第18話 推し。をプロデュース ②
(落ち着け、私。落ち着け……)
シャルロッテは、北棟の執務室の前で、深呼吸を一つした。
今からフリードリヒと会う約束をしている。
彼が髪を変えてから、初めて顔を合わせる日なので、つい緊張してしまったのだ。
髪型については、ハンスと何度も相談を重ねた。
コルンフェルト家が代々世話になっている腕の良い理髪師を紹介し、フリードリヒの髪質や顔立ちに合う形を、細かく伝えてある。額を出して、目元をすっきり見せる。サイドは短く整え、前髪は後ろへ流す。
(理論は完璧。あとは、実物がどうなってるか……)
扉を叩く手が、少しだけ震えた。
「どうぞ」
扉を開けた、その瞬間。
シャルロッテは、その場で固まった。
少しだけアッシュな色味の金髪が、額からすっきりと後ろへ流されている。目元を覆っていた前髪がなくなったことで、ブルーサファイアのような瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。整った眉。すっと通った鼻筋。穏やかな口元。
「……シャルロッテ? 髪型どうかな?」
「…………」
「シャルロッテ?」
「…………」
「……シャルロッテ?」
シャルロッテがその場で固まり、フリードリヒの質問にも返事をしないことで、フリードリヒが、焦って何度も呼びかけている
(――うわぁ!……推しの顔が、思った以上に良い時はどうしたらいいですか!?)
脳内で、盛大な花火が打ち上がる。
(前髪の下にこんな整った顔を隠してたの!? ハンスさんがずっと何とかしたいと思っているはずだよ…! これは国家機密レベルの隠蔽では!? 立ち絵がないどころか、SSRスチル案件です!運営さん!!)
「――と、とても、よくお似合いです、殿下。殿下の瞳の色が、よく見えるようになって嬉しいです。……とても、素敵です」
言ってから、はっとする。
(素敵って言っちゃった……!)
フリードリヒは、ほんのりと耳を赤くして、視線を逸らした。
「……ありがとう」
♦
その日は、北棟から王立書庫まで、二人で資料を取りに行く予定になっていた。
長い回廊を並んで歩く。
最初の異変は、角を曲がったところで起きた。茶器の盆を持った若い侍女が、フリードリヒの姿を見た途端、ぴたりと足を止めたのだ。盆の上の茶器が、かちゃんと音を立てる。
書庫の閲覧室では、二人の令嬢が顔を見合わせた。
「……ねえ、あの方、どなた?」
「隣にいらっしゃるのはコルンフェルト家のシャルロッテ様よ。ということは……」
「まさか、第二王子殿下? あのようなお顔立ちでいらしたの……?」
(聞こえてます令嬢様方! そうです、第二王子殿下です! どうです?共に殿下を推しませんか?!)
(前世ならトレンド入り確定だね……! 「#前髪の下の真実」「#今まで気づかなかった自分を殴りたい」……!)
ウキウキと心の中でSNS投稿と、推し活勧誘をしながら隣を見ると、殿下の背中がいつもより丸まっていた。視線は床に落ち、書棚の陰に隠れるように奥へ進んでいく。
「殿下?」
「……すまない。少し、落ち着かなくて。こんなふうに、人に見られることに、慣れていないんだ」
フリードリヒは、額に手をやった。ついこの間まで前髪があった場所を、所在なさげに触れる。
「やはり、前の方が良かったかもしれない」
(……そうだ。この人は、ずっと「見られないように」生きてきたんだ)
書庫を出て、北棟へ戻る回廊。人の気配が途切れた柱の陰で、フリードリヒが、ふと足を止めた。
壁に背を預け、小さく息を吐く。
その指先が、きゅっと握り込まれているのが見えた。
シャルロッテは、そっと手を伸ばして――
フリードリヒの握り込まれた手に、自分の手を重ねるとフリードリヒが、驚いたように顔を上げた。
「……シャルロッテ」
「皆様が殿下をご覧になるのは、殿下が大変素敵だからです。何もおかしなことはございません」
手袋越しに、フリードリヒの手の強張りが伝わってくる。
シャルロッテは、その手をそっと包み込んだ。
「それに私は――前髪で隠れていた頃より、今の殿下のお顔が見える方が、ずっと嬉しいですわ」
(……言っちゃった。自分から、手も握っちゃった)
顔が熱くて心臓がうるさい。でも、離そうとは思わなかった。
フリードリヒは、しばらく黙って、重ねられた手を見下ろしていた。
それから――握り込んでいた指を、ゆっくりとほどくと、その指でシャルロッテの指を絡めとっていった。
(――え)
指と指の間に、フリードリヒの指が滑り込んでくる。ぎゅっと、握り返される。
「……君は、ずるい」
少しだけ掠れた声でシャルロッテに囁く。
「そんなことを言われたら、もう前の髪型には戻れない」
フリードリヒは、絡めた指にほんの少しだけ力を込めると、ふっと笑った。困ったような、けれど、どこか安心したような、柔らかな笑顔。
(指、絡まってる……! これ、恋人繋ぎってやつじゃ……!? 推しと……!?)
頭の中は大混乱でとんでもない状態だけれど、手のひらから伝わる温もりが、不思議と心地よく、シャルロッテから離すことはできなかった。
「もう少しだけ、このままでいいだろうか」
フリードリヒが、小さく囁いた。
「……人が来るまで」
「……はい」
冬の陽射しが斜めに差し込む柱の陰で、私たちは黙って手を繋いでいた。
遠くから足音が近づいて、慌てて手を離した時――殿下は、ほんの一瞬だけ、名残惜しそうな顔をした。
北棟に戻る頃には、フリードリヒの背中は少しだけまっすぐに戻っていた。
(髪型を変えて、少しだけ自信を持ってくれるといいな。)
そう思いながら、シャルロッテは、手袋の上から、そっと自分の指を撫でた。
絡められた指の感触が、まだ、そこに残っていた。
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