第57話 鉄道計画、始動
「――引くぞ!」
王都の外れの原っぱに、真新しい二本の鉄の軌道が、まっすぐに延びていた。
ほんの数百歩ほどの長さの、試しの軌道。その上に、荷を山ほど積んだ車が一台。
引くのは、たった一頭の馬だ。
「おい、あれを一頭で引けるのか?」
「普通の道なら、四頭は要るぞ」
見物に集まった職人や商人たちが、ざわざわと囁き合う。
商人組合のグスタフさんの姿もある。少し離れた場所には、マクシミリアン殿下とマリー様まで来ていた。
(ご自分の祭りの後に、弟君の鉄道を見に来るなんて……マクシミリアン殿下らしいな)
「――殿下。一つ、よろしいですかい」
人垣の中から、日焼けした年配の男が進み出た。王都で長年、荷馬車屋をしているという。
「そんな便利なもんができたら、わしら荷馬車屋は、おまんまの食い上げでさ。馬も御者も、みんな要らなくなっちまう」
周りの荷運びの男たちが、不安そうに頷き合う。
(……そうだよね。新しい仕組みができれば、仕事を失う人も出る。前世でも、何度も見た)
「要らなくはならない」
フリッツ様が、男に向き直った。
「この鉄道を引くのは、馬と御者だ。軌道が延びれば延びるほど、馬も御者も、今よりたくさん要る」
「へ……?」
「それに、鉄道は決まった道しか走れない。駅に着いた荷を、町の店一軒一軒まで届けるのは、荷馬車にしかできない仕事だ。運ばれてくる荷が増えれば、その分、皆の仕事も増える」
私は、持ってきた計算書の一枚を、男に見えるように広げた。
「麦穂一袋あたり、今よりずっと安く運べるようになります。安くなれば、たくさん売れる。たくさん売れれば、運ぶ荷も増えます。――皆さんの仕事は、なくなるのではなく、形が変わるだけです」
男は紙の数字と、フリッツ様の顔をしばらく見比べていた。
「……わしの倅は、御者になりたがってましてな」
「では最初の御者に、名乗りを上げてもらえるとありがたい」
フリッツ様がそう言うと、男は帽子を握りしめて、深々と頭を下げた。
御者が手綱を振るう。馬が、ぐっと首を下げて――車が、するすると、軌道の上を滑り出した。
「動いた……!」
「軽々と……!」
歓声が上がる。軌道の脇で腕を組んでいたフォルクさんが、ふんと鼻を鳴らした。
「馬で驚いてちゃ、蒸気の時に腰を抜かすぞ」
「工房の方は、いかがですか」
「……上下を回転に変える腕の模型が、昨日、初めて一回りした。まだ、おもちゃみたいなもんだがな」
(一回り……! 蒸気機関車への、最初の一歩……!)
「――次は、人を乗せてみよう」
フリッツ様の声に、二台目の車が軌道に引き出された。荷台ではなく、長い腰掛けを据えた、屋根のない車だ。
「最初に乗るのは、この方たちに頼みたいんだ」
フリッツ様が振り返った先に、見覚えのある母娘が立っていた。
「お姫さま!」
(ミュールドルフの……! 夏に、野の花をくれた女の子!)
「殿下が、お呼びくださったんです。村の野菜を、王都の市場で売ってみないかって」
母親が、籠いっぱいの馬鈴薯と蕪を抱えて、恐縮したように頭を下げる。
「鉄道が村まで通れば、毎朝この車で王都へ来て、昼には売り終えて、夕方には帰れる。……その最初の乗り手は、あの村の人がいいと思った」
(フリッツ様……)
「ロッティ。君も」
差し出された手を取って、腰掛けに上がる。女の子が、私の隣にぴょこんと座った。フリッツ様は、その反対側に。
御者の合図で、車が、ゆっくりと動き出した。
がたん、ごとん――ではない。驚くほど静かに、滑るように。
「わあ……! お尻、痛くない!」
「本当……普通の荷馬車みたいに、揺れないのね」
(前世の電車と比べたら、ずっとゆっくり。でも、この世界の人にとっては――きっと、魔法みたいな乗り心地)
腰掛けの下で、フリッツ様の手が、そっと私の指に絡んだ。
(……人前なのに。誰にも見えないところで)
「ロッティ。いつかこの道を、君の領地まで延ばしたら」
前を向いたまま、フリッツ様が囁いた。
「君をこの車で、コルンフェルトまで送っていこう。……一緒に、帰ろう」
(一緒に、帰る……)
その言葉は、どういう意味なのか。
聞き返す前に、車は軌道の終わりに着いていた。
車を降りる時、フリッツ様が先に飛び降りて、両手を差し出した。
「ロッティ」
「だ、大丈夫です、自分で――きゃっ」
腰を支えられて、ふわりと地面に下ろされる。
周りの職人たちから、ひゅう、と口笛が上がった。
(ミュールドルフの時と同じ……! 人前で……!)
顔を真っ赤にする私の耳元で、フリッツ様が囁いた。
「慣れてもらわないと。……これから、何度でもするから」
「すごいや! ねえ、もう一回乗りたい!」
「私も、乗ってみたいです!」
はしゃぐ女の子の隣で、マリー様が両手を握りしめて跳ねている。
「マクシミリアン様、乗ってもいいですか? ねえ、お願いします!」
「……フリードリヒ、いいか?」
「どうぞ、兄上。マリー嬢も一緒にどうぞ」
二度目の車には、マリー様とミュールドルフの女の子が並んで乗った。走り出した車の上で、二人は顔を見合わせて、きゃあっと歓声を上げている。
(ゲームのヒロインと、村の女の子。……なんだろう、すごく平和な光景)
見送るマクシミリアン殿下の顔は、祭りの夜よりも、ずっと穏やかに見えた。
マクシミリアン殿下が、苦笑しながら弟のもとへ歩み寄った。
「……フリードリヒ。お前は、本当にすごいものを作ったな」
「私一人では、作れませんでした」
フリッツ様が私を見る。マクシミリアン殿下も、つられたように私を見て、ふっと笑った。
「そうだろうな」
グスタフさんが、帽子を脱いで、深々と頭を下げているのが見えた。
――その月の終わり。議会は、フリッツ様の立太子を、ほぼ満場一致で承認した。
そして、馬一頭で荷車が滑るように走ったという噂は、国境を越えて、思いがけない人の耳にまで届いていた。
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