第38話 王都の祭りと、地味な計画
「マクシミリアン殿下は、八月に王都でお祭りを開かれるそうよ。二週間、大通りに屋台を並べて、毎晩楽団が演奏して、最後の夜には花火まで。アイゼンベルク公爵閣下が、ずいぶん後押しなさっているとか」
七月の終わり。お義姉様の話に、私は思わず身を乗り出した。
「花火まで……!」
「マリー様も、市場で配る花飾りを選んで張り切っていらっしゃるそうよ」
(屋台、楽団、花火……前世の夏祭りだ。人の心を掴むには最高の舞台)
(……でも。そんなに人とお金が王都に集まったら、その分、周りの町からは――)
前世で鍛えた会計事務所で培った勘が、小さく警鐘を鳴らす。
「兄上らしいな。きっと、たくさんの人が喜ぶ」
北棟の執務室で話を伝えると、フリッツ様は穏やかに頷いた。嫉妬も焦りも、その声にはなかった。
「フリッツ様は、どんな市政を?」
「東部のミュールドルフと、ブルンネンタールを含む周りの五つの村。井戸を改修して、飲み水と汚水の通り道を分ける。それから、コルンフェルト侯爵の領地の農夫に、土に合った作物の育て方を教えてもらいたいと考えている」
(上下水道の基礎と、農業指導……! 地味だけど、すごく本質的)
(病が減れば働き手が減らない。収穫が増える。税も増える。長い目で見れば、絶対に国を富ませる)
「……でも、秋までに目に見える成果が出るかは、難しいと思います。最初は、マクシミリアン殿下が優勢に見えるはずです」
「ああ。私も、そう思う」
フリッツ様は、窓の外に目をやった。
「それでも、やりたいんだ。一年後に、あの村で子どもが一人でも多く笑っていてくれたら――それが、私の思う『国を富ませる』だから」
(……本当に、ぶれない人)
「わかりました。では、証明しましょう。数字で」
「数字で?」
「お祭りで人とお金が王都に集まれば、その分、周りの町からは流れ出ていきます。秋の納税で、必ず数字に出ます。帳簿は、嘘をつきませんから」
「……君は、本当に頼もしいな、ロッティ」
「私は、帳簿係ですから」
「私にとっては、帳簿係以上だよ」
(…………っ! 恋人になっても、こういう不意打ちは心臓に悪い……!)
♦
八月の初め。王都から馬車で半日、東の丘に囲まれた小さな村に、私たちは降り立った。
「殿下……! このような辺鄙な村に、ようこそ……!」
「顔を上げてくれ、長老。今日は、井戸を見せてもらいに来たんだ」
案内された古い石組みの井戸を見て、私は思わず眉を寄せた。二十歩ほど先に、生活排水の溜め池がある。夏の陽射しに、鼻をつく臭い。
(これ、雨が少ない年は絶対に染み込むやつ……!)
「長老、この溜め池は昔からここに?」
「へえ。村ができた頃からでございます」
フリッツ様が技師たちに指示を出していく。
溜め池を低い土地へ移すこと。井戸の周りを煉瓦で固めること。排水の溝を掘って、村の外へ導くこと。
(予防接種も特効薬もない世界。できるのは、清潔にすることだけ。……でも、それだけで救える命は、きっとある)
「技師様。井戸の水は、一度沸かしてから飲むよう、村の皆様にお願いできますか」
「水を沸かすのですか?手間はかかりますが……確かに、悪いものが減るかもしれませんな」
畑では、お父様が寄越してくれた農夫長が土を手に取っていた。
「この土は麦には重すぎますな。ライ麦と馬鈴薯を交互に植えて、休ませる年には苜蓿を撒くとよろしい」
(コルンフェルト家の食糧庫の知恵……! お父様、こういう時に頼りになる!)
昼過ぎ、溝の様子を見に行こうとして、私は足を止めた。昨夜の雨と掘り出した土で、道がひどくぬかるんでいる。
(どうしよう、回り道は遠いし……)
「ロッティ。こちらへ」
袖をまくり、泥だらけのブーツのフリッツ様が、手を差し出していた。
「フリッツ様、そのお姿……」
「少し、村の人たちと掘っていた」
照れくさそうに笑う手を取ろうとした――瞬間、ふわりと身体が浮いた。
「――っ!?」
腰を支えられて、ひょいと抱き上げられる。そのまま、ぬかるみを大股で二歩、三歩。
(抱っこされてる……!? みんなの前で……!? お姫様抱っこじゃないけど、ほぼそれ……!?)
乾いた地面に、そっと下ろされた。
「……泥で、ドレスが汚れると思って」
「あ、ありがとう、ございます……」
次の瞬間、周りからどっと歓声が上がった。
「殿下、やるねえ!」
「お似合いのお二人だ!」
(見られてた……! 村中に……!)
夕方、小さな女の子が駆け寄ってきて、道端の野の花を差し出してくれた。
「お姫さま、これあげる。井戸がきれいになったら、もうおなか痛くならないって、母ちゃんが言ってた。……ほんと?」
「ええ。そうなるように、殿下が頑張ってくださっているのよ」
ぱっと輝いた笑顔に、胸がぎゅっと締めつけられた。
(この子が、来年の夏も元気に笑っていられますように)
帰りの馬車で、フリッツ様が静かに言った。
「今日、来てくれてありがとう。村の人たちが、あんなに笑ってくれるとは思わなかった」
「フリッツ様が、一緒に泥だらけになってくださったからです」
――その夜。屋敷に戻った私を、お義姉様からの手紙が待っていた。
『王都のお祭りが、今日から始まりました。初日から大通りは人で溢れかえって、それは見事な賑わいです』
(……始まった)
手紙を持つ指に、知らず力がこもった。
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