11話 帰路
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緊張、恐怖、反射的に助けを求めて、それから……瞬時にそれが叶わないと理解して猛烈に寂しくなる。
そして、フレデリック様からの賛辞を喜ぶことも出来ないうちに、目の前で……愛し合う二人が……。
なんて醜い頭の中をしているのだろう。わたしは。
あれはどう見たって業務連絡で、わたしという他人がいる前で緊急の要件だからこその密着。
嫉妬するなんてお門違いでその資格すらない。
それでも、弱弱しい姉さまに謝られる直前まで、私の中に渦巻いていたのは――羨望。
あんなに近く。愛する人が今日も、きっと明日もそばにいるなんて――いいな……。
「……――ッ、」
ぼろ、と大粒の涙が零れていく。
一つ頬を伝えば、あとからあとからとめどなく溢れて止まらない。
慌ててハンカチで涙を拭うけれど……少女の時だってこんなに泣いたことがないぐらい、布地はあっという間に冷たく、重くなっていく。
「……っ、――ふぅ……ッ゛」
どうしようもなく寂しくて、失うのがこんなに恐ろしい。
お金があれば、地位があればよかったのか。
そう思い至ってから、まさにそのために出兵していった旦那様の――あの手を振って見送った日の記憶が脳裏によみがえる。
確か馬上から一度だけ振り返って、屋敷を見ていたリアン様。きっとリアン様は分かっていたのだ。辺境男爵家の苦難と虚しさを。
唇をかみしめる。鼻がツンとして、また視界がぼやけていった。
一張羅のお出かけドレスに涙が落ちる。どうしてわたしは、あの時あんなに無情でいられたのだろう。
「――ッ゛」
ぐ。と息を止め、体に一度力を入れて、根性で無理やり涙を止める。
仲良くなったらしい御者と警備が、お喋りに夢中でこちらを見てなくてよかった。
最後に目元を押さえるようにハンカチで拭い、揺れる馬車の中で姿勢を正した。
「……はぁ、」
要するに〝助けが来なかった〟だけで、嫉妬して羨んで、果てに泣いて落ち込むなんて……。
社交嫌いと言えど、なんだかわたし、心が弱くなってしまった気がする。
でも、社交界とは違って――手札を捨てる代わりに精神安定を選ぶような――リアン様への気持ちを捨てて、また精神安定を図るようなことは出来ない。したくない。
わたしはまた、背骨に力を入れる。「ちゃんと背を伸ばしなさい」――姉さまの言葉。
切り替えて、旦那様が描いてくださった朝焼けのように幸福な未来に向けて頑張るしかない。
……と、思ったけれど、頭の中に戦争と無関係のことなんて存在しなかった。
姉さまが警告と話の盛り上がりとして話してくださった沢山の噂話の、その断片が矢継ぎ早に浮かび上がっては消えていく。
その中でも特に、たとえ嘘でも警戒して動かないといけないのは『領地売買』の噂だ。
曰く『資金調達のため、王家は秘密裏に辺境領地の売買計画を進めている』というもの。
戦争というものはとにかくお金がかかる。得に今回はいきなり始まって、何の用意も出来ていなかったことが大きい。
軍事的に利用価値が低い所が売却ターゲットになることは容易に想像がつく。我がヴァルデリウス領は国境に面しているとはいえ……主な戦場が西である以上、雪と山ばかりの土地の軍事的利用価値などないに等しい。
「そのための彩雲糸よ!」
と、耳元に蘇るのは姉さまの晴れやかな声。涙で濡れた頬がふっと盛り上がる。
その噂を真とするならば、何としても王国に「ヴァルデリウス領は安易に売れないほどの価値がある」と思わせなければならない。
だからわたしは一刻も早く帰り、品質の良い彩雲糸の生産を急がなければ……。
それから……次に脳裏の主導権を奪ったのは『戦場で兵士を狂わせる歌声』の噂。
メリディア港周辺から聞こえてくる歌のような高音が、争っている兵士を敵味方関係なく狂わせてしまうというもの。
急に武器を捨て、ふらふらと海の方に走っていったかと思えば、遠く遠くまで藻掻くように泳いで行ってしまうらしい。まるで――自分は死んだのだと勘違いした者から、我先にと天国に向かうかのように。
海から聞こえてくるこの歌声は、方角的にも当初真洋皇国の新兵器かと思われた。けれど敵味方関係ない影響範囲と、いつまでたっても解決しないことで、また新しい噂が立った。
『古代魔法時代から生き残っていたセイレーンが、戦争を止めさせるために歌っているのではないか』と。
姉さまもこればかりは、幼いころによくやった寝物語口調で語っていた。わたしも同じく、馬鹿々々しいと一笑に付し思考の隅へ追いやってしまえばいいと思うけれど……でも、わたしは昨日、想像もつかない錬金の発展を見た。
人を狂わせる歌声は、笑いごとでは済まない本当の噂に思えてしまう。どうしても、機械技術の延長線上に思えてしまう。
旦那様は今、一体どの辺りで戦っていらっしゃるのだろう。なるべく海から遠いといいのだけれど……。
「はぁ……」
そういえば。と、また頭の中が切り替わる。次に思うのは『極秘の新兵器』の噂。
姉さま曰く。新兵器が開発され、それが戦場に配備されるとなれば、貴族の士気を上げるため――また他国に買ってもらうためにも、非公式にお披露目会をする。らしい。けれど今年の夏の数回は新兵器開発成功の発表だけで、お披露目はなかった。士気向上や売り上げを不意にしてでも王国側が確保したい情報規制。一体何が出来上がったのか、それとも失敗作になってしまっただけなのか……。いずれにせよ、戦場に配備されたならそろそろ成果を上げてもよい頃らしい。
もしもその『兵器』が旦那様を助けるものなら、情報の秘匿などいくらでもしてくれればいいと思う。そう願う一方で、胸の奥には泥のような不安感が溜まったままずっと消えなかった……。
ふと。暗くなったと焦って窓の外を見やれば、ちょうど森の中に入ったところ。
時刻は夕方になっていた。オレンジ色の夕日が、突き刺すような木漏れ日になってチラチラと眩しい。
森の中で――万が一車輪が木の根なんかを引っ掻けると横転する可能性があるから、スピードは少し落ちていた。
馬車のガラガラという音が小さくなったから、荷台と天井上にもぎっしり乗せられたお土産がロープを軋ませている音がよく聞こえてくる。
帰りの見送りの時――「あれも、これも載せて。ギュッとすれば乗るわよ。あ! これも!」と、姉さまは御者の「重量オーバーです」「もう無理ですよぉ」という泣き言を二回は無視して、馬車にどんどん荷を積んだ。
そういう意味では野盗に襲われそうで少し怖いけれど、それでも今わたしの中では「報いなければ」という思いが強い。
商談では――いや、きっとあれは商談ではなかったな。と今さらながら思う。
だって姉さまは何も渋らず譲ってくれたし、わたしの想像以上の対価を一番最初に提示してくれたから。
とにかく領民を飢えさせたくないんです。と正直に願えば、なら現金ではなく固定量の物資での支払いの方が良いという話――これからどんどん物価は上がっていくのに――になり、毎回姉さまが用意した人員でもってヴァルデリウス領まで回収に来るというのも、わたしが納品について気にする前から決まっていた。
決まった契約内容は主に、
閉ざしの冬以外の期間で一年に四回。合格した彩雲糸束二つに付き、クォーター・チェスト一箱分の食料品と交換する。
納品予想数の木箱を持ってきた姉さまの使いにその場で彩雲糸束を渡し、その量に見合ったクォーター・チェストを受け取ること。
彩雲糸の作り方をみだりに外に漏らさないこと。
彩雲糸をベネディ商会――姉さま以外に売らないこと。
そんなことがずらりと書かれた契約書に、わたしはサインとヴァルデリウス夫人の印章を押してきた。
納品予想数を持ってきてくれるということは、納品すれば即日食べ物が手に入るということ。
男性がやっと抱えるほどの木箱の中に食材がぎっしり詰まっていれば、どれほど心強いだろう……。
そのことがわたしが言い出す前から決まっていたのだ。昔からだけれど、わたしはあの美しい姉さまに頭が上がらない……。
これで来年も再来年も余裕で冬が越せるなんて思わない。
けれど――とりあえず今は、わたしの出来ることを拙いけれど頑張った。
ほんの少しだけ、心の中のリアン様に胸を張れる気がする。
わたしはまだ湿っているハンカチを握りしめ、紺色が近づく西の空に祈った。




