61話 また明日
その翌日。雲は薄く明るいけれど雪が降っていて、更に風も出てる。
雪粒が顔を叩く痛みに堪えながら、それでもわたしは意気揚々と――今日は集まっていないかもしれないので、いつも通りゲルダお婆さんのところから訪ねていった。
その部屋は昨日と変わらず、机の上には例の書き置き。
だから、わたしはちょっと覗いただけですぐロッタさんの家へ向かった。
「こんにちは、スープを――、」
昨日と同じように、ノックしながら扉を開ける。
けれどそこには誰もいない。薄暗く、触らないから整ったままの部屋がぽかんと虚ろを晒していた。
嫌な予感が背筋を走る。
なら、エルナさんの家に――?
ロッタさんの部屋は、人の気配がまったくない。
今日一度も、薪を焚べられていないかのように冷え切っている。
「エルナさん、こんにちは」
ノックをする。中から声がして欲しいと祈り、けれど待っても返事はない。
勢いよく扉を開ける――誰もいない。
三つの家は、どれも空だった。
今日工房にいたかしら。
いや、朝ちゃんと見た。いなかった。
「――はぁ、はぁっ――あ゛ぅッ」
工房へ走る。道中一度だけ転ぶ。
頭の中に響く三人の穏やかな笑い声。
――転ぶなっていったのに
地面の雪を掴んで起き上がり、走る。
「おッ、お婆さんたち、見ませんでしたか? あっロジーさん、朝なにか、ロッタさんの変わったところとか、」
工房に駆け込んで、その入口で叫ぶ。
ロッタさんの向かいに住んでいるロジーさんにも声を掛けるけれど、彼女は一切こちらを見ず、スープを飲みながら「知らない」と呟いただけだった。湧き立つ湯気が、その横顔を覆い隠す。
焦りと、ままならなさで心臓がグシャリと潰れる音を聞いた。
それでも、わたしは両手を広げて問いかける。
「だ、だれか、見ませんでしたか! ゲルダさん、ロッタさん、エルナさんが居ないんですッ!!」
その瞬間。スープを配膳して常にざわざわとしていた工房内は、水を打ったみたいに静かになった。
「だれかッ、」
その時。
――そりゃあんな毎日してたら、ねぇ。
と、誰かがそう囁いた。
――最初から追いつめるだけだったろうに。
――私だって耐えられないかも。
――あんなの、自分が『良い奥様』になりたかっただけでしょう?
――死に場所を探している人間に、あんな無理やり……。
重たい雪がザラザラと降り積もるみたいだった。
独り言のような、工房の総意のような囁きは、一言一句すべてがわたしの耳の中に流れ込んでくる。
家にいながらスープを受け取っていた三人への嫉妬も、飢えや寒さが人を意地悪にすることも、分かる。
それでも、村の仲間が三人もいなくなったのに!
「マ、マルタさ――」
すがりつくみたいに、マルタさんを見ていた。
彼女に一喝「ほら、奥様が聞いてるよ! 誰か知らないのかい!」と言ってほしかった。
けれど彼女は、しっかり目が合っていたのに、真顔のまま露骨に目を逸らした。
「あ、――」
「奥様。大旦那様に相談いたしましょう。こちらへ」
エルザが、わたしの腕と肩を優しく掴んで引っ張った。
よろめく足先が雪に埋まり、転びそうになる。
エルザは、屋敷につくまでわたしを掴んだまま離さなかった。
………
……
…
それからは、エルザが全て良いようにしてくれた。
わたしはその隣で、聞かれたことに答えるだけ。
自分から先頭に立つこともできずひたすら俯いていたように思う。
「奥様が最後に見たのはいつですか」
「昨日の、昼過ぎよ……ちょうど、これぐらいの時間……」
「三人一緒に行動しているのなら、西方向から山に入った可能性があります――ですよね、奥様」
「ええ。西方向……そうね。そうだと思うわ……」
「ではフーベルト様、警備隊にはそのようにお伝え下さい」
お義父様の前でも、現在山の中にいる警備隊に伝えに行くフーベルトの前でも。
「奥様。少々お休みください。三人のことはエドワード様に任せて、また明日頑張りましょう」
「――、でも……」
フラフラとしている間に自室に戻され、肩を押さえつけるようにベッドに座らされてしまった。
指も足も動く――まだ働ける。
昼過ぎから夕方までなら、ボビン一巻分は仕上げられる。
でも……わたしは目の前のエルザ越しに、工房の女性たちの影を見てしまう。
タコのある指先がチリチリと傷んだ。
マルタさんにもあんな対応をされて――もう工房へ戻る勇気が出なかった。
ゆっくり息を吸い、吐く。平べったい白息が僅かに広がって、そして消ていく。
「そうするわ。――確かにほんの少し、疲れたし……一人になりたい、」
今日このときだけは。ほんの少し、一人で考えよう。明日ちゃんと働けるように。
わたしが騒ぎ立てても三人が見つかるというわけでもないのだから……。
「、承知いたしました。夕食の準備が整いましたら、また声をかけますね」
「ええ……」
昼に降っていた雪は、そのまま吹雪となったようだった。
ガタン、ガタン、と風が窓を揺らして、シャラシャラ、バラバラ、と大粒の雪が積もっていく音がする。
どうして。どうして。どうして。なんで。
ベッドに腰掛けて、まさに昨日同じように並んで腰掛けていた三人を思い出す。
だって、そんな素振りなかったじゃない。集まれたら集まるって明日の話をしたじゃない。
――奥様。いつもありがとうね。
――工房の皆もね、悪気があるわけじゃないんだよ。
――春になって――いつか戦争が終わったら、また変わる。その時――
「その時、あいつらを、」
暗い部屋。乾燥した唇が動く。
ああ、だって、そんなの。
――あいつらを嫌いにならないでおくれ。
まるで、遺言みたいな――。




