7話 姉からの手紙
夏から秋、穀星が西の稜線へ没するまでに、どれだけ効率よく働き、貯蓄できるかが冬を乗り越える鍵となる。
わたしは返ってこないリアン様の手紙のことを、頭の隅で常に置物みたいに抱えたまま、備えの秋を迎えようとしていた。
炎天の強い太陽光は、相変わらず容赦なく肌を焼くけれど、焦りもあってどんどん日は短くなっていくようだった。
皆が皆の為に、休みなく重労働を続ける――ヴァルデリウス領特製のつけ汁に漬け込んで柔らかくなった大量の霜麻を、完全に乾燥させるべく気を配って干し、大型の獣を腑分けしては、その全て腐らないよう慎重に保存食に変える作業を終わらせても……達成の歓声が上がることはない。
やはり少ない領民で迎える冬の事を思うのだろう。
その顔色はどうしてもどこか暗く……そのうっすらとした、けれど長期間の倦み疲れた空気感に、わたしも少しずつ息が浅くなっていく……。
そんな中で、やはりエドワード様はよく奮闘してくださった。
その統率の元、領民皆が夏の間ずっと頑張ってきたから、貯蓄状況も悪くない。
領民が減ったからこそ、この人数なら今年も何とかなりそうだと、数字を見ればこそそう思う。
けれど――わたしは、リアン様に任されたこの領地と領民の為に、一つ心に決める。
わたしだけは「このままでは越冬出来ない」と仮想的にそう思って、少しでも自発的に動くべきだ――。
と、決意新たに新しい便箋を手に取った――まさにその瞬間だった。
エルザが、金で縁取られ見覚えのある紋章で封をされた手紙を持ってきたのは。
親愛なる、わが妹アナスタシアへ (もちろん、〝そして、私の可愛い妹〟よ!)
コンメルタスの苛烈な陽光を司る夏至星が、いよいよ天頂の座を譲り、高度を下げ始めました。暦象の遷移とともに秋の気配が忍び寄っておりますが、そちらはご機嫌麗しくお過ごしでしょうか。
まずは、あの結婚式に出席できなかったこと、今更ながら心苦しく思っています。 夫君のジュリアン様や、寒さに厳しいあの地で、あなたが不当な苦労をしていないか姉として気がかりでなりません。
こちらコンメルタスにいると戦火の噂は遠いですが、ヴァルデリウス領の苦労は察します。物資、資金、人的な助け、姉にできることならば何でも言いなさい。
どうか、私の愛しい妹よ、あなたの身を大切にね。
商業都市コンメルタスより、あなたの姉、アデレナ・ベネディ
一番最初の定型文から相変わらずの破天荒さに目を細める。
封蝋を割り中を取り出すと、封筒に合わせて手紙にも金の縁取りがなされていた。それは正しく、手の中で光り輝く天啓。
だってわたしは今まさに、アデレナ姉さまに手紙を書こうとペンを手に取っていたのだから。
親愛なる、アデレナ姉さまへ(もちろん、〝そして、わたくしの自慢の姉さま〟!)
しばらく文通が途絶えておりましたが、結婚に際し、上等な刺繍針と金属のペン先をありがとうございました。この手紙は、そのペンで書いております。とても書きやすく、お気に入りです。
こちらではよくしていただいております。ただ、領地の越冬準備のことで、姉さまに至急ご相談したいことがございます。
図々しいお願いとは存じますが、一度お目にかかる機会をいただけないでしょうか。
ヴァルデリウス領より、アナスタシア・ヴァルデリウス
内地から内地へ、また夏ということもあり、返事は一週間で届いた。
変わらず金に縁どられていて豪華で、いい香りのする手紙には。
親愛なる妹、アナスタシアへ
三の環に冷気星が進入する秋口には、こちらから迎えを手配します。一番品質のいい雪糸とその刺繍を施した布製品か、用意できるならレース飾りを持ってきなさい。詳細は商業都市コンメルタスにてお話ししましょう。
大丈夫。不本意な社交場に引っ張り出したりしません。だからそれまで、くれぐれも体調を崩さないように。
アデレナ・ベネディ
流石、有力貴族よりも商人貴族の三男坊を「そっちのほうが面白そうだもの」なんて言って、選んで嫁いで行っただけある、自慢の姉さま。
わたしではひっくり返っても出来ない鮮やかな社交スキルで、戦争の状況やわたしの置かれている状況をわたしよりも理解し、最速で最善を選んでくださる。
越冬の相談という私的な要請を、新商品の商談という公的な理由に巧みにすり替えてくれた。
的確に雪糸を求めたのも、新たな商品を期待してのこと。
この状況でこの北の土地にいる、社交嫌いのわたしが自ら「会いたい」と言ったということに――姉さまに見せられるものがあるということに――気づいてくださった。
雪糸はしなやかで強靭であることが一般的に知られている。
けれど最高級品のそれは光源のもと、わずかに虹色に光る特性があった。
貴族向けの高級装飾として使われるその糸は、大量生産の中でそう発色する数少ないものを見つけ出し、一筋一筋集めて束にして、数年に一度、まとまった金銭を得ていたのだけれど……。
わたしは、姉さまの手紙の前でしばし目を閉じる。
あれは、去年の冬のこと。
わたしは嫁いで初めて、生産棟の村人たちの中に混じって糸を紡いだ。
熟練女性職人たちの「お貴族様のお手並み拝見」という冷ややかな視線を背中に受けながら、キリキリと痛むお腹を抱え、ただ一心不乱にペダルを踏み続けたあの日々……。
紡績――糸車だけは、生家でもずっとやって来たこと。
小さな自信を支えに、吐き気と戦いながらも数日踏ん張って……なんとか一束分の糸を紡げば、冷ややかな視線はいくらか和らいでいくのが分かった。
『口だけで本当は紡げない』という最低ラインよりは上の結果を出して、「邪魔にならない」という評価を貰って、数週間――。
不意に糸を切らしてしまったわたしを、村の女性が笑って、けれど温かく励ましてくれたことを思い出す。
もうこの時には貴族だろうが村人だろうが関係なかった。
真剣には真剣を。そのうえで成り立つ優しさに「もう少し頑張ろう」と視線を上げたその時。
目の前では、かせ上げ後の水に濡れた糸束が冬の陽光を跳ね返していた。
そこに差し込む白い光は糸を強く照らして――わずかに虹光を返しているように見えて……。
故郷では『十巻きに一筋』だったはずの虹が、この土地の糸には全体に薄く溶け込んでいる。
それはまるで真珠貝の裏側のように淡いけれど、でも確かなもの。
ここでも、纏まったお金を得るために虹色に光る糸を集めていると思っていた。
けれど「ここでそんな糸は見ないねえ」と顔を傾けて笑った彼女たちの目は、日常の寒さに慣れすぎて、その奇跡を見落としていただけなのだ。
外は生家と比べ物にならないほど寒く、けれど工房は暖かい。
その過酷な温度差こそが、虹を呼び込むのかもしれない。
ならば、その温度差を人工的に、より苛烈に与えたら――。
こんなに早く、具体的に予定だけが詰まるとは思っていなかった。しかし、何としてもこの機会を逃すわけにはいかない。
素早く了承の手紙を姉さまに返し、わたしは予定を繰り上げて、一束分の雪糸生産を個人的に開始する。
丁寧に荒梳、整繊まで終わらせて、普通の亜麻より白い霜麻の繊維を丁寧に取り出して。
皆に心配を掛けないほんの一時を見計らい、一人で森に入り、川の上流で晩夏でも冬と同等に冷たい水を確保した。
別で湯を沸かし、軽く火傷をしながらでも糸車に吸い込まれる直前の糸に高温の蒸気を当てる。
巻き終わればまだ熱いボビンごと冷水に浸した。その後普通の雪糸と同じように水中でかせ上げを行い、数日乾燥させる。
出来上がったものを朝日に当てれば――はやり、わたしの予測通り……。
冬の間はあんなに元気だったお義父様は、春の新芽が土を割って元気に生えてくるのと逆行して、また寝たきりになってしまわれた。でも、そんなお義父様のまだお話が出来る日を見計らい、わたしは部屋まで訪ねる。
そこで、領地の状況と、予想される未来と、わたしがこれから行おうとしていることを洗いざらいお話しした。そのために、姉に会いにここから馬車で二日はかかる商業都市に向かう予定だと。
寝ているのかもと思うほどじっと目を閉じて耳を傾けていたお義父様は、一つ頷くと痛む体を押して起き上がり、わたしに小さな剣を授けてくださった。曰く、お義父様のお母様が――つまり旦那様のおばあ様が――護身用に持っていたもので、亡きお義母様には終ぞ渡せなかったもの。
ヴァルデリウス家の紋章が付いたそれを「よく研いであるが、使え。という訳ではない」と、お義父様は旦那様――リアン様と同じ、微かにかすれた、それでも芯の通った声色で呟いた。わたしは少し緊張しながら、お義父様の次の言葉を待つ。
やはり体調はすぐれないのだろう。深く呼吸を繰り返して――それから。先代領主としてふさわしい威厳のある表情の、その真っすぐに結ばれた唇が開く「アナスタシア、お前の好きにやりなさい。このロデリック・ヴァルデリウスの名において、すべてを許す」
お義父様は、言い終われば弱弱しくともいつもどおりの優しい笑顔で、わたしを快く見送ってくださった。
逆にエドワード様には、ふんわりとお伝えする。ふんわりし過ぎて、エドワード様は私の商業都市行きを形を変えた帰郷と思っているかもしれなかった。
これから領地運営に関わってくる、その一端を伏せるのは、わたしだって心苦しいものがある。けれどエドワード様も旦那様に似てお優しいから、これ以上大げさに伝えたら警護を付けようなどと言わせてしまう。
ただでさえ人員は足りず、ご自身は骨身を削るほどお忙しいのだから……余計な心配をかけると思ったのだ。きっとうまくやるから――それにお義父様に許可は取ったのだし――今はまだ、知らなくても良いと思う。
迎えが来る前にやらねばならないことは大方終わらせた。わたしは最後に、机に向かって姿勢を正す。
返事はまだ来ない。けれど決意表明と、少しでも安心していただけるようにペンを走らせた。
わたしの愛するリアン様へ
領内は、無事に冬を越せるだけの備蓄を整え終えました。
わたしはこの秋の間に、姉に会いに商業都市コンメルタスまで行ってまいります。
今年の冬も、貴方様の愛したヴァルデリウス領とその領民を必ず守ってみせます。どうか安心してくださいませ。
ご武運と共に、貴方様が無事に戻られる日を心待ちにしております。
貴方様のアナスタシア




