9話 再会と噂
叱られて視線を下げると、すかさず頤を掬い取られた。
真正面にあるのは、私と同じ形をした瞳。
けれどその他全てが私とは違う。
手入れの行き届いた肌。ツンと尖った鼻先と勝気な唇。
信じられないほど締まった腰と、つま先立ちと変わらないほど高いヒールをきちんと履きこなす筋力。
本当に我が姉は、今日も素晴らしい精度で完成している。
ちゃんと背を伸ばせ――という、一緒に暮らしていた頃何万回も聞いた言葉に情けない気分になるけれど、変わらない声のトーンは懐かしくて、同じだけ嬉しかった。
姉さまはくるりと向きを変えて――ただそれだけでもわずかに赤いドレスの裾がわずかに膨らんでしぼみ、花のように艶やかに見える――奥の対面ソファーへとご機嫌にわたしを導いた。
「――さ、そこに掛けてちょうだい」
わたしが腰を下ろすとほぼ同時に、側に控えていた従者が紅茶の砂糖の有無を聞いてくる。
あぁそうだこういう場では作ってもらうんだと、背中にドッと汗を掻きながらなんとか「一杯」と絞り出す。
そしてこれだから外は嫌いだ、と改めて思う。
こんな問いかけ一つで、こんなに驚いて緊張しなくてはいけない。
今の、おかしくなかっただろうか。嗤われないだろうか……。
けれどそんな情けない気持ちは、目の前におかれたその紅茶の濃さに感動しているうちにどこかへ行ってしまった。
領地ではもう少し薄くなるか、もっぱら自家製のカモミール茶だから……流石の資産力に舌を巻く。
ほのかにバラの香りがすることにまた驚きながら口をつけ、お互いの唇が潤った頃。
「さて――積もりすぎていて何から話そうか迷うわね……そうそう。そういえば、先月アレクシスがコンメルタスへ商談で寄っていったわよ。元気そうで……でもすっかり当主らしい顔つきになっていたわ。責任が男を変えるのは早いわねぇ……あんなに小さくて、可愛かったのに」
「わ。そうですか。……遠いとはいえ領地は隣ですから、わたし、失念して手紙など出せておりませんでした……当主代理のエドワード様とは連絡を取り合っていると伺っておりますが」
「そう。当主同士でやり取りがあるなら安心ね。用があればアレクシスから出すでしょうし」
「はい」
そしてまた、紅茶を一口。
わたしは少し身を乗り出して、ずっと聞きたかったことを問いかける。
「姉さま。あの、戦争の、戦況は……ご存じの中から、わたしに言えることだけでも、いいので」
「あぁそうね。ジュリアン様は出兵されているものね」
馬車の中でずっと考えていた〝聞くことリスト〟の一番上。
商談ももちろん大事だけれど、ずっとずっと――少しでも詳しい人からこの話を聞きたかった。
「あなた、新聞しか読んでないのかしら」
「はい。でも……リア、だ、ジュリアン様から、一か月手紙が途絶えております」
「そう……そうね……」
アデレナ姉さまは少し言いよどんだあと、それから意を決したように『妹はこの戦争について何も知らない』として、開戦直後から詳しく話してくださった。
――そしてわたしは、正しく何も知らなかったことを思い知ることになる。
宣戦布告は突然のことだった。
いきなり港に飽和攻撃が行われ、西の港町メリディアがその日のうちに落とされた。
王国が事態を把握し近衛兵を向かわせるも、西の穀倉地帯を焼きながら真洋皇国軍は前進を続けていて……一時は王都前最終防衛線から、遠くに敵軍が見えるほど攻め込まれたらしい。それが去年の秋口のこと。
王国の勅命を待たずに出発した義勇先遣隊――旦那様やほかの領地からも集まったらしい――も合流し、その戦力でもってやっと皇国軍を西方向に押し返し始めたけれど……奪ったメリディア港を何としても死守しようとする攻防は激しく、事態はここで膠着。
それから、ようやく王国正規軍が揃ったとのこと。それが冬真っ盛りの時であり、わがヴァルデリウス領から選出した三十二人はまだ出発していなかった。
そこから、最近までずっと港町を含んだ西草原中部で取った取られたの攻防戦を続けている……。
お喋り好きな姉さまは、王国の深刻な現状を分かりやすく、かつ情緒豊かに語ってくださった。
わたしは知らず浅くなっていた息を改めて吸い直し、ほんのわずかだけ背をソファーに預ける。
「でも――変わらず正面の防衛線は固いけれど、裏では妙な噂が流れてる。曰く、『夜、敵陣の奥から人のものとは思えない悲鳴が聞こえた』それどころか、『王国軍が朝方攻め入ったら、昨日の敵陣がもぬけの殻だった』なんて話もあるわ。指揮系統が混乱して慌てて逃げたように見えるけれど、その夜何が起こっていたのか、どうしてそうなったのか誰にも分からないんですって……」
「で、では、もうすぐ」
もぬけの殻なら、前線はほぼ無条件に押し上がったということ。これが続けば、きっとすぐにでも――戦争は終わる。そう希望を持って身を乗り出すけれど。
「うーん、確かに前線はどんどん西に追いやれているみたいだけれど……つい最近、こんな噂も聞いたわ。『皇国軍は、ついに城で攻めてきた』――って」
「お城で?」
「城のように大きな要塞型機械兵器、てことよ」
「要塞、兵器……」
希望から一転。圧倒的な質量でもって、その光があっさり押し潰される幻想を見る。
屋敷よりも、この建屋よりも大きな黒い影が西からやってくる――それは畑の麦を踏み荒らすのと同じように、王国軍を、人を、命を、容赦なく蹴散らして進む――。邪悪で惨い暗雲が私の脳裏に立ち込める。
姉さまは――姉さまが脅かしたくせに、顔色の悪くなったわたしのことを「そんな分かりやすい表情を出すな」と視線だけで警告した。そのあと紅茶のお代わりを求めてカップをわずかに端に寄せつつ、けろりとした声で言う。
「まぁわたくしはこの要塞型兵器の噂、嘘だと思うけれど」
「そうなのですか」
「ええ。まず、いくら資源豊富な真洋皇国と言えど、そこまで技術が発展しているとは思えない。それに、あの手の機械には大量の水を使うし」
「? 水ですか? ――あ、いえ。お話を遮って、申し訳ありません」
きょとんとしながら、何も考えずに問いかけてしまう。〝分からない〟ことは――さっきの顔色もそうだけど、それを相手に悟られるのは、社交の場においてのミス、恥である。家族の仲といえど、男爵と子爵の身分差もある。気を抜いて愚かなことをしてはいけないのに……。
けれど姉さまはまた、ちょっと目を細める――睨む一歩手前――で許してくれた。
「使っているととても熱くなるのよ。冷やさないと壊れるし、操縦者だってただじゃ済まない――らしいわ。わたくしだって、実物を見たわけじゃないから断言できないけれど……」
刹那の沈黙。私はすかさず、〝聞きたいことリスト〟の二つ目を問いかける。




