72話 凱旋
その日は、不意に訪れた。
秋晴れの昼間。村の広場にて、発酵まで終わった霜麻を広げて干していた最中。
「……、ん……?」
腰をかがめ、麻に触れて乾いているかを確かめていると、門の方の数人の影に気付く。
終戦を迎え、〝不思議な〟特需に沸く我が領地には、沢山の商人が訪れていた。
紋章を確かめようと目を凝らし――けれど薄汚れた布で全身を覆った人影たちは、商人でも徴税吏でもない様子。
――何、誰……何の用だろう……?
誰であろうと、どんな用でも、基本的に追い返すようなことはしない。
帯刀もしていないし、歓迎するつもりでつま先をそちらに向けた矢先、耳をつんざくような悲鳴が上がった。
「マーカスッ!!」
わたしの後ろ、ローズさんが叫んで、地面に広がる麻束を蹴り飛ばしながら走っていった。
「マーカス!! あぁあよく、よく戻って、あぁマーカス……ッ」
彼女は、先頭に立つ男に猛烈な勢いで抱き着いていった。
ローズさんの夫の……マーカスさん? 確かに、徴兵名簿にその名はあった。村でも指折りの若衆だったはず。
けれど目の前に立つ男は、わたしの記憶にある彼とは別人だった。
頬は削げ、目は鋭く、全身に硝煙と血の匂いが染み付いているのか――植物の発酵臭が強いここからでも、その煙のような匂いが分かる。
「……っ、おい、よせ、危ないだろう、ローズ」
「あぁッ、おかえりなさい! よかった! よかったぁ!」
「ああ、……ただいま」
マーカスさんが困ったように笑い、ぎゅうっと縋り付く彼女の背中を、そっと抱きとめた。
――その時。彼の手首から先が、秋の陽光を浴びてギラリと鈍く輝く。
「ッ!」
磨かれた銀でもなければ、高価な金でもない、重苦しい鋳鉄の色。
愛する人を抱きしめる手首には、青白く光る石――あれが恐らく、真洋皇国由来の『深核石』だ――が埋め込まれている。
そこから伸びる赤銅の細線が、男の手に直接縫い付けられたかのようにほのかな光の脈を打っていた。
マーカスさんの後ろから、さらに二人が姿を現す。
やはりわたしには誰なのか分からない。まだ麻束が広がる広場から動けなかった。
けれど周りの反応から察するに――ソフィアさんの親戚にあたるジョシュさん、戦死報告が届いていたハンナさんの弟、カイルさん。
ジョシュさんのげっそりと落ちくぼんだ顔つきの悲惨さは二人の比ではなく、対照的にある程度元気そうなカイルさんの右足にはマーカスさんと同じような黒鉄色が覗いている。
「カイルッ! 生きてたのかい!」
「おかえり! 良く帰って来たねぇ」
「ジョシュ、よく頑張ったね、さあ、さぁこっちにおいで」
わたしは皆の歓喜がひと段落したところで、やっと前に進み出る。
手袋に包まれた白い両手をお腹の前で重ね、小さく一礼をして敬意を示して。
「マーカスさん、ジョシュさん、カイルさん、おかえりなさい」
わたしの声は、辛うじて温かいと思ってもらえるか。というほどには硬い。
戦死の報せが届かなかった人たちは、いつか帰ってくると分かっていた。
それでも、ずっと考えないようにしていたから、不自然に緊張してしまう。
まだどこか現実を飲み込めていないし、心の底から沸き上がる「なら、どうして」を――愛する人の朧げな背中を思い浮かべてしまう思考を――押さえることで精一杯で……。
「……お疲れでしょうが、まずは屋敷へ。大旦那様へ帰還の報告を。……きっと、お喜びになるでしょう」
指先を屋敷に向けて、口角を上げる。
けれど内心は――喜びよりも先に、彼らの腕や足から響く、チ、チ、という時計のような刻印音に、思考が侵食されていくようだった。
リアン様が手紙で書かれた〝変化〟とは、これなのだろうか。
屋敷からお祭り騒ぎが見えていたのか、玄関ホールに入るとお義父様が出迎えてくれた。
「――よくぞ、戻った。我が領の誇り高き息子たちよ」
お義父様の声が、高い天井に厳かに響く。
彼は階段をゆっくりと降り、マーカスさんの前で足を止めると、その〝鉄の右腕〟を躊躇いなく力強く握りしめた。その二の腕を誇らしげに叩く。
ジョシュさんとカイルさんにも視線を向け、心から嬉しい、誇らしいと頷いて見せて。
「その腕に、王国の勝利と、我が領の安寧が懸かっていたのだ。不自由を強いたな。だがお前たちの献身こそが、この地を救った。……心より、感謝する」
その老いた瞳には、偽りのない敬意と、そしてどこか痛ましげな色が混じっていた。
お義父様に手を握り締められながらも跪こうとする男たちを、首を振って制して。
「いや、詳細な軍務報告は明日でよい。今宵は、お前たちを待っていた家族のためにその身体を使いなさい。……ベルトラム! 倉庫にある一番良い酒と、最高の干し肉を彼らに。今夜、この村で飢える者が一人としていてはならん!」
「はっ、はい! 大旦那様!」
料理番のベルトラムが、これまでにないほど明るい声で応じる。
その大柄な体をくるりと反転させて、食糧庫の方へと走り出した。
さあ、ここはもういいから、皆にもっとよく顔を見せてやりなさい――そんな雰囲気に押され、英雄たちを囲む村人の輪は再び熱を帯び、あっという間に屋敷の外へと流れていく。
秋晴れの日差しで満ちた玄関ホール。
ほんとうに、眩しくて直視できないほど、抜けるような青空は美しい……。
「……アナスタシア。お前も、よく彼らを導いてくれた」
歓喜に乗り遅れ、その場にポツンと残ったわたしは名を呼ばれて肩を揺らしてしまう。
ゆっくりと振り返ると、お義父様の視線は優しく――けれどすべてを見透かすようにわたしに注がれている。
「……はい。お義父様」
わたしは、それ以上言葉を続けることができなかった。
お義父様が、彼らの鉄の腕をあんなにも誇らしく握った理由。
本当は誰に、一番そうしてあげたかったのか――それを知っているのは、この場のわたしたち二人だけ。




