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最果てより、愛をこめて。  作者: すの
第十二章:断絶
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67話 勝利


 奔流の夏らしい、どこまでもしろく輝く日だったことをぼんやりと覚えている。


 わたしはその時、川の上流まで水汲みに行っていた。工房裏手の急な坂を、満杯の水桶を持ちながら慎重に下り、少しだけ開いた裏口に視線を合わせた――その瞬間。


 ――ワァァァアアアッ!!


「ッ゛?!」


 言葉にならない絶叫が、濁流となって工房から溢れ出した。

 雷が落ちたのかと錯覚するほどのそれに、わたしは泡を噴いて死んでしまった少女、ミーナの白昼夢を見る。


 異常事態に水桶を放り投げて走りだし、工房内の表入り口付近の人だかりに割って入ろうと手を伸ばした。

 ミーナの時と同じ騒めきに頭が痛む。

 ――早く、適切な処理を。

 もう、あんなことを繰り返してはいけない。


「何の騒ぎですかッ! い、ちょっと、どいてくださ、」

「ああ奥様ッ! やったよ!」


 生産棟の女性が、進んで私に話しかけた――明るい声で。

 

「戦争が終わったんだ!」


 その叫び声を理解する前に、振り返った誰かにぎゅうっと強く抱きしめられる。

 胸元に顔がうずまって、暗闇と干し草と汗のにおいが頭蓋の中に満ちていく。


「エルドリアスの――我が国の勝利だッ!!」

「終わった! 終わったんだ!」

「――ぇ、」 

「やった!! これでみんな帰ってくる!」


 ――ワァアアアッ!!

 

 幾人もの声が重なり、もはや一つの生き物の咆哮と化した歓声が、工房の壁を震わせた。


 抱きしめられながら、色んな人に揉みくちゃにされていた。

 久しぶりの人肌は、けれど薄膜越しみたいに感触が遠い。


 終わったの、本当に……?

 誰に抱きしめられているの、腕を引っ張っているのは誰、足を踏んでしまったわ。


 ――昨日まで全員でわたしを睨みつけていたくせに?

 いや。

 立場が違えば、苦しみ方も違う。ずっと、そう思って耐えてきたじゃない。

 ならば今こそ――すべてを水に流せばいい。


 ――ああ、戦争が終わったって、本当に本当なの……?


「……ッくる、しッ」

「ああ、すまないね奥様、ああ、本当に嬉しくて!」

「ええ、――本当に良かった。わたしも、嬉しいです」


 わたしを抱きしめていた人――マリアさんの腕から抜け出して、顔を傾けて肯定して見せる。

 落ちていた号外を拾い、何度も紙の上の見出しを読んだ。

 その間にも手を握られ、頬にキスまでされる。

 

『聖戦完遂! 宿敵、真洋皇国ついに無条件降伏!!』

『王国の鉄槌、皇国の「不落要塞」を塵へと変ず』

『輝ける平和の凱旋――全軍、順次帰還の途へ』


 ……おそらく、ラフェンさんが大量にばら撒いていったのだろう。

 本当にそこら中に号外が落ちて、村人の歓喜の踊りの下敷きになっている。

 

「おわった……?」


 ため息のようにぽつりと呟いた声は、狂騒の中に消えていく。


 誰かに手を握られ、肩を叩かれるたび、わたしは口角を盛り上げた。

 あの冬のことを思えば「何を今さら」――と思ってしまう自分の内なる口を必死にふさぎ、歓喜の空気に体を無理やり馴染ませる。

 時には一緒に踊ったりしながら――昨日と何も変わらない空を仰ぎ、自分自身ごと全力で騙し続けていた。


 ――勝ったのだから、旦那様は帰ってくる。

 当たり前の帰結だ。あの不吉な手紙は、ただの悪い冗談だったのだと。


………

……

…


「昨日、我が領にエルドリアス王国の勝利が報じられました。この勝利のために、戦地でその身を捧げ、礎となった者たち。今この時も、愛する故郷への道を歩んでいる者たち。……そして、ここヴァルデリウスで武器の代わりに糸を操り、今日まで戦い抜いた皆さん。皆がそれぞれの場所で、欠かせぬ一つの歯車としてその職責を全うした――その『結束』が手繰り寄せた結果なのです」


 ずいぶん久しぶりに感じる、小さな箱の上。


「わたしはヴァルデリウス男爵夫人として、この結果を心から誇りに思います」


 目の前の女性たちの瞳は、以前ほどわたしを見ていない。

 方角はあっていても、どこかぼんやりしている。

 わたしも一人一人の瞳を覗き込み、必死に訴えかけるようなことはもうしない。


「戦時中から、少しでも腹の足しになればと行っていた温熱配給……スープの集いは、本日をもって終了といたします」


 まっすぐ前を見ながらきっぱりとそう宣言すると、帰ってきたのはほんの少しのざわめき。

 そりゃそうだろう。と頷く声に混ざって、不満の囁きがひとつまみ。

 それも「貰えるものは貰っておきたかった」という軽い落胆であり、死活問題という人はいない。


「これからは配給という施しではなく、皆さんの腕で豊かさを掴み取る時です。働けば働いただけ、以前よりもずっと容易に、お金も食材も手に入る――そんな好景気がやってきます。この機会を逃す手はありません」


 大きく息を吸って、お腹に力を入れる。

 けれどすぐに息が鼻から漏れてしまう。

 張りつめた糸の揺らぎ。そのまま切れてしまわないように――ため息に見えないように、すぐさま背筋を伸ばす。


 口角を上げなさい。さあ、もう少しだけ頑張るの。

 脳裏に張り付く『わたし』が囁く。分かってる。

 お腹の前で重ね合わせた白の両手を握り締めた。


「戦争は終わりましたが、日々は続くのです。気を抜かず――けれど、無理をしては続きませんから、ほどほどに。これからも共に……それぞれの職責を果たしていきましょう。それでは、作業開始。本日もよろしくお願いします」


 一礼して木箱から降りると、皆は夏の仕事をしにぞろぞろと工房の外へ出ていった。

 その頬は昨日の高揚をまだ色濃く残しているようで……心の中のわだかまりが少しだけほぐれていくような気分になる。

 後ろに控えていたエルザと合流し、衝立の中で今後の相談を……と、工房奥へと足を向けた――その時。


「あの、お、――奥様」


 わたしを呼び留めたのはマルタさん。

 振り返ると、その後ろにはマーガレットさん、リナさん、ヒルダさんと他数人の影があった。

 皆、不安そうな困ったような、曖昧な顔をして……俯いている人もいる。


「はい、どうしましたか」


 目尻を下げ、穏やかな表情を作る。

 でも、ほんの少しだけ身構えてしまう。

 わたしと冷戦のようになりながらも、仕事はきちんとこなしていたマルタさんはともかく。

 後ろの数人は、わたしを無視したり、ささやかな妨害をしたりしていた人たちだ。

 

「奥様、わたしら、……」

「その……ッ冬からずっと……」


 マルタさんがエプロンを握り締めながら言いよどみ、すかさず後ろのマーガレットさんが前に出て言葉を繋ぐ。

 わたしは――全てを言わせてしまう前に、背筋を正してその小さな一団に歩み寄った。

 コツ、コツ、と板張りの床にブーツの音が響くと、びくり、とそのひと固まりが跳ねる。

 その怯えた様子を見ても、昨日の嫌悪のような……彼女たちに対するやり場のない憤懣は、心の底でとぐろを巻いたまま。

 でもわたしは、こうやって集まって――彼女らが後悔のようなものを感じているのなら、それでいいと思って、白い片手を動かす。


「しー」


 一団と内緒話さえ出来そうな至近距離。唇に人差し指を立てて、少しだけ子供っぽく目を細めて見せた。


「戦争は終わりました。だから、もうそれだけでいいのです」


 ね。さぁ、今日も頑張ってもらいますよ。と大きく両手を広げる。


 青ざめ、苦しそうな顔をした熟年職人。

「許された」と一気に表情を明るくする若手職人。


 わたしはその二つの表情をした人たちの顔を、ずっとずっと覚えておこうと思った。


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