6-10.嗤う男
やっとのことで群集の流れから抜け出し、ルリはゆっくり息を吐いて石壁に手をついた。
大都を出ようと門へ行くにも一苦労だ。これだけのことで無駄に疲れた気がしてならない。この地の人々はよくこれで生活ができるものだと感心する。太陽がないだけでもどこか感覚がずれてしまうというのに。
きょろきょろとあたりを見回していたコクフウがルリの肩を軽くたたいて口を開いた。人ごみの中は歩き慣れていると思わせるほど、微塵も疲れていない様子だ。
「ルリさん、さっきの門番の女性がいませんよ。男の人も」
「ああ、本当ね。仕事を投げだしてどこに行ったのかしら。交代……にしては、その交代の人もいないし」
もしかしたら、透明な馬と同様に交代の門番もただ単に見えないだけでそこにいるのかもしれない。しかし、だとしたらそれで門番としての意味があるのだろうか。
「乗ってきた馬車はあるみたいですけど」
コクフウの指差す方向に、たしかに暗がりに紛れるようにして黒塗りの馬車があった。疲弊の色の隠せないルリの顔を見て、彼は小走りでそれに駆け寄る。
「馬と御者はちゃんといる?」
「ええ。ほら、馬のほうは地面を掻いてるようです。土が盛りあがってる。馬がいるなら御者のかたもいるはずですよ」
早く城に戻って休みましょう、という手招きにルリは左手を上げて応じる。
「クロウ、大丈夫? 行くわよ」
俯いてしまっている小さい身体に声をかけると、クロウは疲れを振り払うかのように頭を振った。それからルリの袖をつかんで歩きだす。
「ゴーストランド城までお願いします」
ルリとクロウが馬車に乗りこんでいるとき、おそらく御者のいるだろう方向にコクフウが一礼して言った。そして彼が馬車へ足をかけ、戸を閉めると同時に景色が流れはじめる。
日輪のない空は暗く、点在するごく小さな光が存在を主張している。雲もないのに雪のようにふわふわと降り注ぐ淡い光は、まるで星が落ちてきているようだった。
「空から降ってくる光、あれ、なんだったのかしら」
「きれいでしたね。意外とこの国も、陽がなくてもやっていけそうじゃないですか?」
「……光が降っているのは大都だけのようだが」
「そうなの?」
クロウの子供らしさを欠いた言葉に二人は小窓から外を覗き見た。なるほど、たしかに彼の言うとおりだ。光の降り注ぐ範囲は限定されているように見える。そういえば、ゴーストランド城の敷地ではなにも降っていなかった。
上り坂にもかかわらず、馬車は大都へ向かうとき以上の速さで城へ進んでいた。
国内のどこよりも安全であるはずの城の中で不穏な気配を感じ、ゴーストランド最高位にあるアルドラを守るようにしてホウキンとミカラゼルは彼の前に立った。領主の命はなによりも優先されるべきものだ。
五つの影が闇の中より現れる。男が四人と女が一人。彼らがまとう黒い衣服には上質な布だけがもつ特有の光沢がある。なにも考えずただ上に命じられたまま動けばいいという下級の兵士ではないようだ。
ミカラゼルが目を凝らしていると、彼らの正体をはかりかねた隣に立つ男に問いかけられた。
「あれらは」
「前にいるほうが代行補佐以下の二人と、後ろの三人は……誰だったっけ?」
「城下大都の門番だよ」
記憶を手繰るミカラゼルに後ろにいるアルドラから声がかかった。なかなか出てこなかった答えをたやすく出した領主をミカラゼルはちらりと見る。
「大都になんかそんなに行かないくせに、よく知ってるねぇ」
「あの門番は有名じゃないか。気位ばかり高い、赤い扇の女。城にこもってても耳に入ってくる」
へぇ、と気の抜けた返事をしてミカラゼルは指先に横に垂れる髪を絡ませて遊ぶ。
「さて、どういったご用向きで?」
ミカラゼルは緩んでしまいそうな顔を硬いものに保ち、口調穏やかに問いかける。この状況では愚問というものだ。わざわざこのような、警備の兵もいない時間を狙ってきたのだから。
それに答えたのは代行補佐である年老いた男だった。
「領主に直訴を、と。こればっかりは本人に言わないと伝わらないのだから仕方ない」
「剣を持って直訴とは、また物騒なことで。いくら代行補佐とはいえ、そういうのはぼくを通してほしかったんだけど?」
「結果、あなたを通じているのだからよろしかろう」
そう言いつつも眉をひそめた老翁とは別の男がさらに一歩前へ出た。まだ若く、燃える夕日色の髪は彼の気性の激しさを表している。
「あのような化け物をこの城にお入れになって……いったいなにをお考えか!」
彼の言葉が皮切りとなった。それまで沈黙を保っていた有力者である大都の門番たちが一斉に口を開いたのだ。
「さすがは下賎から選ばれた領主だな。領主となってすぐ日輪が奪われたのだ。やはりこのゴーストランドを治めるだけの力がなかったということよ」
「より強大な力を持つ者が領主に据えられるのよね。なら、どうして初代魔王陛下が領主に選ばれないのかお尋ねしても? あのかたはまだこの国に留まっていると耳にしたのですけれど」
「下賎ではなく、初代魔王陛下がゴーストランドを治めてくださればどれだけ国がよくなることか。そちらも、そうは思わぬか? 無論、先代の魔王陛下でも異論はないが」
恨みと蔑みの入り混じった声色で堂々と告げられたミカラゼルは、周囲に気づかれないようそっと息を吐いた。こういったことは初めてではないから説明するのは難しくない。しかし、無事にこの場がおさめられてもまた次がある。
どこか諦めた様子の友人でもある領主の姿をさりげなく横目に見て、どうしたものかと考えた。おそらく彼らは自分たちを殺すつもりだ。隣で目を細めるホウキン以外こちらは丸腰、対してあちら側は全員が剣を所持している。穏便に事をおさめるには、いったいどうすればいいか。
「初代魔王が領主にならない理由を教えてやろうか」
沈黙を破ったその声は静かに響いた。
アルドラもミカラゼルも例外なく、視線は自然とホウキンのほうへ向けられた。たしなめられて剣の柄からは手が離れているものの、剣を握っているかのような雰囲気がある。
門番だという金髪の男がその支配的な空間から逃れるように腕を大げさに振った。
「黙れ。私はおまえの後ろに隠れている領主に言っているのだ。誰が貴様に訊いている」
「俺が領主を選んでいるからだ。だから、俺が領主になることはありえない」
「耳が聞こえないのか? 黙れ、と言った。おまえも所詮は下賎だろう。我々と対等に口を利こうなどと、おこがましい」
「ほお……『初代魔王陛下』にそのような口を利くのか」
ホウキンはからかうような調子で腰に軽く手をやった。びくり、と男は肩を揺らす。引きつった顔をして、まさかこの男が、と青くなった唇が動くが声にはならない。
堪りかねた様子で、この場にいるたった一人の女が彼を庇うように前へつかつかと歩み出た。鋭い目をして赤色の扇をホウキンに向かって突き出す。
「ちょっと、ふざけないでくださる? あのかたの名を騙ろうなんて、頭の程度が知れること」
「頭の程度が知れるのはおまえのほうだ」
ホウキンが愉しそうに目を細めるのを、ミカラゼルはかろうじて捉えた。
女が眉間にしわを寄せるのを見て取るや否や、この場に重圧が加わるのがわかった。ホウキンがやっているのだろう、冷たく笑っている。ミカラゼルが耐えられないほどではなかったが、女は違った。彼女は自身を抱くようにして膝をつく。
足元から沸き立つ熱気、頭上からの圧力、左右からは冷気。四方八方から押し潰され、己というものを失ってしまいそうだ。
そのような息苦しい空間を作りだしたホウキンは悠然と立ち、立っていられなくなった女を見て失笑した。
「あっけない。ずいぶんと軟弱な魔物もいたものだ」
まるで人間のようだ、とその男は言った。暗黒の双眸が女を射抜く。
「まあまあ、そのくらいにしてやりなよ」
耐えられないわけではないがこの空気のまま乗り切れる自信がなくて、少しでも軽減すればと軽く言った瞬間、ミカラゼルは失敗したと直感した。
目を向けられたわけでもないのに、彼の愉しみとはまったく関係がないのに、思わず身体から力がすべて抜けそうになった。まともに目をあわせたらかなわない。醜態こそさらしてはいないが自身ですらこの状態だ。男よりは格段に劣るその門番の女はどうなることだろう。
「その力……もしや、本当に」
射すくめられ倒れ伏した女の肩に手を伸ばした金髪の男が呟いた。圧倒されてか、相当な使い手と見られる彼の手は小刻みに震えている。その彼らの後ろでは、やはり、と自らの予想を確信した老翁が一歩も動かず険しい顔をしていた。
「初代、魔王陛下……?」
ぽつりと放たれた小さな声は霧散するかに思えたが、思いのほか反響した。言葉の波紋は、このとき初めて各人の胸に、信じがたかったものがゆっくりと染みこんでいくようだった。
ホウキン自ら正体を明かしたというのに、今まで疑ったまま本当に気づいていなかったのか、とミカラゼルはアルドラとそろってあきれ返った。だがそれも仕方がない。魔界に平安をもたらした偉大なる初代魔王、と謳っていても数千年は昔のことで、彼の顔を知る者などいはしない。さらに肖像画など一つもないという話だ。
「そこのおまえ」
ホウキンが這いつくばった状態から身をおこそうとしている女に卑しいものを見る目を向けた。
「俺が領主になればいい、と言ったな。違うだろう。おまえではない者が領主になったことが腹立たしいだけだ。ああ、サンドランドに女領主が立ち、ならばとおまえが次期領主と目されていたらしいな。くだらない。俺にそんなものを押しつけるな」
「腹立たしく思っているなど……私はただ、もっと領主の座にふさわしい者がいる、と」
「この者の申すとおりにございます。下賎の中からお選びになるのは、いささか」
白髪の代行補佐が女を擁護した。今までゴーストランド出身の者だけが領主に就任していたのだ。暗黙の掟を破られたと思うのももっともだ。
ミカラゼルとて、自身が選ばれたとはいえこの城にいることは間違いだと常々思っている。所詮は中継ぎ程度の存在だろうと。あと片手で数えられるくらいの年がすぎれば、きっと城から追い出され、本来あるべき生活を地方で送るのだ。
「下賎の中から領主を選んではいけないのか」
ふとミカラゼルの脳裏を忘れられない情景がよぎった。岩が落ちてくる場面だ。あの巨大な岩さえ落ちてこなければ、ゴーストランドへ行くはめにはならなかった。こちらへ来たのは、領主代行として立ったのはもう六年ほど前になろうか。
「俺はな、この国で強い力を持っていて、適任だと思える奴を領主に選んでいるつもりだ。ゴーストランドでもっとも強く、もっとも領主にふさわしい者を、ただ下賎だというだけで候補からはずすのは惜しい」
友人であるアルドラとともに石を掘っていたとき、運悪く落石に遭ってゴーストランドに来てしまったのだ。目を覚ましたところで初めて顔をあわせたのは、一緒にいたアルドラと、それからホウキンだった。状況がうまく呑みこめないまま彼に領主にならないかと誘われ、勢いで頷いてしまった。頭が冷えて、アルドラに領主の座を譲ってかわりに代行になったのだが。
適任だと、かつて魔王だった男にそう見られたわけだ。誇りに思うことであるが、このような事態になるのなら、今さらながらそのような大役を引き受けなければよかったと思う。領主も代行もいいものではない。
「武器を捨てろ。懐に隠している物も全部」
命令することになれた口調であったが、それはかつての王の発言というよりもむしろ、牢の番をする兵士の罪人に対する発言のようだった。先ほどまであった威圧の色がない。吐き気すら催すような圧迫感がたしかに消え失せている。
「ゴーストランド領主の前だ。そうだろう」
この国において礼を取るべき相手は初代魔王などという存在ではない。彼がそう暗々に言ってみせると、剣を持って城に押し入ってきた彼らはそれぞれの武器を床に置いた。
ただの魔物と成り下がったこの男に、アルドラとミカラゼルは守られたのだ。
読了感謝。




