81話 砲撃
ジュリアンは、異常なほど鮮明に死の先触れを捉えていた。
まず、前方。
地表を這うように漂っていた黒霧の残滓が、不可視の圧力に圧し潰されて円形に弾け飛ぶ。
次いで、今立っている要塞兵器に激しい衝撃が走った。
鉄の屋上は、まるでスローモーションの映像のように歪み始める。
精密に計算された砲弾が、その重厚な装甲を破壊していく。
一発、二発。
鉄が飴細工のようにひしゃげ、内部の蒸気機関が断末魔を上げるより早く、巨大な鉄塊が内側から膨れ上がる。
三発目が三階部分――ジュリアン達がいる場所――を直撃した瞬間。
ジュリアンは、爆炎が毒々しい花を次々に咲かせていくのを見た。
瓦礫の一片一片が、意思を持った散弾となってジュリアンへと降り注ぐ。
「――ッ゛」
――逃げろ!!
脳が叫ぶ。
しかしこれまで獣の速度で戦場を駆けてきた脚が、今は粘りつく泥の中にいるかのように重い。
地面が波打ち、上下の感覚が霧散する。
踏み出した足は、瓦解する鉄板に裏切られた。
背後から迫る熱波が、ジュリアンの体を木の葉のように宙へ弾き飛ばす。
視界がぐるりと回転し、逆さまになった世界で――
朝日に照らされた北の山嶺だけがひどく遠く、静止して見えた。
咄嗟に手を伸ばそうとした直後、逃れようのない重力と加速が彼を襲う。
鈍い衝撃と共に、背中に叩きつけられたのは硬い瓦礫の角か、あるいはかつての仲間の残骸か。
肺の中の酸素がすべて強制的に押し出され、視界は瞬時に、熱くて昏い赤に塗りつぶされた……。
………
……
…
「――ッ!? ッ゛?!」
どうなっている。
うつ伏せだった。ほぼ全身が瓦礫に押し潰されている。
砲撃はまだ続いていた。
瓦礫の下で意識を繋ぎ止めたのは、肩の奥で唸る狼の鼓動。
「ガフッ、カハッ……ッ、……ッ゛!!」
粘度の高い血を吐き出し、ジュリアンは己の喉を震わせた。
身を粉にし、人間を辞め、王国にすべてを捧げてきた。
その代償として降り注いだのは、感謝の言葉でも褒章でもなく、頭上を埋め尽くす鉄の雨だった。
「ハッ、はぁ゛、クソッ、クソッ!!」
激痛に霞む視界。損傷した眼球の裏に、焼け付くような熱が走る。
しかし、ジュリアンは痛む瞳だけで周囲を見渡した。
仲間は、どこだ。
無事なのだろうか?
土埃と瓦礫で良く見えない。
爆発音がひどくて悲鳴すら聞こえない。
「――ッヴ、ぐぅぅ……ッ!!」
大きな振動のあと、締め付けられるように瓦礫が重くなった。
急がなければ、このまま……。
石の鼓動はさらに激しく共鳴する。
「……分かっている……ッ゛、連れて行ってやる、」
ジュリアンは支給以来手つかずだった特濃の活性剤を掴んだ。金属の縁に針を沈める。
ポンプに指を掛ける直前。目を閉じる。
もう二度と――戻れないかもしれない。
それでも。
「力を、貸してくれ」
薬剤を叩き込む。
痛みが弾け、代わりに膨大な熱が四肢を駆け巡った。
「――あ゛あ゛、あ゛ぁ゛ッ!」
鉄の瓦礫を押し上げるたび、千切れかける筋肉がブチブチと悲鳴を上げた。
ここで力を抜いたら、隙間が崩れる。その確信に従って、腕を前へ。
足先にも力を込めて、なんとか這い出ようと歯を食いしばる。
傷ついた眼球の裏には、愛する人の幻覚。
『――リアン様』
帰るんだ、故郷へ。
前へ手を伸ばす。グルル、と獣の息が漏れる。
剥き出しの犬歯で、縋り付くように、あるいはうわごとのように愛する人の名前を呼ぶ。
爪の剥がれ落ちた指で土を掴む。
――あと、数センチ。
遂に、腰が瓦礫の隙間から抜けそうな所まで来ていた。
ジュリアンの瞳に一筋の光が差し込む。
その光を掴もうと、ジュリアンが渾身の力を込めた、その時。
上空から飛来した一塊の礫が、放物線を描いて彼の後頭部へと吸い込まれた。
衝撃は、音すら伴わない。
ただ世界が不意に、その色を失っていく。
張り詰めていた神経が、あっけなく途切れた。
指先から力が抜け、掴みかけていた重油まみれの土が、ぼろぼろと掌からこぼれ落ちていく。
「あ……」
言葉にならない吐息が、土埃に消えた。
鼓動が遠のいていく。
戦火の喧騒も、石の囁きも、今はもう届かない。




