84話 裁判
「まだ言葉が喋れるのなら、名乗るがよい」
天から降るような裁判長の冷徹な声が、円形の法廷に響き渡った。
中央の椅子に拘束されたジュリアンは、砂を噛むような掠れた声を絞り出す。
「……、っ。ジュリアン・ヴァルデリウス大尉、であります」
ただ名乗った。それだけのことに、傍聴席の貴族たちからは波紋のようなざわめきが広がった。
「――まぁ、喋ったわ! 獣の咆哮しか上げられないと思っていたのに」
「大尉だなんて、王国はあんな化け物に階級を与えていたのか?」
「薬で制御しているそうだ。効果が切れれば、すぐにでも化け物に逆戻りさ」
非難を孕んだ小さな悲鳴。軽蔑。恐怖。
それら醜悪な毒のすべてを、戦場で研ぎ澄まされた狼耳が、残酷なほど鮮明に捉えてしまう。
コツ、コツ、と硬い靴音がジュリアンの周囲を回り始めた。
検察官が拘束されたジュリアンの耳元まで歩み寄る。
煤けた羊皮紙を弾き、朗読を始めた。
「……最終決戦、第四区分。被告ジュリアン・ヴァルデリウス大尉は、敵軍の圧力を前に戦意を喪失。敵前逃亡を企図した。これを拒絶し、死守を主張した部下らに対し、被告は生体改造による暴走を伴う暴行を加え、その場で惨殺――」
「……、……っ!」
繋がれた鎖が、激しく音を立てる。検察官が、大げさに跳ねて数歩下がった。
降り注ぐ砲火の中で一人、また一人と吹き飛ばされていく部下たちの顔。
あの光景を、あの大音響を、どうして「自分が殺した」などと言い換えられるのか。
「いいえ……! 皆、必死で作戦を遂行していました。最期まで、王国への忠誠を……決して、そのような不名誉な真似は……!」
数歩下がった検察官は嘲笑を唇に浮かべたあと、張り付けたような怒り顔になった。
ジュリアンの正面に回り込んで、顔を覗き込む。
「黙れ! 予定より早い後方からの砲撃は、敵要塞の陥落と、そして何より、制御不能となった『怪物ジュリアン』の暴走を止めるための、王国の苦渋の選択であったのだ!」
検察官の声が一段と高まり、法廷を震わせる。
「土地が更地になるほどの火力を注がねばならなかったのは、他でもない、貴公という怪物を止めるためだった。証拠なら、あの焦土そのものが物語っている」
証拠。そんなものは、あの焦土にはもう何も残っていない。
部下たちの遺体も、彼らが最期まで握りしめていた認識票も。すべては王国の放った砲弾が灰も残さず焼き尽くしてしまった。
物理的な証拠がないことそのものが、王国が作り上げた「怪物の暴走」という物語の、最も強固な裏付けにされてしまったのだ。
「……嘘だ……っ」
ジュリアンの頭のさらに上。
裁判長が隣の男に耳打ちされていたが、やがて肩を落とすようなため息を一つ吐き、書類で数回机を叩いた。
「被告ジュリアン・ヴァルデリウス大尉。罪を認めるか」
「いいえ! 私――皆は、決して王国を裏切ってなどいない!」
「ここで認めねばさらに罪が重くなるぞ!」
検察官が吠える。
至近距離で浴びせられる怒声に、ジュリアンは金の瞳で睨み返す。認めるわけにはいかない。
こんな嘘を認めてしまえば、先に還った部下たちも浮かばれない。
「こんなのはでっち上げだ! こんな姿になってまで王国に尽くしたのに! 待っていたのは……王国の砲台の、あんな裏切り、」
言いかけた言葉を遮るように、激しく木槌が叩かれた。
「静粛に! 静粛に!」
貴族たちの罵声には一度も鳴らなかった木槌が、ジュリアンが王国の不都合な真実を口にしようとすれば、すぐさまその「静粛」が降ってくる。
「追って沙汰を通知する。だが……逃れられないぞ、ジュリアン・ヴァルデリウス。おぞましい化け物め」
高い所からジュリアンを糾弾する裁判長の顔は、害獣に向けるものと同じ憎々しさに歪んでいた。
………
……
…
まだ全身の怪我が痛むのに――荒々しく鎖を引かれながら帰ってきた監獄の個室。
冷たい石壁に囲まれた檻の中で、ジュリアンは重い拘束具に身を委ねていた。
鉄格子ごしの小さな青空を見やる。戦争は、終わったらしい。
あの日、雨のように降り注いだ味方の砲弾から……目が覚めたらこの地下牢の中にいた数日前を思い出す。
自分以外に誰が生き残ったのだろうか。オスカー、カイル、レニ、ロラン……あの屋上には九人いたし、キャンプに残してきた部下もいる。
生きているなら、鉢合わせしないよう隔離されているのだろう。
反逆を恐れている証拠だ。
「馬鹿々々しい……」
いつの間にか床に置かれていた食事――一日一回差し出される食事に、この劣悪な環境で虫さえ這うことはない。ジュリアンは、唯一薬の匂いがしない、スライスされた小さなパンの一片だけを口に運んだ。
耳裏を這う電極のせいで眠れない。
だからジュリアンは考え続けてしまうのだ。
処理しきれない「どうして」が終わりなく巡り続ける。
戦争を終わらせた英雄として迎えられる――とは、思っていなかった。
この体は……分かっている、自分でもおぞましい。
けれどこのままでは、ヴァルデリウスの土地は罪人の地として没収され、父も、弟も、アナスタシアも、罪人の家族として地獄を見る。
そう思うからこそ、絶対に罪は認められない。
……瞼を閉じれば、裏切りに沈んだ仲間の断末魔が蘇り、目を開ければ、暗い石畳が絶望を突きつける。
周りにあるのは苦しみと裏切りと絶望だけ。こんな思いをするならいっそ、
――あの時、死んでいた方がまだマシだったのかもしれない。
明日も知れない命を繋ぎながら、彼はそう思い続けるだけの一日を、また終えるのだった。
………
……
…
「出ろ」
短く、石のように冷たい声が響く。またしても鎖を荒々しく引かれ、ジュリアンは重い足取りで監獄をあとにした。
向かう先は『大公会議場』――国王陛下が自ら御裁きを下される、この国で最も高く、最も峻厳な法廷である。
石造りの回廊を進むと、前方から鎖を引きずる鈍い音が聞こえてきた。
見覚えのある、けれど無残に変り果てた姿が数名、自分と同じように引き立てられてくる。
ガリガリに痩せこけ、顔中を赤紫の痣が覆う男は――ジュリアンには分かった。
「オスカー、……ッ」
「やぁ。大尉も……生きていましたか。お互い、悪運が強すぎる……」
血のこびり付いた口端を歪め、親友が手を上げようとしたその瞬間だった。
じゃらりと鎖が鳴るよりも早く、看守が黒い警棒をオスカーの脇腹に叩きつける。
「勝手に喋るな!! 」
「ッ゛?! ぐぅ゛ぅ゛――ッ゛!! ――……ッ゛!! 」
バチバチバチッ!! と肉を焼く耳障りな電撃音が轟き、オスカーは声も上げられず悶絶した。
ジュリアンが絶句するほどの威力。倒れ伏したオスカーの口元からは、湯気とも煙ともつかぬ白い気体が立ち上っている。
ただ、挨拶をしただけだ。上下関係の厳しい軍隊でさえ、これほど理不尽な暴力は存在しなかった。
「……、……ゔゔ、」
「クソッ、さっさと立て!! 化け物め!!」
止めてくれ。そう叫びたかった。直属ではないが、彼は部下であり、共に地獄を潜り抜けた友なのだ。けれど、はくはくと空を噛むばかりで、ジュリアンの喉からは音が出ない。
自分が代わりにその電撃を受けてもいい、だからせめて、そんなふうに彼を蹴らないでくれ。
そう請うことさえ、今のジュリアンには許されなかった。
オスカーの後ろには、あの屋上で共に死地を潜った唯一の生存者、斥候のカスパル。
さらに、キャンプに残してきたブルーノ、エリック、ディートリヒの姿もあった。
ジュリアンは、彼らが故郷に誰を残してきたかまで覚えている。
かつては誇り高き特殊作業班の一員であった彼らは、今はすっかり死人のような顔をして、頭頂についた獣耳ごと服従を示すかのように深く俯いていた。
かつて、五百を数えた強化兵の大隊。
焦土に四百九十四の命を置き去りにして、今ここに辿り着いたのは、自分を含めたったの六人。
再会の喜びも、生き残り六人が一堂に会した違和感も咀嚼できぬまま、ジュリアンたちは目も眩むほど広い『真白の広間』へと通された。
神々しい光が降り注ぐ中央に六人並んで座らされ、床のリングに幾重もの鎖で繋ぎ止められる。
裁判開始の宣誓が白々しく場を満たした。
ジュリアンはせめて隣の仲間の様子を窺おうとしたが、首を捻れば鋭い痛みが走る拘束具がそれを拒む。
視界を占めるのは、上段に座る裁判長――そしてその奥に鎮座する、絶対的な〝王〟の姿だけ。
夜目が利く狼の眼にとって、この光は頭痛を伴う凶器でしかなかった。
目を閉じることさえ不敬と取られかねないこの場で、ジュリアンはただ、網膜を焼く白光を耐え忍ぶ。
検察官たちが、嘘に塗り固められた証拠を長々と読み上げる。
そのたびに傍聴席から上がる、悲鳴のような、あるいは嘲笑のような、忌々しいどよめき。
「――よって、全員の死刑を求刑します」
滔々と語り尽くし、愉悦を持って結ばれた言葉は円形の大公会議場に響き渡る。
天井の高い会議場一杯に嘲笑や殺意が満ちていき、法廷の熱気が最高潮に達した――その時。
中央に座す国王が、静かに口を開いた。
「ブルーノ上等兵。この者は、鉱山での労働に耐え得るのではないか? ベルンハルト民生卿。適切な歯車を、適切な場所へ置くのが貴公の仕事であろう」
大公会議場を包み込む、威厳のある低い声。
けれどジュリアンにとっては、まるで機械が文言を読み上げるかのような――どこか恐ろしい冷淡さを孕んでいるように聞こえた。
「……陛下、恐れながら。民生省の見解では、彼らはもはや『歯車』として噛み合う形状をしておりません。薬物による暴走の危険は拭えず、共に働く健全な民を危険に晒すことは……国家の損失に繋がります。彼らを活かす場所など、この王国には存在しませぬ」
「ふむ、ならば――オスカー・ハミルトン軍曹。この者の知識は、焦土を癒やす復興の一端として活用できぬのか? ザイフリート復興総監」
「いいえ、陛下。国土復興院が求めるのは、明日を築く光の技術。彼らが持つのは、昨日を焼き尽くした『破壊の呪い』に過ぎません。復興の地を再び戦火の影で汚すわけには参りませぬ」
王は丁寧に問いを重ねていく。それは一見、死刑を免れさせる慈悲に見えた。
傍聴席には、恍惚に似たため息が満ちていく。
我が王は、なんと慈悲深いのだろう。
御身自ら、こんなおぞましい化け物にも生きる道を模索なさるなんて。
ジュリアン達の死を想定の上で成り立つ、安堵と尊敬のまなざし。
「……なるほど、ならば」
王は眺めていた書類から視線を外し、遥か下方にいるジュリアン達を見つめた。
「元第九旅団付属・特殊作業班所属、ジュリアン・ヴァルデリウス大尉、オスカー・ハミルトン軍曹、ディートリヒ伍長、ブルーノ上等兵、エリック上等兵、カスパル一等卒……」
判決の瞬間。ジュリアンの獣耳がぺったりと伏せ、細かく震えた。
信心深いジュリアンにとって、遂に直視出来ないほどの死の威圧を感じて――。




