5話 動くことも、話すことのない者
ナーザリルトに招かれたレティシア達は今、リビングに続く通路を歩いていた。
「……」
「……」
石のレンガを壁には一定間隔で不思議な絵が掛けられていて、赤い絨毯と馴染むように金色の額縁が煌めいている。
口の絵、目の絵、鼻の絵、首の絵と人体の各部位を書かれている。色彩は肌色に影だろうと思われる緑が使われている非常に不気味かつ暗い絵だった。
当然の様にレティシアは微妙な顔をして微笑を崩している。危機的状況でもない時に崩すのは珍しいとルネは興味深げに見てしまった。
「……気分を害してしまったようで申し訳ありません」
「ん?…いえ、そんなことはないですよ。これは当主殿の趣味ですか?」
「……そのようなものかと」
ルネがなんとか間を持たせる会話を続ける中、レティシアの視線は続く絵画に向けられていた。
「――着きました。ここがリビングとなります」
首と胸の真ん中を描いた絵を最後にレティシアはリビングに目を向け直した。
そこは形の違う数々の椅子が無造作に置かれた良く言えば創造的な場所だ。
「……これは、どこに座ればいいのですか?」
「どこでも、好きな場所に」
すごく困る、という顔をしたルネ。
「……レティシアさん、選んでいいよ」
「……わかりました」
遂にルネは選択をレティシアに振った。あまりに常識とは掛け離れた空間だからか対応に困っているのだろう、とレティシアは勝手に判断する。あながち間違ってはいないところに勘の良さを窺える。
少し悩んだあと、二人用の椅子が向かい合ってる場所を選び座る。
「どうぞ、粗茶ですが」
いつの間にかいなくなっていたナーザリルトは二人に紅茶を差し出し、向かいに腰を下ろした。綺麗な姿勢を保ちながら、凛とした表情で訊ねる。
「本日はどのような御用件でしょうか?」
「突然で申し訳ない。私はルネ、そちらはレティシアと言います」
「ルネ様にレティシア様ですね。改めましてナーザリルトと申します。当館で何かあればお気軽にお申し付けくださいませ」
「ああ、何かあればそうさせて貰います」
お互いに紹介が終わると本題に戻る。
「俺達はこの森に張られている霧について調べに来た途中にここを見付けたんです。ですので用事があってこの館に近づいたわけではないんです」
「なるほど、あの霧を…」
「なにか、知りませんか? 知っていれば教えてくれると有難くてはや―」
「はや?」
「いや、気にしないでくれると」
危険そうな場所から早くレティシアを除きたいから、と言いそうになったが咄嗟に口を噤んだルネ。どうもレティシアがこの館自体に興味が移りそうな気がしてならないのだ。早めに館から去った方が身のためだと感じていた。
だが、その考えは手遅れでだ。
館を見つけた瞬間からレティシアは霧の原因など二の次、館の興味が最優先事項となっている。そもそもこの館には霧の手掛かりを求めて来ているのだ。そのついでに少しばかり寄り道しても問題はないだろうと考えている。
「そうですね。その霧は我が主トルソー様が張った結界です」
「――トルソー様、ですか」
ようやく、レティシアが話の中に入る。
あの霧をナーザリルトの主ートルソーが張ったという事実に惹かれたからだ。だがレティシアも予想はある。
「あの霧――『幻蝕結界』はトルソー様の『変覚』精神付与の力で保たれています。そのため他に適応はできなくなっているのです」
「幻蝕結界……精神付与、ですか」
出された紅茶で口を潤しながら魔術の思考に耽る。例え変覚であったとしても魔術方面でのアプローチで何とかなるのでは? と諦めることはない。魔術にできないことはないとレティシアは信じているからだ。
その様子を隣で見ていたルネはレティシアが諦めていないことを察して、ナーザリルトにある、お願いを言った。
「よければそのトルソー様にお会いすることはできませんか? 短い時間でも構わないのですが…」
レティシアは顔を上げてルネを見る。
ルネはその視線に気が付くとそっとレティシアに笑いかけた。レティシアの願いを正しく受け取る、その察しの良さはまさに出来る男の体現だ。
「………申し訳ございません。現在トルソー様にお会いすることはできません」
しかしナーザリルトの答えは二人が望んだものでなかった。多少食い気味になっても良いだろうとルネは食い下がった。
「やはり、お忙しいのですか」
「確かにお忙しい方でしたがそういう訳ではありません。……現在、トルソー様はこの館には不在なのです」
「なるほど、そういうことでしたか。では、仕方ないですね」
会う会わないではなく、いないのなら何を言っても同じだとルネはそれ以上のお願いを止める。叶えられる下地がないのだ、どうしようもない。
「そうですね。なら、いつ頃にご帰還されるかお聞きしても? その時に訪ねることはお約束できませんが、次に来る為の目安にはなるので」
館を管理する使用人なら、当然に知っているだろうとルネは訊く。次に2人で訪れられるかはわからないがレティシアの為にも、と考えての事だ。
それをレティシアは全てとはいかないまでも察してしまい、思わず目を細めてしまう。
わかっているのだ。
彼が“もしも”を警戒しているのを。
知っているのだ。
彼が善意で助けてくれているのを。
ルネはレティシアよりもずっと危険な場所にいて、何かを探していて、誰かを救っている。
『セナ・ライプ』の少女の時もそうだった。ルネはあの少女だけを助けると口にしたのに、知らず麻薬に関わってしまった大勢を救ってしまった。こっそりと遠目に観ていたから、レティシアは知っている。だから――
「――申し訳ありません、ルネ様、レティシア様。それも私は存じておりません」
ナーザリルトの返答に沈み、底に着いた思考を浮き上がらせる。
「それは、どういう?」
ナーザリルトは何かを恥じ入るように、悲しそうに、寂しそうに目を伏せる。
「我が主トルソー様は……この数百年間、ご帰還された事はないのです」
「そうですか……数百年間も………………?……っ!? 数百年!?」
「っ!?」
桁違いの年数にルネはもちろん、レティシアも驚きを露にする。
「失礼ですが、ナーザリルトさん。それが本当だとして、その年月を生きられた貴女は、一体何者なのですか?」
今度はレティシアが訊く。
数百年、その年月を生きたとあるのは超越種のみだ。レティシアはナーザリルトが超越種ではないかと考えた。
ナーザリルトは自分の胸に手を添えながら誇るように微笑み、名乗る。
「私は主に心と体を与えられた意思ある人形にして――トルソー様の最高傑作です」
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