第六話 「届かぬ想いと、届く言葉」
# 第六話
## 「届かぬ想いと、届く言葉」
深い山道を、クロードは一人歩いていた。
背には旅慣れた簡素な荷袋、腰には護身用の短剣。そして右手には、杖代わりにも武器にもなる長い木棒を携えている。
巡回司祭。
それが今の彼の肩書きだ。教団に所属する下末の治療役。村々を回り、病人や怪我人へ初級回復術を施し、僅かばかりの寄進を集める。
ルーヴェル王国が荒廃し、賊や病が蔓延するほど、その需要は増えていた。
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「司祭様! こっちもお願いします!」
街道脇の小さな村。風が吹き抜ける粗末な寝台の上で、一人の老人が苦しそうに喘いでいた。
肺を病んでいる。放置すれば、次の冬を越す前に命を落とすだろう。
クロードは無表情のまま、老人の痩せこけた胸へ手を当てた。
白聖術。魂から紡ぎ出された魔力が光へと変換され、患部を包み込む。
淡い、どこにでもあるような初級の光。
だがその実、クロードは老人の体内で暴れる炎症の根源を、灰術の知識で解析し、最も効率的な術式で精密に焼き切っていた。
「……これで数日は楽になる。あとはこの薬草を煎じて飲ませろ」
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
村人達が地べたに額を擦り付けるようにして頭を下げる。
差し出された布施袋。中身は数枚の汚れた銅貨だけ。それは、この村の数日分の食費に相当する重みだった。
クロードはその袋を、乱暴に押し返した。
「貧村からは取らん。決まりだ」
「し、しかし、それでは司祭様のご活動が……」
「その金で、少しでも栄養のある食料を買え。死なれたら、次に来た時に寄進が取れんだろうが」
突き放すような物言いに、村人達は逆に涙ぐみながら感謝の言葉を重ねる。
クロードはそれ以上何も言わず、背を向けて村を後にした。
(感謝するなら女神にしとけ)
内心でだけ毒を吐く。
教団へ感謝されても、結局のところ、その信仰心は上層の豚共を太らせるための肥やしにしかならない。それがこの世界の、救いようのない仕組みだ。
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数時間後。
人跡未踏の深い山中。そこは巡回ルートから外れた、彼だけの「訓練場」だった。
クロードは木棒を正眼に構える。
次の瞬間、空気が爆ぜた。
鋭い踏み込み。流れるような打突。
棒は生き物のように回転し、巨木の幹を打つ寸前で静止する。
蒼術による加速と、聖魔術による身体強化。それを交互に、あるいは同時に使い分ける精緻な魔力操作。
汗が地面へ落ち、土の匂いが立ち上がる。
教団本部に送る「巡回遅延理由」はいつも同じだ。
> 山賊多発につき進行困難。安全確保のため迂回中。
半分は本当で、半分は方便。
彼は空いた時間のすべてを、自己研鑽に費やしていた。
棒術、剣術、体術。そして蒼術の火力制御と、灰術式の解体。
普通の司祭なら一生触れることのない「禁忌」の領域を、彼は孤独に、かつ着実に積み上げていく。
理由は単純だ。
この腐り果てた世界では、力がなければ、明日には大切なもの――あるいは自分の命さえも、容易く奪われることを知っているからだ。
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夕暮れ。
切り立った岩場で休息をとるクロードの元へ、一羽の小さな白銀鳥が舞い降りた。
彼が魔力を込めて呼び寄せている、専用の伝書鳥だ。
「……また長文か。筆まめなことだな」
鳥の脚筒には、膨らんだ封筒。
差出人は「セレディア」。
クロードは岩へ腰掛け、面倒そうに鼻を鳴らしながらも、丁寧に封を切った。
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> クロード司祭様
> いつも多大なご支援をありがとうございます。
> お送りいただいた資金のお陰で、修道院の暮らしは以前より遥かに安定しております。
> 子供達へ十分な食事を出せる日も増え、最近は笑い声も多く聞こえるようになりました。
> 特に幼いミナが、「最近お腹いっぱいで幸せ」と笑っていた時は、私も胸が熱くなりました。
> それと……教団の規定により、若い修道女へ衣服や下着を支給していただける制度がありますが、今回初めて、私達も新しい物を購入させていただきました。
> 辺境では布地も高価で、長年継ぎ接ぎばかりでしたので、本当にありがたく思っております。
> リシェルは新しい服を着て、「ちゃんと女の子扱いされてる気がする~!」と、とても嬉しそうでした。
> ですが……最近、時折考えてしまうのです。
> 王国は荒れ、民は苦しみ、飢える子供達が増えている。
> それなのに私は、こうして穏やかな場所で守られている。
> 私は……本当にこれで良いのでしょうか。
> 時折どうしようもなく、胸が苦しくなる事があります。
> もし私に、もっと出来る事があるなら。もっと多くの人を救えるのなら。
> ……申し訳ありません。暗い話を書いてしまいました。
> 巡回のお仕事は危険も多いかと思います。
> どうかお身体にお気を付けください。
> 女神様の慈愛が、貴方様へ届きますように。
> 潮鐘修道院修道女
> セレディア
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「……衣服の支給、だと?」
クロードは眉を寄せ、手紙の一部を読み返した。
その制度の「裏」を、彼は熟知している。
若い修道女へ贅沢な衣服や肌着を買い与えることで、管理司祭への帰属意識と「愛着」を植え付ける。中央の司教たちが、自分好みの「玩具」を飾り立てるために作った、唾棄すべき慣習だ。
だが、その資金をセレディアたちが「純粋な喜び」として受け取っているのなら、わざわざ水を差す必要もない。
「まあ、着るものに困っていないならいいか。……問題は、この愚痴だな」
クロードは溜息をついた。
彼女が愚王の落胤であり、その血ゆえに民の苦難に共鳴し、罪悪感を抱いていることなど、彼は知らない。ただ、世間知らずの修道女が、正義感に焼かれているだけだと解釈した。
彼は懐から紙を取り出し、羽根ペンを走らせる。
返信はいつものように、教本から適当な言葉を拾い集めた「無難な」ものだ。
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> セレディア
> 人は皆、それぞれ与えられた役目を持つ。
> 無理に全てを背負う必要は無い。
> まずは目の前の者を救う事を忘れぬように。
> 小さな善行の積み重ねこそ、女神の慈愛へ繋がる。
> 日々の祈りを忘れず、心穏やかに過ごされたい。
> 女神の加護を。
> クロード・ヴァレンティス
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「……こんなもんだろう」
完全に、定型文の組み合わせだ。
深い意味など何一つ込めていない。ただ、彼女が余計な行動を起こして「不良債権」の価値を下げないように、適当に宥めただけだった。
だが数日後。
潮騒の聞こえる修道院で、その手紙を読んだセレディアは、溢れる涙を拭いもせず、紙を大きな胸元で大切そうに抱き締めていた。
「……はい、クロード様」
震える声で、彼女は呟く。
「私に出来ることを……目の前の人たちを救うことを。まずは、精一杯頑張れば良いのですね……」
彼女の目には、クロードが「迷える自分を導いてくれる、思慮深く慈愛に満ちた聖者」に映っていた。
隣でリシェルが、手紙を覗き込みながら感心したように首を傾げる。
「うわ、なにこれ。教科書通りの回答だけど……セレディアに言うと、なんか凄い格言っぽく聞こえるわね。やっぱりこの司祭様、相当な人格者なんじゃない?」
「ええ……本当に。いつか、直接お会いしてお礼を伝えたいです」
セレディアの琥珀色の瞳には、かつてないほどの熱い憧憬と、淡い恋心が宿り始めていた。
その頃。
当のクロード本人は――。
「さて。明日通る村の近くに、確かたちの悪い山賊の巣があったな。……少し実戦形式で『灰術』のテストでもするか」
夜の闇に紛れ、冷徹な支配者の顔で、獲物の仕留め方を算段していた。




