第17話 推し。をプロデュース ①
イメチェン。前世で言うところの、垢抜け。
推しの良さをもっとアピールして、沢山の人に伝えると決めたもののシャルロッテは悩んでいた。
(いきなり髪型や服を全部変えるのは悪手なんだよね。本人が戸惑うし、周りからも浮いちゃう。まずは――身だしなみと清潔感かな…?これが全ての土台)
問題は、それをどうフリードリヒに伝えるか、だった。
数日悩んだ末に思いついたのは、年末の大舞踏会だった。大晦日の夜、王宮で開かれる年越しの宴。王族は全員出席しなければならない、格式の高い舞踏会だ。
「殿下。年越しの舞踏会のことなのですけれど」
約束の三日後。帳簿の整理がひと段落したところで、シャルロッテは何気ない様子で切り出した。
「私、今年は殿下の隣に立つのに恥ずかしくないよう、今までより少し装いを変えたいと考えております。……それで、もしよろしければ殿下も少しだけ、ご一緒に整えていただけないかと」
「私が?」
「はい、婚約者として並ぶのですもの。少しだけ、合わせていただけたら嬉しいなと思いまして」
(口実です! 全力の口実です! でも嘘は言ってません!)
フリードリヒはしばらく考え込んでいたが、やがて小さく頷いた。
「……君がそう言うなら。私は、何をすればいい?」
フリードリヒが呼んだのは、白髪の混じった初老の侍従、ハンスだった。フリードリヒの幼い頃から身の回りの世話をしているという。
シャルロッテは、一つずつ言葉を選びながら伝えていく。
「襟は、糊をより一層きかせて、輪郭をくっきり、しっかり襟元が立つようにお願いします」
「靴は、仕上げ磨きの時に油分を少しだけ加えた後に、柔らかい布で拭き取った後に、ツヤが出るように磨いてあげてください」
「失礼ながら、上着は長い間同じものをお召しになっているような気がいたします。良い素材でも毎日着用されると、生地の痛みが早くなりますから、何着かで着まわされると、上着の持ちがよくなるかと思います」
「殿下が執務で日中座っている時が多い時は、上着に着る直前にひと当てするだけで、しわがつきにくくなります。」
「仕上げに、ほのかに香る香油を手首や耳の後ろに一滴つけると、体の中でも熱が高くなる場所なので、一日を通して香油の効果が続くようになります。」
(前世の取引先だった、アパレルショップの社長さんから、雑談で聞いていたことが役に立つ日が来るとは……!)
話を聞き終えたハンスは、しばらく黙っていた。
それから、ちらりとフリードリヒの方を窺う。ハンスの目元がなぜか、じわりと潤んでいる。
「……殿下。よろしいのでございますか」
「ああ。……もう、いいんだ」
殿下は、少しだけ気まずそうに、私の方へ向き直った。
「ハンスのせいではないんだ、シャルロッテ。……僕が、止めていた」
「止めて、いらした……?」
「いつも同じような地味な服を着て、前髪で顔を隠しているのはわざとだ。兄上の周りの者たちに、少しでも目をつけられないように。……第二王子は取るに足らない、警戒するまでもない、と思ってもらえるように」
シャルロッテは、息を呑んだ。
(……わざと、だったんだ)
――どうせ、誰も見ていないから。
誕生日の日に、前髪に触れながらそう言ったフリードリヒの顔を思い出す。あれは、諦めだけではなかった。見られないように、自分で選んで隠していたのだ。
「ハンスは、ずっと不満だったと思う。僕の身支度を整えるたびに、もっと良い服を、もっと良い髪型をと、何度も言いかけては飲み込んでいた」
「……殿下のご判断は、臣下として、理解しておりましたので」
ハンスは、目頭を指先で押さえながら、静かに言った。
「ですが、正直に申し上げれば――このハンス、殿下がどれほど凛々しいお方か、整ったお顔立ちの方か、本当は皆様にご覧いただきたいと、ずっと思っておりました。お小さい頃から、ずっとでございます」
初老の侍従の声は、かすかに震えていた。
「殿下のお身支度を、心置きなく整えられる日が来るとは……。シャルロッテ様、ありがとうございます。――お任せくださいませ。明日から、このハンス、全身全霊で殿下をお整えいたします!」
(推しを、ずっと陰で見守ってきたスタッフさんがいた……! この人、同担……いや、最古参だ……! 絶対味方にしなきゃ……!)
「それから、クラヴァットの結び方なのですけれど」
シャルロッテは、フリードリヒの首元に目をやった。緩んで、少し形の崩れたクラヴァット。
「今の流行りは、もう少し結び目を小さく、きゅっと締める形なのです。……ハンスさん、少しよろしいですか。お手本を」
「私が、でございますか?」
「いえ、私がお見せいたします。兄のクラヴァットで、何度か練習しましたので」
(アルブレヒト兄様、実験台になってくれてありがとう……!)
そう言葉に出した後に、シャルロッテは気づいた。
お手本を見せる。つまり――フリードリヒの首元の、クラヴァットを、自分の手で結ぶ。
(…………あれ? これ、めちゃくちゃ距離近くない?)
「……お願いできるかな」
フリードリヒが、少しだけ顎を上げて、首元をこちらに向けた。
もう、引き返せなかった。
シャルロッテは、震えそうになる指で、フリードリヒのクラヴァットの結び目をほどいた。
白い絹が、するりとほどける。
すぐ目の前に、フリードリヒの喉元があった。フリードリヒも緊張しているのか、喉仏が少しだけ動く。襟の間から覗く、首筋。今日もインクと、甘い蜂蜜のような香りをほのかに感じる。
(近い近い近い近い……! 推しの首元……! 至近距離……! 殿下から甘くていい香りがする……! 失敗した…これ、心臓止まっちゃうよ……!)
シャルロッテは、既に真っ赤になっているだろう顔を上げられなかった。
顔を上に向けたら、きっとフリードリヒと目が合ってしまう。
必死に指先に集中して、絹を交差させ、くぐらせ、形を整える。
「……こう、結び目を小さくして……最後に、きゅっと……」
締めようとした、その瞬間。
フリードリヒの手が、そっとシャルロッテの手首に触れた。
「――っ」
思わず顔を上げると、すぐ近くでシャルロッテを見つめる青灰色の瞳と目があった。
「……少し、苦しい」
困ったように、でもどこか楽しそうに笑う顔が、すぐそこにあった。
「も、申し訳ございません! 締めすぎました……!」
慌てて結び目を緩めようとするシャルロッテの手首を、フリードリヒは、すぐには離さなかった。
手首を包む、大きな手のひら。脈打つ場所に、フリードリヒの指が触れている。
(脈、バレる……! 今、ものすごい速さで打ってるの、絶対バレる……!)
「ありがとう、シャルロッテ」
フリードリヒは手首を握ったまま、シャルロッテの耳元に口を寄せて低い言葉で感謝を伝えた。
「……君に結んでもらうと、背筋が伸びる気がする」
それから、ゆっくりと手を離した。
ハンスが、少し離れた場所で、わざとらしく咳払いをしている。
(ハンスさんに見られた……! いや、ずっといたんだった……!)
♦
それから数日。
フリードリヒの姿は、目に見えて変わっていった。
ぴしりと糊の利いた襟。美しく結ばれたクラヴァット。鏡のように磨かれた靴。服そのものは以前と同じ地味な濃紺なのに、フリードリヒがどこか凛として見える。
「今朝、廊下ですれ違った侍女に、二度見された」
ある日の帰り際、フリードリヒが少し照れくさそうに言った。
(それは「見違えた」なんです、殿下……!)
その夜。
コルンフェルト家の自室で、シャルロッテは机いっぱいに紙を広げていた。紳士服の流行図版、髪型の挿絵が載った雑誌、色見本の布切れ。そして、びっしりと書き込まれた一冊の手帳――「殿下ノート」。
「シャルロッテ」
ぎくり、と肩が跳ねた。
部屋の入り口に、母マルガレーテが立っていた。指先で軽く顎を叩きながら、机の上をじろりと見下ろしている。
「一体、何を始めたの」
「お、お母様……。これは、その……殿下の、応援を」
「応援?」
「もっと皆様に殿下の良い所を見ていただけるように、お手伝いをしているのです」
母は、しばらく無言でシャルロッテを見つめていた。値踏みするような、灰緑色の瞳。
やがて、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「夜更かしは、ほどほどになさい。肌に悪いわ」
それだけ言うと、母は扉を閉めて去っていった。
(……怒られなかった?)
ほうっと息をついて、机の上の髪型の挿絵に目を落とす。
そして、ふと、自分の右手首に触れた。
フリードリヒの指が触れていた場所。まだ、そこだけ少し熱い気がする。
(……次は、いよいよ髪型です)
そう心の中で呟きながらも、頭に浮かぶのは、髪型の挿絵ではなく――「少し、苦しい」と笑った、あの顔だった。
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