第46話 間話・フリードリヒの独白6
side:フリードリヒ
「――第二王子殿下が、わざわざ我が屋敷へお越しになるとは。いかなるご用件ですかな」
壁に剣と槍が飾られた、武骨な応接間。向かいに深く腰掛けたアイゼンベルク公爵が、浅黒い顔に不敵な笑みを浮かべていた。
太い指が、指輪をくるくると回している。
(……苛立っておられるな)
「閣下に、見ていただきたいものがあります。鉄道の計画書です」
「鉄道?」
「閣下の鉱山から王都へ。王都からコルンフェルト領へ。三つを、鉄の軌道で結ぶ計画です」
公爵は、鼻で笑った。
「なるほど。対決で分が悪いと見て、我が家を取り込みにいらしたか。あいにく、わしはマクシミリアン殿下をお支えすると決めておる」
「対決のことは、関係ありません」
私は、まっすぐに公爵の目を見た。
「先月、巡回で閣下の領地を訪れました。麦も育たない痩せた土地。山道を運ぶせいで、食べ物の値が王都の倍近くする町。……閣下が麦を買い集める理由も、隣国へ土地を広げたい理由も、あの町を見て、ようやくわかった気がしました」
指輪を回す指が、ぴたりと止まった。
「閣下が望んでおられるのは、戦ではない。領地の民が、飢えずに暮らせることだ。――違いますか」
長い沈黙。琥珀色の瞳が、私を射抜く。
「……続けられよ」
計画書を開く。軌道に要る鉄の量が、剣として隣国へ売られている鉄の量とほぼ同じであること。剣は戦がなければ売れないが、鉄道を建築すれば国内で何年も求められ続けること。鉄道ができれば、コルンフェルトの麦を、今の三分の一の費用で公爵領へ運べること。
頁をめくるたび、公爵の表情が変わっていった。
不敵な笑みが消え、眉間に深い皺が寄り――やがて、自ら身を乗り出して頁をめくり始める。
「……王都には、何の得がある。わしの領地とコルンフェルトだけが肥えれば、王都の者どもが黙っておらんぞ」
「王都が結果的に一番得をします。麦も鉄の道具も、安く早く届く。それに、鉄道は荷物だけでなく、人も運べます。村の者が王都へ働きに来て、その日のうちに帰れる。王都の商人は、閣下の領地の町まで品を売りに行ける。人と物が、毎日行き来するようになる」
公爵の眉が、ぴくりと動いた。
「……人まで運ぶか。して、何で引く。隣国のように、蒸気で走らせるのか」
「まずは、馬です。鉄の軌道の上なら、馬一頭で普通の道の何倍もの荷を引ける。蒸気は――まだ、この国には造れる者がいない」
「……造れる者か」
公爵が、ふいに指輪を回す手を止めた。
「一人、おるかもしれん。わしの鉱山に、坑道に溜まる水を、蒸気の力で汲み上げる妙な機械を作った男がおる。皆、火を吐く鉄の化け物と気味悪がって近づかんがな。……偏屈で、貴族嫌いの変わり者だ」
(蒸気の、技術者……)
私は、その言葉を胸に刻んだ。ロッティが言っていた、「研究できる者」。
「……この数字は、誰が出した」
「私の婚約者です。巡回に同行し、閣下の領地の帳簿も、自分の目で確かめています」
「コルンフェルトの娘か」
太い指が、一つ一つの数字をなぞる。
先ほどまでの荒々しさが嘘のように、慎重な手つきで。
「……輸送費の見込みが甘くない。むしろ控えめだ。軌道の保守の費用まで入れてある。わしの家の執事でも、ここまでは出せん」
(ロッティ。君の計算書は、鉄の公爵にも認められたよ)
やがて、公爵は計画書をゆっくりと閉じた。
「――殿下。我が領の民を飢えさせぬ方策を、王族が考えたのは、これが初めてだ」
私は、黙って頭を下げた。
「だが、即答はできん。わしはマクシミリアン殿下をお支えすると、皆の前で言った。それを覆すのは軽いことではない。……考えさせてもらおう。これは、預かってよいか」
「どうぞ、閣下のためにお作りしたものですから」
公爵は計画書をしばらく見つめ、それから、ふいににやりと笑った。
「殿下は、面白い婚約者をお持ちだ」
「……ええ。私には、過ぎた人です」
公爵邸を出ると、秋の陽射しが眩しかった。
馬車の背もたれに身を預けて、ようやく息を吐く。
(即答はもらえなかった。だが、手応えはあった)
――それなのに。
窓の外を流れる王都を眺めながら、胸の奥に、別のものが欲しいと、心が渇望している。
(あの音楽会以来、ロッティを見る周りの目が変わった。美しくなった彼女に、若い男たちが視線を送り、声をかけようと機会を窺っている)
(そのたびに、胸がざわつく。……想いは伝えた。彼女も、応えてくれた。それなのに、足りない)
(婚約者という名だけでは、足りない。口づけを交わしても、足りない。彼女を誰の手も届かない場所に置いておきたい。私のものだと、国中に知らしめたい)
(彼女の瞳に映るのが、私一人であればいい)
(ずっと暗い井戸の底にいた私を、彼女が掬い上げてくれた。……だからこの手を離したら、また底へ落ちていく気がするんだ)
膝の上で、指先をぎゅっと握り込む。
馬車が北棟の車寄せに着いた時、夕陽が石畳を茜色に染めていた。
――そこに、一人の令嬢が立っていた。
朝と同じ場所に。ボルドーのドレスと、青灰色のイヤリングを、夕陽に照らされて。私の姿を見つけた瞬間、その顔がぱっと輝いた。
(――ああ)
(この渇きが癒える日は、きっと来ない)
(それでいい。一生、渇いたまま、彼女を求め続ければいい)
馬車の扉が開くのも待てずに、私は彼女のもとへ歩き出していた。
★評価・ブックマーク・リアクションを頂けると、とても嬉しいです!
更新頑張ります!




