第22話 推しと周囲の変化
年越しの舞踏会から半月も過ぎると、フリッツの評判は少しずつだけど、確実に変わり始めていた。
「第二王子殿下が変わった」という噂は、年明け早々に王宮中に広まっていった。回廊ですれ違う侍女たちが、以前よりもフリッツへ丁寧に頭を下げるようになり、若い令嬢たちはフリッツの姿を見かけるたびに、扇の陰で囁き合うようになった。
けれど、当のフリッツは相変わらずだ。人の視線を感じると無意識に背中が丸めて、話しかけられると、少しだけ目を伏せがちになる。
(見た目は完璧になった。でも「目立ってはいけない」っていう気持ちは、二十年分の癖になって積み重なっているんだよね……)
(それに、私も困ってる。年越しの夜から、フリッツ様の顔をまともに見られない……!)
(目が合うたびに頬の感触が蘇るし、「ロッティ」って呼ばれるたびに心臓が跳ねる。……だって、もう、推しじゃなくて、好きな人なんだもの)
(あの時の私は絶対正気じゃなかったよ……!)
思い出すたびに、枕に顔を埋めて転げ回りたくなる。
それでも、フリッツへの推し活は続けたい。
(前世で、推しが自信をなくしてた時、ファンは何をしてた……?)
――ファンレターだ!
推しに具体的な言葉で、どれほど愛しているかを伝える。
推しが微笑むだけで、どれだけ自分たちが元気になれるかを知ってもらうために。
(フリッツに自信を持って貰いたい!)
その日から、シャルロッテは執務室を訪れるたびに、ある"報告"をするようになった。
「フリッツ様。先日、書庫でお見かけした令嬢方が、『第二王子殿下は、お話し方がとても穏やかで素敵』とおっしゃっていましたわ」
「……そうか」
「それから、仕立て屋の主人が、『あれほど肩の線がお美しい方は久しぶりだ』と。ハンスさんは、『殿下が毎朝鏡をご覧になるようになった』と嬉しそうでした」
「ハンスは余計なことを……」
フリッツは、困ったように視線を逸らした。けれど、その耳はほんのりと赤くなっている。
(照れてる……! でも、届いてる……!)
ふと、執務室の隅、書棚の陰に、布をかけた細長いケースがあるのに気づいた。
「フリッツ様、あれは?」
「……母の遺品だよ」
それだけ言って、フリッツ様は帳簿に目を戻した。
(母君の……。何が入ってるんだろう)
その時、扉が叩かれ、財務局の若い書記官様が入ってきた。
「殿下。先日ご指摘いただいた、東部直轄領の水車修繕費の件です。調査の結果、業者が複数の村で費用を水増ししていたことが判明いたしました。過去三年分で、かなりの額に上ります。殿下のご指摘がなければ、今も見過ごされていたことでしょう」
書記官は、深々と頭を下げた。
「局長より、厚く御礼を申し上げるよう言付かっております。それと……もしよろしければ、今後も直轄領の帳簿について、ご意見を伺えないかと」
フリッツ様は、言葉を失っていた。そして、ちらりと私の方を見た。
(違います、殿下がやったことですよ! 報告書を書いて、財務局に上げたのは殿下ですから!)
小さく首を横に振ると、フリッツ様は、ゆっくりと背筋を伸ばした。
「……わかった。いつでも相談に来てくれ。力になれることがあれば、協力しよう」
書記官様が晴れやかな顔で退出した後、フリッツ様は窓辺に立った。
「ロッティ。……私の仕事が、誰かの役に立ったんだな」
その横顔に浮かんだのは、今まで見たことのない、柔らかな笑みだった。照れ隠しでも苦笑でもない、心の底から湧き上がったみたいな、本物の笑顔。
(推しの笑顔、公式実装……! これが見たかったんです……!)
(――――っ)
シャルロッテは、思わず息を呑んだ。
(推しの笑顔、公式実装……! これ、これが見たかったんですよ……!フリッツ様が認められて良かった。良かったです!……フリッツ様!)
気づけば私は、窓辺のフリッツ様の隣に立っていた。
「フリッツ様のお仕事は、たくさんの方のお役に立っています。……誰も気がついていなかっただけで、ずっとそうでしたわ」
それから少しだけ迷って、小さな声で付け加えた。
「それに、私は……フリッツ様の……笑顔が、好きです」
(す、好きって言っちゃった……! 笑顔が、って付けたけど……! だめ、気づかれる……! この「好き」が、推しへの好きじゃないってこと……!)
フリッツが驚いて、窓の外からシャルロッテへと顔を向けた。
青灰色の瞳が、大きく見開かれている。
「……今、何て」
「な、何でもございません! 笑顔が素敵だと、婚約者としての、正直な感想を……!」
顔を真っ赤にして、しどろもどろになっている私を、フリッツ様が、しばらく見つめていた。それから、ふっと目元を緩めると、窓枠にある私の手に、自分の手を重ねた。
「……ありがとう、ロッティ」
柔らかく、暖かな声。
「君がそう言ってくれるなら、僕は、何度でも笑える気がする」
冬の陽射しが、雪の残る庭を白く輝かせている。
私たちは、窓辺で手を重ねたまま、しばらくその景色を眺めていた。
♦︎
それからのフリッツ様は、回廊で声をかけられても、目を伏せなくなった。背筋を伸ばし、相手の目を見て、穏やかに言葉を返すようになった。
財務局の書記官が週に一度は北棟を訪れるようになり、他の部署からも、ぽつりぽつりと相談が持ち込まれ始めた。
二月に入る頃には、「第二王子殿下は、実は切れ者らしい」という噂まで囁かれるようになっていた。
(身だしなみ、髪型、服装、そして表情と姿勢。……推しのイメチェン計画、完遂しました!)
♦
ある日の夕暮れ。王宮の車寄せで馬車を待っていると、背後から兄様に声をかけられた。
「シャルロッテ。乗っていくか、同じ屋敷に帰るんだ」
馬車の扉が閉まると、兄は腕を組んで窓の外を眺めた。
「今日、北棟の前を通った。殿下が、財務局の役人と話していたよ。背筋を伸ばして、相手の目を見て。……あんな殿下を見るのは、何年ぶりだろうな」
それから、ちらりと私を見る。
「ロッティ。お前、殿下に何をした?……年越しの露台でのことも含めてな」
「ア、アルブレヒト兄様……!」
兄は、ふっと小さく笑った。それから、少しだけ表情を引き締める。
「……ようやく、か」
「え?」
「いや。こちらの話だ。――今度の休みに、殿下を屋敷にお招きする。お前も同席しなさい。殿下に、少し申し上げたいことがある」
その横顔は、いつもの気さくな兄とは違う、侯爵家の跡取りとしての顔だった。
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