに気を取られ、彼がスフィンクスを見て目を見張ったことにルリは気づかなかった。
「どうしてこんなところにいるんだ」
「父様から聞いてないの?」
「いるかもしれないとは聞いたがな、まさか本当に……」
ルリたちは七大国を転々としている。確率としては遭遇することなど考えないほど低いものだったろう。
「どこに行くつもりだった?」
「追っ手から逃げようと、東のほうに。もう逃げる必要はなくなったけど」
「東はやめたほうがいい。海岸でウィンドランド軍とファイアーランド軍がぶつかっている」
「ウィンドランド軍?」
考えてみれば、大将軍たる彼がここまで来ているのだから兵士たちを伴っているのは当然のことだ。目的は聞かずともわかる。アイスランドと和解したウィンドランドは、ついにファイアーランドに手を伸ばしたのだ。
「敗戦は覚悟の上だ。領主が城にたどりつくまでの時間稼ぎだが、皆よくやっている。そろそろ第三軍が到着する予定だ」
「父様もこの国に?」
「ああ。作戦は彼が考えた。なんでも領主の債務を果たさなければならないとか……」
父はいったいどこに、とルリは地上を見るのに目を凝らす。見つからないのはあたりまえだった。空からすぐに見つかってしまうような作戦を父が立てるわけがない。
翼もないのに空を飛ぶ白馬は首をぶるりと振り、鼻先を西へ向けた。そちらにはずいぶん小さくなったファイアーランド城がある。白い城壁は遠くから見ると砕いた宝石でも混ぜているのかきらきらしていた。煙があがっているように見えなくもない。
ルリは男を見上げた。煙の理由はもちろん一つしかないが、さきほど二国が海岸で剣を交えていると耳にしたばかりなのにそれが城に到達するわけがない。ルリたちが城から逃げた後にいったいなにが起きたというのだ。
「ここに領主の娘がいると話がややこしくなる。……ついてこい」
ルリはグリフォンのほうに目を向けた。敵ではないとわかってくれるだろうか。ルリが司令部から逃げ出すとき、あの場には青の混血児もいたはずだが。
カロンが六本脚の見事な炎馬に従うと、グリフォンも距離を取りながらついてきてくれた。
ファイアーランド城の大広間は美しいことで有名だ。白布をかけられ六列に並んだ長机の間隔はどこも等しく、その材質にはフォレストランドとアイスランドの国境付近に生える樹木が使われている。床はウィンドランドの風雨に耐えた白石、その表面にはよく磨かれ削られた宝石がもつ結晶のような模様が浮かびあがっている。
そのような場所に招かれては行かざるを得ない。いや、仕方なしに行く者などいはしない。ファイアーランド城で催される宴に招かれるということは名誉なことなのだ。
しかし、そこには招かれざる客がいた。
「言え、秘宝はどこだ!?」
「おばあ様は大丈夫かなぁ。途中で見なかった?」
「知らん!」
激しい剣戟が繰り広げられている。剣の交わる合間に二人の男が言葉を交わしていた。城の主ウレイラス、そしてウィンドランド領主ヴェリオンである。
ヴェリオンは単身城へ侵入していた。というのもファイアーランド城を守るべき兵士は海岸でウィンドランド軍と交戦中、したがって城内の警備は手薄になっていた。まさか敵軍の領主が本隊よりも先に上陸していたとは思わなかったらしい。
「こんな男の侵入を許すなんて、職務怠慢だね、まったく」
「そのおかげでここまで来れた。礼を言う」
再び剣が交わった。両者は一歩も引かない。本気でさえなければこの大広間という場所もあいまって剣舞に見えたことだろう。
「私の首なんか取ってどうする。秘宝なら宝物庫にあるだろうから行けばいい。おばあ様は光物が好きだからね、いろいろあると思うよ」
ウレイラスが渾身の力をこめて剣を押すとヴェリオンは後ろに跳び退った。その隙を突いてウレイラスは距離を詰めるがヴェリオンは長机にかかっていた布を勢いよく引いて目隠し代わりに使う。切れたのは布だけ、机を飾っていた花瓶が高い音をたてて割れた。
彼が無意味なものを切っているあいだに長机の上に土足で立ったヴェリオンは高い位置から剣を振りおろす。ウレイラスはその動きを見切り、危なげなく鍔でそれを受けた。ぎりぎりと力は拮抗している。
「フォレストランド領主が死んだ。七席盟約が終わるとアイスランド領主もとうとう病に倒れたらしい。サンドランドは領主こそ生きているが国を国として維持するのが難しいそうだ。なんでも、人がいないとか」
「……なるほど。ゴーストランドは七席盟約に顔を出すほど不満が募り、セントラルランドには紛いものの王がいる。次は私たちが裁かれる番というわけだ? それはそうと」
手首を返してウレイラスはヴェリオンの喉元には先を突きつけた。どちらかが動けばどちらかの剣が確実に首を刎ねる。しかし高所にいるヴェリオンのほうがほんのわずかに有利だ。
「どうして娘に真実を話さなかった? おまえは王女で、玉座にいるのは本当の王じゃないって」
「貴殿にお話しする理由はない。そちらこそ、どうしてそれを」
「ファイアーランドは山を崩して石を掘るだけで繁栄してるわけじゃないってことさ。その件について詳しいことは知らないけど」
互いが互いの命を握り、一方は微笑を浮かべ、他方はなんの感情も見受けられない。
「そこまで知っていてその王命に従うのか? 娘の死体を王に献上してどうするつもりだ」
「この国で王の真偽は関係ないんだ。それに私は王命に従っているわけじゃない」
「じゃあ誰に従ってるんだい?」
予期しなかった第三者の声に二人の集中力が途切れた。どこから、と目をあちこちに走らせた結果、視線は入り口からもっとも遠くにある席、まるで玉座のような椅子の隣に留まる。
ゴーストランド領主代行ミカラゼルは手持ち無沙汰に髪を指に絡ませ、気楽に段上の椅子に寄りかかっていた。
「ウィンドランド領主さん、ちょっと剣を収めてくれるかい? 弟と話がしたい」
「弟? ゴーストランド領主殿に?」
「代行だよ。少し前までこっちで生きてたんだ。もう死んだから今はあっちに寝床があるわけだけど」
ヴェリオンは代行とファイアーランド領主とを見比べて剣を収めた。どこを見ているのかわからないところ、人の話をまともに取りあわない傾向のあるところが似ているかもしれない。
武器を収めて机から下りるヴェリオンの様子にミカラゼルは満足そうに笑って、その顔をウレイラスに向ける。
「さて、どうなったかと思えば」
「お久しぶりです、兄上。ゴーストランド領主への就任、おめでとうございます」
恭しく頭を下げるウレイラスをミカラゼルは段上から見下ろした。死ぬことによってゴーストランドに行くのだから、その言葉は死んだことを喜んでいるようにも取れる。かの国の領主がどのように決められるのかこちらには伝わっていない。
「変わらないね。おばあ様がいないとなんにも決められない?」
「いいえ、そのようなことは……塚を建てさせたのは、兄上、私です」
「ああ、ぼくの弟、我が弟ウレイラスよ。あんなもの建てるくらいなら、死体なんて野ざらしにしておくか海に沈めてくれればよかったのに!」
領主代行は両手を肩の上ほどまであげ、演技がかった調子で盛大に嘆いた。けれども思わず笑ってしまいそうになるのは一瞬しか許してくれなかった。悪寒を強く感じるほどに声色が一変する。
「それじゃ、あの落石は?」
ウレイラスは黙りこんだ。これによってミカラゼルは確信を強くした様子だった。
「領主の元息子の薄汚れた顔なんて誰もわからないはずなのに、ぼくがあそこで死んでるってわかったのはどうしてだい? しかも、ぼくが死んで以来落石が少なくなったってさ。おもしろい話だ」
「……私じゃない。おばあ様が、そうするようにと」
「おばあ様! 間抜けでかわいい弟よ、あの女を信用するなと教えたのは誰だっけ? 数十年前ぼくが城を追われたのは誰の策略だっけ? 今この椅子を温めているのは誰なの?」
ミカラゼルは舞台に立つかのように再び過剰に振る舞った。大げさに手を振っておどけてみせる。
「私はなにも聞かされていなくて……」
「七席盟約に代理をたてなければぼくらももう少し早くに会えただろうに。なにもこんな殺しあいの真っ只中でじゃなくてさ。あの女は相変わらず若作りだったけど、頭の中は埃をかぶってるみたいだ。孫がすぐそばにいたのに気づきもしなかったよ」
弟の小さな反論を兄は黙殺した。
「それで、次は私たちの番、とか言ってたよね」
「兄上……?」
「さぁ、こっちに来るんだ」
奇異なものでも見るようなウレイラスだったが、兄には逆らえずやがて足が動きだした。兄弟の会話に口をつぐんでいることを余儀なくされたヴェリオンの目がそれを追う。
兄は目の前にやってきた弟の腰に差してある剣を引き抜く。床と同じ文様の浮かぶ白刃は細くウレイラス好みのもので、ミカラゼルはためらいなくその身体を貫いた。疑いなく実兄に近づいたウレイラスは剣を奪われたのに気づくのが遅れ、抵抗できないうちのことだった。
目の前で行われた弟殺しが信じられず、ヴェリオンは初めて口を挟む。
「代行殿、なにを」
「娘さんがこの国にいる。血まみれの手じゃ撫でてあげられないだろう?」
「だからといって、彼は実の弟では」
肉を貫く剣を少しだけ捻り、二拍数えた後でミカラゼルは剣を抜いた。やや遅れて溢れるように血が流れる。男の身体は自らを支える力を失い、受身も取れず、手で傷を庇うこともできずに無様に倒れる。たとえまだ生きていたとしても息絶えるのは時間の問題だ。
見開かれた瞳から光が消えていくのを見下ろし、ミカラゼルはどんどん広がっていく血だまりの中に赤く染まった剣を捨てる。
「約束を守らないのが悪い。自分の番だって言ってたんだから、覚悟はできてたはずだ。それにね、あの女が命令したことだとはいえ、ウレイラスは今のゴーストランド領主も殺した。他人を巻きこんだんだ」
ああ、アルドラに怒られる。代行はぶつぶつ言いながらも暗くなったファイアーランド領主の目を優しい表情で覗いた。ひとしきり死に顔を眺め、それからしゃがんでまぶたを閉じさせる。
「さて、次は秘宝だ。一緒に来てくれるかい? ええと、宝物庫って言ってたかな」
ミカラゼルは段上の椅子の裏側にまわって手招きをした。そこには隠し通路がある。罪人を留めておく場所と秘密を隠しておく場所への入り口だ。
彼に従うつもりでヴェリオンはゴーストランド領主代行のそばに身を置く。しかし代行はその暗い穴にすぐには入らず、弟のほうへと視線を送った。
「おやすみ、ウレイラス」
行ったことのわりにずいぶんと穏やかな声だった。代行に死が訪れなければ、城を追われずそのままファイアーランド領主になっていれば、弟にかけるものとしていつでも聞けただろう声だ。
ヴェリオンは気を引き締めた。いつになるかはわからないが、近いうちに自分の番がまわってくるのだ。




