73話 篝火
夕方に警備隊が山から帰ってきてから、驚喜の輪は、祝宴となって村中へ広がっていった。
比較的家の前が広いハンナさんの家の前に机を並べて、料理を持ち寄り、お酒を飲んで。
不格好ながらも温かい祝宴が始まり、どんどん人が集まってくる。
かつては、干し肉一枚を分かち合うのもやっとだったのに。
今は芳醇な酒の匂いと、脂の乗った肉が焼ける香りが満ち満ちている。
「すげえぞ、マーカス! その手、どうなってんだ!」
「これか? 見てろよ」
煽り立てるような村人の声に、マーカスさんは英雄らしい大げさな笑顔を浮かべて見せた。袖をまくった彼が力を込めると、剥き出しの歯車がチチチ……と鋭い音を立てて噛み合い、手首が――本来ならあり得ない角度を超えて――ぐるりと一周回る。
「おおおっ!!」
「まぁすごい! ねえそれは、その石で動いているの?」
「ああそうだ。これはあの鉄屑ども――真洋皇国から奪い取った石だ。――おいカイル! お前の足のすごいところも見せてやれよ!」
少し離れたところで囲まれていたカイルさんが、答えるように手を上げた。
皆を少しだけ下がらせて、少しかがんで――すると次の瞬間、バシュッ! と小さな排出音と同時に信じられないような高さまで跳躍する。
下がらせた人垣を優に超え、あっちへ着地。飛び上がってまたこっちへ。
着地のたびに石畳を叩くガン! と硬い音が響き――その人離れした動きのたびに、手首や足首に埋め込まれた『深核石』は、歓声に呼応するように青く明滅していた。
「すごい! すごいわ! これなら山道もひとっ飛びじゃない!」
「この足なら麻束担いだまま、倉庫の二階まで飛び上がれるんじゃないか。 いやぁすげぇなぁ」
「ねぇマーカス、その手、触ってもいい? ……わぁ、見て、生きてるみたいに青く光って……なんて綺麗な石。格好いいわね」
「その指先なら、熱い蒸気パイプを直接握っても平気なんかね? マーカス、落ち着いたら生産棟に来い。頼みたいことがある」
村人たちは、誰もその手足を恐れない。
彼らは黒ずんだ機械の手足を、頼もしい設備の延長のように受け入れていた。
そんな喧騒の端で、わたしは一人の男を探していた――帰ってきた時から一番顔色の悪かったジョシュさん。
カイルさんやマーカスさんと違って手足は残っているのに……。
光を嫌うかのように隅の方で静かにお酒を飲んでいたはずの彼の姿は、いつの間にか輪の中から消えていた。
付近をくるりと見渡して、ふとかがり火の奥に目を凝らせば……広場の影に沈む小道の向こう、家族に肩を抱かれて家路につく彼の背中が見える。
ジョシュさんの背は、支える家族の誰よりも大きいはずなのに。
それでも今の彼は、誰よりも小さく見える。
戦前は、あんなげっそりと老けた土気色の肌ではなかった。
……彼がああなるまで、戦場で一体、何を見て、どんな経験をしたのだろう。
血と硝煙。
生死の狭間。
……どんな地獄を生き延びてきたのだろう。
想像するだけで胸の奥が冷たく締め付けられる。
「……兄さんも、あんな風に……」
「ッ、」
不意に隣から届いた声に、わたしは呼吸の端を詰まらせた。
持たされたまま一口も口を付けていない葡萄酒が手の中で跳ねる。
そこには、いつの間にか山での警備を終えたエドワード様が立っていた。
わたしと同じように、遠ざかるジョシュさんの背中を見つめている。
その横顔は、いつになく暗い影を落としていて……その不安そうな表情は、どこか幼い。
「エドワード様、今……」
「奥様! エドワード様! 見てください! 兎の詰め焼きですよ! へへ、取っといた一番いい兎です!」
料理番のベルトラムが、威勢のいい声を張り上げて肉の塊を運び込んできた。
沸き上がる歓声と、それ以上に騒がしい拍手の渦。
兎肉のの中に詰め込まれた野菜と香草のいい香りが、ふわりと辺りを支配する。
エドワード様が言いかけた言葉は、その熱狂の中に霧散してしまった。
「エドワード様も、さあ!」
「ああ、今行く――ベルトラム、良く焼けた兎だな、中には何が入っているんだ?」
村人たちに強引に誘われ、彼は苦笑いを浮かべながら輪の中心へと連れて行かれる。
「一昨日採れたジャガイモと、刻んだレバーです!」
「それはうまそうだ。……マーカス! カイル! よく戻った!」
誇らしそうなマーカスさんとカイルさんに、お義父様と同じように敬意と感謝を示して。
それから、今日何度目かも分からない乾杯の音頭を自ら取って杯を高く上げる。
コン、カツン、とそこら中で杯が打ち鳴らされ、歓声と笑い声が温かく満ちていく。
わたしは一人、しばらくその場に立ち尽くし、眩しすぎるかがり火を見つめていた。
――兄さんも、あんな風に。
エドワード様の言いかけた言葉が頭の中でこだまする。
その先をどんなふうに繋げるつもりだったのだろう。
気が付けば――わたしはまるでかがり火と喧騒を避けるかのように屋敷裏の厩舎へ向かっていた。
三頭収容できる厩舎には、今は夏に帰ってきたウェグ一頭だけ。
あの夏の日、泥の怪物のようになって泡を噴き衰弱していたウェグは、今やエドワードを乗せて山道を駆けるほどに回復している。
わたしは――幼い時に馬を制御出来ずに森で迷子になったことがあるから――馬は少し苦手だったのだけれど……ウェグはおっかなびっくりなわたしに噛みついたり威嚇することなく、最近は、そばに寄れば撫でさせてくれる程度に仲良くなれていた。
だからどうしようもなく寂しくなる夕暮れになると、少しでもリアン様のぬくもりを感じたくて、こうやってウェグを撫でに行っていたのだ。
馬房の低い扉を開けて、馬係のルーカスさんがそうしているようにゴシゴシとブラシをかける。
するとウェグは満足そうに鼻を鳴らし、わたしの肩に大きな頭をどっしりと預けた。
「……マーカスさんたちは帰ってきたわ。カイルさんも、ジョシュさんも、」
そんな雰囲気に唆されて、わたしは長く微笑みを張り付けたまま、乾燥してくっ付いていた唇を開いてしまう。
口にしてはいけない問い。
――なら、どうして旦那様は帰ってこないの。
ウェグの静かな鼻息と体温だけが、その幼く醜い本音を吸い取ってくれるようだった。




