第4話 悪役令嬢は、努力の人でした
夜会の翌朝、シャルロッテは自室の書き物机に向かって悩んでいた。
(……何て書けばいいの、これ)
宛先は、ヴィクトリア・オイレンブルク様。
昨夜フリードリヒ殿下に「手紙を書いてあげるといい」と言われた、ヴィクトリア様に手紙を書こうと決めて机に向かっている。
目の前には、上質な便箋が一枚。インク壺にペン先を浸したまま、もう二時間ほど動けずにいる。書くこと自体に迷いはない。問題は中身に何を書くかだった。
(「昨夜は大変でしたね」……いや軽い。「お気を落とさずに」……上から目線っぽい。「マクシミリアン殿下はひどいです」……それ一番書いちゃだめなやつ)
(前世なら「大丈夫? 話聞くよ」って一行で済んだのに。こっちは言い回し一つで家同士の関係が変わる世界なんだよね……)
シャルロッテはペンを置き、窓の外に目をやった。
春の庭では、父が手入れをさせている麦穂模様の生垣が、朝日を浴びて揺れている。
(ヴィクトリア様と初めて会ったのも、こんな春の日だったっけ)
『コルンフェルト嬢、膝が浅うございます。もう一度』
『オイレンブルク嬢、今の答えは結構。ですがもう少し早く』
十二歳の春に 王妃陛下の計らいで、第一王子と第二王子、それぞれの婚約者候補が、同じ教師のもとで妃教育を受けることになった。
その初日、王宮の小広間で引き合わされたのが、同い年のヴィクトリア様だった。
艶やかな黒髪をきっちり結い上げ、背筋をぴんと伸ばして立つ姿。
十二歳とは思えないほど完璧なお辞儀。
あの日の私は、ヴィクトリア様を完璧すぎて正直少し怖いと感じていた。
お辞儀の角度、ドレスの裾の捌き方、扇子の開き方。そして国内の主要な貴族家の系譜と紋章。三か国語での挨拶。晩餐の席次の決め方。
一つ間違えるたびに鋭い声が飛んできた、鬼のように厳しいマダム・ブラントの声が、今も耳に残っている。
ヴィクトリア様は、いつも誰より早く来て、誰より遅く帰っていた。
ある日、お辞儀で何度もよろけて涙ぐんだ私の隣に、すっと彼女が来た。
『重心を、もう少し後ろに。膝ではなく、腰から沈むつもりで』
『……できましたわ』
『ええ。あなたは筋がいいもの。泣いている暇があったら、あと十回練習なさい』
(そっけないのに、それから時々、こっそりコツを教えてくれるようになったんだよね)
『私たちは、殿下方の隣に立つ者ですもの。私たちが恥をかけば、殿下方が恥をかくことになるわ』
(六年間、ずっとマクシミリアン殿下のために頑張ってきた人。それなのに昨夜、婚約破棄を告げられて――それでも、殿下の面子を守ろうとした)
(ゲームでは、ただの悪役令嬢だったのに。……画面越しに「ざまぁ」とか思ってました……本当にごめんなさい!)
心の中で土下座してから、もう一度ペンを取った。
(飾らなくてもいい。慰めはきっと必要ない。私が知ってるヴィクトリア様のことを、そのまま書こう)
――昨夜のヴィクトリア様のお振る舞いは、とても立派でございました。
――十二歳の春、お辞儀のコツを教えてくださった日のことを、今も覚えております。
――ヴィクトリア様がどれほど努力を重ねてこられたか、私は存じております。
三日後。薄紫の便箋に、端正な筆跡の返事が届いた。
――殿下をお責めするつもりはございません。父のためにも、この国のためにも、私は私の務めを果たすだけです。
――ですが、あなたが覚えていてくださったことは、少しだけ嬉しゅうございました。
――相変わらず、膝が浅くなってはいなくて?
(最後の一行……! こんな時まで、かっこよすぎます、ヴィクトリア様……!)
責めない。泣き言も言わない。それでいて、最後にちょっとだけ、昔の二人に戻ったような軽口。
(ゲームでは、断罪された悪役令嬢のその後なんて、一行も描かれなかった)
(でもこの世界では、ちゃんと続いていくんだ。ヴィクトリア様の人生も――そして、私の人生も)
机の端には、まだ返していない濃紺の外套が、丁寧に畳んで置いてあった。
(……返しに行くの、ちょっとだけ、楽しみにしてる自分がいる)
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