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時を刻む紅  作者: 榊原
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8-5.救いの手

 少年を街の近くまで送り届けた後、ルリたちはカロンの疲労も考えて空と地上を交互に進んでいた。灰色の砂の上に足跡が続き、しかし途中でふつりと絶えてまたしばらくすると足跡が現れる、というものが空からなら見られたかもしれない。三つの人の足跡と、獣の足跡。

 コクフウは何度か少年が逃げ出してきた街のほうへちらと目をやっていた。彼には心残りがあるらしい。

「本当によかったんですか?」

「よかったも悪かったもないわ。あたしたちができることはなにもなかった。よくある話よ、税が払えなくて殺されたり家を壊されたりなんて」

 ウィンドランドではここまで残虐なことは行われていなかったが、罰することは多々あったように思う。どのような罰を与えるかは国や領主によって異なる。原石の出る火山で働けば比較的楽に稼げるせいかファイアーランドの罰は厳しいようだ。

「諦めて、コクフウ君。ファイアーランドの方針よ」

「じゃあ、どうしてルリさんはフォレストランドでは方針に逆らったんですか。ただ見ていただけっていうのは知ってます。けど、ルリさんが手を下したわけじゃなくても、関わった時点で」

「それは」

 ミーレたちには実行力があった。仲間もずいぶん前に集められていて、以前から計画が存在していた。なにより同じ混血だったことが大きい。それに比べて今回の件は同族意識もなく、あまりにも突然すぎる話だった。話を聞いてみれば、上納がたりないなら罰を受けるのはあたりまえだ。

 だが、それらはコクフウを納得させるだけの理由になるだろうか。領主側に立ってしまうルリが言えば薄々言い訳のように聞こえはしないだろうか。

「なら、コクフウ君が一人で残ってもよかったのよ? 終わったころにまた来るから」

「そういうことが言いたいんじゃありません。ルリさんは本当にあれでよかったのかと訊いてるんです」

「いいの。かわいそうだとは思うけど、義務を果たさなかったんだから当然の結末よ」

「……そういうところ、ゴーストランドの代行様に似てますね」

「だって、あたしはウィンドランド領主の娘で」

 わかっています、とコクフウはルリから視線をはずして言葉を遮った。

「もうこの話は忘れましょう。ルリさんがそれでいいなら、いいんです。突っかかってすみません」

 それからというもの、どこかぎこちない空気が流れていた。これから向かう場所は城下大都であることを確認したときも、見かけはいつものコクフウと変わらないはずなのに違和感があった。意見がわかれることは今までになかったわけではないのに。

 灰色の地面を踏みしめて大都のある東へ進む。ルリとコクフウの言い争いを避けるようにクロウとカロンは二人の前を歩いたが、その足が止まった。

 この中で鋭敏な感覚を持っているのは純粋な魔物であるクロウとカロンだ。彼らが立ち止まったということは、この先になにかある。どうしたのと尋ねてもただ行く先を目視するのみだ。

 しばらく待つ。やがてルリとコクフウの目にもそれは見えてきた。小さな影の粒が徐々に大きくなり、馬車の形を示す。

「こんなところに馬車、ですか」

 初めてすれ違うことになるのがまさか馬車だとは、とコクフウがもらす。火山を抜けてあの街を離れて以来、誰ともすれ違わなかったのだ。

 馬車はこちらには気づかず後方に去っていく、と思いきやちょうどルリたちの横につけてとまった。ファイアーランドに知人などおらず、領主からは追われる身であるというのに。

「なんでしょう。お迎えなんて来るはずありませんよね?」

 あまり毛づやのよくない馬が二頭、それを操るのは老爺。人の乗る部分には灰色の砂に埋没してしまいそうなぼろ布がかぶせられている。迎えにしてはずいぶんと貧相な、農閑期の農民が小遣い稼ぎに走らせるような馬車だ。

 ぼろ布をまくって馬車の後ろから出てきたのは、粗末な馬車には似つかわしくない男だった。特にきらびやかな衣服というわけではないが馬車から降りるときの動作がどこか優雅で、膝裏に届くのではないかという明るい茶髪が目を引く。

「クンズという街を知ってる? 火山に一番近い街なんだけど」

「クンズかどうかはわかりませんが、火山に一番近いというなら、このままずっと西に行ったところにありますよ」

 問いにはコクフウが答えた。尋ねてきた男は首をかしげる。その姿は霞となって消えてしまいそうで、存在感というものが薄い。

「西? 君たちは行ったことがあるの?」

「先ほど、少し」

「そう。じゃあ道案内を頼めるかな。あの御者では心配で」

 大人はちらと老爺に目を向ける。彼はしわだらけの手で擦り切れた鞭を握って遠くを見ていた。

「おいで。ああ、でもスフィンクスはさすがに乗せられないから飛んでもらってもいい?」

「では僕がスフィンクスに乗って行くので、御者のかたについてくるよう言ってもらえますか?」

 コクフウのほうから忘れようと言い出しておきながらまだ根に持っているらしい。いや、一度距離を置くと歩み寄りかたがわからないのかもしれない、とルリは無理やり理由づける。

「落ちたらどうするんだい? 子供がそんなことをしてはいけないよ」

「大丈夫です。カロンは僕を落としたりしません」

「それだけ賢いならあのスフィンクスだけで道案内できるだろう? さぁ、馬車に乗って」

 コクフウの申し出はいとも簡単に却下された。ぼんやりした雰囲気の男はルリたちの背中を馬車のほうへ押す。なよなよした外見とは裏腹にその力は強い。

「そういうわけですから、カロン、さっきの街まで案内をお願いします」

「こっちから見える高さで飛んでね」

 カロンは返事としてたてがみを揺らして翼を広げた。それを見届けて地上に残された三人は馬車に乗りこむ。あれを追うようにと老爺に告げて男も馬車に足をかけた。



 街に到着したのはその日の夜のことだった。夜でも赤色だということがわかる門扉は堅く閉ざされている。日暮れと同時に門が閉められることは珍しいことではない。

 車輪がとまり、ぼろ布をめくった外に異常がないことを確認した大人が馬車を降りる。

「ありがとう。もう夜だ、今夜は馬車の中ですごすといい。私はここに用事があるから、夜が明けたら出発しよう」

 とはいうものの、これといった武器もなにも持っていない男を一人にしておくのはいささか不安だった。見てくれにそぐわず力があるのは先ほど実感したが、この街はただいるだけでも金を取るのだ、きっと身ぐるみをはがされてしまう。それに、領主から街を任されたのだという恐ろしい男がいたら。

 彼がなにをするのか気になり、顔を見合わせてルリたちも馬車から降りる。不審に思ったのだろう、男は子供のように首をかしげた。

「どうしたの? この街になにか用事でもあるの?」

「あまりここに長居しないほうがいいと思うんですけれど……」

「ああ、夜が怖いんだね。大丈夫だよ、危なくなったら御者がなんとかしてくれるから」

 話が噛みあわない。彼は勝手に話を終わらせて門のほうへ歩いていく。

 そのとき、朝になるまで開かないはずの門扉が外側に向かって開かれた。男がなにかしたというわけではない。彼を招き入れるために開かれたわけでもない。巨大な門をこじ開けたのは、内側から押し寄せてくる人の波だった。両手を十倍しても数え切れない人数がこちらへ向かってくる。

「逃げるな、逃げたら殺す!」

 昼間に見た、黒い鎧の男の声だった。けれども混乱した群れは野太い声だけではとまらない。

「逃げて! みんな逃げて、早く!」

「誰か小さい子供は抱えてやれ!」

 街は門扉と同じ赤に塗られていた。夜空を火花が舞い、獣の唸り声のような音を出しながら炎が家々を包み込んでいる。今度こそ街は焼き払われる、と泣きついてきた少年の言ったことが現実になったのだ。

 人々の流れに逆らって優男は門をくぐっていった。その足はつかえることがない。

 ルリが振り返ると、クロウは馬車にもたれかかっていた。なにもかも見通した顔をしてただ一言、行くのか、と尋ねてくる。

「死にはしないわ、安心して。カロンはクロウとここにいてちょうだい。コクフウ君は……」

「待ってください、僕も一緒に行きます」

 ルリはうなずいてそれを許した。一度訪れてからずっとコクフウはこの街がどうなるのか気にかけていた。まさか今日のうちに結果が出るとは思わなかっただろう。

 口と鼻を袖で覆い、人と人のあいだを縫うように走ってルリとコクフウもまた街に入る。喧騒がいっそう大きくなり、焦りと熱気とが街を支配していた。そこらで死んでいるのは家畜だけではない、今度は人もだ。刀剣による傷がある。

「それで、どうするつもりですか?」

「まずはあの人よ。こんな状態の街でも用があるっていうんだから」

 存在感の薄い彼を見つけられるのか、そこが問題だ。火の中で目立つ色の服ではなかった。目印になるのは馬車の中でも面倒そうにしていたやたら長い髪くらいだ。

「なにをしているの?」

 運がいいのか悪いのか、ルリたちをこの街に再びつれてきた男の声がすっと耳に入ってきた。二人は火が燃え移らないよう気をつけながら火を噴く家の影に隠れる。こちらへの問いかけではない。別の足音がする。

「上納分がたりなかったので、相応の罰を与えておりました」

 殺戮を行っていた男だ。膝をついて頭を下げ、悪びれる様子もなく堂々と答える。

「誰が殺していいって言った?」

「お許しをくださったのは領主様です」

「おまえは私とおばあ様の筆跡の違いもわからないの?」

「それは……」

 言われた男にはもはや威圧感のかけらもなかった。ひたすら頭を下げて嵐が通りすぎるのを待っている。初めて見たのが底なし沼のようなふるまいだったために変貌ぶりは顕著だ。

 声を潜めてコクフウが口を開く。彼らの耳にこの声が聞こえなければいいのだが。

「ルリさん、あの人」

「わかってる。……ファイアーランド領主」

 コクフウの顔を見るのに二人の男から目を離したのは一瞬だった。その一瞬に、確実になにかが起こった。

 大剣を背負った男がその場に崩れこんだ。もう一方の男はそれを涼しげな顔をして見ている。色を失った男の伏した地面にじわじわと浮かぶように血が流れていく。

「いつまでそこに隠れてるつもり?」

 緊張感のない声にびくりとルリの身体が震えた。相手は領主だ、ここに隠れていたのは最初から気づいていたに違いない。どうするのかとコクフウは困惑した目をルリに向ける。

「早く出てきなよ。取って食うわけじゃないんだから」

 意を決してルリは燃え盛る家の影から姿を現した。コクフウもためらいながら続く。

「ご存知のとおり、私がファイアーランド領主さ。驚くことでもないだろう?」

 炎が咆哮をあげて街を焼き尽くす。ふわふわした声はその中であってもしかしよく通った。前に流れてくる髪を指先まで整ったしぐさで後ろへやり、じっとこちらを見据えてくる。

「さて。用事もすんだことだし、日が昇ったら城へ行こうか、紅の混血児?」

 すべて知っている、そう暗に言われては反論できなかった。

 いまだ火を噴く家々になんの対処もせず、その男はゆったりした足取りで街を出る。門の外へ一歩踏み出した瞬間、歓喜の声が響いた。

「領主様、よくぞご無事で!」

「あの男を懲らしめてくださったのですね!」

 ルリとコクフウはクロウたちの待つ馬車のほうへ背中を押された。このまま逃げてしまおうかと思ったもののすぐにその考えを打ち消す。厳しい視線を感じる。

 領主を囲む人垣を横目で見ながら馬車のある場所まで足を運び、じっと待っていたクロウとカロンにルリは笑顔を向ける。同時に馬を操っていた老人がいないことに気づいた。

「御者は?」

「あれに混じりに行った」

 クロウは門のあたりにできた人だかりを指差す。御者も街の住民だったらしい。ここへの道順はもちろん知っていて、あえてルリたちに声をかけたのだろう。街の件は偶然にしても彼はルリたちを迎えにきたのだ。

「あの人、領主だった」

 ルリが告げてもクロウに驚く様子はなかった。驚くことでもないだろうと言っていたあの男と気が合うかもしれない。

「逃げないのか?」

「あたしたちがファイアーランドにいることは誰も知らなかったはずだわ。なのにわざわざ、こんな馬車で迎えにきた。逃げても無駄よ」

 領主の馬車とはどのようなものかルリは知っている。アイスランドでも乗ったことがある。鳥やら馬やら国の紋章が入っていて、あまり揺れず座り心地のいい、遠くから一目見るだけでも領主のものだと分かるような馬車だ。

 けれども彼は粗末な馬車を選び、いい格好をしていたが自分が領主だということも口にせず、結果ルリたちは奇妙な組み合わせだと思っただけで疑うこともせずついてきてしまった。

「すまないね。おばあ様が勝手に署名なさるから」

 ファイアーランド領主が歓声の中心で申しわけなさそうに言うのを、ルリたちは黙って聞いていた。

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