第32話 布教活動と推しからの嫉妬
「まあ、なんて可愛らしいの……!」
「先日の音楽会の記念として、シャルロッテが用意しましたの。来てくださった方へのお礼ですわ」
六月の初めにお義姉様がお茶会を開催した、小箱を開けた若い夫人たちが、銀のバイオリンのブローチに目を輝かせた。
(布教の第一段階は、"ライブ参戦者限定"の記念品! 「あの日、あの場所にいた人だけが持ってる」っていう特別感が大事……!)
受け取った人たちは、その日のうちにブローチを胸につけてくれた。そして――
「そのブローチ、素敵ね。どちらで?」
「フリードリヒ殿下が参加された音楽会の記念品なの。殿下のバイオリンの腕前は見事で、本当に素晴らしかったのよ!」
(そう、それ! グッズそのものが、布教の入り口になる……!)
ヴィクトリア様も、青灰色のリボンを扇子に結んで、オイレンブルク家のお茶会に現れてくれた。
「シャルロッテからいただいたのよ。とても良い演奏会だったわ」
(宰相閣下のご令嬢が、さらっと一言……! 影響力が段違い……!)
二十個のブローチは、あっという間になくなった。そして、王都の宝飾店から手紙が届いた。
『あのバイオリンの意匠を、ぜひ当店で扱わせていただけませんか』
(需要が、供給を、上回っている……!)
(でも、殿下の名前で儲けるのは違う。だったら――売上げ一部を、ミュールドルフの井戸の改修に回してもらおう。フリッツ様がずっと気にかけていた、あの村に)
(推しグッズの売り上げが、推しの願いを叶える資金になる。……これ以上の推し活、ある?)
宝飾店の主人は、私の回答に目を丸くしながらも、快く引き受けてくれた。
♦︎
ある日、王宮の庭園で開催された小さなお茶会で、お義姉様と紅茶を飲んでいると、声をかけられた。
「コルンフェルト嬢。先日の音楽会では、素晴らしいピアノの演奏をありがとうございました」
ロイター伯爵家の次男だった。胸元に、銀のバイオリンが光っている。
(あ……私のブローチ)
「まあ、つけてくださっているのですね。ありがとうございます」
「ええ、これを考案されたのはあなただと伺いまして。……よろしければ今度、我が家の音楽会で、あなたのピアノを――」
(どうしよう、角が立たない断り方……)
「――ロイター殿」
背後から、穏やかな声がした。
振り返ると、フリッツ様が立っている。
「で、殿下……!」
「ブローチをつけてくれているのだね。ありがとう」
「は、はい! 音楽会に本当に感動いたしまして……」
「それは嬉しいな。――ところで、シャルロッテは、私との先約があってね」
微笑んだまま、フリッツ様の手が、そっと私の腰に添えられる。
「すまないが、失礼させてもらう」
(……声は穏やかなのに、有無を言わせない)
ロイター家の次男は、慌てて頭を下げて離れていった。
フリッツ様は何も言わずに、私を庭園の奥――薔薇の生垣の陰へと連れていく。
「フリッツ様? 先約って……」
人目のない場所で、ようやく足が止まった。振り返ったその顔から、微笑みが消えていた。
「……ロッティ。君は、あの男の家の音楽会に、行くつもりだったのか?」
「い、いえ! お断りしようと、言葉を選んでいただけで……」
しばらく私を見つめてから、フリッツ様は、ふっと視線を落とした。
「……すまない。今のは…私が悪い」
額に手を当てる。
「君が誰と話そうと、君の自由だ。わかっている。わかっているのに……君が他の男に笑いかけているのを見ると、どうしても」
その先は、言葉にならなかった。
(……え? それって)
(もしかして――嫉妬、してくれてた……?)
「フリッツ様。それは……」
「……いや、何でもない」
いつもの穏やかな顔に戻ったフリッツ様が、私の額にかかった後れ毛を、指先でそっと耳にかける。
「それより、宝飾店のことを聞いたよ。売上の一部を、ミュールドルフの井戸に寄付させているそうだね」
「あ……お耳に入りましたか」
「君の仕業だろう。回廊でバイオリンのブローチをつけた令嬢と三人もすれ違ったし、財務局には寄付の届け出があった。……こんなことを思いつくのは、君しかいない」
そう言って、フリッツ様は堪えきれないように吹き出した。くつくつと肩を震わせて、声を上げて笑っている。
(笑ってる……! 声出して笑ってる……! レア中のレア……!)
「……ありがとう、ロッティ。ミュールドルフのことを、覚えていてくれて」
あまりに優しい声に、何も言えなくなった。
(さっきの冷たい目と、今の優しい笑顔)
(嫉妬してくれたのかもって、期待したい。でも……婚約者の体面の問題だっただけ、かもしれない)
(聞きたい。でも、聞けないよ……)
薔薇の香りの中で、私たちはそれぞれの言葉を飲み込んだまま、しばらく並んで立っていた。
「……月末の、君の屋敷での会」
ぽつりと、フリッツ様が言った。
「私は、ちゃんと話せるだろうか」
『未来を語る会』フリッツ様自身の言葉で、その想いを語ってもらうために、私が企画した茶会だ。
「大丈夫です。私が隣にいますから」
「……会が終わったら、君に話したいことがある」
(書記官さんに遮られた、あの言葉の続き……)
「……はい、お待ちしております」
頷くと、フリッツ様は少しだけ迷うように視線を揺らして――それから、どこか悪戯っぽく微笑んだ。
「それと、ロッティ。当日は、私の手元を見ていてくれないか」
「手元、ですか……?」
「ああ。……きっと、わかるから」
(手元? わかるって、何が……?)
問い返したかったけど、フリッツ様は笑みを深めて微笑むだけだった。
――その言葉の意味を、私は茶会の終わりに知ることになる。
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