75話 金貨の輝き
自室に戻ると、机の上にはいくつかの金貨袋が転がっている。
昨日、雪糸を買い取った商人からの支払い。その帳簿付けがまだ途中だった。
鍵もかけていない私室に大金を放り出しておくなんて、いただけないことだ。
わたしは速やかに椅子に腰かけ、重たい袋から金貨を取り出して数えていく。
「十……二十……三十、と二、四、六枚」
カリカリとペン先が紙の上を走る音だけが響く、静まり返った私室。
複数の商人から、それぞれ単価いくらで売ったのか。その収入、七割を工房の運営費として、三割はヴァルデリウス家の収入とする。
七割の中からガウスさんへの加工賃の支払い、商会から買った配管や計器の支払い分を引いて、それから――工房の女性たちから日々糸を買い取るとして、これぐらい留保して――あとで銀貨に両替してもらわなければ。それから……。
「……、……ん。よし」
出ていくお金と、入ってきたお金。現在手元にある金貨の数。
その全ての数式がかみ合って、まとめた帳簿の数字は絵画のように美しく見えた。
すべての数字が綺麗に揃い、小さく息をつく。
それから、積まれた金貨を『支払い』『運営費』『収入』に分けて袋に戻そうと指を伸ばして――。
「あっ」
けれど指が触れた瞬間、バランスを崩した金貨が他の塔を巻き込んで倒れてしまった。
静謐な小部屋にバタン、ジャラジャラと金属の擦れる音が響いて、わたしは叱られたときみたいに首を引っ込める。
ああもう。また数え直さないと。
ため息一つ。机の上に広がった金貨を、掬うようにかき集めていく。
じゃらり、じゃらり。両手の中には、文字通り溢れんばかり、持ちきれないほどの金貨があった……。
「……、……」
あの大寒波を越えたこと。
蒸気化という必死の足掻きが、帰還兵たちの居場所になったこと。
姉さまの戦いで、彩雲糸が武器になったこと。
そのすべてが、この黄金の輝きとなって積み上がっている。
それは――
「…………っ、」
それは、とても重い。
重くて、冷たくて――ひどく、虚しい。
片手の金貨で、村の一家が二年は裕福に暮らせるものなのに。
それでも、心の奥が「これじゃない」と何度も叫んでいた。
これじゃない。ちがう。わたしが今、本当に欲しいものは――。
指の力を抜くと金貨はわたしの意思を嘲笑うように、指の隙間から、一つ、また一つと零れ落ちていった。
最後の金色が虚しく跳ねる音を聞きながら……空になったその手で顔を覆う。
暗闇の中。ただひたすらに眼球が熱かった。考えるな、いや、もっとよく考えなければ。
この体の芯に空いた虚ろを、どうしたらいいのか分からない。
どうして帰ってこないの。
どうして手紙の一つも来ないの。
どうして、どうして。
「……リアン様……」
呼んでも、返事はない。
この豊かさを、一番に見せたかった人。
「よくやった」とこの冷たい手を握ってほしかったその人は、まだ、どこにもいない。
……金貨をどう拾い集め、どうやって執務室奥の金庫へとしまい込んだのか。
気づけば厩舎に立ち、かつて旦那様を乗せて戦場を走っていたウェグの前にいた。
彼はわたしが入ってきたのを一瞥したきり、じっと厩舎の奥――南の空を見つめている。
藁を踏み近づいて、その黒い毛並みをそっと撫でてみる。
動かないウェグに甘えて……その腹におでこをくっ付けてみた。
固い皮膚の奥に、確かな血の脈動を感じる。じわじわと染み込んでくる温かさに、さらにぐりぐりとおでこを押し付けて。
追いかけてくるかのように思い出してしまうのは、固く冷たい金貨の感触。
あの押しつぶされてしまいそうな虚しさを忘れたくて、わたしはそのまま目を閉じた。
大きな肺が膨らむ鞴のような音。この背に、リアン様が乗っていたのだ。
我が領からはるか遠く南西に広がる戦場を駆け抜け――そしてこの馬は帰ってきた……否、逃がされた。
終戦後手紙も届かず、戦死の報告も届かない。
なら、あの空のどこかに、リアン様がまだ生きているという可能性も残っているはず。
体重をかけられるのが嫌だったのか、ウェグが押し返すように足踏みをした。
ブルルと首を振り、頑なに南――主人と別れたであろう方角を見据えて動かない。
その先――南の空の下には、旦那様が消えた地も、辿った道も、そのすべてが横たわっていた。
リアン様を吸い込んで戻さない、あの南の空。
「あなたも、待っているのね」
わたしの呟きに、ウェグは「当然だ」と言わんばかりにほんの僅か、わたしに体を預けた。




