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最果てより、愛をこめて。  作者: すの
第十四章:金貨
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75話 金貨の輝き


 自室に戻ると、机の上にはいくつかの金貨袋が転がっている。

 昨日、雪糸を買い取った商人からの支払い。その帳簿付けがまだ途中だった。


 鍵もかけていない私室に大金を放り出しておくなんて、いただけないことだ。

 わたしは速やかに椅子に腰かけ、重たい袋から金貨を取り出して数えていく。


「十……二十……三十、と二、四、六枚」


 カリカリとペン先が紙の上を走る音だけが響く、静まり返った私室。

 複数の商人から、それぞれ単価いくらで売ったのか。その収入、七割を工房の運営費として、三割はヴァルデリウス家の収入とする。

 七割の中からガウスさんへの加工賃の支払い、商会から買った配管や計器の支払い分を引いて、それから――工房の女性たちから日々糸を買い取るとして、これぐらい留保して――あとで銀貨に両替してもらわなければ。それから……。

 

「……、……ん。よし」


 出ていくお金と、入ってきたお金。現在手元にある金貨の数。

 その全ての数式がかみ合って、まとめた帳簿の数字は絵画のように美しく見えた。

 すべての数字が綺麗に揃い、小さく息をつく。

 それから、積まれた金貨を『支払い』『運営費』『収入』に分けて袋に戻そうと指を伸ばして――。


「あっ」


 けれど指が触れた瞬間、バランスを崩した金貨が他の塔を巻き込んで倒れてしまった。

 静謐な小部屋にバタン、ジャラジャラと金属の擦れる音が響いて、わたしは叱られたときみたいに首を引っ込める。


 ああもう。また数え直さないと。

 ため息一つ。机の上に広がった金貨を、掬うようにかき集めていく。

 じゃらり、じゃらり。両手の中には、文字通り溢れんばかり、持ちきれないほどの金貨があった……。


「……、……」


 あの大寒波を越えたこと。

 蒸気化という必死の足掻きが、帰還兵たちの居場所になったこと。

 姉さまの戦いで、彩雲糸が武器になったこと。


 そのすべてが、この黄金の輝きとなって積み上がっている。


 それは――


「…………っ、」


 それは、とても重い。

 重くて、冷たくて――ひどく、虚しい。


 片手の金貨で、村の一家が二年は裕福に暮らせるものなのに。

 

 それでも、心の奥が「これじゃない」と何度も叫んでいた。


 これじゃない。ちがう。わたしが今、本当に欲しいものは――。


 指の力を抜くと金貨はわたしの意思を嘲笑うように、指の隙間から、一つ、また一つと零れ落ちていった。

 

 最後の金色が虚しく跳ねる音を聞きながら……空になったその手で顔を覆う。

 暗闇の中。ただひたすらに眼球が熱かった。考えるな、いや、もっとよく考えなければ。

 この体の芯に空いた虚ろを、どうしたらいいのか分からない。


 どうして帰ってこないの。

 どうして手紙の一つも来ないの。

 どうして、どうして。


「……リアン様……」


 呼んでも、返事はない。

 この豊かさを、一番に見せたかった人。

「よくやった」とこの冷たい手を握ってほしかったその人は、まだ、どこにもいない。 


 ……金貨をどう拾い集め、どうやって執務室奥の金庫へとしまい込んだのか。


 気づけば厩舎に立ち、かつて旦那様を乗せて戦場を走っていたウェグの前にいた。

 彼はわたしが入ってきたのを一瞥したきり、じっと厩舎の奥――南の空を見つめている。


 藁を踏み近づいて、その黒い毛並みをそっと撫でてみる。

 動かないウェグに甘えて……その腹におでこをくっ付けてみた。

 固い皮膚の奥に、確かな血の脈動を感じる。じわじわと染み込んでくる温かさに、さらにぐりぐりとおでこを押し付けて。

 追いかけてくるかのように思い出してしまうのは、固く冷たい金貨の感触。

 あの押しつぶされてしまいそうな虚しさを忘れたくて、わたしはそのまま目を閉じた。


 大きな肺が膨らむ鞴のような音。この背に、リアン様が乗っていたのだ。

 我が領からはるか遠く南西に広がる戦場を駆け抜け――そしてこの馬は帰ってきた……否、逃がされた。


 終戦後手紙も届かず、戦死の報告も届かない。

 なら、あの空のどこかに、リアン様がまだ生きているという可能性も残っているはず。


 体重をかけられるのが嫌だったのか、ウェグが押し返すように足踏みをした。

 ブルルと首を振り、頑なに南――主人と別れたであろう方角を見据えて動かない。

 その先――南の空の下には、旦那様が消えた地も、辿った道も、そのすべてが横たわっていた。

 リアン様を吸い込んで戻さない、あの南の空。


「あなたも、待っているのね」


 わたしの呟きに、ウェグは「当然だ」と言わんばかりにほんの僅か、わたしに体を預けた。


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