↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最果てより、愛をこめて。  作者: すの
第二章:彩雲糸
10/38

10話 商談



「あの、姉さまは、この戦争いつまで続くとお考えですか」

「あぁ……そうね……あと三年はみておいた方がいいと思うわ。もうそろそろ、王国と皇国の二国間の争いではなくなってくるだろうし……でも北の国境は大丈夫よ。知ってるでしょう。あちらの国は今内戦でそれどころではないわ」

「はい。わたしも、野盗の発生具合から見て、お隣の国内情勢はまだ悪いものと思います」


 姉さまは新しく入った紅茶を。わたしはぬるくなった紅茶を。同時に口を付けて、同時にソーサーにおいた。

 意図しない偶然発生した会話の隙間に、場の雰囲気が変わっていく。


 新聞で出来たハリボテが失われた。

 真の盤面が見えた安堵と、それを上回る恐怖。

 ずっと勝っているのではない。最近まで取った取られたの激しい攻防戦が続いているのだ。

 それも『城のような要塞兵器』が投入されるなんて噂が飛び交う、常軌を逸した戦争が。

 残り少なくなってきたカップの中身を見つめながら思う。

 ――あと三年。この戦いが長引くほど、閉ざされた領地へ課せられる徴兵と物資の要求は重くなるのだろう。


 愛する旦那様は戦争の最前線。けれど必ず帰ると約束してくださった。

 待っていてと願われた。だから。

 わたしはここから三年。絶対に領地を、残された領民を守ってみせる。そのために――

  

「さて。じゃあ、」


 と、姉さまが言う。わたしも「はい」と答えて、足元に置いてあったトランクに手を伸ばした。


「商談を始めましょうか」


 雪糸(アルベ)の中でも、うすく虹がかった糸を「高級雪糸」や「虹雪糸」なんて呼んで売っていたけれど。これを機に彩雲糸(ルクシア)として正式に命名して売り出すことにした。

 とはいえ、わたしが請け負うのは生産だけ。

 市場の需要に合わせてどんな形にして、どういうふうに売り出すかは姉さまの仕事だ。


「ふう、こんなものかしらね」


 姉さまは眺めていた書類を机に置いて、一息ついた。

 ほんの僅か俯いたことで、耳にかかっていた横髪がひと房滑り落ちていく。

 貴族としてはみっともないその様子も、この人なら絵になるのだからずるいような嬉しいような。


 なんとなく……こんな感じで……。と、ふわふわしていた所を、針で止めていくみたいにきっちり詰めていく。

 経験のない商談というものに頭を茹でらせながら、大好きな姉の美貌をぼんやり眺めていると。


「大丈夫かしら? アナ?」

「は、っはい。この内容で、大変。満足しております」


 姉さまは優しく問いかけてくれたけれど。わたしはとっさに背を正す。


「ふ。疲れるでしょう。商談って」

「はい。あっ、いいえ。どんな内容でも、姉さまと沢山話せて嬉しいです……」

「あら、言ってくれるじゃない」


 くすくすとまるで少女のように笑う姉さまは、その表情のまま机の上の、私が持ってきた彩雲糸を撫でる。


「それにしても、あなたが作った彩雲糸、本当にきれいね。この糸が市場を塗り替える日が待ち遠しいわ」

「恐れ入ります。姉さまの期待に応えられるように、精一杯生産に励みます」

「そうね。期待してる。……でも、あまり無理はしないでね、あちらでの生活は大変でしょう。帰りに流行りのフレーバーティーを持たせてあげるわ。暖かくしてね」

「ありがとうございます。嬉しいです……」


 ――と、その時。わたしの後ろで男の声がした。

 護衛の声と、誰かと、誰か……? 三種類の声を判別した時には、姉さまは立ちあがっていた。

 この部屋に用がある誰かが何か揉めていることは流石に予想が付く。

 入ってくるのなら挨拶が必要だし、退室しなければならないなら速やかに荷物をまとめなくては。


 そう思って私がお尻を浮かせた、その瞬間。


「アディ! 商談はもう終わってしまったかい? 君の可愛い妹を、早く私にも見せてくれ!」


 はっきりと聞き取りやすい、男性の声。

 姉さまを愛称で呼ぶその親密度合いに、一瞬頭が真っ白になる。


 子爵家の三男だと聞いていたのに。まさか――


「フレディ! 邪魔しないでって言ってたでしょう」

「なんだい。いいじゃないか」


 やはり。軍服ではなく仕立てのいい都市服だ。出兵していない。

 驚愕諸々の感情を、わたしは根性で表情には出さなかった。

 微笑みながら、姉さまと口論を始めそうなフレデリック様の前まで歩いていく。 


「きみが、噂のヴァルデリウス男爵夫人か。挨拶が遅れてすまない。子爵、フレデリック・ベネディと申す」

「フレデリック子爵閣下。わたくし、ヴァルデリウス・アナスタシアと申します。突然のご訪問、恐縮でございます」


 カーテシーで下がった視線の先。フレデリック様が両裾を手で弾くようにして後ろにやったのが見えた。

 相手の跪く姿勢を認識すれば、わたしの手は反射的に前に出る。


 するりと、柔らかく熱い指がわたしの手に巻き付いて、安定のために手の甲の端に親指が乗った。

 渦巻くマーブル模様の感情とは裏腹に、微笑んだまま一ミリも後ろに動かなかったのは奇跡だと思う。

 ゆっくりと頭が垂れていき――儀礼どおり、唇が付く寸前で止まる。そして膝を付いたまま、フレデリック様は私を見上げて晴れ晴れと笑った。


「うん。目元がアディそっくりだ。可愛らしいね」


 わたしは微笑んだまま。とんでもございません。みたいなことを呟いたと思う。

 挨拶の済んだフレデリック様は、仁王立ちで怒りを示す姉さまにすり寄るように――けれど決して下品ではなく、仲睦まじい様子で――近づくと、メモを一枚渡して何事か囁いた。

 

 姉さまの顔が少し真顔になると、フレデリック様は頷く。姉さまもなにか呟いて――。

 二人の間でしか分からない内容の、恐らく何かしらの合意がなされたところでフレデリック様はもう一度わたしを見た。


「静かな時を乱した。私はこれで失礼するよ、アナスタシア男爵夫人。どうか、姉と心ゆくまで過ごしていってくれ」


 春の嵐のような人は、最後に敬礼とウインクをしてさっさと退室していく。

 全ての仕草で悪意はなかった。爵位の劣るわたしを、きちんとアデレナ姉さまの〝妹〟として、精一杯の信愛が込められていたと思う。

 それに敬礼と、その迅速な立ち居振る舞い。

 きっと彼が戦地ではない場所で最も重要な任務に就いているのだと予想が付く。


「ごめんなさい、アナ」


 フレデリック様が去った後、姉さまは疲れたようにソファに座り直した。


「フレディが動員を免れたことを、言えなくて。あなたの夫は命を懸けているのに、私たちは多額の金銭を献上して、彼を正規軍の兵站責任者という……比較的安全な場所に……」


 アデレナ姉さまの表情は、今まで見た中で最も弱々しかった。

 けれどわたしはもう、弱いままではいられない。


「いいえ、ここで姉さまの安全が保障されているからこそ、わたしも北で頑張れるのです」


 わたしは笑った。心からの感謝と、夫に忠実であることの誇りを込めて、優雅に、堂々と。

 姉さまは何も言わずに、わたしの手を取って強く握りしめてくれた。

 それだけで十分だった。


………

……


 姉さまは「あと数日、せめて今日だけでも」と引き留めてくださったけれど、道中は何があるか分からないし、冬も近い。

 急に冷え込んで一晩雪が積もるだけでも、翌日は凍結か、晴れても道がぬかるんで通れなくなることもある。そう思えばこそ、ここでゆっくりはしていられない。


 それにわたしは、昨日あまり眠れなかった。


 姉さまが用意してくれた部屋は本当に良い部屋で、ベッドに横たわった時の感動は――現在、相変わらずガタガタ揺れる馬車の薄い綿敷きに座っているからこそ――生涯忘れないだろうと思う。

 藁が詰まった固いマットレスとは違う。適度な弾力が体を受け止めて、すべやかなシーツに包まれる心地いい触感。

 掛け布団も驚くほど薄く、それなのに足先までしっかりと暖かかった。


 けれど疲労に身を任せ瞳を閉じれば……妄想の焦土で、顔の朧げな兵士たちが戦っている姿が思い浮かんでくる。

 あの中に――前線に旦那様がいると確信している私は、その絵の中の兵士たちから旦那様を見つけようとするけれど……突然現れた山のように黒くて武骨な鉄の塊に、一瞬ですべて薙ぎ払われてしまう。

 あんなに懸命に戦っていた命が、領民が、リアン様が、一瞬で赤い水溜りになる……。


 そんな最悪の悪夢を見てしまってから、どうにも寝付けなかったのだ。


 思えばどうして、〝失われること〟を考えずにいられたのだろう。

 まさに今この時も、きっと生きるか死ぬかの戦いに、明日の保障がない戦いに挑んでいらっしゃるというのに……。


 西の方角を眺めながら、心に居ついた黒い感情をどうにかしようとため息を繰り返す。

 目の前に広がるのは、昨日に続いて皮肉なほどの快晴。

 窓に張り付いてやっと、真上に近い太陽が見える。市門が開くのを待ってからの出発だったから、今はお昼をすぎた頃だろうと思う。

 少し前に石畳が終わって……暗くなる前に宿屋に着きたいから、馬車のスピードはすこし速い。

 

 お尻が完全に浮く衝撃を乗り越え、手すりを握り直しながら……思い返すのは昨日の夜。特にフレデリック様がいらっしゃったとき。

 あの突然のことにも驚いたけれど――そのあと。跪き、手を握られた時。

 あの瞬間本当にいろんな感情がわたしの体の中を暴れまわっていたのだ。

 ハンドキスの経験はあった。だから男性があそこまで近くに来ることは初めてじゃない。

 それなのに……姉さまの選んだ人に失礼なのは分かっているけれど、わたしはあのとき〝怖い〟と思った。

 決してわたしを害する動きじゃなかったのに。

 動作全てがよどみなく慣れていて美しいとも思っていたのに。

 それでも、怖かった。そして思ってしまった。――助けて、リアン様。と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。