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最果てより、愛をこめて。  作者: すの
第十五章:決戦
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78話 黒霧


 いつからか、戦場は黒一色に塗り潰されていた。

 詩的な描写ではない。重油と蒸気が混ざり合ったそれは、敵の巨大要塞を隠すべく撒き散らされた黒い霧。


 王国の誇る長距離狙撃は、空気にそれを混ぜられただけでただの鉄屑と化した。


 一寸先すら見えない。

 支給されたゴーグルは瞬く間に重油で曇り、拭ってもすぐ黒く染まる。


 その霧の中を、熱源だけを追う小型機械兵器が這い回っていた。

 生きている者を見つければ一直線。

 接触した瞬間、爆発する。


 岩を乗り越え、死体を踏みつけ、ただ「生きている」というだけの理由で、それは執拗に食らいつく。

 物資不足を露呈したような細い三本の金属脚がガチャガチャと無機質な音を立てるたび、兵士たちは自分の心臓の鼓動が敵を招き寄せているのだと錯覚し、呼吸を止めて震えた。


 漆黒の中で音が聞こえたかと思えば、それは死の直前かあるいは仲間が爆散する音。撒き散らされた重油のせいで連鎖爆発も起きる。

 夜より深い闇の中、何もできずに、理由も分からず死んでいく……。


 黒霧発生から一週間。

 最前線は戦う前に壊れていた。


 命令違反で撃たれた方がましだ、と言う者。

 集団自決する部隊。

 あと数十キロという勝利目前の戦線は、黒い霧一つで瓦解しようとしていた。


 その混乱の最中、最前線の兵士が最後に見たのは、海中から這い上がってきた巨大な影。

 陸を往く鉄の城。海中プラントそのものを戦車と化したような、鈍重な怪物――。

 その怪物が吐き出す黒霧を晴らさぬ限り、王国に明日の朝は来ない。


 ――とにかく、この霧を晴らさなければ。


 その『報告』を握りしめたまま、地図の上に人の生き死にを書き込む人間たちが、顔を突き合わせていた。


 前線が、それ自体に殺傷力のない黒い霧一つで大混乱に陥っている。

 ただ無様に自壊していく兵士たちを前に、作戦室には苛立ちと落胆が広がっていた。


 そこで彼らは、錬金術の果て未だ魔法には至らぬ中間地点にて、その歪なゆりかごから這い出した「化け物」の存在を思い出した。

 人間よりよほど優れた五感を持ち、これまでも忠犬よろしく無理難題を遂行してきた、便利な怪物たち。


 あの俊敏さなら小型機械を撒ける。

 人より優れた耳なら暗闇を透かせる。

 あとは要塞の心臓を引き摺り出すだけ。

 霧さえ晴らせば、あとは我が国が誇る精密砲台の全門をそこへ向けるだけだ。

 巨大なガラクタも、その陰に隠れた不確定な要素も、すべて纏めて精算してしまえばいい。


 敵国から接収した『深核石』を組み込んだ最新の連装砲ならば、この物理法則を無視した射程さえも克服できる。

 黒霧の心臓部――敵要塞の正確な座標さえ判明すれば、巨大な影だろうが何だろうが一撃で鉄屑へと変えられるのだ。


 指先一つ、伝令一つで、盤上の駒が消える。

 そんな命令に慣れ切った人間がみっしり詰まった作戦室に、ようやく吐き気のするような安堵が広がった。

 

 彼らは信じているのだ。自らが作り上げた怪物が、何よりも忠実な信管であることを。


………

……

…


「ひどいな」


 黒霧の立ち込める草原一帯を、ジュリアンは数キロ手前の高台から観測していた。

 ハルデン平原から、その奥に広がる深い原生林――ゼーレ湿原に至る、約二十五キロ。


 かつて冬には雪の下で白カブが、初夏には王都へ運ばれる瑞々しい馬鈴薯が。その土の下で静かに命を太らせていたはずの広大な穀倉地帯は、今や呼吸を拒む重油の海と化していた。


 その闇のどこかに、自走する巨大要塞が潜んでいる。


 霧の届かない数メートル手前にはいくつかのキャンプがあって、時折そこから歩兵が飛び出して行く。しかし、負傷者を含め帰ってくる者をジュリアンは見たことが無かった。

 少しでも高さを稼ぐためにウェグに跨り、その黄金色に変色した瞳でじっと霧の中を双眼鏡で覗く……しかし、まるでレンズを黒く塗られてしまったかのように、何一つ目視で確認出来ない。


「……何か見えたか?」


 なので隣の豹(パルド)の青年に尋ねる。

 狼(ワルグ)よりも夜目が利き、動体視力もあるからだ。


「……、……前方やや西――切れ間、から……死体が、見えます。わが軍の――、」


 黒霧の薄い所を見つけたのだろう。身を乗り出して、見えたことから報告していた青年――レニ伍長は、もっとよく見ようとその場に座り込んだ。

 蛇のような尻尾が地面に這い、先端だけがぴくぴくと揺らぐ。


「――あ、回収しようとしてる人が、」

 

 向かっています。とそう続くはずだった言葉は、ここ数キロ後方にまで轟く爆発にかき消された。

 黒が閃光を伴った赤になり――黒霧が喉奥を膨らませるように盛り上がる。

 まるで一つの生き物が死を飲み込み、平らげていくように。

 数度の誘爆のあと、残ったのはただ黒い霧だけだった。


「――……ッ゛……」


 レニはフードの中の獣耳をぺったりと伏せて絶句していた。

 双眼鏡越しに爆発の全てを眺めていたジュリアンは色濃い隈が染みついた瞳で瞬き一つ。ため息をついて双眼鏡を仕舞う。

 レニの言う霧の切れ間を観察していたが、自分では物体に突進する小さな影しか見えなかった。


「おそらくあれが小型機械兵器――『泥蜘蛛』だな。見えたか? 説明してくれ」

「い、一瞬だけでしたが。……大きさは、おそらく鹿程度。三本足で、這うようにして……死体に向かって真っすぐ進んでいました」

「死体に向かってではない。回収隊員に向かっていたんだ」

「ッでもあんなの、子供だって入らないですよ。一体だれが操縦しているんですか」

「あれは自動で熱を探知し、その方向へただ進む……上の報告通りという訳だな」

「そんな、……」


 レニ率いる豹(パルド)は、先鋒や隠密を任される部隊だ。

 闇にまぎれ、音もなく忍び寄る彼らでさ機械の冷徹な目には赤く燃える標的にしか映らないのだから。

 態度には出さないが、彼の肩にはずっと力が入っている。


「そんな顔をするな、レニ。作戦はある。これまで通り王国の牙として、誇りある歯車として、己にできることをするんだ」

「……はい、大尉……」


 ウェグを反転させ、高台の麓にあるテントへと下がっていく。レニはそのあとに続きながら、きょろきょろと辺りを見回した。

 

「それにしても、合流隊遅いですね」

「……」


 ジュリアンは返事をしなかった。

 合流時刻は、とっくに過ぎている。


………

……

…


 上層部からの命令の一つ目は、〝このポイントに別動隊と合流せよ〟というものだった。

 けれど現在。合流予定時刻から三時間は過ぎている。


 別動隊と言っても同じ獣の石を宿す特殊作業班。何かトラブルがあっても、例えば馬(ケルピー)の一人でも走らせれば一時間ほどでジュリアンの元まで報告を届けられるだろうに。


 救援に向かうべきか。それとも命令通り待機すべきか。

 地図の上を何度も指でなぞる。


 判断一つで、まだ生きている仲間を見殺しにするかもしれない。

 あるいは行き違い、双方を全滅させるかもしれない。


 最悪の想像を薙ぎ払うように――結局。ジュリアンは鎮静剤をはじめとした薬の用意をオスカーを含んだ部下に命じ、それからはただひたすらに東の荒野を睨み続けた。


 そして――その判断は、残酷な意味で正しかった。


 その後、十五人と聞いていた合流隊の姿が砂塵から現れた時、ジュリアンは己の目を疑った。

 数は、わずか九人。

 彼らの衣服は返り血で赤黒く染まり、その瞳からは生気が抜け落ちている。

 道中、獣の石が共鳴し、精神を汚染し合う『咆哮連鎖』が発生していたのだ。

 

 救援を呼ぶ馬(ケルピー)の一人も走らせられなかった理由。

 生き残った隊の一人が握り締めていた血まみれの正八面体の石の数が、何よりも雄弁に物語っていた。

 九人の生存者に対し、その手に握られた石は六つ。

 数時間前まで仲間だった者たちを、自らの手で処分した証だった。


 全員が深手だった。


 咆哮連鎖を防ぐため別々のテントへ運び、鎮静剤と応急処置が続く。

 そんな中、ジュリアンは少しでも状況を把握したくて、生き残りの中で一番階級の高い馬(ケルピー)の隊員のそばにいた。


「少佐の゛、さ、最期の、こと、言伝――ッを゛、」


 膝を付いて、その震える手を強く握る。

 戦況を聞き出すという義務は、全身の裂傷を見た瞬間に消えた。

 

 ジュリアンの喉の奥から、無意識に低い唸りが漏れる。

 薬で抑え込まれたはずの野性が、蹂躙された群れの惨状に、牙を剥こうと皮膚の裏側で暴れていた。


「あとで聞く。必ず聞く。今は喋るな……おいオスカー! なんとかしろ!」

「今やってますッ!」


 ジュリアンが叫ぶ。オスカーも怒声で答えた。

 止まらない出血を無理やり布で縛り上げ、赤く染まった指先で、隊員の肩にある金属へ電極コードを叩き込む。

 チカチカと不規則に明滅する光の下で、オスカーは迷いなく静脈を捉え、太い針を沈めた。


「――ぉ゛、お伝え、じばず、」

 

 一度呼吸を吸うたび、真っ赤な血の泡が唇から溢れ出す。

 足元には、中身を使い切った鎮静剤の空アンプルが異様な数、転がっていた。


 致死量を越えた薬剤に、本来なら指先一つ動かないはずの肉体。

 だが剥き出しの傷口が放つ激痛だけを楔にして、彼はヒトとしての形を繋ぎ止めていた。

 

 血が流れ込み、真っ赤に染まった瞳。焦点の合わない横長の虹彩が、最後の一瞬だけジュリアンの顔を捉える。

 震える指先で、六つの石をジュリアンの掌へと、骨が軋むほどきつく押し付けた。

 

「す――『すまない、ジュリアン。あとは頼む』、と」


 その声に、淀みはなかった。

 強い力に白く強張っていた指先は、けれど最後の一音を吐き出した瞬間嘘のように緩み――シーツへと滑り落ちていく。


「……了解した」


 遺志を封じ込めた正八面体は、ジュリアンの掌の中でまだ生々しい体温を宿していた。


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