9話 完敗ですね
――雪が降っていた。
館の前で軽く森を彩るようなゆっくりとした雪が降っているのをナーザリルトは背景として覚えている。
――すまない、ナーザ
目の前にはいつもの簡素な服ではない。軍服のような黒い布地と金の装飾の服を着ていたナーザリルトの主――トルソーは申し訳なさそうな表情で語りかける。
話は聞いていた。
トルソーは過去に住んでいた場所に、友人を助けにいくのだと。
もう、トルソーにしか出来ないことだから、行くのだと、そう、聞いていた。
しかしトルソーが元居た場所は今は危険なようで、ナーザリルトがついていくことをトルソーは許可してはくれなかった。
……本音を言えば、連れて行ってほしかった。
だって、ナーザリルトはトルソーの子なのだから。……親を心配することは当然なのだから。
でも、だからこそ言えなかった。
ナーザリルトは≪****≫から。
それが後悔だ。
この後、何百年と続く長く、永い後悔。
去っていく主の後ろ姿を見ながら、ナーザリルトはただ手を振り続けた。いつでも待っていると伝わるように。
姿が見えなくなった後、トルソーが最後に行った言葉を思い出す。
――ああ、それと忘れてはいないと思うが――には近づいては、いけないよ。
■■■
「さあ、どうなのでしょう」
レティシアの声により、ナーザリルトは記憶の波から浮上した。
(なつかしい、記憶ですね。……もう、終わったことなのに)
本当に、なぜ今思い出したのかと、邪魔な物を退かせるように、頭の片隅に追いやった。
ナーザリルトは茶器から手を放して、レティシアに向き直る。
「……今更、おかしな事と仰いますね。もう、何百年と昔の話ですのに」
「昔だからこそ、でしょう? 今を生きるナーザリルトさんにとって、それは他人事ですか?」
「それは――」
他人事などではない。
そう言おうとした。けれどどうしてか言葉に詰まってしまう。
どうしてだろう? そう考え始めそうになった時、レティシアの言葉に驚愕する。
「違いますよね。――だから、私達を館へ招いた」
その言葉にナーザリルトは驚きを露にした。
一歩後ずさる姿にレティシアは気づかれない程度に目を細める。
「……っ!……なにを、言っているのですか?」
「惚けなくても構いません。こちらは確信に近いところまで来ています。別に足掻いてもいいですが、無駄に終わると思いますよ?」
――招いた。
そうだ。ナーザリルトはわざとレティシア達がここを訪れられるようにしていたのだ。
「いつから、お気付きに?」
「違和感を感じていたのは初めからです。ナーザリルトさんが館の玄関前にいた時から、ずっとおかしいと思っていました」
そんな始まりから気付いていたのか、とナーザリルトは困った顔をした。
「演技には、自信があったのですが……」
「ナーザリルトさんの行動におかしいことがあった訳ではないですよ? ただ前触れもなく訪れた私達を疑うことなく受け入れた。そこに対して疑問を持っただけです」
賊だったら危なかったですね、と微笑みながら言われたが、ナーザリルトとしては返す言葉もない。
来ることがわかっていた行動とわかっていない行動では違う。それを自覚した上での行動だったのだが……はじめから失敗していたようだとがっかりしてしまう。
「そこに疑問を持っても偶然とは考えなかったのですか? だれもいない館でひとり、玄関で待ち構えていてもおかしくはないと思いますが……」
「そうですね。それも考えました。……しかしどちらでもよかったんです。偶然でも、計画的でも」
「……?」
ナーザリルトは首を傾げる。
言っていることがわからなかったからだ。
「結局の所、ナーザリルトさんに狙いがあるのは初めから分かっていたのですから。……あとはその通りに動くかどうか。だから、例え計画的でも私は困りませんでした」
「……なるほど」
言い分はわかった。
そしてレティシアはナーザリルトの誘導によって動いていたのではなく、こちらの目的と生贄術の抹消を擦り合わせながら動いていたのだ。だから、ナーザリルトの誘導に引っ掛かっているように見えていた。いや、自らそこにいたのだろう。
「これは……完敗ですね」
ぼそりと、呟いてナーザリルトはゆっくりと吐息を漏らした。
レティシアは持っていた紅茶のカップを置いて、開いた手を膝に乗せる。
それは決して余裕の表れではない。どちらかといえば虚勢の類だ。
ナーザリルトの狙い、レティシアはそれについて今だ読み切れない。
(いったい、何を知りたいのか)
人の機微を知るのは、簡単なようで難しい。
本に乗っているわけでなく、完全な経験がものをいうからだ。
レティシアは聡明な人間ではあるが賢明な人間ではない。
物事を理解はしていても、適切な判断で動くことをしないからだ。
だから、ナーザリルトの知りたいを叶えるために、レティシアは自分が知るべきと思うものを見せることにした。
(だから、無駄に終わってほしいのですよ)
それが、ナーザリルトの最善だとレティシアは思っている。たとえ独りよがりの考えだとしても、そう、信じてる。
「……」
しかし、ナーザリルトは俯いては口を閉じ続ける。
でも、そんなことは許されない。レティシアが許さない。
「黙っても何も変わりませんよ。今までも、そうだったでしょう?……あぁ、それを忘れてしまったからこんな場所で立ち止まっているんでしたか。それは仕方ないですね。だって動かないのですから。ふふ、呆れで笑ってしまいます。だから、粗末な策略しか立てられない」
「……? レティシア様?」
突然の暴言にナーザリルトは困惑する。
しかしそんなことはお構いなしにレティシアは滑らかな口を動かす。
「はい? 何か、言いましたか? 聞こえませんよ? 羽虫の様な音量では私には届きません。いえ、羽虫にでも語りかけていたのですね。それなら納得です。ナーザリルトさんの声は同様に飛べば散るような羽虫にぴったりでしょう。見捨てられた分際には、丁度いいのかもしれないですね?」
「……撤回してください」
「さて? なにを? 私は事実しか口に出していませんよ?……あぁ、でもそうですね。本当のことを言われたら怒ってしまうのは普通のことでしたか。申し訳ございません、本当の事を言って」
嘲笑うように貶すレティシアは俯きながら震えているナーザリルトを見る。
すると、途切れ途切れに声が聞こえる。
「…る……い」
「おや、まだ羽虫の羽音の真似ですか? さすがですね。古びた人形のお手芸ですね」
煽る、煽る。
心底楽しそうにレティシアはナーザリルトを貶し、貶める。
「うる、……ぃ」
「まだ、聞き取れませんよ? 人と話す時は聞こえる声で。常識ですよ。もしかして、できないのですか?」
ぼそり、ナーザリルトが何かを言ったを感じたレティシアはもう一息と聞き取れなかった言葉を引き出す。
何度も、何度も。煽るように、気持ちを吐き出させるように。
本当の声が聞こえるように。
届くように。
「――うるっ、さいんですよ! さっきからずっと、ずっと!!」
ナーザリルトの上げた顔には、もう無色の表情はない。
馬鹿にされ、罵られて怒りを露にする極普通の少女がそこにはいた。
「なんなのですか! 私が何をしたというのですか!? 先ほどから私を馬鹿にする事ばかり! だれが羽虫ですか!! 耳障りな言葉ばかり放つレティシア様のほうが、余程羽虫の名に当てはまりますよ!」
先ほどの返しだろう、似たような言葉がレティシアへと返ってくる。
煽ったのはレティシアだ。本来なら甘んじて受け入れるべきなのだろう。しかしそこは16歳の少女、そんな大人の精神を持っていれば煽ること自体しない。
頬を引き攣らせながら迎撃の体勢に入る。
「はぁ!? 何を訳のわからないことを。事実を言われたから八つ当たりですか? なんと女々しい。もう少し、大人の余裕でも学んでは?」
「大人の余裕ぅ? それが必要なのはレティシア様でしょう!? 変に焦ってワンパターンの脅しばかり! 大事な場面はルネ様に全て任せて、何様ですか!? ああ、自分に自信がないんですね! 個人の我が儘で率いても上手くいくと思っていないから安全な場所でコソコソしないといけないんですよねぇ!? 大変ですね! 心中お察ししますよ!!」
「誰が自信がないですって!? 妄想も対外にしてください! そんな的外れな妄想しか出来ない頭だから置いて行かれたんじゃないんですか!?」
「的外れぇ? 自分を客観視できていないのですね? そんなおめでたい頭しているからルネ様に信頼されないんじゃないんですか!?」
二人は立ち上がり、キスでもし始めるのではと勘ぐる程の至近距離で睨み合う。
体は怒りで震えて、目には殺意と敵意しか宿らず今にも殺し合いが始まりそうだ。いや、もう互いはやる気だった。
現在の時点でレティシアの想像していた流れとは大分異なっている。
本来なら、確かな反論の言葉を口にしたナーザリルトに自主的に行動させられるような感動の言葉を吐く予定だったのだ。
ナーザリルトは感動でうれしい。
レティシアは隠していることを知れてうれしい。
そんな素晴らしい作戦だったのだ!
「「……は?」」
しかしそう上手くいく事はなく、恐ろしい女の争いが始まった。
【次回】
3月5日




