8-6.祖母と孫
ぼろ布をかぶった一台の馬車が夜明けと時を同じくして東へ走る。目指すはファイアーランド城だ。
死刑台に送り出されるような気持ちだった。城についたらなにが行われるのだろう。王からの追っ手らしい追っ手とはそう出くわすことはなかったものの、紅の混血児を見たら捕まえるか殺すかしろと手配されている。ゴーストランドからの帰り、フォレストランドで目覚めたときはそうなる寸前だった。
町村に立ち寄ってもうるさく言われなかったのは、ただルリの顔を知らないだけなのだ。あるいは外部との関わりを一切持たない、もしくはあの町の住民のように自分のことで精一杯で他人に注意を向ける余裕がなかったか。
だが相手が領主となるとそうはいかない。ルリの顔を知らないはずがないし、余裕がないわけでもない。身近の兵士に言い含めて外に立たせておけば必ず情報が入るだろう。
「そんな悲愴な顔しないで。すぐ死ぬわけじゃないんだ」
膝を抱えていたルリはつきかけたため息を呼気の中にごまかす。今カロンの毛並みに触れることができたら少しは気分がよくなっただろうと思った。そのカロンはルリが馬車を追いかけるよう言ったので空を駆けている。
「ある場所についたら馬車を降りて、転移術で城に向かう。用があるのは混血児だけだから、他は別についてこなくてもいいよ」
ファイアーランド領主の名はウレイラスといった。道中ゴーストランド領主代行から聞いた噂話では実権を握っているのは彼の祖母だというが、先ほどの街でのできごとを踏まえるとそのようには見えない。自分の意思をきちんと通している。馬車にはカロンが横たわれるだけの空きがあるのに外へ追い出したのはウレイラスだ。これが自分の意思でなければなんだ。
車輪は昼をすぎたころにとまった。男が先に降り、川の近くにある大きな石へと導く。
全員が領主に続いたことにルリは申しわけなく思いながらも安堵した。
ファイアーランド城の地下には横穴を掘ったような牢がある。岩肌をむき出しにした道が張り巡らされ、何百というわかれ道の先にある行き止まりでは鉄格子を見ることができる。が、闇ばかりでなにも見えなかった。明かりはそこを訪れる者にのみ許されるのだ。
地熱のせいだろうか、生ぬるい空気の中、ティーナはまどろんでいた。このままうつらうつらしていればまやかしの光が見える。けれども近づいてくる足音に起きないわけにはいかなかった。
岩盤に上体を預けて足音を待つ。無罪が証明されたのか、食事を運びに来たのか、こちらへは来ず別の囚人のところへ行くのか。いずれにしても、己が発する以外の音があるということはティーナを安心させた。まだ生きている。
はっとしたとき、小さな炎が目の前にあった。思考がとまっていたらしい。
「なんだ、おまえか」
「……なんですの、その言いかた」
燭台を手にしていたのは冷たい色の髪の青年だった。その目が青いことは蝋燭の明かりだけでも十分わかる。青の混血児だ。
「わたくしになにかご用? 王城に侵入し、お父様の秘宝を盗んだ混血児が、わたくしを笑いに来たの?」
そう言っても少しも変わらない彼の表情はあの夜と同じだ。父を殺そうとし、失敗したがかわりに秘宝を奪って失踪したあの夜と。まさかこのような場所で再び会うことになろうとは。
「ここから出たいか?」
その申し出にティーナは思わず青の混血児を見上げた。答えはまだ出さず、無言でひたすら見つめる。彼になんの利益があってそのようなことを口にするのだろう。
「紅の混血児に協力すると約束すれば、助けてやる」
「紅の……あの女?」
やはり条件が出てきた。けれどもティーナは紅の混血児という言葉に気を取られた。
リューズエニアで出会った、あの女。リューズエニアではたしかに彼女に、いや彼女の連れていた子供に助けられた記憶があるが、それはあちらが勝手にしたことだ。今度はこちらが手を貸してやるべきだとは思わない。それに、相手は混血だ。
「わたくし、あの娘、嫌い」
一度目はリューズエニアの水浸しになった村で、二度目はその地の城で顔を見た。目をあわせ言葉を交わしたのはわずかな時間であったにもかかわらず、あの混血の一挙一動が癪に障った。彼女にはウィンドランド領主を父に持つことの甘えがにじみ出ていたのかもしれない。自信の根底として父への甘えがある。それは父が魔王であるティーナと似ている。
好き嫌いはともかくとして、あの女を助けることが彼の利益になるとは到底思えない。まだなにか隠されている。
「今すぐ答えろとは言わない。だが、またすぐ答えを聞きにくることになる」
いつまでたっても答えを出さないティーナにいらついたのか、青の混血児は興味を失ったように踵を返した。
ティーナは彼の持つ明かりが角を曲がって見えなくなるまでそれを目で追っていたことに気づくと、ため息を一つ落として横になった。直接地面に横たわっては服が汚れてしまうと考えたのはずいぶん前のことだ。
転移術の導く先はどうやらファイアーランド城の庭の隅だったようだ。ゴーストランド城の庭のように朽ちかけた石像があるわけでもなく、アイスランドの城のそれのように雪原というわけでもなく、緑に溢れていた。光を浴びた蔓が天へ伸び、見たことのない大きな花が咲き誇っている。その光景はどこか自国に似ていた。
久しぶりの転移術で軽く酔ったが深呼吸をすれば問題は解決された。そのあいだにも領主ウレイラスは茂みをかきわけ庭を横切る。敷地の隅から現れた領主に城仕えの者たちは驚きもしないのが印象に残った。
通されたのは大広間だった。白布に覆われた長机が六列。宴のときには満席になり、長机に置かれた蝋燭には火がともされ、美しい器に豪勢な食べ物が用意されることだろう。磨きぬかれた石の床には四角や三角を複雑に組み合わせた図形が浮かんでいる。
ファイアーランド領主は机のあいだを通り頭を下げる。三段ほど上がったその先には女が一人、六列の長机と直行するように配置された席についていた。玉座のようにひときわ大きな椅子だ。背後では目立たないよう布を深くかぶった従者が下を向いている。
「ただいま戻りました、おばあさま」
「そろそろ待ちくたびれるところでしたよ、ウレイラス」
言いながら豊かに波打つ焦げ茶の髪を耳にかけ、女は立ち上がった。ウレイラスと向かいあう女は彼とそれほど年が離れているとは思えない。満足げに笑うその唇は鮮やかな赤色に彩られていて、いくらか人を見下したような笑いかたが誰かとそっくりだった。
「あの女性が領主様のおばあ様でしょうか」
コクフウが耳打ちしてきた。領主が女をそう呼んでいるのだから間違いはないのだろうが、その呼称に耳を疑い、その容姿に目を疑う。カロンは首をかしげたし、クロウは奇怪なものでも見るような目つきをしている。
若作りな魔物だ、と思った。祖母と孫という関係にあるはずの二人のあいだには、夫婦だろうかと思う程度の年齢差しかない。金銀をまとう女の格好は地位ある者にふさわしく、なにも知らない状態では妻だと言われれば納得しただろう。あれは孫のいる女の姿ではない。
二人はルリたちのことが見えていないかのように話しはじめた。
「クンズ街のほうはどうなったのです?」
「おばあ様のおっしゃるとおりに男を処分してきたところ、民はたいそう喜んでおりました。おばあ様を汚れ役にしてしまったのが心残りです」
「わたしが言い出したことだもの、気にすることないわ。信用は得られて?」
「ええ、おそらく。現場を見た者が何人がおりますので、それが他の町村にも広がれば不満も少なくなりましょう」
それはよかった、と若い女は髪を手で梳きながら相槌を打った。
愕然とするより他になかった。適当な男に街を預ける祖母の独断、それを許さない領主の意思と思われていたものはしかし、すべて祖母の筋書きだったというわけだ。実権を握っているのは領主の祖母、という話は本当らしい。
「ところで、七席盟約はいかがでした?」
「陛下はご欠席でしたが、ゴーストランド領主にお会いしました。それから目立ったところは……ああ、皆さんお疲れで顔色が優れないご様子でしたよ」
女は首飾りを一撫でする。赤い宝玉は彼女の顔を映し出すほどに大きい。
「それでウレイラス、もう一つ用件があったはずでしょう?」
そうでしたと思い出した領主はルリたちを振り返る。底の暗い目に従い、ルリはウレイラスの斜め後ろへ歩み出た。
「紅の混血児を連れてきました。混血などを招き入れてどうするおつもりですか?」
「またわたしに説明させるの?」
領主の席に堂々と座る女は控えていた従者に軽く声をかけた。なにを告げたかは聞き取れなかったがその従者は黙って椅子の後ろへ消える。隠し通路があるようだ。
言葉のないままどれほど待たされただろう。顔の見えないしもべはもう一人の人物を半ば引きずるように伴って再び姿を現した。抵抗しているというより憔悴のために引きずられている。従者に支えられ、その者はやっとのことで立っていた。
「混血児、その娘を知っていますか」
女に尋ねられ、ルリは新たに連れてこられた娘に目を向けた。
背丈はルリと同じほど、金色の髪、覚えのある顔立ちは美しく、だが最後に見たときとは比べものにならないほど小汚かった。やつれ汚れた姿に以前の面影はない。これが、リューズエニアで出会ったティーナという娘なのだろうか。
思わず駆け寄ろうとしたルリだったが領主の前であることに気づき、またティーナににらまれて足が止まった。強いまなざしは変わっていない。
「なるほど、知り合いのようですね。なら話は早い」
実権を握る女は椅子から立ち上がり、からかうようにルリに頭を下げた。いくらルリがウィンドランド領主の娘だとはいえ、先々代のファイアーランド領主の妻が礼を取る必要はない。
「王女様、あなたの身分を騙る罪人をどのように裁けばよろしいでしょうか」
明らかに女はルリに語りかけていた。ルリは助けを求めて後ろを振り向くこともできず、なんの言葉も発することができず、かわりにティーナが口を開く。
「罪人はおまえのほうでしょう? わたくしをあのような場所に……」
「口を慎みなさい。わたしは混血の王女に話しているの」
一瞬言葉が理解できず、続いてなにかの間違いだとルリは思った。父はウィンドランド領主のヴェリオン、母は人間のセリナ。この髪は母譲りで、目は父方の祖父のものだと聞かされている。
王女とは誰だ。王女ならそこにティーナがいるではないか。品格も特有の威圧感もなにもかもが彼女を王女として形成している。
ルリを王女と呼ぶ女の口ぶりは恐ろしいほど自信に溢れている。なぜそうと言い切れるのだろう。混血の王女など恥さらし以外のなにものでもないというのに。
「そんなこと、誰が信じるっていうの?」
「我が国の情報網を侮らないでいただきたい」
ルリを見下ろす領主ウレイラスの目にはわずかながら敬意が混じっている。ここへ連れてこられるときにそのような色を微塵も感じなかったのは、それも演技だったということか。
「さて、おもしろいことになってきましたね。王女のはずの紅の混血児はしかし殺せと命じられている。そして皆はそこの娘が王女と信じている。すべて知っている魔王に二人とも突き出せばどんな褒美がもらえるやら」
赤い唇が優雅に弧を描いた。事の真相をこの女と領主は知っているに違いない。
ご、という音をたてて広間に大風が吹きこんできたのはそのときだった。
身を伏せるルリにウレイラスが守るように覆いかぶさった。開け放たれた扉からの風に長机でさえ耐えきれず横倒しになる。視界の端ではクロウとコクフウがカロンにしがみついている。しかし上段に立つ女とそのしもべ、そしてしもべに支えられているティーナはこの風を感じていないようだった。
黒い影がルリを庇っていた領主を突き飛ばす。ティーナを支える従者はそのまま彼女を脇に抱えるようにしてその影に駆け寄る。薄目ではなにが起きているのかわからない。
大風が弱まり目を開けると、ティーナとしもべ、いや青の混血児が黒い獣に騎乗するのが見えた。風の正体はあのグリフォンだ。彼がなぜティーナを、とゆっくり思考する暇はなかった。
「スフィンクスに乗ってついてこい!」
「カロン!」
言われると同時にルリはカロンを呼び寄せ飛び乗った。クロウとコクフウはすでにその背にある。
大きく開かれた扉から二頭の獣が風を伴って出ていく。回廊にはグリフォンの暴れた跡として床や壁に亀裂が走り、警備兵たちは昏倒していた。崩れた柱のあいだを器用にくぐり抜けて空を目指す。
すぐには捕まらない程度に城から離れたところでルリは後方に目をやる。ファイアーランドの祖母と孫は怒るでも悔しがるでもなく悠然と露台に立っているのが見えた。




