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時を刻む紅  作者: 榊原
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6-11.かの人

 ゴーストランド城の一角に、重々しい空気が流れることもできずそこに渦巻いていた。

 座りこんだ女と、それから男たち。武器を手放した彼らはそろって絶望的な顔をしている。それと向いあっていた一人の男、ホウキンは興はそがれたように彼らから目を離した。

「さて……アルドラよ、彼らをどうする。城の背面にあったあの山へ送ってやろうか」

 そこには日輪を奪った獣を封じてあるのだろう、とつけくわえてやれば、領主に刃を向けた五人はそろって震えあがった。あそこは理性を失った獣たちを閉じこめ、そして真実を隠してきた場所だ。積もりに積もった恨みが蔓延している。

「そんな……お許しを、どうか、あそこにだけは!」

「この場で死をお命じになってもかまいません。ですから、どうぞお慈悲を!」

「黙れ。頭を下げる相手が違う」

 憐れな声をあげながら膝をついて頭を床すれすれまで下げる彼らを、ホウキンは無情に蹴り飛ばした。このような者たちに情けをかけてやれるほど彼は慈悲深くない。誇り高い魔物であるというのなら、なにも言わずにすぐさま命を絶てとすら思うほどだ。

 もっとも、それはいわゆる前時代的な考えだ。魔物が絶対的で、人間が虐げられていたのも今は昔。現在、両者はほぼ対等の関係といっていい。

「して、アルドラ。どうする」

 すべての決定権はゴーストランド領主であるアルドラにある。初代魔王にも領主代行にも、この場でその権を行使することはできない。

 言葉を投げかけられたアルドラは白髪の内に表情を隠していた。

「とりあえず……ミカラゼル、彼らを西の間へ」

 指示を受けたその男は領主から燭台を受け取る。

「ほら、せっかく命拾いしたんだから立って」

 声をかけたもののなかなか立ちあがろうとしない彼らに、国内第二位の男はいただちはじめたのか髪を指に絡める癖がでた。ぼんやりと火に照らされたミカラゼルの顔に、いつもの軽薄そうでありながら親しみやすさを感じる笑みはない。

 ホウキンは彼の横から灯を奪った。手より燭台が消えたミカラゼルは呆然としてホウキンの顔を見る。

「俺が行く。また反逆心を持たれては困るだろう」

 ホウキンはそう言って、一つ立てた指を戦意を失った補佐と門番たちに向けて横に払った。途端、彼らは糸で操られているかのように立ちあがる。次いで両腕が後ろに回され歩きはじめるその姿は、まるで誰の目にも見えない縄で縛られているようだった。

「さて、西の間はどこだったか」

 何度かゴーストランド城を訪れたことのあるホウキンは、この城の構造は魔界の中央にある王城と酷似していることに気づいていた。ここに来るたびにどこか懐かしい思いを抱く。

 五人を先導して角を曲がると、ある程度は予期していた人物がそこにいた。壁にぴったりと背中をつけている彼女の顔色は悪い。

「……見ていたのか」



 出るに出られず、一部始終を見ていたルリは思わず壁に手をやりながら膝をついた。倒れてしまわなかっただけまだましだ。

 ――まさか、この男が初代魔王だなんて。

 かの人が生きていたのは何千年も昔のことだ。戦乱の世と呼ばれたころの荒れ果てた魔界に、神獣の加護を得て緑をよみがえらせ平安を取り戻した。魔界創世物語によれば、今の世界があるのは彼のおかげなのだという。

 クロウがホウキンに怯えたそぶりを見せていたのは、彼が初代魔王だとどこかで感づいていたからなのかもしれない。彼には初めて会ったときから強大な力を感じる部分があった。なにに対しても無表情にかまえているクロウが身を隠そうとするほどの。

「城から出したのではなかったのか」

「おかしいねぇ、こんなに早く帰ってくるなんて。まだ時間が狂ってるのかもしれない」

 ルリを城下大都に行くよう勧めたミカラゼルが軽く首をかしげた。必要以上におどけた様子の代行は、ぴりぴりしたこの空気を抑えこもうとしているようだ。

「あたし……」

「まあ、立て」

 おぞましいほどの気迫を発していたその男に、ルリは手首を優しくつかまれて立たされた。

 なにか暴言を吐かなかっただろうか。時代が時代なら問答無用で首を刎ねられそうなことを言わなかっただろうか。言ったかもしれない、言わなかったかもしれない。

 ルリは頭が思うように動かず、うまく記憶をたどることができずにいた。なにか言おうとしても、きちんとした言葉にならない。

「女子供には少しばかり酷なところを見せたか」

「いいんじゃないの? 秘宝を集めてるんだったら、彼女はこういうのも見ておかきゃならない」

 ルリを気遣うような調子のアルドラの声も、彼女の耳に入らなかった。放心してルリは呟く。

「初代魔王陛下……」

「……神獣どころの話じゃありませんね」

 目の前に立っているその男が神獣なのではないかと疑っていたコクフウがもらした。

 数千年前の魔物が死者の国ゴーストランドにいてもおかしくないとはいえ、さすがに実際にいるとは普通思わない。それが王などとは。

「そう畏まるな。俺は、ただの家なしの魔物だ」

 コクフウが深刻そうな顔で首を振った。

「いいえ、そういうわけにはいきません。陛下のおかげで今の世界があるのですから」

「俺を陛下と呼ぶな」

 否定とともに、半ば投げやりという雰囲気のあった漆黒の瞳に強い力が宿った。嫌な思い出でもあるのだろうか、嫌悪が前面に押しだされている。

 気圧されたコクフウが半歩さがった。魔物の気は人間には大きすぎる。王ともなればなおさらだ。格が違う。

「ああ、そうだ。霧の森で見つけたんだが……必要なものだろう」

 言いながら男は燭台を片手にごそごそと懐を探りだす。かすかに見えた手の甲は青白く、しかし病の染みがあった。右頬を禍々しく彩る黒斑と同じものだ。そういえば、病死だったと聞いたことがある。王らしくない風体でも注意しておくべきだった。

「ちょうど暗くてな、危うく踏みそうになった。壊れているところはないと思うが、どうだ」

 声に優しさはないがそれ以上に冷徹さなど含まれていないというのに、圧倒されて声がまともに出ない。黙ってルリはそれを受け取った。

 平たい紫黒の台座に、それだけで留め具になりそうなほど大きな黒い石。その周囲には濃紺に透きとおる小ぶりな石が嵌めこまれている。秘宝の一つ、黒の希望。

 話に聞くとはいえ、初めて見るものだ。壊れているもいないも判断できない。たとえ破損箇所があったとしても、彼の差し出したものに文句などつけられるはずがないではないか。それに、青の希望のようにただ石のかけらを嵌めこむだけだとしても、誰かが直せるものでもない。

「探しものはそれであっているのか」

「ええ、たぶん、これで。ありがとうございます」

 ルリは口を利いた瞬間、まるで友人にでも話しかけるように霧の森でこの男と話していたことを思いだした。敬意などあのときは微塵もなかった。

 凍りついているルリを捉えて、ホウキンは呆れたように肩の力を抜いて言う。

「誰もおまえたちを殺しはしない。なにせ、もう死んでいるのだからな」

「でも、それでも現魔王はあたしたちを殺すつもりだって……」

「無茶なことを。安心しろ、直接こちら側に手を下すのは不可能だ」

 それを聞いてルリは少しだけ気が楽になった。サンドランドなどの他国は慣れないというだけで終わるが、ゴーストランドは得体の知れない国というのが思うところだったのだ。行って帰ってきた者がいないため、全貌がわからない。

 今の魔界をまとめあげた彼の言うことなら信用できる。彼の言葉が信じられなければ、なにが信じられるというのだ。

「では、俺は行く。これを西の間に連れていく必要がある」

 視線でホウキンは彼の後ろを示してみせた。そこには裕福そうな五人が打ちのめされた表情で直立不動でいる。門番をしていた女の姿も混じっていた。

「なにか……その人たちは」

「気にするな。気にかけるだけの価値もない奴らだ」

 ホウキンはクロウとコクフウ、それからルリに闇色をした目を向けた。望みを託すような、慈しむような色がある。

「そのときになるまで、もうこのような国には来るなよ」

 ルリは滅多に見れないだろうとわかる微笑を浮かべた彼に頭を軽く撫でられた。病に冒されてはいるが、あたたかい手だ。息のできない潰されてしまうような重圧はとうに消え失せている。ルリはその男を見上げた。

 そのときにはすでにホウキンは背を向けていた。そのあとを縄で縛られたように上半身を動かさない五人が続く。小さな灯を持っていながら、彼の姿は廊下の闇の中へ消えようとしていた。



 ぎこちない微笑みを浮かべた領主アルドラに連れられて、ルリたちは彼の部屋を訪れる。

 代行のミカラゼルはまだなにか警戒しているようで一番後ろを歩いていた。飄々としたいでたちであるものの、力があることは暴れだした獣を押えたことで明らかだ。アルドラも腹に傷を負ったとは思えないほど違和のかけらも感じさせず歩いている。

 アルドラが城の最奥にある部屋の扉に触れると、そこから錠のはずれる音がした。滑るように椅子に座った彼は机の中をあさりだす。小さな刃物を見つけたアルドラは己の指を傷つけ、滴る血で懐から取り出した札になにごとか書きつけた。

「はい、これが出国許可証」

 礼を言ってルリはそれを受け取った。木の札だ。古ぼけていて灰色に近い色をしている。内部はすかすかしているのか軽かった。血で書いたはずなのに白い文字はルリには読めない字体だ。大都で見たことがある形。

「下に馬車を用意してある。立派な馬車とは言えないけど我慢してほしい。これを御者に渡せば、しかるべきところに連れていってくれるはずだから」

 木札の表裏を眺めても、そう大事なものには見えない。曲がりくねった白い線にどういった意味があるのだろう。このとき初めてルリは文盲の人の気持ちがわかったような気がした。大都には基本的に文盲はいなかった。

「一緒にいたスフィンクスのほうはこっちで送るから大丈夫だよ」

 アルドラがクロウに目を向けて言った。安心できる言葉を聞いてもクロウは黙ったままだ。

「領主様、カロンは病気だって言ってましたけど、治ったんですか?」

「そりゃあもう元気に飛び回ってたさ。ごちゃごちゃしてて会わせてあげられなかったけど」

 ミカラゼルが領主に代わって答えると、コクフウはほっと息をついた。クロウは目を伏せているが、おそらく彼も安堵していることだろう。ミカラゼルはそのまま続けた。

「彼が、初代魔王陛下がこの城にいるうちに早く行ったほうがいい」

「それってどういう……?」

 代行の珍しく平坦な声での言葉をアルドラが引き継いだ。

「たしかに直接手を下すことはできない。けど干渉することは容易だ。だから、彼の守りがあるうちにゴーストランドを出たほうがいい」

 ルリたちは顔を見あわせ、ミカラゼルの案内で馬車まで急いだ。彼は干渉されることを恐れていたようだった。



「また会えるでしょうか」

 誰に、と具体的には言わずコクフウが呟いた。

 窓一つない、荷台と呼んだほうがふさわしい貧相な馬車だ。光は一筋も入ってこないのだから木箱と称してもいい。木箱に布がかぶせられた馬車。外から見れば三人がぎりぎりで座れるだろうという大きさのそれは、しかし中は意外と広く、三人が横になっても場所が余るほどだった。

 がたん、と車体が揺れる。コクフウが小さく声をあげたのをルリはやっとのことで聞き取れた。暗くて表情は読めない。

「会えるといいけど……ゴーストランドで一人歩きなんてできそうにないわ。今度来たときは入都許可証もないんだから、下賎扱いよ」

「ああ、そうでした。大都に入れないんじゃ、入城なんてできるはずもありませんね。今回は領主様の温情でお城に入れたみたいですけど」

 どちらにしろ、再びこの国を訪れるときにはルリに彼女自身としての記憶はないだろう。このたびゴーストランドに足を踏み入れてしまったときはたまたま記憶があっただけで、二度目もそうであるなどと言いきれないのだから。

 すでに眠っているクロウを横目にして、ルリは覆いかぶさってくる眠気に身を任せた。

※学業のほうに専念させていただくため連載を休止します。2010年4月ごろ再開予定※

読了感謝。

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