6-9.黒の中の白
暇を持て余していたホウキンは冒険心をおこしてゴーストランド城を一人徘徊していた。彼の身には黒しか色がないが、闇に紛れるにはちょうどいい。本当にあたりは暗闇で灯りは手に持つ小さな蝋燭だけが頼りではあるものの、慣れてくれば暗闇もおもしろい。
そろそろと歩を進めて密かな散策を楽しんでいたホウキンだったが、前方に足音を聞いてふと歩みを止める。腰には手に馴染んだ長剣を佩いているが抜くまでもない。ないよりはましという程度の蝋燭を掲げて虚空をじっと見つめていると、一つの影が浮かびあがってきた。
「おまえ……こんな夜中に、なにを」
「それについてはお互い気にしないことにしてくれないかなぁ?」
ごまかし笑いとともに現れた領主代行ミカラゼルは悪びれる様子もなく言った。散歩ならつきあうよ、と彼はホウキンに歩み寄る。癖なのだろう、ミカラゼルは顔の横に垂れた焦げ茶の髪を指でくるくるといじっていた。
「まあ、なんだろうね。日輪を奪っていった、さっき山へ封じた獣のところに行ってただけさ」
「一人でか」
「あー……、実際、ぼくだけでもこと足りたし。他がいたら足手まとい確定だよ。ほら、一応ぼくだって代行だしさ」
彼は言いわけでもするかのように歯切れ悪く言った。
「これからはやっと朝日が昇るんだ。何年ぶりだろうねぇ」
歩調をあわせて男二人は黒い色をした回廊をゆったりと歩く。ゴーストランドにはこれでもかというほど黒が多い。光がないからというわけではなく、なにからなにまで黒色で造られているのだ。かと思えば部屋の中は真っ白で、目が痛くなってしまう。
「子供たちはどうした」
「城から出したよ。これからずれた時間を調整しなきゃならないのに、うろつかれちゃ困るからね。あいつの傷に触るといけないし。罪悪感を持たれても面倒だろう?」
そこに階段が、と注意されてホウキンは出した足を引っこめる。危うく転倒するところだ。地形などは今までほぼすべてが自分の思うとおりになっていたため、足元に目を向けることはあまりしなくなっていた。
階段を下り、彼らは庭に出る。獣と争ったときの庭と似ているが、そことは違う場所だ。同じような構造になっているところが城内にはいくつかある。よく観察しなければ異なる箇所など見落としてしまうほどよく似ている。
そのとき、あ、と夜陰から二人のものとは異なる男の声がもれた。右手側からだ。そのわずかな声が耳に入った彼らはもやもやとした気配のほうを振り返り、闇の中にあるものを見定めようとじっと目を凝らす。
いくらかして、ミカラゼルは訪れた生ぬるい沈黙に耐えきれなくなり口を開いた。
「アルドラかい?」
「……できれば見つかりたくなかったよ」
誰の手も加えられず朽ち果てた庭、そこに立つ木の陰から出てきたアルドラは心底残念そうに落胆した声をあげた。
ゴーストランドにも出店はある。空から降り注ぐ光の粒、それをかき集めてかごに入れたものを吊るされていたために、周囲が暗くとも並べられている商品はしっかりと見ることができる。人の流れからして、彼らの目的地はこの場所のようだ。
ルリたちも興味本位でのぞいてみたがしかし、扱っている物はここ最近彼女たちが街で見てきたような物とは明らかに異なっていた。格が違うというのだろうか、食品や衣服など種類でいえば同じだが、それらは領主を筆頭とした上流階級の者のための物が多かった。
「やっぱり大都ってお金持ちの人が多いんでしょうか。見てください、すごい桁ですよ」
「本当ね。アイスランドでもらった褒賞金でも足りないくらい。でも……単位が違うみたいだけど」
ほしい物があってもこれではなにも買えない。白塗りの木札には知らない文字でなにか書きつけられていた。見たことのないその文字は古い字体というわけではなく、異国語のようだ。現在では言語も通貨も統一されているというのに、おかしな話だ。
戦中であっても以前はこのように豪華な物を食していたものだ、と半ば他人事のようにルリは思う。懐かしいとは感じたが、羨ましいだとか昔に戻りたいだとかは思わなかった。城での生活というのは、今日は昨日の、明日は今日の繰り返しだった。
ふと、ルリとコクフウのあいだを歩いていたクロウが足をとめた。つられて彼女たちも足をとめる。
「どうかしましたか?」
「今、あそこに……」
呟いたクロウは軽い身を活かして人の流れを横切り、先ほど銀髪の者について尋ねてきた童女のようにすぐに見えなくなってしまう。ちょろちょろと動くその姿は子供らしいとは思うが、彼らしいとは思えない。思ったことをすぐに実行に移す性格ではなかったと記憶している。
「ちょっと、クロウ!」
残された二人は視線をやや下方に向けて不思議な色をした長い髪を探した。金とも銀ともつかない、陽の光を浴びた清流のような色の髪は少ないはずだ。今がなにも見えない完全な闇、もしくは白昼であったならまだしも、薄暗い中であるからよくも悪くも目立つ。
どこに行ってしまったのかとルリが目を走らせていると、コクフウは声をあげ、きょろきょろしている彼女を手招きした。
「いましたよ、ルリさん、こっちです」
距離にしてみれば短かったが、うまく人の流れに乗らなければならず、クロウの元に辿りつくのには少しばかり労力が必要だった。
そこにあったのは互いに寄り添う二つの小さな影。正体はクロウと、人を探していたあの幼子であった。両者が魔物だったとして、あと三十年もすれば恋仲に見えることだろう。なにか話しこんでいるようであったが、クロウはあまり多くを口にしないはず。
二人の周囲を街の者は避けて通っている。近づくだけでも病を得るとでも思っているかのようだ。たしかに少女の頭には少々薄汚い布が巻きつけられているが、それ以外はきれいな格好をしているといえる。避けて通る理由は見当たらない。
「クロウ、どうしたのよ?」
「別に、なにも」
「光がぱあってなってね、この子を治してもらったの」
隠していたことをあっさり言われ、クロウは眉をひそめた。たったそれだけの行為で、余計なことを、という感情をうまく表している。
「治してもらった? 珍しいこともあるものね」
瞠目してルリはクロウをちらと見た。ルリが治してやれと言ったらクロウは断っただろう。言われてやるのと自主的にやるのは気分も違うものだ。
大きな瞳を喜びに彩った童女の腕の中には、白銀の色をした小さな獣がいる。毛色は異なり翼もないが、それはどこかカロンに似ていた。クロウが気まぐれをおこしたのも、きっとそのせいかもしれない。カロンとクロウは互いを好ましく思っているようであったことを思いだした。
今にも走りまわってはしゃぎだしそうな幼子は、陽光を失ったゴーストランドを照らすことも不可能ではない笑顔をつくる。
「すごいねぇ、この子、元気になったよ」
もぞもぞと頼りない腕の中で動く幼獣を彼女ははなしてやった。きれいな毛並みは四肢をついて、振り返って一つ鳴いてからぴょこぴょこと跳ねるように駆けだしていった。それを見送った女の子もまたルリたちに背を向ける。
「ありがとう。じゃあ行くね」
「待ってください、名前を教えてもらってもいいですか?」
声をかけたのはコクフウだった。彼に問いかけられたのが意外だというふうにきょとんとしたが、次には満面の笑みを浮かべて言った。クロウは決して見せることのないだろう子供らしい笑顔だ。
「イレシアは、イレシアっていうんだよ。じゃあね」
片腕を大きく振って、少女は再び人ごみに紛れこむ。この場所からではわからないが、上空から見れば彼女の通ったところに空白ができるのがわかっただろう。
なぜ、大都の住人はこんなにも他人のことに無関心なのだろう。人を探していたこの小さな子供の存在に気づいていたはずなのに、誰もがそれを避けて通る。ないものと見なしている。まるで自分でないものに触れることを恐れているようではないか。
また、彼らは人でごった返す通りも他人と肩をぶつけるでもなく平然と歩いている。街をよく知っていると言われればそれまでだが、これほどの人ごみの中をなにごともなく進めるものだろうか。
ゴーストランドとは奇妙な国だ、という考えをルリはいっそう深いものにした。まだこの国の一面だけしか目にしていないが、このような生活に楽しい部分があるのかどうか疑問だ。
偶然会っただけの者に名前を尋ねることは普通しないのではと思ったルリは、申しわけなく思いながらもコクフウにもう一度同じ問いを投げかけた。
「ねえ、あの子やっぱり知りあいとかじゃないの?」
「とんでもない。そんなこと何度も訊かないでくださいよ。ずっとサンドランドにいた僕にゴーストランド出身の知りあいなんているわけないじゃないですか。それに、普通の人はこっちに来た時点で記憶が全部なくなるんですから。僕らは、どういうわけか特別なだけで」
穏やかな顔でしかししっかりと否定の言葉を述べたコクフウに、そう、とルリは答えるしかなかった。
「そろそろあたしたちも城のほうに戻る? なんだか街の人にとっては邪魔みたいだし。ゴーストランド生まれじゃないってわかるのかしら」
「そうですね……。買い物だって通貨が違うんじゃできませんからね」
どこが門だったかと記憶を手繰り寄せながら、ルリたちは馬車を待たせている場所へ向かった。
今度は立ちどまっても人々に距離を置かれることもない。迷っているそぶりをしているというだけでは誰もルリたちを気にかけなかったが、それでもゴーストランド城へつながる門の場所を尋ねればきちんと教えてくれる。
街の者が他人に無関心なのは否定できないが、異質だったのはあの少女だったのだ。
三人の男が仄暗い廊下を歩いている。全員が闇に溶けこんでしまいそうに見えるほど、彼らはそろって黒い衣をまとっていた。唯一の光であるホウキンの持っていた燭台は今、自分が持とうと言いだしたミカラゼルの手にあった。
あえて手を加えられていない庭がよく見える廊下で、その三つの影はとまった。黒く滑らかな手すりに身体を預けたホウキンがアルドラに向かって大儀そうに口を開く。
「どうだ、傷は」
「もう動けるんだけど、動くなって言われてしまってね」
答えを聞くと、ホウキンは視線を庭のほうへ移した。彼の漆黒の目はなにを見るでもなく闇ばかりを映している。夜だろうと昼だろうと、これほどまでに暗い場所はゴーストランドの他にないだろう。
「しょうがないさ、アルドラはいつも無茶ばっかりするんだから。それにしても、動くなって言われたくせに、どうしてあんな場所にいたのかねぇ」
傷を負った領主があのような、人気のない庭の木の陰に身を潜めていたなどと誰が考えるだろう。からかい口調で責めるミカラゼルに、アルドラが言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「出国許可証を取りに行ってたんだよ。庭を通ったほうが近道だ」
「誰かに行かせればよかったじゃない。なんでわざわざ君が」
「領主でなければ入れない部屋に、誰を行かせろって? 代行ですら入れないのに?」
なら仕方がない、とため息混じりにミカラゼルが言った。
「でもねぇ、こんな夜中に抜け出して、医者に心配かけるんじゃないよ。まあ、今が夜なのかはわかったもんじゃないけど」
「ああ、わかって……」
アルドラは言葉を切った。身体は庭に向けたまま目だけを横にやったホウキンが険しい顔をして剣に手をかけていることに気づいたのだ。
この場にはゴーストランド最高位の領主がいる。それに次ぐ代行もいる。だというのに城内で抜剣する理由がどこにあるのか。そう問おうとしたアルドラのその疑問はしかし一瞬もしないうちに解決された。
複数の不穏な足音が聞こえる。その存在を隠そうとしているようではあるが隠しきれていない。殺気に似たものがいくつもの細い気配の中に含まれている。
「アルドラ、これ持ってて」
害意を敏感に感じ取った領主代行は燭台をアルドラに押しつけた。
「職務怠慢だな。警備兵はなにをしている」
「まあまあ、落ちつきなさいよって」
今にも抜剣してそのまま相手に斬りかかりそうな勢いのホウキンと、それをなだめるようにするミカラゼル。両者は領主を背に一歩前へ出た。
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