83話 新しい部隊
アナスタシアとの恋文を糧に戦場を駆ける。
しかし攻めども攻めども結果は出ず、資源ばかりを消費していた――そんな初秋。
ジュリアンは見たことのない軍人に「選ばれた」「ついてこい」と告げられ、内地病院へ連行された。
そこで彼を待っていたのは、強化部隊――のちに第九旅団付属・特殊作業班と呼ばれる部隊――への配属と、そのための手術。
「これは、大変誉れ高いことである」
その言葉に、ジュリアンは拒否権を持たなかった。
麻酔があっても、手術は地獄だった。
何か得体の知れない悍ましいものが、身体の奥底へ根を張ろうとする。
心がどれほど拒絶しても、それは肉体を蝕み続けた。
目が覚めた時、鎖骨付近には懐中時計のような金属部品が埋め込まれ、その奥では不気味な存在が石の形で脈動していた。
三十人は収容できる大きな病室での療養中、隣のベッドにはオスカーという男がいた。
彼はこの強化隊作戦の元研究者で、今は自らが被検体となっているのだという。
オスカーはうめき声の満ちる病室でへらりと笑いながら、肩に埋め込まれた『石』の仕組みを少しだけ教えてくれた。
曰く、東の原生林に生き残っていた魔法生物を材料に、賢者の石を作ろうとしたことが始まり。
無限のエネルギーを蓄え、魔法すら再現する――しかしその夢は失敗した。
魔法生物の因子だけが残った『獣石』は、力を使うたび宿主を獣へ変えてしまうのだ。
「その肩の中、『獣石の安定定着と薬剤管理による暴走確率の減少』って僕の論文を元にした技術が使われているんですよ」
「そうなのか」
「ええ、あなたは『狼』ですね。僕は『馬』です。僕も狼が良かったんですけど、適合しなかったんですよねぇ」
「ワル、グ……ケルピー……」
「え、まさか説明、聞いてなかったんですか?」
「いや……しかし初耳だ。ただ、『選ばれた』『大変誉れ高いことである』としか」
「はぁぁ……軍上層、いや研究棟か。そういうとこありますよねぇ。ご愁傷さまです」
男はやれやれ、と両手を広げて困ったように口角を上げる。
ジュリアンは――己の肩に張り付いた相容れない異物が、けれど何かの力を供給しているらしいことはうっすら自覚していた。
だから、強がりでも何でもなく半分きょとんとしながら。
「しかし、誉れ高きは事実だろう。もっと強く、戦える。戦場に相応しい歯車として」
「かーッ! 歯車! 今どき献身合理主義なんて! 全くどこの田舎出身なんですか」
男は大げさに、ぺしんと自身の額に手を当ててた。
ジュリアンの眉間に皺が寄る。
「……、……ヴァルデリウスだ」
「ヴァ……ぁ。最北の。へぇぇ~通りで」
「何か問題でも」
「いーえ。……、……そういえば、僕、名乗りましたかね」
「いや」
「では、申し遅れました。オスカー・ハミルトンです。〝オスカー〟とだけ呼んでください」
「私はジュリアン・ヴァルデリウス」
オスカーはこれでもう友達だと言わんばかりの笑顔で手を差し出して、握手をした。
それからはた、と気が付いた顔になって。
「領主様じゃないですかッ!!」
と、領地と姓が同じである事実に、パニック気味にジュリアンの手を払った。
この信じられない無礼は驚いただけだと、ジュリアンは後に知る。
軽薄で少し狂科学者じみた眼鏡男。
オスカーとの短くて長い付き合いは、この時より始まったのだ。
………
……
…
肩の手術痕が安定すれば、次にジュリアンを待っていたのは実践投入のための活性剤適応訓練。
メートル単位の分厚い金属壁に囲まれた実験室にて薬を撃ち込まれ、活性化した狼の力を制御する。
聴覚と視覚は拡張され、
筋肉は千切れそうなほど膨れ上がる。
その獣の力を、人間の理性で制御しろというのだ。
最初の数回は、まさに苛烈を極めた。
投薬後すぐに正気を失い、鎮静剤を噴霧されるか薬の効果が切れるまで鉄の箱の中で暴れ回り拳を血まみれにして。
けれど四回目にして初めて、ジュリアンはなんとか人間的な理性を保ったまま、部屋に用意されていた案山子を模造刀で破壊する。という研究者たちからの指令に従うことが出来たのだった。
しかしその頃には、ジュリアンの頭頂に尖った獣耳、尾てい骨から腰の皮膚を突き破って狼の尻尾が生えていた。
鎖骨の奥で脈打つ、人ならざる鼓動。
活性化のたび全身を異物に支配されそうな恐怖。
眠れぬ夜を越え、生え揃っていく異形。
ジュリアンは逃げることも出来ず、すべてを克明に知覚していた。
そしてすべてを受け入れることなど、到底できなかった。
こんな姿になることが、本当にふさわしい『歯車』になるために必要なのか。
その内なる問いは、自身が信じて生きてきた心の支え――〝教え〟を揺るがす、深刻な問題だった。
けれども戦場は、適応訓練で『優』の評価を受けたジュリアンを待ってはくれない――。
――それからは、ただの解体作業。
戦線に投入され、敵の機械兵器も、敵兵も、果ては――敵国の子供たちも。
ジュリアンは、石の囁きに呑まれないように、狂わないように、ある時期からは共闘して……ただひたすらに殺し続けた。
王国や研究棟は、彼をさらに効率的な兵器にするために、怪我をするたび、本部へ帰還するたびにこれ幸いと何度も悍ましい手術を繰り返した。
「これで骨折などとは無縁」と言いくるめられて、右腕と左足の一部には、炭素結晶で出来た人工骨が埋め込まれた。
部隊の半分に試験的に。という名目で体内に入れられたうなじから耳裏にかけて這う特殊な電極は、いびつな形で疲労と睡眠を奪い去った。
脳を直接灼くような強制的な覚醒は、特殊な睡眠剤という名の毒か失神という手段が無ければ、物理的に目を閉じることさえ許されなかったのだ。
とある爆撃に巻き込まれた時など――麻酔代わりに軍が禁止しているはずの劇薬を流し込まれ、どうして生き延びられたのかさえ分からない。
薬液が血管を焼き、歪んだ再生を促したせいか……一度もげてしまった狼の片耳は、何事も無かったかのようにまた生えてくる始末だった。
薬漬けになった身体は、人間ではない何かへ継ぎ接ぎされていく。
失ってもまた生え、この異形から逃れる術はもうなかった。
それなのに。
そこまでして、王国に尽くしたというのに――!
あの砲撃だけは、今なお腹の底を煮え返らせる。
怒りと共に、全身の傷が軋んだ。
……目を開ける。鈍色の天井。
傍らに、誰かが座っていた。
灰色のひげの老人は、この上なく悲しそうな顔をしている。
医師……ではない。
どこか人ならざる静けさを纏っている。
ここは病院なのか。
それとも、死の狭間なのか。
「なにか――願いはあるか」
老人の声は、懐かしい匂いがした。
どうしてそんなことを問うのだろう。
けれどきっと……もう死んでいるのなら、何を願ってもかまわないだろう。
ジュリアンは夢うつつに唇を開く。
ならば、私は――。




