71話 顛末
奔流の夏から、備えの秋へ。
村の空気は、閉ざしの冬を前にした例年の張り詰めたものとは、ずいぶん違っていた。
毎日袋の中を気にしながら一握りずつ苦労して小麦を挽かずとも、『小麦粉』の袋が台所の端に鎮座している。
各家庭に一つはチーズの塊があり、贅沢をしなければ冬を越せるだけの乾燥豆がすでにあった。
とはいえ植えた分はきちんと収穫しなければならないし、雪糸と彩雲糸の材料である霜麻に関する仕事は例年通りか、それ以上の作業量が待っている。
皆それなりに忙しく秋を過ごしていて……そんな畑仕事の合間に、女性たちは交代で作業場へ吸い込まれていった。
天井のパイプからは常に微かな蒸気の音が響き、手元のバルブ一つで虹色の糸が次々と紡ぎ出されていく。
少々の怪我人を出し、その血でもって安全の心得を書き足しながら。あっという間にやってきた秋の納品時、彩雲糸の生産数は、前回の二倍を優に超えていた。
「素晴らしい成果ですね」
一人で紡いでいた頃とは比べものにならない糸束を眺め、ため息のようにゴドウィンさんが零した。
「はい。一先ずは設計図通りに設備を据えることが出来ました。ベネディ商会と、アデレナ姉さまに感謝をお伝えください」
「ええ。必ず……あぁ、そう言えば。アデレナ様から言伝がございます」
「、なんでしょうか」
わたしは少し身構えてしまう。
手袋の件――わたしを叱りつける時だって、要件は手紙にしたためられていた。
言伝なんて初めてかもしれない。何事だろう。
「では……コホン、『新聞は見たかしら? 見てないなら早く見なさい。王国歴百九十年、七の月二十九日発行のものよ』」
ゴドウィンさんは、ニュアンスさえも正しく伝えようとしたのだろう。
咳払いのあとに響くほんのわずかに高い声。その抑揚はかなり似ていて、わずかに心が温かくなる。
「……新聞、ですか。……最近読めていませんでした……」
姉さまの言っている日から、数日経っているけれど。きっとまだ屋敷内に残っているだろう。
「それで、二十九日……八日? に何かあったのですか?」
「えぇ、と、そ……私の口からはどうにも。ですが、アナスタシア様なら、きっと『小気味よい』と感じられるニュースですよ。ぜひご自身で」
珍しく歯切れの悪いゴドウィンさんを、不思議な気持ちで見送る。
でも、あの姉さまがわざわざ言伝を寄越すのだ。ただの事件であるはずがない。
わたしは屋敷の隅にある古新聞の山へと急いだ。
指定された日付を探し出して、埃を被るのも構わず紙面を広げる。
【戦時債権の早期償還】
【王立天体審理府の気象算定表:彷徨星の逆行を観測】
【王都連続殺人事件:これで七人目】
【復興資材の独占供給権、ベネディ商会へ】
「あっ」
特集記事の横にある小さな経済短信。
そこには、バティスト伯爵が支援していたはずの『ラ・マルヌ商会』が、ベネディ商会との競合に敗れ、戦争復興の特需から完全に締め出されたことが淡々と記されていた。
「……あぁ、そう……」
ベネディ商会が動いたのだ。
姉さまの一言で、フレデリック様がバティスト伯爵家の生命線だった投資先を断ち切った。
あとは社交界に噂が広がれば終わり。
経済という檻が、伯爵夫人を静かに追い詰めた。
【バティスト伯爵夫人、多額の債務超過】
……カトリーヌ・ド・バティスト。
あの「姉代わりになってあげる」と傲慢な手紙を寄越してきた張本人。
次の一ページ丸ごとを使った特集記事によれば、彼女は新興の商会に深く肩入れし、その失敗を隠すために無理な資金繰りを繰り返していたらしい。
他にも叩けば叩くだけ埃が出てきているようで、詐欺、横領、果ては王族暗殺未遂まで、特需の締め出しの件も含めてあらゆる方面からコテンパンにされている様子。
……ここまでされるということは、わたし以外にも少なからず恨まれていた人だったのだろう。
その分、突けば砂城のように崩れ去った。
「流石、姉さま……」
今思えば……バティスト伯爵夫人が欲しかったのは、わたしの虹の糸ではなく、破滅から救ってくれる金貨だったのだろう。
あの手紙を燃やした日の直感は、間違っていなかった。
わたしは姉さまにも、この虹の糸にも守られていたのだ。




