第五話:豚の貯金箱と、鉄壁の帳尻合わせ 獲物は肥えていればいるほどいい
第五話:「豚の貯金箱と、鉄壁の帳尻合わせ」
1. 肥えた家畜ほど、金貨を吐く
王都近郊――ヴァルカディア伯爵家別邸。
白大理石の階段。金箔で装飾された柱。壁一面に飾られた高価な絵画。廊下には香油と葡萄酒の匂いが染みつき、使用人たちは慌ただしく走り回っている。
その中心で、ひときわ騒々しい悲鳴が響いていた。
「ぐあああぁぁっ! 喉が焼ける! 水だ、水を持て! いや違う、司祭を呼べ! 高位術師だ! 金なら払う、いくらでも払うから私を助けろォ!」
ベッドの上で転げ回っているのは、ヴァルカディア伯爵家次男――ユリウス・ヴァルカディア。
二十歳。
酒、女、暴食、夜更かし。
貴族の悪習を煮詰めて樽に詰めたような男である。
顔色は悪く、鼻水を垂らし、喉を押さえて呻いているが、クロードから見れば症状は単純明快だった。
(ただの風邪だな)
しかも軽度。
数日寝て水でも飲めば治る類のものだ。
だが――。
(こういう手合いは、“自分が死にかけている”と思い込ませた方が儲かる)
クロードは灰色の外套を翻し、重々しい足取りで寝室へ入った。
周囲の侍女や使用人たちは、まるで救世主を見たような顔で道を開ける。
「おお……! 巡回司祭様!」
「どうか若様をお救いください!」
クロードは静かに目を閉じ、わざと数秒沈黙した。
そして、低い声で呟く。
「……これは」
空気が張り詰める。
「予想以上に深刻です」
「なっ……!」
ユリウスの顔が青ざめた。
クロードはベッド脇へ歩み寄り、芝居じみた手つきで額へ触れる。
熱い。
だがせいぜい高熱程度だ。
しかし彼は、あえて険しい表情を深めた。
「喉だけではありません。胸部にも邪気の侵食が見られる……」
「じゃ、邪気ぃ!?」
「最近、暴飲暴食や夜遊びが続いていたのでは?」
「うっ……」
図星だった。
クロードは内心で鼻で笑う。
(お前みたいな生活してりゃ、誰だって体調崩す)
だが、口にするのは別の言葉だ。
「……人の欲望は時に、霊的な隙を生みます。そこへ“悪いもの”が入り込むことがある」
「た、助かるのか!?」
「本来なら、高位司教クラスの秘跡治療が必要でしょう」
「よ、呼べ! 今すぐ呼べ!」
「ですが」
クロードは静かに首を振った。
「今から中央神殿へ正式要請を出せば、到着まで最低七日。ユリウス様のお身体が持つ保証はありません」
「ひぃっ……!」
ユリウスの顔から血の気が引いていく。
クロードはそこで、絶妙な間を置いた。
「……私が命を削る覚悟で秘術を用いれば、あるいは」
「やれ! 今すぐやれ!」
「しかし、この術は非常に高価な聖触媒を必要とします。さらに女神への特別寄進も――」
「払う! 払うから助けろ!」
クロードの脳内で、金貨の音が鳴った。
(よし。釣れた)
2. 黄金色の“特効薬”
クロードは荷袋から小瓶を取り出した。
中身は、安酒屋で買った蒸留水。
そこへ蒼術による冷却をほんの少し加え、さらに白聖術で光だけを派手に盛る。
するとどうだろう。
ただの水が、まるで神代の秘薬のように黄金色に輝き始めた。
「おお……!」
侍女たちが感嘆の声を漏らす。
ユリウスなど、今にも泣きそうな顔で小瓶を見つめていた。
「こ、これが秘薬……!」
「私の生命力を触媒にしております。副作用で、私は数日はまともに歩けなくなるでしょう」
当然、嘘である。
クロードは魔力の一%すら使っていない。
だが、こういうのは“演出”が大事なのだ。
「さあ、お飲みください」
ユリウスは震える手で瓶を掴み、一気に飲み干した。
次の瞬間。
「お……?」
冷たい液体が喉を通り、炎症で熱を持っていた粘膜が一気に冷やされる。
加えて微弱な回復術。
そして何より、“自分は救われる”という安心感。
「おおおっ!? 痛みが引いた! 喉が楽だ!」
クロードはその場で膝をつき、わざと苦しげに息を乱した。
「ぐっ……はぁ……」
「司祭様!?」
「だ、大丈夫です……命を削っただけですので……」
侍女たちが涙ぐみ始める。
ユリウスなど完全に感動していた。
「本物の聖者だ……!」
(ただの風邪薬以下の処置なんだがな)
結果。
クロードの前には、金貨袋が一つ積まれた。
伯爵家の人間は、自分の命が助かったと思い込んでいる。
だから惜しみなく払う。
クロードにとって、こういう連中は実に扱いやすい“資産”だった。
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3. 聖職者の「正しい」私腹の肥やし方
別邸を後にしたクロードの足取りは軽い。だが、彼はその金で酒を買うことも、贅沢な宿に泊まることもしない。向かったのは、街にある教団指定の送金窓口だった。
「……あ、クロード司祭。またですか?」
窓口の若い事務神官が、呆れたように彼を見た。
「ああ。ヴァルカディア伯爵家から預かった、特別な寄進金だ。教団規定第十二条『辺境施設維持支援の特例』に基づき、全額をフェルナ群島・潮鐘修道院へ送金処理してくれ」
「全額!? 司祭、ご自分の手数料を引かないんですか? 規定では三割まで活動経費として残せるんですよ」
「必要ない」
クロードは無愛想に書類へ署名した。残しても司教に上納金として盗られるのだから。
「俺は慎ましさを旨とする巡回司祭だ。それに、本部には『私の功績ではなく、ガラド司教様の平素のご指導による成果です』と報告書を送ってある。手続きに不備はないはずだ」
これこそがクロードの鉄壁の護身術だ。
クロードはこの教団システムを、異様なほど理解している。
教団は腐っている。
だが腐敗した組織ほど、“規則”にはうるさい。
だからクロードは、徹底的にルールの範囲内で動く。
寄進を辺境へ流す。
成果は司教へ献上する。
自分は功績を主張しない。
するとどうなるか。
上層部から見れば、
・出世欲がない
・手柄を司教へ譲る
・送金により辺境の厄介事も引き受ける
という、“最高に都合のいい男”が完成する。
(組織ってのは、利益を邪魔しない奴には意外と鈍感なんだよな)
だから誰も、クロードの送金を深く追究しない。
彼は帳簿と規定の隙間に潜り込みながら、この腐った教団を逆利用していた。
教団のルールを逆手に取り、自分の取り分をすべて「寄進」として辺境へ飛ばす。
そして強欲な上層部には「手柄」という名の名誉だけを譲渡する。
司教からすれば、クロードは「一切の迷惑をかけず、勝手に名声を高め、使い勝手のいい駒」だ。だから、彼がどれだけ辺境に金を流そうと、ルールの範囲内である限り誰も文句は言わないのだ。
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4. 潮風が運ぶ「毒」のような真心
夜。宿に落ち着いたクロードのもとへ、またあの一羽の白銀鳥が舞い降りた。セレディアからの、重厚な手紙だ。
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> **最愛の導き手、クロード司祭様へ**
> 本日、教団より多大なる追加支援が届きました。修道院の皆、驚きと喜びで震えております。
> ですが司祭様。私は……お金が届くこと以上に、貴方様の御身が心配でなりません。
> これほどまでの資材を送るためには、どれほど多くの休息を削り、どれほどご自身の魂を摩耗させておられるのでしょうか。どうか、ご自身を大切になさってください。
私たちは、貴方様が傷つきながら戦っていることを思うだけで胸が苦しくなるのです。
> 泥に汚れ、汗を流しながら、見ず知らずの私たちのために尽くしてくださるお姿を想像すると、胸が締め付けられるように熱くなるのです。
> どうか、たまにはご自身のためだけに金貨を使ってください。温かい食事を摂り、柔らかい寝床で眠ってください。
> 貴方様が健やかでいてくださることこそが、最大の奇跡だと思っているのですから。
> 潮鐘修道院修道女 **セレディア**
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「……いや、別に傷ついてないんだが」
今日も風邪引いた豚を脅して金を巻き上げただけである。
だが、セレディアの中では違う。
クロードは今や、
“辺境のために命を削る孤高の聖者”
として完成されつつあった。
(なんでそうなる……)
クロードは頭を抱えた。
彼としては、むしろ適当にあしらって距離を取っているつもりなのだ。
だから返事も味気なくする。
彼は宿のインクの出の悪いペンを取り、感情を一切排した定型文を書き連ねた。
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> **潮鐘修道院 セレディアへ**
> 便りを受け取った。
> 女神教義第三章にある通り、富は分かち合うことで価値を持つ。私は**女神の意志**を執行しているに過ぎず、私個人の労を案じる必要はない。
> 寄進については次回の巡回次第でまた調整する。日々の祈りと奉仕に励むように。
> 聖輪の導きがあらんことを。
> 巡回司祭 **クロード・ヴァレンティス**
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「……よし。冷たい。完璧だ。これで、俺の『聖者イメージ』も少しは冷めるだろ」
冷徹な公用文を書き終え、クロードは満足げに頷いた。腐敗しきった教団の意思など、微塵も執行するつもりはない。彼はただ、目の前の歪んだ仕組みを利用して、最も効率的にリソースを動かしているだけだ。
だが、彼は知らなかった。辺境でこの「適当な」返信を受け取ったセレディアが、その不器用な突き放しにさえ「ご自身の功績を隠そうとなさる謙虚な慈愛」を見出し、さらに恋情を加速させることになるのを。
「さあ、寝るか」
クロードは、豚から奪った金貨の送金端数で買った安酒を一口煽ると、明日の集金計画を練りながら、泥のような眠りに落ちていった。




